雪が降る。
友人の回顧という形を採ってスタート。
とてもオーソドックスな映像。

1922年、ニューヨークでのパーティー。
「人生を支配しろ!」という言葉。

うまく現代音楽を合わせて、HIPな感じ。
華やかでうるさい画面。
遊園地というセリフもあったけど、まさにクレイジーな喧噪ぶりが描かれて。

5年ぶりの再会という雨の日のお茶会。
壊れた時計というメタファー。

雨は止んだ。
止んだけど?

やり直す?
いいえ、逃避行?

車や衣装、風俗がカタログのように見せられる。
(お金、かかってるなぁ・・・。)

彼の「希望を見出す力」こそが「偉大」。
ただし、完璧なストーリーを求めるあまり・・・。

たびたび使われる「友よ」という呼びかけは時代がかって聞こえるけど、
友だちのいない主人公の眼差しとセットになると、なかなか切実。

水の中に沈みゆくディカプリオは、『タイタニック』を彷彿させたりもして。

ナレーションにあった「彼にとっての新大陸」という概念は鍵。

その後の大恐慌も今に通じるアメリカの一部、というか、そのもの。

終りの白い文字が降る演出は、冒頭の雪のシーンとのつなぎを思わせて洒落てました。

「The Great」と書き加える演出もね。

夢への取り組みが未来に向かう時と、
それが「取り戻す」という方向になる時の、「形」の違い。

出自に関する悲しみと、それを科学的な努力で乗り越えてきた人の業か。

物語が書かれた1925年当時と、5回に渡っての映画化は、
それぞれ伝わるものが違うのだろうなぁと思いました。
全部並べて、何にどう光を当てたのかを検証したいくらい。
(卒論くらいのシゴトになるのかもね。)

しかし、長いお話ですよ。

読むのに7時間かかるという小説を、
映画として2時間にするのは大変なんよ、と監督も語っていました。

わたしは、この作品を観ながら、『レ・ミゼラブル』を思い出していました。

人生って、人生って、人生って・・・。