2005年04月23日

テスト

てすと  
Posted by freewood at 12:47Comments(2)TrackBack(0)現場より

2005年03月30日

目に見える確かさと目に見えない恐ろしさ

 世の中良いことばかりは無いようです。
物の形、色合い、機械の便利さは見て触って判断できます。
しかし、ここがご用心。
人間にとって最も怖いものは目に見えない危険が多いことです。
物のよしあしの判断は、人の健康を後回しで選ぶ事は無いと思いますが、
果たして現実はそこを認識し、判断しているのでしょうか?
きれいな花にはトゲがあるとか、目に見えない恐ろしい物と暮らさないように
心の目も使って選びたいものです。
  

2005年03月23日

木の家 やっと近頃解り掛けて来た事

 先日、広島住いで数年お留守のお施主様が定年で帰ってこられました。
とてもひたしみのわく優しいご夫婦の方。
もちろん住いはフリーウッドまるごと木の家。
春だと言うのにまだ雪が降り、寒い日が続いている状態でした。
帰られて2日程度は寒かったとか。
しかし後はとても過ごしやすい日々が続いていると話されました。

???断熱と保温力(蓄熱)の違いから来る仕業????
この冬全く暖房もされる事無く、気温に任せっぱなしの状態で家もすっかり
冷え切ってしまったようです。

 しかし、木は断熱力と蓄熱する力の両方が備わっているすばらしい材料です。
いったん温まると室内の気温が低下しても木材の表面しか冷えません。
暖房も室内の空気を暖めるだけで後は暖房の必要が無いわけです。
まるで魔法瓶と血の通っている人肌に似た壁のようです。

 そして、とって置きの秘密は木が室内の湿度をちょうど良い状態に調節管理
してくれている事です。温度と湿度のバランスが良いと、冷暖房も少なく快適
に過ごせる分けです。木は植物ですから動植物の好みを知っているのでしょう。
人工的な温度、湿度調整は機械の判断、人間の感覚が麻痺するのか、とても過剰に
冷暖房を効かせ過ぎてしまい、それでも何か不足を感じてしまいます。
正に自然の力が成せる技は人知を超える物があるようです。  

2005年02月12日

21世紀は心の世紀・・・・・・

 
 そこに生まれ・そこに育つ命の器・・・家・・・
       私達はもっともっと、
           考え直してみる時期が来たように思います・・・

 自然は何も語らない、木もまた無言・・・
     そこに生まれそこに育つ命は、そこが故郷、
         親として成すべき事はそこに育つ子供達の故郷を守ること、
             外見の家造りより大切なもの・・・見つけてください。

 夏は多少暑くてもさわやかに、
     冬は小さなストーブで寄り添いながら春を待つ、
         やがて来る春を待ち望む自然な喜びを持ち続ける心の住まい。

 木の家とは、大きく深呼吸をしたくなる優しい器。
       気が付けば、機械も見栄も必要の無いことを教えてくれる。

 木と暮らすこと・・・それは自然のリズムに同化した暮らし、
     命も自然が育ててくれる、そして心も自然が教えてくれる・・・
         これから始まる自然との対話・・・人も自然の一つと感じた時

        新たな家造りとライフスタイルが見えてくる  

2005年02月04日

都会の暮らしに見切りをつけて、今は自然の中で田舎暮らし

 
 医師としての地位を捨て、都会を捨て。
 今は田舎で野良仕事、自然と対話しながらの毎日とか。
 経済には恵まれないが都会にはない大切な物を実感する日々が続く・・・
 
 何がそうさせたのか、想いと 勇気と 行動と リスクを乗り越え今がある。
 その名はHさん、何処か仙人の風貌が漂う優しい人柄。
 顔は日焼けで真っ黒、太陽と共に起き太陽と共に野良仕事を終える。
 
 経済面で二刀流の生き方を否定する信念は何なのか
 家族と共に懸命に生きる姿はそれを語っているように思える。
 都会には、そして今の社会に無い大切な物、何時の日か教えて頂こう・・・・・・
 
考え続けて30年、今やっと見えて来た物とは。  

2005年02月01日

シャーマニズム 「木涯の家」 其の七 〜 完

 
                            作 遠藤和夫

 長くなりついでにもう一言
去る二年程前、日本木材加工技術協会の講演の中で、東京大学教授 有馬先生の御話に、木は成長の過程で有害物質のCO2をも吸収してくれている。従って、木造住宅は町の中でCO2の貯蔵庫の役割もあり、木造を枯渇させては成らないと御聞きし、考えさせられました。
 現在、外材の使用率は70%(1995年頃)と言われ、先生の御話からするとある意味では外国の有害物質を木材と共に輸入し、短命の木造住宅を量産し、燃やし、国内に放出して居る事になりわしないか。
あまつさえ、ゴミを不法に輸出し外国から避難の嵐、木材を輸入し日本はハイエナのごとくに言われようとは甚だ情けないことです。
 日本に沢山木材が有るにもかかわらず、外国の公害物質を輸入しまき散らし、外国にペコペコ頭を下げる経済人の姿は、けっして感動的な人達に写らないのは私だけでしょうか?

