中学一年の時、国語の担当教師に『どうやったら国語のテストで良い点が取れるの?先生、僕を弟子にして下さい!』と申し出た事がありました。当時私はジャッキーチェンに憧れていて、【修行】というもので強くなれる事が凄いと思っての行動でした。

その新米の先生は、『よし、分かった。佐野君、本当にやる気があるなら絶対に僕の言う通りにするんだよ』と言って、次の通り私に【修行】させました。

1. 教科書に20ページ程載っている夏目漱石の坊ちゃんという小説の分からない言葉を全て書き出し、全て辞書で調べてそれをノートに書く。

2.毎日1ページ必ず行い、放課後先生に見せる。その時書き出してない言葉で分からないものがあった場合、その言葉を何度も書かないといけない。

初めは、なんだこんなツマラナイ作業は?と思い適当にノートに書き出しました。ノートを提出した初日、先生は私の舐めた気持ちを見透かしたかのようにこう言いました。『佐野くん、ノートに書いている言葉以外は全部分かってるんだよね?では、端渓ってどういう意味?憂目って何?』私が目をまん丸くして固まりながら『……』となっていると、先生は『佐野くんさあ、分かってるようで分かってないんだよ。自分に正直になって分からない言葉を書きなさいよ!僕だって業務時間外だし、テニス部の部活の顧問もして忙しいんだからね』と叱咤されてしまいました。

私は次の日から真摯にとにかく自分にダメ出ししながら、言葉を書きまくりました。結局殆どの言葉の意味なんて私は分かっていませんでした。。ノートを真っ黒にして、毎日毎日書き出しMY辞書にて調ました。

それを20日間欠かさず続けました。程なくして秋の中間テストがあり、坊ちゃんから出題されました。その時人生で初めて100点を取りました。まるで魔法です。先生は、今でもその逸話を毎年新入生に語ってくれているそうです。

それから親の都合で大阪の学校に転校したり、私の身辺に色々な事があり勉強には疎遠になっていました。中3の一学期までは、学校で上から五本の指以内の成績だったのですが…  足を引っ張りたい酷い不良達との戦い(転校生イジメ)があり、内申書は急降下していきました。それでも、内申関係ない私立のトップ高校へ入試を試みようとしたところ、当時の担任が母に土下座しながら、お願いだからやめさせて下さい。と言って、叶いませんでした。。。それから、まあまあ私は不貞腐れてしまっていました。。。自業自得ですが…

その後、30歳を過ぎてからサノシーテックというバリバリの動力伝達装置会社に入社した時に父である社長に言われました。『おい、文系理系なんて関係ないぞ、とにかくこれから俺の電話、打ち合わせで分からない言葉を全てノートに書け!工業高校の教科書5冊、分からない言葉を全て書け!』と。。

あっ!と気が付きました。中学の時の成功体験を思い出したのです。私は突然やる気スイッチが入りました。ノートを何冊も真っ黒にし、エクセルで10,000以上の言葉を書き尽くし調べ尽くしました。それでも分からない言葉は専門の技術者に聞きまくりました。寝ても覚めても、ノートと工業高校の教科書と向き合いました。

3年後、私は自分にある変化が起こっている事に気がつきました。私より10年以上もキャリアがある同業界の同年代の技術職の者や営業マンと会話をしたり、共に仕事をすると、機械や電気の知識や会話で、全然引けを取っていないな。。いや自分はいけてるかも、イヤイヤ君は何を学んだんた!違うだろ!など多くの事が見えてきました。沸々と自信が漲ってきました。3年前は、たくさーんの人に『文系の君は無理だよ。なんでお父さんの小さい会社に入ったの?出来るわけないよ』と言われて、ビビっていた私ですが、もう他人の意見はどうでも良くなっていました。他人の私に関する否定的な意見は単なる雑音にしか聞こえませんでした。そんな私を見てサノシーテックの社長はハッキリこう言いました。
【技術力は国語力だ!いつでもわかっていない事は微分・積分でもない、複雑な方程式でも三角関数でもない。言葉なんだ】その時父と飲んだビールの味は格別でした。

私はこの言葉を座右の銘にしています。足し算引き算割り算掛け算で、大抵の基礎技術計算は出来ます。突き詰めると公式はどんどんシンプルになっていくからです。F=maしかり、V=IRしかり…
というより貴方はちゃんと電卓使えますか(^_^)?

現在も私は新しい事を学ぶ事が大好きです。言葉一つ一つを大切にして、もっともっと見聞を広げて行きたいと考えてます。学校の成績が悪い=頭が悪い ではありません。大切な事は学び続けることであり、分からない事(言葉)と正直に向き合い続けることです。

私は技術に関する問題から逃げません。そして、謙虚に毎日言葉という宝箱を開けてその意味を調べていこうと思います。