東大の労働法の荒木先生が推薦していた新書。荒木先生は「判例百選」という法学部生にポピュラーな判例評釈の本のなかでも同著者の「日本の雇用と労働法」を用いている。荒木先生が推薦するからには読まなければならない一冊だろうと思っていたが、まさにそのとおりだった。
 著者の濱口氏は、大学卒業後に労働省に入省し、東大の客員教授なども経て、現在は独立行政法人労働政策研究・研修機構主席統括研究員となっている雇用政策のエキスパートだ。



 非常にすばらしい本で、日本がいかに特殊な雇用慣行をとっているのか、その問題、今後の方向性まで示している。やや冗長な部分があったが、それでもこの本で得られた知見は日本の労働環境を考える上で必要不可欠なものだった。

第1 日本型雇用システム―メンバーシップ型
 以下、採用、賃金、職務、職業訓練、解雇について、日本型雇用システムと日本以外の国の雇用システムについて対比してみる。

 日本型雇用システム
  • 採用 新卒一括採用:あらかじめ選抜していた新規学卒者を4月1日づけで一斉に採用する。大学受験を終えた大学生は卒業するまでのモラトリアム期間を遊んで過ごしているといわれる。その原因は、採用時にいわゆる地頭の良さをどの大学に入ったかという基準を用いて行い、また、大学の職業訓練的価値も乏しく、大学で真面目に勉強する必要がないことにある。
  • 賃金 年功賃金制:初任給+定期昇給を内容とし、就業規則によって使用者があらかじめ一方的に定めている。賃金が職務能力と連動しておらず、また、退職金が多く支払われることが特徴である。このような賃金制度がとられたのは、OJTによって職務能力を高めた労働者を他の企業に転職させないためである。すなわち、企業が費用を出して労働者の能力を高めたのに、その労働者が他の企業に移転されては投下資本が回収できないことから、できるだけ自分のところで働かせようとして、長く勤務すれば給与および退職金が増えるという仕組みを採用する必要があったのだ。
  • 職務 職務、働く時間、働く場所について限定されていない。すなわち、自分の仕事と他人の仕事が明確に区別されておらず、自分のやっていた作業が終わったからと言って帰るということができない。したがって、職場集団の全員が仕事を終えるまで残業せざるをえない事態となる(職務と働く時間の無限定)。また、後述する解雇の制限があることから、解雇によって人員調整ができない。そこで、すでに雇用している者の職務や勤務場所を変更することによって人員調整をする必要があり、職務内容や働く場所を限定しない(職務と働く場所の無限定)。
  • 職業訓練 社内教育訓練(OJT)が中心となる。具体的には、ジョブローテーションをくりかえして上司や先輩の指導のもと、さまざまな能力を養っていく。したがって、企業が職業訓練を担っており、反面、日本社会における教育の職業的意義は極めて低いものとなっている。
  • 解雇 解雇をめぐる裁判において解雇権濫用法理が発達してきたことからわかるように、解雇について制限がある。とくに、整理解雇については厳しい姿勢がとられている。新規学卒者以外の人に雇用の門戸が開かれていない日本の現状に鑑みて、解雇に対して厳しい姿勢がとられているといえる。
 日本以外の国の雇用システム ※ 欧米諸国ではない。アジア諸国も以下のような雇用システムがとられている
  • 採用 欠員補充方式:必要なときに、必要な資格・能力・経験のある人を、必要なだけ採用する。新卒一括採用というのが存在しない。留学生は日本の就活において何をアピールすれば良いのか分からず、戸惑うそうだ。
  • 賃金 定期昇給が存在しない。一つ一つの職業について、その職業を遂行する知識、経験、能力を兼ね備えた一人前の労働力に対する職種別の賃金が決まっている。
  • 職務 権利・義務が個別の労働契約によって詳細に決定され、契約書はかなりの枚数になる。日本のように就業規則によって広範的かつ一方的に職務内容や働く場所の条件が変更されることはない。
  • 職業訓練 公的教育訓練が中心となり、高校・大学が職業訓練を実施している。ドイツでは、いわゆるデュアルシステムという制度がとられており、学校と職業訓練が密接した関連性をもっている。
  • 解雇 人種、思想、性別といったことを理由とした解雇には厳しい反面、これら以外の理由に基づく解雇は緩やかに認められる。人員調整の手段として用いられる。
 著者は、以下の特徴をとらえて、日本の雇用システムをメンバーシップ型、日本以外の諸外国の雇用システムをジョブ型と言い表している。そして、日本における就職は、就「職」というより入「社」と表現するほうが実態に即していると評する
「仕事」をきちんときめておいてそれに「人」を当てはめるというやり方の欧米諸国に対し、「人」を中心に管理が行われ、「人」と「仕事」の結びつきはできるだけ事由に変えられるようにしておくのが日本の特徴だ

