わたしは、シリアで人質となった後藤さんのシュッとしたルックスや、川崎で亡くなった少年の愛くるしい笑顔の写真に引きつけられ、事件がより大きな心理的影響を持ってしまうのを知っている。湯川さんと後藤さんのときには、もし彼らの持つ雰囲気が逆だったら、話のトーンも変わったものになったのでは?とさえ思ったもの。どちらにしても酷いことだけれど。何かを消費している感じすらある。本当に酷いことだけれど。
川崎の件については、川で泳がせたと聞いてから具合が悪くなってしまった。更に、遺体を蹴って移動させた?というのを見て、寝込んでいる。よくそんなことができたなぁと呆れはするけれど、それ以前に、なぜそんなことが思いつくのだろう?という不思議。少しずついろんなことが明らかになりつつあるようだけれど。
わたしを含む多くの大人たちは罪悪感にも似た無力を詫び、行き場のない罪と罰について考え続ける。この数日あまりの重力の何割かはこれだろう。何か出来だろうか?いや、何が出来たというのか?の繰り返し。
登場人物のあれこれを思い、そのポジションを想像する。「火垂るの墓」のあの兄妹をうちに引き取ることができたなら?とさえ思う、傲慢なわたしだよ。近所に住んでいたら、声を掛けることくらいは?などと、妄想の中でなら軽やかなもんだ。おそらく憔悴しきっておられるのではないかと思う担任の先生の立場ならどうか?痛恨のミスと言われても仕方がない(のでは?と、わたしは思う)警察官ならどうだ?DVが離婚原因と報じられている別れた父親は?
時間の不可逆性と、そこまでの積み重ねた何か。それが何なのか、今はまだ言葉の手がかりも見つけられない。つーか、誰が何を積み重ねたというのだろう。正しくは、何が積み重なったのだろう?か。主語があやふやなことには、心許なさが伴う。
容赦のないキャスティング。だけど、これに指名された(と、結果的に見える)人たちは皆、アイコン化して聖者のようだ。もちろん、わたしがそう思いたいだけなのだろう。
いつまでもショック状態でいるのではなく、川のあちら側とこちら側で何が違い、何が同じなのかを考えたい。その川は本当にそこにあるのか。あるとしたら、そこにしかないのか。そんなわけはないだろう。
(とりあえず、今日はここまで。)
川崎の件については、川で泳がせたと聞いてから具合が悪くなってしまった。更に、遺体を蹴って移動させた?というのを見て、寝込んでいる。よくそんなことができたなぁと呆れはするけれど、それ以前に、なぜそんなことが思いつくのだろう?という不思議。少しずついろんなことが明らかになりつつあるようだけれど。
わたしを含む多くの大人たちは罪悪感にも似た無力を詫び、行き場のない罪と罰について考え続ける。この数日あまりの重力の何割かはこれだろう。何か出来だろうか?いや、何が出来たというのか?の繰り返し。
登場人物のあれこれを思い、そのポジションを想像する。「火垂るの墓」のあの兄妹をうちに引き取ることができたなら?とさえ思う、傲慢なわたしだよ。近所に住んでいたら、声を掛けることくらいは?などと、妄想の中でなら軽やかなもんだ。おそらく憔悴しきっておられるのではないかと思う担任の先生の立場ならどうか?痛恨のミスと言われても仕方がない(のでは?と、わたしは思う)警察官ならどうだ?DVが離婚原因と報じられている別れた父親は?
時間の不可逆性と、そこまでの積み重ねた何か。それが何なのか、今はまだ言葉の手がかりも見つけられない。つーか、誰が何を積み重ねたというのだろう。正しくは、何が積み重なったのだろう?か。主語があやふやなことには、心許なさが伴う。
容赦のないキャスティング。だけど、これに指名された(と、結果的に見える)人たちは皆、アイコン化して聖者のようだ。もちろん、わたしがそう思いたいだけなのだろう。
いつまでもショック状態でいるのではなく、川のあちら側とこちら側で何が違い、何が同じなのかを考えたい。その川は本当にそこにあるのか。あるとしたら、そこにしかないのか。そんなわけはないだろう。
(とりあえず、今日はここまで。)