外から見る日本、見られる日本人

バンクーバーの日本人社長ヒロが仕事、生活を通じて感じた経済、経営、社会、日本人観などを綴っています。

2008年07月

関西の人はバンクーバーがお好き?4

僕も統計を持っているわけではないのでなんともいえませんが、バンクーバーには多分、関西出身の方が多いと思います。
バンクーバーの人に聞いても大阪など、関西の人との交流が楽しいという人を良く見受けます。

バンクーバーの人から見て関東の人はまじめ腐っていて、余裕が無くて、気取っていて、フレンドリーでないということがその理由のようです。確かにイメージとして東京はおしゃれでリッチでかっこいいイメージを大事にします。食べるものも行動もすべてにおいてスマートで見栄えを気にします。

一方、関西の人はもっと人間臭くて、フレンドリーで隣近所との濃い付き合いが普通だと思います。隣に住んだら死ぬまで面倒見合うとか。。。(あくまでイメージです。)

バンクーバーでストライプのネクタイをしていたらあまり、かっこいいとは言われません。が、プリントのネクタイならOKかもしれません。最も最近はネクタイをすること自身がタブーかもしれませんが。

東京では今でもレジメンタルタイがごく普通です。デパートのネクタイ売り場にはレジメンタルが真っ先に目に飛び込んできます。プリントのネクタイをしていったり、ちょっと派手なシャツを着ているとファンキーといわれます。

こういう言い方で短絡的にまとめてしまうと実に失礼なのですが、くくり方としては東京とニューヨークやトロント、大阪とロスやバンクーバーという組み合わせがマッチすると思います。

多分、東京とニューヨーク、トロントはともに経済の中心地として機能させるためにたくさんの本社機能があり、金融機関や投資銀行が幅を利かせていることもあり、町全体が国際水準に近い育ち方をするのだと思います。いわゆるビックネームや大物が活動拠点としているのもそのような第一都市であるため、必然的に世界水準にレベルアップしているのだろうと思います。

一方、大阪とウェストコーストは生活をエンジョイするという観点で近いものがある気がします。価値観の中心は家族、環境、生活といった感じでしょうか?バンクーバーに移民した香港や韓国の人たちが奥さんと子女だけバンクーバーに残してお父さんだけ逆単身で本国に戻るケースが大変多いのもその表れだと思います。

多分、バンクーバーに超一流の○○を期待してはいけないのだろうと思います。が、バンクーバーにしかない超一流の○○があるのだと思います。どちらを取るかは住む人の価値観なのだろうと思います。

でもこういう微妙な温度の違いというのは案外、気がつかない人が多いものです。
僕はこの温度差を不快に感じないように「ないものに期待してはいけない」という諦めと「よい部分をなるべく見るよう」という気持ちでビジネスや生活をエンジョイしています。

あなたの住んでいる場所とその環境にあなたが適応しているのか、一度見渡してみると面白いと思います。

ではまた。

居酒屋の文化4

バンクーバーにも日本風の居酒屋が増えてきてきています。第一次ブームのはしりは餃子キング(通称ギョウキン)ではなかったかと思います。その後、Guuチェーンが台頭し、一気に開花した感があります。現在、第三次開店ラッシュを迎えようとしている感じがしますが、中には凝った店も増えているようです。「金魚」の影響も大きいと思います。

バンクーバーでなぜ、居酒屋がはやるのか、考えてみたこと、ありますか?

