外から見る日本、見られる日本人

バンクーバーの日本人社長ヒロが仕事、生活を通じて感じた経済、経営、社会、日本人観などを綴っています。

2014年02月

中央銀行の品格4

日経電子版。そこに踊るタイトルは「追加緩和のサプライズ 日銀『合わせ技』駆使か」。正直、この記事はいただけないように思えます。中央銀行の品格の話題の前に日経の品格と言いたいところです。趣旨はいかに市場が予想しない手段で日銀が「悦び」を与えるか、という予想なのですが、読んでいて感じたのは日銀がゲームで「驚くべき」武器を購入して勝ち進んでいくがごとくの印象を与えてしまうのであります。

本来中央銀行たるや、どっしり構えるべきであります。ところがアメリカ発の中央銀行サプライズ合戦はアメリカがすでにゲームから降りつつあるのに日本はまだまだやる、と意気込んでいるところはあたかも勝者の雄叫びを期待するということでしょうか?

リーマン・ショック後のアメリカにおいて確かに三回にわたるQE(金融緩和)というシナリオはアメリカが通常の軌道に戻るためのメインラインであったように捉えられています。しかし、そこには政治的決断も含め、金融と政策のコンビネーション、更には失敗しても立ち直りやすい社会的構造の組み合わせこそが日本の失われた20年のようにならずに済んだと解釈すべきです。

ところが市場はマネーというものに目がくらみ、即効性のある金融政策にその期待を膨らませていました。それは欧州でも同じでマリオ・ドラギ欧州中央銀行総裁もその効用をうまく活用してきたとも言えます。その中には確かにサプライズ的な要素もあったことは否定しません。が、サプライズとは市場が読み切れなかった隙を中央銀行がついた、と考えるべきであります。

ところが日経電子版の記事に関していうとそのサプライズをあたかも市場が待ち望んでいるというニュアンスになってしまい、モルヒネ患者が「もっと強いものを…」と叫んでいるようにも見えるのです。

一方、同じ日にニュースになったアメリカ、FRBのイエレン議長の公聴会での発言を聞く限り、全くサプライズはなく、ベクトルの方向、ゴールの時期についての目標は設定しているものの後は市場次第というトーンに終始しています。これはバーナンキ議長の最後に仕上げた路線を踏襲するという点で一時は嵐となりかけた市場をいかに優しく落ち着かせるかという立場に立っていることで日銀とのコントラストとなってしまっています。

確かにこのところ、アベノミクスに精彩がないのは政策的な刺激が政治的な事情で決まらず、迫る消費税増税に対して有効な対策を打ちあぐんでいる、とも見えるのです。そのため、安倍総理が「クロちゃん、どうにか助けてよ」とでも言っているのでしょうか?「ならば黒田が先兵なり」ではすっかり聞かれなくなった日銀の本来の「独立性」は何処とやら、ということになります。

刺激というのは強ければ強いほどその時は嬉しいもののその後は効きが悪くなります。私も先日、ある病気でモルヒネを服用していたのですが、なるべく使わず、別の薬で対応し、モルヒネは最後の手段としていました。医者も取り過ぎるとあとが大変、と言っておりましたのでそれを忠実に守っていました。おかげですっかり良くなりました。

漢方の効用とはその基本そのものに立ち返って直していく、というものであります。そう考えれば日本も漢方である根本政策の見直しをはかり堅そうな岩盤規制をそれこそ、異次元の武器でぶっ壊すほうが本当は効果があるのではないでしょうか?

