外から見る日本、見られる日本人

バンクーバーの日本人社長ヒロが仕事、生活を通じて感じた経済、経営、社会、日本人観などを綴っています。

2012年11月

消費を忘れた日本人4

日経ビジネスに日本マクドナルドの原田泳幸社長のインタビュー記事があり、タイトルは「マック、崩れた『勝利の方程式』」。低価格商品を投入し、顧客層を一気に増やしたところでやや割高の新商品を出し、そちらに顧客の選択を広げ顧客の囲い込みと売り上げ増という方程式を作り上げたのがマクドナルドでした。

その手法で2004年に同氏が社長に就任以来成功し続けてきたのですが、遂にそれも通用せず、売り上げの伸びがマイナスに転じる状況になってきています。どうも記事からは努力してさまざまなマーケティングをしてもその効果がかつてほど継続しないというのが本音のようです。

一方24日の日経新聞の一面には吉野家が牛丼だけに特化した「専門店の専門店」を展開するとあります。そしてそれは究極の効率化で牛丼を250円で提供するというのです。一般店では380円だそうですからその差は実に34%にもなるのです。しかも同じ商品です。

私にはこの戦略はまったく理解不能です。吉野家は今やどこにでもあるわけでこっちの店なら380円、こっちなら250円となれば380円を払ったほうは損をした気になります。消費者心理は必ずマイナスインパクトとなり、結果として既存店の売り上げは下がったり、顧客流出に繋がることになりやすいと思います。

それにしても牛丼チェーンがここまでしてでも価格競争に踏み込まなくてはいけないのはマクドナルドのケースと同様、消費者がもはやすんなりと消費をしないということであります。常に「お徳感」を求め、それが充足されるときのみ支払いをするという精神的にエキストリームな状況に入っていているといって過言ではありません。

主婦が日々の買い物をするのにチラシを見て今日はどこどこで何が安いといって10円、20円の差を求めて自転車を飛ばして遠くまで買い物に出かけたりします。スーパーの戦略は目玉商品で客を釣り、ほかの定番商品で儲けるという戦略で、これは何十年と変わってません。

マクドナルドはまさにスーパーマーケットのお得感をマックの店で体現できるようにしたのです。コーヒーを安くしたり、無料にしてレギュラーの商品を買って頂くという訳です。そこには一応、利益が確保できる筋道があります。ところが吉野家「極」の場合には250円ポッキリで牛丼を二杯食べる人はまずいないわけですから利益を頂戴するスキームが存在していません。

消費マインドの落ち込みはデフレという言葉のみならず、売り手側の必死の価格競争によるものだと思っています。これを修正するには売り手、買い手双方のポジションの修正が必要です。まず、売り手は価格競争がもう出来ないという状況に落とし込むことです。それはひとつはインフレ、もうひとつは人件費の厳密な管理やサービス残業の撤廃です。これは厚生労働省が主管となって徹底的に取り締まると同時に被雇用者が労働基準監督署などに直接訴えられる手段を講じるべきです。

インフレについては円が安くなれば輸入品物価が上がってきますから多少影響は出てくるでしょう。

一方、買い手マインドはまずは自信を取り戻すことからかと思います。そのためには株と土地のミニバブルを作り出すことと消費を促進させるような税制の取り組みが必要かと思います。

日本人はもともと一歩上の生活を求めてきました。そしてそれに慣れ親しんできたはずです。今、「鳴くのを忘れたカナリア」と同じで「使うのを忘れた日本人」である、と思っています。

安倍総裁は日銀の金融緩和を、といっていますが、私はデフレ脱却には即効性はないと思います。今、株価が上がっているのも先日書いたように「期待」であって効果を受けた継続性のある結果ではないということを最後に付け加えておきます。

今日はこのぐらいにしておきましょう。

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ではまた明日。

折り込み広告がなくなる日4

私はこのブログで時代の変化の速さを何度も指摘してきました。速さゆえにそれまで普遍であったビジネスまでその立ち位置が変わっていくことにある意味、恐ろしさすら感じています。

たとえばこのところ急速に目立ちはじめたNHNジャパンの「LINE」。この商業版がまもなく解禁になるようですが、そうなればスマホ経由であらゆるマーケティングが可能になるはずで、近隣商店や店舗の割引情報からセールの案内まで全部スマホでタイムリーに見られることになります。

さらにタイムセールスなどにも利用できるはずで奥様方はスマホから目が離せなくなるわけですが、その反面、新聞の折り込み広告はもはや必要なくなるということになるかもしれません。週末の新聞は多くの折込で分厚くさせていますが、数年もすればすっかり薄くなるのでしょうか?