 あまり参考になることは書けませんでした。
しかし、同じ思いの方々が有るとすれば、何時でも米子にお出掛け下さい。
温泉に浸り、美味しい酒でも呑みながら、木の話に花を咲かせようではありませんか。

 解き放たれた 木と人の自由な世界  フリーウッド でした。  

2005年01月31日

シャーマニズム 「木涯の家」 其の六

                            作 遠藤和夫

 ご存じの通り、日本の山々には沢山の小径材が在ります。
縁あって私たちの工場に来た木材は、私たちの手によって第二の人生に出発します。
どの様な木材であれ、手を掛け思いを巡らせ生まれ変わった商品は、まるで自分達の子供のようです。
また、間伐材・山のゴミ等と心無い汚名を浴びせられた木々たちが、これぞとばかりに光り輝いて見えるのが不思議です。
殆んどの人から見捨てられ、社会からも見放された木々が蘇生し、立派にその機能を発し役立つこと、人の心を慰め、時のには強く人を守り、優しく、香しく無言で語り伝える事の出来る木々達は誇らしく、立派です。
 この輝きを見るにつけ、心無い工務店・大工さん、そしてユーザーの方を含め心無い方々には売りたくない、いや、売らない。
笑われると思いながら、娘を嫁がせる親の気持を想像します。
今まで嫁いだ先で、皆、幸せに暮らしている便りが嬉しい毎日でもあります。  

2005年01月26日

シャーマニズム 「木涯の家」 其の五

 
                            作 遠藤和夫

 フリーウッド・木涯の家とは?
 現在、建築数は全国で400棟(2005年現在1000棟)に達し、家と共に人の心をいやす器としての機能を添えて提供してきました。
結果として、捜し求めていた方が70%、出会って価値観が変った方が30%と言った所でしょうか。
 予想として、世の中の70%の方が批判的で、30%の方が受け入れる事のできる方のような気がします。
例えの無い物、植付けられた固定観念など、多くの理由が介在しますが、その中で一番多く感じるのは、心の病です。
売る事が優先している情報、そして営業トーク、溢れだした情報の濁流の中ですでに何が大切なのか判断できない状況を作り出し、目で見て、耳で聞く事しか出来ない人間に売り手に都合のよい情報社会を作ってきた事。
その結果は、人の心を荒廃させ、人情も消えうせさせ、ギスギスとした社会を作り出し、物質的にも飽きやすく。満たされない心を抱えている人の状況を、地球は病んでいると言い当てた言葉は、言い当てて悲しい状況を想像します。  

2005年01月25日

シャーマニズム 「木涯の家」 其の四

                            
                            作 遠藤和夫

 長い冬が終わり、春が来て、輝く夏、そして秋から冬へ。
変ることのない四季での生命の営みが私達にとって、ごく当たり前の事として捕らえ、冬は寒いから嫌いだ、夏は暑いから嫌いだ、よく耳にする話です。
 幸せは、より不幸せを知る人にこそより幸せを感じ、寒さに耐えた人こそより春の感動がもたらされる事実を人間は否定出来ないことを素直に認め、必要以上に見栄と利便性を追い求め、環境を破壊し、負の遺産を生産し続ける思考に歯止めを掛ける時が来たように思います。
 開発は経済活動に集約され、自然を破壊し、人の心まで荒廃させる一面をもち、情報は販売の右肩上がりを狙って人の思考と価値観を時にして変えてしまいます。
しかし、今求められ始めた流は、人の心に役立つ思考と形の想像でもあります。
物を想像し、造り、売る事を考える前に、やるべき流のようです。
 今日までのように、科学の力に頼るのではなく、科学の力を借り、自然に備わっている能力、機能を壊すことなく、より自然に備わっている力を引き出す開発に力点を置くことで、新しい方向性が見えてくるのではないでしょうか。
そして、その中にこそ新しいジャンルのマーケットが存在していると確信しています。  

2005年01月24日

シャーマニズム 「木涯の家」 其の参

                            作 遠藤和夫 
 あの頃は苦しかった、しかし楽しかった。その思いを宝物として木と対話し、木の口と手足になって話したであろう優しさを想像し、形にして行けば、きっと素晴らしい何かが培われ、形に成っていくだろうと想像します。
 我々生産者は、木を単なる物質と捕らえ、経済優先、売れるならば木でも平気で木でなくしてきた結果を認識し、科学の目と、心の目との焦点を合わせて創造するならば、きっと今までと違った価値と物が見えてくると思います。
 そして、小径材の活用であるならば、そこに小径材でなくては達成出来ない条件と言う必然性を持った発想こそ、大切な開発ポイントではないかと考えます。
 発想の中に何かの代替という考えがあるならば、そこに必然性は生まれず、木の代理人である我々の役割をまっとうできない結果が見えそうです。
 
谷口先生は、その辺を良くご存知の方でもあり、皆さんのより近くにおられます。私共にとってはうらやましく、何時でも会えない淋しさもあります。