インフレは金融だけではならず。景気と株価は政策との合わせ技。為替に至っては水物で円は主要通貨の中でであっちこっちに泳ぎ回るという位置づけぐらいにボトムラインをセットしておかないと期待先行、実態失望となりかねません。刺激より私は品格を重んじてもらいたい気も致します。

今日はこのぐらいにしておきましょう。

ブログの応援もお願いできますか?クリックをするとブログランクアップにつながります。

北アメリカ(海外生活・情報) ブログランキングへ

ではまた明日。

ビットコインは行き詰るのか?4

ビットコインで世界有数の取引市場となっている東京のマウントゴックスがシステム障害からその取引を停止、その余波が広がっています。私も過去、数回、ビットコインについてこのブログで触れてきましたので改めて考えてみましょう。

先ず、世間で騒がれているビットコインはこれで終末を迎えたのか、という点については多分ですが、今のところNOだと思っています。東京は取引所の一つであって世界にはまだビットコインの取引ができるところはたくさんあります。ですのであたかも銀行が倒産してその価値がなくなったということではないと思います。

但し、ビットコインには厳しいハードルがあるかと思います。

まず、もともと無法地帯だったことから悪さをしようと思えば誰でも好きなことができる無防備状態であったとも言えます。この点については専門家も再三指摘していましたし、マネーロンダリングなどアングラマネーの温床になる可能性は各国政府も注目していたところであります。そして、そのシステムがどれ位盤石なものか分かりませんが、世の中、ハッカーがいたるところにいる中でビットコインのシステムだけが万全だったとは言えなかったし、それを守る保険制度や政府、銀行などの支援体制があったわけでもありません。

次にビットコインの本来の意味が何であったのか、ということです。インフレに強く、海外送金も容易く、一般市場で買い物もできるというのが売りだったはずです。その意味がいつの間にか変質化し、投機商品となり替わってしまったと言えるのです。ビットコインを株式に例えるならば10ドルが1200ドルになり、それが再び大暴落をするというボラティリティの中で投機家は一定のスリルを味わうゲームを楽しんでいたということのように見えます。問題は株式ならば売れば換金できるけれどマウントゴックスでは今、換金できないということであります。

数週間前のバンクーバーのローカル新聞にビットコインのATMが世界で初めてできたという記事が出ていました。確か、街中の某コーヒーチェーンに設置されているという内容でした。ビットコインそのものは世界が注目したシステムであり、改良の余地はあるのだろうと思います。ウィンドウズが市場を席巻しているとき、リナックスという無料で誰でもプログラムに参加できるシステムができた時、世界は疑心暗鬼でありました。が、その後、リナックスが作り出した価値は莫大なものになりました。

そう考えればビットコインも改良を重ねればシステムとしてはより盤石なものが作り出せるのかもしれません。

ではビットコインの最大の敵は誰でしょうか?それはハッカーではなく、世界のすべての国家であります。政府が難癖をつけ、それを禁止したり規制すればそれまでなのです。すでに中国とロシアは規制していますし、アメリカもその動きを見せ始めています。日本は「法的な穴」があるとし、なぜか、動きが鈍いのですが、「投資家保護」の観点からいつまでも放置していればむしろ、法規制の緩い、あるいは投資家保護の観点が甘い日本という悪評がたつ可能性はあります。

ビットコインをもっと普及させるにはどうしたらよいでしょうか?

まず、健全なるインフラを作り、相場を安定させることからスタートする必要があります。最大発行量2100万枚に対してすでに1200万枚を超えているという希少性も架空通貨としての汎用性はありません。通貨とは絶対的な信用のもと、いくらでも作れないと意味がありません。金が通貨として機能しないと言われたのはそこにあるのですが、金はそれでも何百年たっても世界各地で発掘されています。ではビットコインが2100万枚の最大発行量をヒットした場合、どうするのでしょうか?増資?そうすればビットコインあたりの価値は希薄化し、暴落します。ドルがいくら刷っても暴落しないのは汎用性だからでしょう。

昔流行ったベルマークだって発想的には無限の仮想通貨。クレジットカードのポイントもエアマイルも全部無限でかつ、汎用性が高いのです。この基本思想をビットコインが乗り越えられるか、ここにかかっているでしょう。