居酒屋そのものは日本の歴史からは江戸時代辺りまでさかのぼるようですが、要するに、「酒を飲んで居座るところ」が発展してつまみも出すようになったということのようです。イギリスのパブ、イタリアのバールの文化に近いものもあるのでしょうか?食べ物についてはスペインのタパスや台湾の小皿料理が近いと思います。
つまり、居酒屋コンセプトというのは形こそ違え、比較的、世界中で似たようなところはあるということです。

ただ、近年における日本での居酒屋の盛況振りというのは僕の個人的推測では人を家に呼べないので外で食べるということかなぁと思っているのです。北米にいるとやたら人を家に呼びたがるのですが、日本の場合、特に都会のケースでは家が狭い、家族がいる、料理を作る手間がかかるなどで外食を積極的にするケースが多いと思います。
香港の飲茶も結局は香港のアパートは狭く、台所はお飾り程度ですから外で食事をするということですよね。

そこから類推するとバンクーバーでもそういうファンダメンタルズが出来てきたということなのでしょうか?バンクーバーの場合、ダウンタウンを中心とした新しいアパート、コンドは値段も高くなったこともあって昔のサイズに比べだいぶ、小さくなってきました。1994年ごろに小さいコンドミニアムを作るのがブームになったことがあり、その流れを汲んでいるということもあります。

もっとも学生さんや若い人は家でやるより、外でやったほうが後片付けも無く、楽ですものね。そう考えると、仲間内で気軽に集まれる居酒屋のコンセプトというのは今後、もっと展開していってもよい気がします。
白人さんは未だ、家を綺麗にデコレーションをして招待する形式が好きのようですが、ライフスタイルは徐々に変わっていく気がします。カナダ人は家で料理をするのが好きなほうの人種だとは聞いています。が、うまいもの、おいしいものを求めだす人間の性を考えると外食の比率が増えるというのが僕の大胆予想です。

もっとも外食もだんだん高くなってきました。お財布のことを考えるとそうもいってられないというのが真相なのでしょうが、バンクーバーの居酒屋ブームを見ているとライフスタイルの変化を感じないで入られません。

ではまた。

ふるさと納税に一言。4

5月から始まったふるさと納税について最近、新聞で特集を組んでいました。正直、ぜんぜん知りませんでした。海外に住んでいるとふるさとは特定地域ではなくて日本そのものですからねぇ。(と、言い訳がましいですね。)

このシステム、読めば読むほど不思議です。

一つ目としてあなたの好きな地域に納税できる?という点です。これは、人気投票みたいですね。実際、新聞ではあなたは都道府県に納税したいかというアンケートまでありました。

二つ目にその人気投票に更に拍車をかけるように自治体は寄付集めのためにさまざまなキャンペーンを実施しています。贈り物をしたり、旅行招待や無料券があるらしいですね。北海道の池田町にいたっては町民しか買えないワインが寄付した人は12本まで買えるとか。そ、そ、そんな馬鹿な、でしょう。

石原都知事は一蹴しているようですね。僕も実はそれに賛成。

地方自治体の財政が厳しくなっていることは分かります。が、その解決を人気投票まがいのことをして寄付金を集め、税の控除を受けられるようにするというのは税の根本の考え方に触れるような気がします。

地方都市と都市部における格差というのは着実に拡大するものと思います。それに対してカナダでは面白い税分配システムがあります。
カナダでは各州において相当の自治権を持って運営しております。が、カナダも日本と同様、都市を抱える州、農業中心の州、鉱業の州などなど、州ごとに特性があります。よって、その時々により州財政の運営はよいときもあれば悪いときもあります。そこで、カナダでは連邦税と州税の二本立てになっており、納税は別々に計算されます。つまり、われわれが納税したお金は連邦政府が取る分と居住州、僕ならブリティッシュコロンビア州に払う二本立てになります。
連邦は集めた税金の一部を州ごとの格差是正のためのバランス機能を持たせています。つまり、BC州が余剰、マニトバ州が不足の場合は連邦税の各州宛の税金配分が均され、BC州には配分が少なく、マニトバには多くという風になるようにしています。
これにより、カナダの各州はどの州もうまく運営されているように聞きます。

地方との税の格差問題はこうやって解決するのが本筋だと思うのです。だけど、日本というのはいつも小手先の人気取りのようなやり方をします。

今でも思い出すのが竹下元首相時代に各県に1億円ばら撒いたでしょう。ふるさと創生基金とかいうやつ。あれは最悪でした。各県の使い方が週刊誌ネタになってしばらく楽しませてもらいました。