そういえば、私はいまだに紙面の新聞を購読していて時折リサイクルルームに廃棄に行くのですが、新聞のリサイクルビンだけはすっからかんなのです。ほかのリサイクルは一杯ですから私の住むバンクーバーのコンドミニアムに新聞を取っている人がほとんどいないということでしょう。

そんな理由からか私が経営するカフェにはローカル新聞を置いているのですが、たまに配達ミスがあって新聞がないと常連さんからお叱りの言葉をいただきます。もはや新聞は家では読まないということかもしれません。

先日、ヤマダ電機がアマゾンのタブレットを販売しないと宣言しました。いまやネットを通じた購入が主流になりつつある中、ネットビジネスの急先鋒、アマゾンのタブレットは店舗型ビジネスの雄、ヤマダ電機にとって天敵ということなのでしょう。1年ぐらい前だったと思いますが、ヤマダ電機である特定の電子レンジを買うにあたり、ネットと価格を比べていったところ、店頭価格が1万円ぐらい高かったので店員に相談したところ、マネージャーを通じて「ネットには勝てません」と白旗を揚げられてしまいました。結局電子レンジはネットで買うことになりました。

考えてみれば当たり前で店舗を持っていれば不動産賃料はかかるし、電気代を初め維持管理費、更には多額の人件費も必要なのです。一方、ネットはそれが何分の一、何十分の一ですむわけですから初めから勝負になるわけがないのです。

その連想からすると私は自分が苦しくなることに気がつきました。そう、自分がやっている不動産ビジネスも大きくその立ち位置を変えてくるだろう、ということです。繁華街に来ても価格チェックでお金はネットでしか落とさないという人が今後どんどん増えてくれば商業不動産のテナントはギブアップしていきます。ネットで買えない飲食店やスパや美容などのサービスに取って代わるということでしょうか?

大阪ではデパート戦争が起きているようです。しかし、三越伊勢丹の大阪店は開店当時からかなりの苦戦とのことで今後の出方が注目されますが東京ではデパートの存在そのものがもはや否定されてきました。例えば池袋の三越はヤマダ電機が、新宿の三越アルコットはビックカメラに取って代わったわけですが、私はそのヤマダやビックも安泰ではないとみています。それぐらいの勢いで世の中のビジネス地図は変わってきているということです。

私のテナントのひとつにペットショップがあります。店主と話しているとペットのグルーミングは1ヶ月先まで予約が一杯。だけど店頭のペットフードなど小売ものはまぁまぁ、という感じでした。ここ、バンクーバーのダウンタウンでさえも、もはや生き残りが可能なビジネスかどうか、勝負がつきつつあるような気がします。

折り込み広告がなくなる日は案外近いような気がします。我々の生活はあまりにも速く、そして、ちょっと待ってくれといってももはや誰も立ち止まってくれない時代に突入したようです。のんびりした古きよき時代はもやは小説の中でしか味わえないようです。

今日はこのぐらいにしておきましょう。

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ではまた明日。

野田首相の勘違い4

日経新聞によると11月25日のテレビ朝日の討論番組で野田首相が「安倍さんのおっしゃっていることは極めて危険です。なぜなら、インフレで喜ぶのは誰かです。株を持っている人、土地を持っている人は良いですよ。一般の庶民には関係ありません。それは国民にとって大変、迷惑な話だと私は思います」と述べたようです。

インフレにはよいインフレと悪いインフレがあります。ですが、日本ではインフレは何が何でも悪の根源のような見方をする傾向が強いようなのですが、その一つの理由として戦後直後の日本のハイパーインフレが頭にあるのかもしれません。それは第一次世界大戦後のドイツや80年代にブラジルやアルゼンチンが経験したように日本でも1945年から1949年の間に消費者物価指数が100倍ぐらいになっています。

もう一つは1973年の第一次石油ショックにともなう狂乱物価のイメージでしょうか?1974年の消費者物価指数は23%上昇し、その頃の公定歩合は最も高かったときで9%もあったのです。石油ショックの際にはトイレットペーパーが市場からなくなるという噂で家族総出でスーパーで行列を作ったものです。今の40代後半から上の方には記憶があるかと思います。