第2 日本型雇用慣行の現状と問題点
 日本型雇用慣行は、高度経済成長期においては比較的問題が少なかった。しかし、(a)オイルショックを契機とする失われた10年、20年といわれるぐらいの不況、(b)大学進学率の上昇、(c)正社員の少数精鋭化という環境の変化の中で状況が変わっていく。
 1 採用
(1)就活でもとめられる能力
ア 諸外国
 諸外国では、特定のスキルをもった者を特定の職務に割り当てるために、求職者は「学校または職業訓練においてこういう能力を身に着けた」とアピールすればよく、また、採用する側も学校の成績をもとに判断することができるので、比較的明確な目標をもった就職活動をすることができる。特定の能力を身につけるために勉強し、それを就活でアピールすれば良いのである。
 このような雇用慣行のもとでは、特定のスキルをもたない層、とくに若者は就職において苦労することになる。諸外国の雇用対策は若者をターゲットにして行われているのである。これに対して、日本では新卒一括採用というシステムが採用されているので、若者にチャンスがあった。とはいっても、(a)長年の不況によって企業が疲弊し、OJTを行う体力を失っていくなかで、即戦力を求めるようになった。このような環境で生まれてきたのが、"即戦力の新卒"に対するニーズである。
イ 日本
 これに対して、日本では職務内容に限定がないので、採用側は、就く可能性のあるさまざまな職務への潜在的対応能力を求職者に求める。いわゆる"人間力""コミュニケーション能力"”地頭”といった漠然とした能力を求める。具体的には、学歴を中心に地頭の良さを判断し、学生時代に打ち込んだこと、志望動機、得意なこと・苦手なことを基に人間力を見て、面接に対する応答でコミュニケーション能力をはかるといったところだろう。
 企業は学生の漠然とした潜在的対応能力を判断するため、企業によるプライバシー侵害が生じることがある。本来、職務能力とは関係のないはずの家族構成や個人の思想、病歴といったセンシティブ情報についてまで採用において調査したり、また、圧迫面接”ストレス耐性”をはかろうとする企業が存在する。
 このような問題が生じた背景は次のようなものである。(a)不況によってOJTが縮小し、(c)新規採用の枠が狭められているのに、(b)大学進学率の上昇していき新卒者が増加し、選抜を厳しくする必要があった。そこで、指標として用いられたのが"人間力""コミュニケーション能力"”地頭””ストレス耐性”といったものである。
 しかし、繰り返すが、このような指標は漠然としたものである。キャリア教育もどうすればいいのか不明確となってしまい、学生に自己分析をひたすらに求める。不採用とされた学生はひたすら自分の内面を否定し続け、不採用とされたのは自分が悪いという一種のマインドコントロールが行われる。就活の病理性が浮かび上がる。

(2)職業訓練の費用負担の問題
 職業訓練の基本はOJTの日本において、学校の職業的意義は極めて低い。そのために、教育費用の負担は税金ではなく個人や家庭が負担すべきであるとの考えが根強い。このような考えをさらに根深くしたのは、日本では生活給が保障されていたことだ。正社員の男子に妻やこどもたちが人並みの生活を送れるような賃金を保障し、この生活給で学費が賄われるという社会的な仕組みが確立されていた。したがって、社会が子の学費を支払うという意識が希薄である。つまり、「教育なんて仕事の役に立たないし、学費なら家庭で支払えるでしょ」という社会的な意識があるといえる。
 しかし、教育には個人を変えるだけでなく、社会を抜本的に変える可能性があり、本来であれば税金によって負担されるべきものである。また、(a)企業自身も手厚いOJTを行うことができなくなりつつある。そして、経済的格差が広がるなかで生活給で学費を賄えない家庭が出てきた。したがって、奨学金は給付型への転換がのぞましいといえるが、上述した社会的な意識がそのような転換を阻害している。