今回だってそうです。何で、5000円の寄付をあげた人が5000円相当のギフトをもらえることになるのですか?本末転倒です。抱腹絶倒、吉本はもういらないの世界です。

欧米の世界の社会システムはある意味、きわめて合理的、且つ、強固です。これは、議論を踏んで作り上げたクレバーなシステムだからだと思うのです。

日本もいい加減に目を覚ますべきだと思うのですが。

ではまた。






水ボトルは販売できない?4

今日は久々にバンクーバーの話題。

バンクーバー市議のステーブンソン氏がボトルウォーターの販売を市の施設を通じて販売しないようにする議案を提出しています。
氏の主張はボトルの再生は難しく、コストがかかり環境への負荷も大きいこととバンクーバーの水は飲めるから。

バンクーバーはスーパーナチュラルブリティッシュコロンビアという標語のあるBC州において、環境問題には率先して取り組んでいる街です。一方、バンクーバーには環境保護団体も多く、スタンレーパークの木を10本ほど切って道路の付け替えをするときにも大変苦労したことがあります。

昨今の先進国の動きはまさしく環境にやさしくということですね。
BC州の人は1,2ヶ月前に州政府から100ドルの小切手をもらったと思いますが、これは7月から新設された環境税を相殺する形で住民に送られてきたものです。たとえばガソリンには新たに環境税と称して更なる税金が付加される事になったのです。

僕の経営しているコーヒーショップでも持ち帰りのサンドウィッチは標準ならコンテナにブラウンバックなのですが、もうほとんどのお客さんはブラウンバックは要らないといってくれます。スーマーケットでもそうですよね。コスコにはもともと持ち帰り用の袋など置いていませんし、他のスーパーでもビニル袋には課金されるのが当たり前になりました。これは日本でもそうですけどね。

方向としては正しいと思います。京都議定書に関してはカナダを含めギブアップ組が相当出ているようですが、カナダにおける市民レベルでの取り組みということに関しては非常にまじめだと思います。ロンドンの大学のプリンズ教授は京都議定書のはじめに数字で物事を断じている点に無理があるとしています。そのとおりかもしれませんね。プリンズ教授はこの点に関して非常に大所、高所から公平に物事を判断されていてなかなか納得させられますが、今日はこの話題ではないので深入りはしません。

冒頭の議題に戻りましょう。スティーブンソン議員の今回の主張に関してはなかなか市民の間でも話題になっているようですが、僕はこの件だけ取ってみるとスティーブンソン議員は何か一歩、プロセスを間違えたかなぁと思っています。彼は元々水の関係団体のオエラさんですから、水道水がうまいということをプロパガンダ的に持っていきたいところはあるのです。そこで、彼のロジックは水道水はうまい、だからペットボトルの水はいらないというロジックです。これは僕のロジックに合わない。

僕ならこうです。バンクーバーの水質は随分改善されました。皆さん積極的に水道水を使いましょう。ところでボトル水に使われているボトルの再生には環境への影響もありますので代替容器を使ったり再利用できる入れ物を使いましょう。

というやわらかいステップを一回かますことだと思います。彼の論点で納得できないのはボトル水を家庭で使う人はどれくらいいるのかということです。むしろ、外出のとき、散歩するときに持ち歩くというスタイルではないでしょうか?特にバンクーバーは乾燥しているため十分な水分補給が必要なのです。それにもかかわらず市の経営する売店では売るなというのは別の団体から批難が出るのではないでしょうか?