しかし戦後直後のハイパーインフレは戦債返済という問題が主因で石油ショックは第四次中東戦争が引き金でした。今、少なくとも日本では戦債というファクターはありません。ではオイルショックは再び起こりえるか、という点に関しては70年代とくらべはるかに小さくなったと思っております。理由は原油への依存度が下がってきていること、特にアメリカのシェールガス革命や今後増えていくであろう太陽光発電、風力発電を始め、新エネルギーの開発も進むことから石油を政治的な圧力材料として使いにくくなることが上げられます。予断ですが、日本は石油精製品の輸出国であります。極端な話ですが、日本が原油を輸入しないと精製施設を持たない産油国に石油精製品を送り届けられない状態にあるのです。

それ以上に産油国にとっては自国の政策上今、石油収入が極めて重要であってそれに影響が出るような政策は取りにくいだろうということです。それこそ、石油ショックに似たような状況が生じたら中国がレアメタルで苦い想いをしたことと似たようなことが起きないとも限らないと思われます。

では、インフレで喜ぶのは誰でしょうか?デフレよりインフレのほうが基本的には国民の富に繋がります。まず、年金などの基金は潤います。株式は上昇しますので機関投資家のみならず、個人投資家も資金が回転を始めます。結果として消費が良好となり、血液のようにめぐりめぐって株を持っていない庶民にも好影響が出るのです。また、企業ベースでは消費の上昇は雇用の改善、賃金の上昇を引き起こします。国の財政も改善します。

不動産については停滞化しつつある個人持ちの不動産の流動化の可能性が大いにあるかと思います。価格が上がれば不動産取得への動きも活発なり、経済は好転していきます。

つまり、インフレがスタグフレーションではなく、妥当な範囲であり、コントロールが可能な限りにおいて2-3%程度のインフレは健全であると考えても良いと思います。ですので冒頭の野田首相の発言が真意をもってそう述べたのだとすれば極めて狭義の意味の「株も不動産にも縁がない大衆にとってインフレは直接的にはメリットがない」とかなり偏見的意見であると捉えられても仕方がありません。

問題は長年インフレを忘れていた国民のみならず、企業や政府がその準備が出来ているか、ということです。値上がりという言葉のインパクトが企業間取引において今までと逆方向になるわけで購買担当者の発想の転換を進めなくてはいけないでしょう。北米では価格上昇が当たり前ですがそういうマインドにセットしなおすのは一苦労しそうです。

日本では引き続き新党が生まれ、くっつきというゲームが展開しております。選挙まで20日となって今更何が準備できるのかと私はあきれかえっているのですが、それぐらい芯がしっかりした政治家がいないということかもしれません。その点韓国の大統領選挙は一騎打ちに絞り込まれたわけですから日本だけ何時までも戦国時代というわけにも行かない気がいたします。

今日はこのぐらいにしておきましょう。

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ではまた明日。

中央銀行総裁もグローバル化?4

本日一番の驚きのニュースはカナダ中央銀行(Bank of Canada)総裁のマークカーニー氏が突然イギリスの中央銀行(Bank of England)の総裁に指名されたことでしょうか?噂があったことは事実ですが、泣く子も黙るバンクオブイングランドの総裁のポジションには副総裁のポールタッカー氏などの名前が候補として上がっており、現職のカナダ中央銀行の総裁が引っこ抜かれるというのは異例だったと思います。

事実、318年のバンクオブイングランドの歴史の中で外国人の総裁が誕生するのは初めての事となります。また、カーニー氏の年俸は624000ポンド(約8200万円)で現総裁の倍ぐらいになるそうです。着任は来年7月1日となり、一方のカナダ中央銀行は新総裁の候補者選びを行い財務省と内閣の承認を取り付けることとなります。

経済学部を出た者にとってバンクオブイングランドの名前は耳にたこが出来るほど聞かされたと思います。歴史的にはそれぐらい世界の金融を牛耳ってきた由緒ある中央銀行であり、戦前はむしろ世界の中央銀行であったといっても差し支えないでしょう。ですが、基軸通貨がドルに取って代わられ、イギリスの戦後の経済はイギリス病と揶揄された「大きな政府」の仕組みが厳しい状態を招きました。その後、鉄の女、マーガレットサッチャーが小さい政府を標榜し、イギリスは立ち直りを見せましたし、2000年代半ばまで不動産を中心に活況を呈していました。