2 正社員の疲弊
 就活システムの不合理さを我慢し、運良く正社員となれた人にも困難がまっている。前述したメンバーシップ型社員の働き方、正社員の減少による一人あたりの業務量の増加、そして、見返りのない滅私奉公を求める会社の誕生である。
(1)メンバーシップ型雇用システムのもとでの働き方
 上述したように、メンバーシップ型の雇用システムのもとでは、ひとりひとりの担当すべき職務範囲が不明確で、「わたしの仕事は終わったので帰ります」と言うことができない。その部署が担当しているタスクが終わるまで帰れない。このような環境のもとでは、優秀な社員に仕事が集中する。「手が開いてるならこれをして」という寸法で仕事が増えていき、過労死という事態が生じる。
(2)負担の増加
 人が足りないのに雇わないといった会社の不合理な行動にこころあたりが多い人も多いだろう。それは、(c)正社員の少数精鋭化したことによって、昔の正社員とくらべて今の正社員の義務の重さ、労働の質的、量的な付加が高まったことによる。
(2)さらに、見返りのない滅私奉公を求める会社がうまれてきた。
戦後形成された日本型雇用システムにおいては、正社員は会社のメンバーとして位置づけられていました。そこでは、会社の命令に従って際限なく働く代わり、定年までの雇用と生活を保障してもらうという一種の取引が成り立っていたのです。ある時点で働いている姿を見ればとんでもない長時間労働で一見「ブラック」に見えても、長期的に職業人生全体としては釣り合いがとれているわけですから、労働者にとっては必ずしも不都合な取引ではありませんでした。……それは先々保障があるということが前提となっているわけで、これがなければ「保障なき拘束」あるいは「見返りのない滅私奉公」になってしまいます。
 1990年代以降の不況によってこれまでの雇用システムが批判されはじめるなかで、ネオリベラリズム的な立場からうまれた個人型のガンバリズムが見返りのない滅私奉公型企業を産んだとする。
「会社に頼らずもっと強い人間になって市場でバリバリやっていく生き方がいいんだ」という強い個人型のガンバリズムが、あたかも「会社人間」や「社畜」という否定すべきモデルからの希望あふれる脱出口であるかのようなイメージが世間で一般化(する。)……強い個人型ガンバリズムが理想とする人間像は、ベンチャー企業の経営者(で)……そうしたベンチャー企業においても日本型雇用システムに特有の労働者を会社の「メンバー」と考え、経営者と同一視する(。その結果、)ベンチャー経営者にのみふさわしいはずの強い個人型ガンバリズムがそのまま彼ら労働者にも投影されてしまうのです。拘束を正当化したはずの長期的な保障や滅私奉公を正当化したはずの「見返り」を、「会社人間」だ「社畜」だと批判して捨て去ったまま、「強い個人がバリバリ生きていくのは正しいことなんだ。それを君は社長とともにがんばって実行しているんだ。さあがんばろうよ」というイデオロギー的動機づけを作動させるかたちで、結果的に保障なきガンバリズムをもたらしたといえます。
 新しい感覚をもったベンチャー企業が、むかしの雇用システムの内の滅私奉公部分だけをうけついで、長時間労働を労働者に求めると言った寸法だ。

3 時代に合わなくなった採用システムを我慢し、正社員になったとしても、低賃金・重い労働の負担が待ち受けているというわけだ。日本の労働環境の劣悪さというのが身にしみた。厚労省の統計によると、労働条件(有給等)と給与が転職・離職理由において一番の理由を占めていたそうだが、当たり前のことだろう。時代の変化についていけない中高年は、昔の感覚で「若者の甘え」だとか抜かすが、自分の現状把握能力の稚拙さをわかっていないアホだ。彼らを反面教師にして、こういう新書は常に読んでいかなければならないと思った。

感想つづき #2