ボトムラインは仮想通貨は今や我々の身の回りには至る所にあるということなのです。その中のビットコインという風に考えれば市場に淘汰される可能性もあります。ビットコインのアイディアは私は好きですが、生き残りはなかなか茨の道となるかもしれません。

今日はこのぐらいにしておきましょう。

ブログの応援もお願いできますか?クリックをするとブログランクアップにつながります。

北アメリカ(海外生活・情報) ブログランキングへ

ではまた明日。

TPPでこだわるアメリカの自動車産業4

TPP交渉で日米間で大きく揉めているのがアメリカの自動車関税と日本の農業。アメリカは日本車にかけている自動車関税について断固として譲歩する姿勢を見せません。日本側の自動車輸入関税はもう長らくゼロ。一方、アメリカは2.5%の関税がかかります。この関税についてアメリカはなぜか、「死守」しようとしています。

理由の背景は全米の自動車関係の団体が各方面から政治的に圧力をかけていることぐらいしか思いつきません。つまり、TPP交渉の役人の後ろにアメリカ議員がにらみを利かせている、ということでしょうか?まぁ、どこの世界にもある話です。特に自動車業界の政治圧力は強大ですので議員としても一定の「配慮」をせざるを得ないということでしょう。

では、本当にこの関税がなくなればアメリカの自動車産業はガタガタになるのか、といえばそうだ、という人はほとんどいないと思います。理由は日本はアメリカで自動車を売りたければアメリカで現地生産をする、というスタイルをアメリカの意向に沿って遥か昔に作り上げたからです。日本の車がバッシングされ、デトロイトで焼打ちにされたあの時代に日本の車をアメリカでどうやって売るのか、必死に考え、輸出の自主規制なる日本的な発想もありました。最後に行き着いたのはアメリカに工場を作り、(今はNAFTAがあるのでメキシコでもカナダでもOKです)そこで現地化して売ることでした。アメリカとしては国外からの直接投資、雇用創設、周辺産業の育成と活性化などメリットがてんこ盛りだったのです。

その日本車メーカーにとって北米市場はもっとも重要で美味しい市場でもありますが、多くのメーカーは現地化を進めています。ホンダは8割ぐらいが現地生産になっているのです。つまり、ここには2.5%の関税は発生せず、日本車メーカーは既にアメリカに現地化し、成熟しているともいえるのです。

アメリカが日本車メーカーに本当の脅威を持ち始めたのは1965年から70年ごろだろうと思います。このあたりから日本は世界の中で自動車生産の主要国の道を歩み始めます。当時はアメリカ、ドイツ、フランス、イギリスに次ぐ規模でしたが、日本車はその生産をどんどん高め、70年代にはドイツを抜き、世界第二の自動車生産国にのし上がるのです。アメリカはそれでも日本がそんなに早く自動車を作れるはずがないと高をくくっていたのですが、あまりのスピードで産業が勃興することに焦りを見せた時は時すでに遅し、ということでした。

この歴史から考えればリメンバーパールハーバーではないですが、日本車に対する一定の嫌悪感は業界内に存在することは間違いありません。これが政治的壁となっているのではないでしょうか?

こんなアメリカの保護主義的思想に対して私はゲーム感覚という表現を使わざるを得ない気がします。アメリカ人がアメ車を選ばなくなる日が来るのか、といえばNOです。それは日本人にトヨタの車に乗らない日が来るのか、と聞くようなものです。あるいは韓国人に現代自動車に乗らずして何に乗るのかね、と聞くようなものとも言えます。

車を通じた愛国主義は極めて高いものです。それはすそ野の広い産業だからでありましょう。例えばここバンクーバーでは日本人はやけに日産の車に乗っている人が多いのですが、理由は日系の販売会社は日産しかなく、日本人が必死になって売っているからであります。