ですがヨーロッパの金融危機に引っ張られる形でイギリス経済も厳しい局面に立たされ、結果として現在は芳しい状況に至っていません。個人的にはイギリスは金融大国であり、アメリカとヨーロッパ大陸との連携プレイがキーではなかったかと思います。大陸側の中央銀行であるECB(ヨーロッパ中央銀行)のマリオドラギ総裁はギリシャ、スペイン問題に立ち向かいながらも一時期の不安をかき消す手腕を見せています。早ければ今夜にも決まるギリシャ支援に対しても市場は前向きに期待している状況です。

それに対してイギリス中央銀行は比較的目立たない存在であったことは事実です。では、外国人総裁を招くほどマークカーニー氏がスター的存在であったか、という点については私は知るところではわかりませんが、金融手腕についてはカナダという金融小国というポジションを十分認識し政策会議のステートメント上は国内経済の強さに対して世界の金融市場の不安定感の中という微妙さをうまいバランス感覚で乗り切り、今日に至ったと思っています。

さて、一方、日本を見てみますと次期首相候補の安倍総裁は日銀が決める金融政策に対してある意味、他人の家に土足で入り込んで好き勝手言いたい放題という感じがしてなりません。事実、安倍発言に対してあちらこちらから強い批判の声が出はじめており、安倍氏の選挙対策のリップサービスであるとすればそれは市場を攪拌したと捉えられても仕方がないでしょう。

今回のイギリスの決定は優秀な人材であれば国境を越えて何処からでもお願いするという人材のグローバリゼーションを改めて見せつけられた気がします。我々はモノのグローバリゼーションやそれを支える会社の国境を越えた取引という形は見てきたと思いますが、一国の要となる金融政策の決定を行うトップに外国人を据えるというのは新たなるグローバリゼーションの始まりのような気がいたします。

これからは国家運営すらも国籍を問わず、ということになるのかもしれません。ならば、なお更、我々は自分の能力や人的関係をより磨き上げることが求められるようになるかもしれません。

今日はこのぐらいにしておきましょう。

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ではまた明日。

小党乱立は日本の文化4

選挙を控え、各党の動きをやや下がってみると実に日本的である、と思わずつぶやきたくなります。主義主張が違うと正論を振りかざし民主党を離党した政治家はどこか自分とウマがあるところに吸い寄せられ、あたかも自分が生まれ変わったごとく、にこやかにインタビューを受けています。

ところがその小党もどことどこがくっつく、くっつかない、とまさに野合そのものであります。結局、高潔なる気持ちを持って離党し、どこかの党に擦り寄り、その党はどこかと合併する過程において、自分の純粋な気持ちとは必ずズレが生じてきているはずです。その受け入れ先の典型が維新ではないかと思います。

以前石原新党と橋下新党は性格が違う、と指摘したのですが、合わないカップルが一緒になった理由は議席確保。そのために相当の妥協を重ねています。

アメリカでは選挙はほぼ二大政党の争いになります。理由は小党を作っても勝てないからであります。いや、勝てないとは言いませんが、あの広大で東西南北それぞれ文化、歴史、経済、所得水準、民族的バックグラウンドが違う中でそれを一まとめにする大統領や主力政党となるにはあまりにもハードルが高すぎるし、仮に一人二人当選したところでほとんど役に立たないとわかっている割り切りと考えても良いかと思います。

ではなぜ、日本では次々と新党が出来たのでしょうか?

私はほぼ単一民族で国民の社会的水準、富が世界水準から見ればはるかに均一的であるが故だと思っています。日本の場合、外国人は少ないし、資本家と労働階級といった差別はほとんど見受けられません。そこで日本人というドングリの背比べをする場合、みな同じような背丈だとドングリの形とか、色合いなど違うところに目が行くようになります。なぜならば日本人は人と比べることが実に大好きであるからです。これが日本社会において派閥を作りやすいひとつの理由であると思います。

派閥は手ごろなサイズに収まるようになっており、一定の大きさを超えると細胞分裂のごとく分派したり離党したりします。理由は日本人がまじめ(英語で言うシリアス)であり、フレキシビリティがなさ過ぎる(頑固といった方が良い)のであります。よって、何かひとつの事象に対して同意できない場合、反対を唱えますが、議論し尽くすというより、「そんな君たちとは一緒にやっていられない」とプイと飛び出してしまうのです。