物事は何事もいろいろな角度から見る必要が大事です。環境を大事にすることはとても重要です。一方で、政治家はそれを提唱しさまざまな規制を加えることでポイントを上げようとしますが、それは増長です。本当に必要な規制なのか、上述のブラウンバックの例のように市民が高い道徳観をもって市民運動としてそうすべきなのか、注意深く進める必要があると思います。

ではまた。

大分教員採用試験で不幸なのは誰?4

大分の教員採用試験の不正事件は夏休みという「いい時期に」発覚させたと思います。子供たちには相当の心理的影響がありますからね。

さて、逮捕されたYは長女を採用試験に合格させるべく100万の商品券を渡したとか。その長女、最近、辞表を出したようで受理されたようです。
まぁ、当然だという声は当たり前なのでそこにはフォーカスしません。

僕はこの特定のケースにおいてはこの長女が一番ババを引いたような気がします。彼女は23歳。ようやく教員になれたところです。本人はそういう裏工作をしていたことを知っていたのでしょうか?知らずに振って沸いたような話だったとすれば、これほど不幸なことはありません。親が子を思う気持ちは分かるけどこんな思い方は誰もされたくないと思いますね。

今回の一連の事件においては本人よりも議員に先に情報が流れていたというのも妙な話なのですが、議員の役割はそういうダーティーな部分も面倒見るということなのでしょうか?

日本における政治家の気質は欧米のそれと大幅に違います。例えば、イギリスにしてもここ、バンクーバーにしても議員というのは名誉職であり、お金を稼ぐ仕事ではないということです。非常に高潔、公平で高い人間性を持ち合わせていることが当選する条件です。一方、日本の議員は「職業」なのです。これが汚職を作る元なのです。職業、つまり、その収入を得ることが生活の糧になってしまうとどうしても次も当選したい、だから、無理なお願いも聞くということになります。分かりますか?次に当選することが前提にあるからいけないのです。なぜか。それは、年金というおいしいシステムが存在するからです。

多分、それをやめることが議員の汚職をなくす最大のポイントになると思います。え?、議員をやりたがる人がいなくなるって?そんなことはありませんよ。職業議員がいなくなれば、もっと純粋に日本を良くしたいと思う人が出てきます。今は汚れた世界ですから高貴な人は手を挙げない、こういうことです。

また話が飛んでしまいました。
僕は今日はバンクーバーのペットボトルの話を書こうと思ったのですが明日以降にしますね。

ではまた。

最近の切れやすい若者行動に思うこと。4

相変わらず日本ではショッキングな殺人事件が毎日のように報道されています。
ずいぶん前の僕のブログでも書いたのですが、僕はそれなりにこの行動心理を分析しています。

突然ですが80:20の法則はご存知ですか?これは、イタリアのパレートという経済学者が「全体の数値は一部の数値が生み出している」という説を立てたものが便宜的に80:20の説という形で置き換わっています。仮にこの80:20という数字が正しいとすると世の中の20%の人が80%の人の分を稼いでいる、つまり、仕事をしている、つまり、コントロールしているということになります。とすれば、80%の人はコントロールされているわけで、自分でものを考えなくてすみます。

例えば、あるアルバイトさんに仕事を頼んだとします。アルバイトさんは会社で決められたルールよりもこうやったほうがいいと思い、勝手に作業手順を変えたとします。このアルバイトさんは褒められるでしょうか?残念ながら怒られませんよね。余計なことをするな、とか、個性を出すな、とか勝手なことをするな、などなど。

つまり、日本の業務システムは20%の考える人と80%のフォローする人に分けられてしまうのです。これは日々の仕事や作業になんら、疑問を介さなくなるという問題が生じます。偽装問題が長く続いていたのはそういう弊害です。

更に掘り下げてみましょう。日本では便利グッズがたくさん出てきました。が、その便利グッズのおかげで皆さんの知能はどんどん退化しています。
例えば、あなたはスイカ-を使って電車に乗ります。便利です。が、あなたは運賃表を見ることがなくなりました。どういうルートで行くのが便利かという考慮もしなくなるでしょう。電車賃がいくらかかるか覚えていますか?