これは政治家に限らず、ほとんどの日本社会に蔓延しています。ここ、バンクーバーの日系社会もあきれ返るぐらい全く同様なのです。

私はこの細胞分裂を防ぐ方法を過去、10年近く考え、試し、意見を聞いてきました。が、ほとんど不可能、というより、くっつけようとすればするほど反発する力が大きくなることに気がつきました。ですからそういう無駄な努力はしないことにしました。そして別の方法をすでに考えてあります。これを来年から実行します。

日本の難しさというのはここにあります。私も海外に21年、日本でビジネスを手がけようとしてもこの手ごわい社会の壁にぶち当たることもしばしばです。

私は個人的には新党は応援しません。個別に同意できる政策やマニフェストがあったとしても小党ではどうにもならないし、小党同士が一緒になっても日本を支え、世界の中で十分な地位を築き上げる基盤が安定的に確保できるとも思えないのです。細川政権の時が良い例だったと思います。

日本人は基本的には自民党が好きだと思っています。慣れ親しんでいるし自民党が日本を世界のトップ舞台まで引き上げたという功績はやはり誰もが認めるのだろうと思います。このあたりが不況ならば中道左派というジンクスが通らない日本のもうひとつのガラパゴスなのでしょうか?

今日はこのぐらいにしておきましょう。

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ではまた明日。

記憶させる動機づけ4

日々のニュースから検索、価格情報から道案内まで今やインターネットが情報収集元となっている人が主流ではないでしょうか?まさに頼りっきりということです。

私も先日、夜遅くにあまり詳しくないエリアからあまり詳しくないエリアに移動するのに車のナビがどれだけ便利かということを改めて感じさせてくれました。指示に従って運転するだけですから実に楽なのです。ある意味、運転に集中できるとも言えるのですが、あとで家に帰ってからはて、いったいどういうルートでたどり着いたのだろうか、という疑問だけが残ってしまいました。

考えてみれば一昔前は車の中には地図なるものが常備され、移動には地図上で大まかな方向を頭の中に描き、主要な大通りや高速道路の出口番号や国道の番号はそれなりに頭にインプットしておきます。それをなぞるように走っていくわけですから記憶と事実が結びつき、体で覚えたより強い記憶となってほとんど忘れることがなくなるのです。

小さい頃、自転車や水泳を一度でも覚えればその後、何年もやっていなくても案外出来るものです。あれも体が覚えているからなせる技であります。

では、これをあふれんばかりの情報についても応用し、記憶させることが可能なのでしょうか?いわゆる記憶術の話ではないのですが、覚え込ませる手段として繰り返しのインプット、それに対するアプトプットが極めて重要ではないかと思います。

たとえば奥様の井戸端会議、ご主人の仕事帰りの同僚との一杯。それぞれ、テーマは違いますが一定の内容について複数の人と談義しています。談義する以上、自分も一定の知識があったケースが多く、更にその上にそれを肯定、否定されつつも自分の理解に対する軌道修正を行っていきます。更にその後、再び、同じ話題で会話する時には自分は「詳しいんだ」という自負すら芽生えていることがあるのです。ですから奥様はご近所の話には詳しいし、ご主人は社内事情には詳しいわけです。

私の場合は対話相手が市場であります。それは北米マーケットであったり、東京マーケットであったりするわけです。一定のインプットをベースに自分で高速回転でこのニュースはどう消化し、展開するのか判断し、市場にはプラスか、マイナスか、といったことを考え、行動していきます。その結果、市場が自分の思惑通りに動くこともあるし、逆に行くこともあります。更に市場ニュースを見ながら、なるほど、市場はこういう解釈をしたのか、と復習するわけです。これを日々、北米市場と東京市場で繰り返しているわけですから一日中、考え続けています。

当然、膨大なインプットがありますが、それも吸収できるだけ吸収します。ブログのコメントに「その情報は違うのではないか」といわれれば一応情報源はさっと出てくるぐらいの記憶はある程度の期間は保持しております。

皆さん、本を読まれると思いますが、1年前に読んだ本の内容をすぐさま、大体このあたりにこんなことが書いてあったとページをペラペラめくって引っ張り出すことが出来ますか?私はそれがもっと容易く出来ればと思っています。先日、ある人とある本の内容について議論してたところ、先方が「大体何ページあたりに一節だけこんな表現があった」と指摘され、思い出せず、恥ずかしい思いをしました。その人は10年以上前に読んだだけだとのこと。本もそこまで噛しめて読まねばならぬかと気持ちを入れ替えた次第です。

ところで新聞の内容の記憶ですが、これはネットで読む新聞よりリアルの新聞のほうが圧倒的に記憶に植え付けやすいと思います。私は両方読みますのでそれを確信しています。理由はリアルのほうは編集してあり、微妙に目立たせ型が違うのです。フォントやデザインが結構微妙に違ったりするのですが、お気づきですか?記憶は動機付けだといいますが、まさにそれを地でいっているということでしょうか?

漠然と読み流すのではなく、いろいろなことを感じ取り、考えながら生活するとそのピクチャーはまったく違うものに見えてきたりするものではないでしょうか?

今日はこのぐらいにしておきましょう。

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ではまた明日。

コーヒーショップは飲むところかリラックスするところか?4

コーヒーショップのあり方を考えると案外奥深いものがあります。スターバックスが世界を制覇する過程の中で日本のコーヒーショップはその立ち位置を大きく変えてきました。いわゆる「喫茶店」から「カフェテリア」です。日本ではセルフ方式のコーヒーショップともいいますが、派生英語的にはCafeteriaだと思います。

アメリカンスタイルのセルフ方式はドトールコーヒーが火付け役でスタバが背中を大きく押したと思います。おかげで街中からタバコの煙モクモクの「喫茶店」が一つ、また一つと消えていったことも事実です。考えてみれば我々が若い頃には街角には喫茶店がよくあったのですが、どう考えても経営は成り立たないだろうと思われる店が余りにも多かったのを覚えています。

ただ、その経営を一時的に救ったのが70年代後半のインベーダーゲームなどのテレビゲームブームであの時だけは私もずいぶん、「喫茶店」に通ったものです。その後、会社勤めしていた際、ある上司が「俺がリタイアしたら地元で小さな喫茶店を開いて好きな絵を店に飾り、好きな客とタバコを吸いながら一日中だべっていたい」といっていたのが印象的でした。その元上司氏、つい最近話したところ、残念ながら喫茶店のマスターにはなっていませんでしたが。

月曜日の日経夕刊。「キーコーヒー、銀座ルノアール株主に シニア狙い出店拡大」とあります。記事によればスタバのようなセルフ式ではなく、ゆったりとくつろげるコーヒーショップへのニーズは着実に存在しており、今後、出店計画を加速させるようです。

銀座ルノアールといえば駅前によくあるあの喫茶店で、我々もずいぶんお世話になりました。くつろげるというより話が出来る応接間のようなイメージが強いと思います。冒頭述べたように日本でなぜあちらこちらに喫茶店があったのかといえば家が狭いからだと理解しています。客や友人と話をするスペースがない、更にはお父さんやお母さんが一人でゆっくり雑誌を読むにも狭い家では落ち着かないというバックグラウンドがあったものと思われます。だから、街のいたるところにあったのです。

数百円で1時間、コーヒーを飲みながらゆったりしたソファーでくつろぎたいというのは正直、今も昔も変わらないはずです。事実、日本でスタバなどセルフ式コーヒーショップはちょくちょく使いますが、くつろぐところというより時間を潰すところでゆったりという言葉は私のスタンダードでは当てはまりません。狭いテーブル、客と客の隙間が窮屈で隣席で話をしていればその声が妙に気になるのは私だけではないでしょう。

ならば日本の住環境がこの20年で大幅に変わったとも思えませんから日本式「喫茶店」はいまやニッチマーケットとして再び脚光を浴びてもおかしくありません。

ところで銀座ルノアールといえばカナダのブレンツコーヒーを日本で展開するビーアンドエム社のオーナーです。本家カナダ側は違うはずですが、日本のブレンツは銀座ルノアールが支配しており、更に今後、キーコーヒーがそれを支配するということになります。ならば日本のブレンツコーヒーの豆は誰が提供するのか、このあたりはコーヒー店を経営する私にはちょっと興味があるところではあります。

今日はこのぐらいにしておきましょうか?

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ではまた明日。
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