あなたの携帯電話にはたくさんのお友達の番号がストアされています。が、あなたは友達の番号をひとつも記憶していません。もしかしたら家の番号すら分かりません。あなたが携帯をなくしたら交番に行き、「すみません、家の番号が分からないのですが、」というのでしょうか?これでは3歳の子供以下です。

頭脳を使わなくなるのがもっとも怖いことなのです。それはあなたが動物化している、つまり、退化していることなのです。だから、熊が春、冬眠から覚めると腹が減っているので獰猛になり、動物を襲うというのと同じです。あなたはむしゃくしゃするので人を刺すわけですね。お父さんが好きでないから夜中にぐさっとやるわけですね。

これは世の中が進歩してきた弊害なのです。今の若者の動向をとめるすべはありません。つまり、もっと獰猛な事件は1時間後におきるかもしれない、そんな状況なのです。

日本は便利さを追求するあまり、非常に大事なポイントを飛ばしてしまっています。それは人間としての頭脳を鍛えることです。それはクイズ番組を見ることでは養われません。あなたが普段から工夫をし、便利にする方法を考えることで知能は鍛えられるのです。

携帯で一行メールばかりやっていると馬鹿になるという科学的分析がありましたよね。僕はどこまでそれが認知されているか知りませんが、ある意味、すごく正しいと思うのです。

こんな指摘をする人はあまりいないと思いますが、僕の主張は間違っているでしょうかねぇ。

では。

時間の使い方 モーニング編4

僕は折に触れて時間の使い方についてこのブログで紹介しています。6月24日号では週末の時間の使い方について書かせてもらいました。

先週、日本から若手起業家の方々が来ていてディスカッションのテーマにもなったのですが、時間の活用を如何にうまく行うかというのはその人のライフを左右するとっても過言ではありません。その若手企業家5人はそれぞれに時間活用について一家言あったのですが、確か、その一人、泉正人さんは著書の「仕事仕組み術」で彼の日々の行動は「....ルーティンワークを機械のように行い、...」というくだりがあったと思います。
彼の時間術はとにかく、「楽をする」という目的を持ってそれぞれの範疇に目標が設定してあり面白く読ませてもらいました。

さて、このルーティンワークは僕の場合、朝の時間にもっとも効果を発揮するのではないかと思うのです。

皆さんが朝起きてから会社に到着するまでの間の行動は90%以上がリピート、つまり、まったく同じ行動を週4−5回しているのではないでしょうか?そして、皆さんは朝の時間を如何に短く、つまり、どれだけ寝坊できるかという時間の限界に挑戦されていることと思います。僕はまさにこれが究極の時間活用術なのではないかと思うのです。つまり、誰でもやっていることなのです。

もちろん、博識ある人はこういうでしょう、「朝の時間は活力がみなぎっているから早起きして、読書して」とか、「早起きは三文の徳」とかね。

が、僕は皆さんのライフスタイルを夜型から朝型に変えたほうがいいなどとは申しません。僕が言いたいのは朝、起きてから会社に行くまでの濃密な時間の使い方をもっと、一日中出来ないだろうか、という提言です。

僕の朝はシャワーから始まります。ただ、シャワーを浴びている際に実はその日の行動、仕事内容、コンタクト先、戦略などを決めてしまいます。つまり、4−5分のそのシャワーの時間で一日の大枠をきめて行動に取り掛かるのです。

朝、家でお茶を沸かすときもそうです。朝ですからお茶が飲みたい。それを沸かすのに最低でも2−3分かかります。その間、テレビをつけ、ノートパソコンでメールをダウンロードし、家の植物に水をやるところでちょうどお湯が沸く。そこで、お茶を入れ、お茶が出るのを待つ1−2分の間にキッチン周りの片づけをしてしまう。

これらの行動は僕にとっては泉さんの言う機械のような作業として行います。ですから、極端な話、一秒たりとも無駄にしない。自分に思いっきりテンションをかけながら自分という機械を動かし、自分の冷えたエンジンをあっためながら会社に向かっていくという流れでしょうか?

皆さんも一度振り返ってみてください。案外、自分の朝の時間はかなり濃厚なはずです。それを昼や夜にも延長してみる。案外、出来るものですよ、ぜひご確認を。

ではまた。

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