日本人に聞けばアメ車は性能的に劣る、と言います。そうかもしれません。私は10年間3台のフルサイズのアメ車を乗り続けました。事実アメ車は性能や細かい品質は劣るけれど日本車にないものを持っています。アメリカでアメ車に乗って高速道路を時速120キロぐらいで数百キロ突っ走るとなれば今でも私はアメ車を選ぶかもしれません。安定性や独特のソファのようなシートはまるで移動するリビングのようなものといったら言い過ぎかもしれません。

5リットルのエンジンのフォード「マスタング」のオプション装備版や改造版に今でも若者が熱狂するのはアメリカンスピリッツそのものなのです。あの車、カーブになるとちっとも走れなくなるのですが、直進だけさせるともの凄い、でもそんな車がアメリカ人は大好きなんです。

日本車とアメ車では開発コンセプトが違います。日本車はアメ車の力強さではなく、洗練と品質だろうと思います。だから成熟した市場であるアメリカにおいて今後モデル次第で日本車のシェアは上がるかもしれないが下がるかもしれないが成熟期にあると言えるのです。それは70年代から始まった長い闘争の中で築かれた二国間の歴史であり、この枠組みの中でアメリカ人の車への好みや期待がここから大きくぶれることはないということではないでしょうか?むしろアメリカの自動車産業とアメリカで販売する日本車メーカーが最も恐れなくてはいけないのはアメリカ市場に本格的に攻め入ろうとしているVWとベンツ、BMWのはずで全米自動車業界にとってTPPの自動車関税問題は本質的なイシューではないというのが私の思うところであります。

今日はこのぐらいにしておきましょう。

ブログの応援もお願いできますか?クリックをするとブログランクアップにつながります。

北アメリカ(海外生活・情報) ブログランキングへ

ではまた明日。

嫌な予感がする中国の金融引き締め4

中国の準大手銀行が企業向けの不動産融資の一部について停止することを発表しました。これを受けて中国の株式市場は大きく売られることになりました。中国の中央銀行もすでに市中から資金を引き揚げる動きに出ており、不動産業者にとっていよいよ相当の試練の時を迎えることとなりそうです。

1989年12月、平成の鬼平と言われた三重野康氏が日銀総裁になった時、氏が副総裁の時からずっと温めていた金融引き締めを実行しました。結果として不動産バブルは崩壊し、日本に未曾有の経済的困苦の時代をもたらしました。今でも三重野采配がバブル崩壊を引き起こしたとする三重野主犯説は根強く残っていますが、私も当時苦い思いをしたのを思い出します。

あれから25年もの年月が経つといろいろなことが落ち着いて見えてくるのですが、私は三重野氏の「思い」が戦前の井上準之助大蔵大臣の行動に重なって見えるのです。井上準之助は緊縮財政、金解禁を唱えていたもののその機が熟すのをじっと待っていました。そこに民政党の浜口雄幸が総裁に就いたのを機に大蔵大臣として浜口と二人三脚で緊縮財政、金解禁をやってのけました。しかし、そこに待っていたのは井上の理論とははるかに違った想定を超えるデフレでありました。それは1930年代のアメリカの大恐慌も影響し、昭和大恐慌として歴史に残る経済状況を生み出したのであります。

理論と現実のギャップとは机の上では計り知れないものがあります。バブル当時、供給側の目線に立てば企業の役員は部下に「銀行から借りられるだけ借りよ」そして「売れるだけ売れよ」とはっぱをかけ、企業は需要量を過大に想定し、企業は売り上げが上がることに全精力を傾けていました。そこにはもはや、モラルも理論もありません。ただただ、勢いのビジネスであったというのが私の印象です。

その中で建設会社が儲かっていたか、といえば表面上を取り繕っていたといえましょう。決算が近くなると経理部長はひっきりなしにトップに呼ばれ、売り上げの先食いをしようとするトップと経理の「できる、できない」の押し問答が繰り返えされました。建設会社の実態は多くの下請けをいかに抱き込むか、これにかかっていました。A物件が赤字工事だとわかっていれば下請けに「今回は泣いてくれ。その代りもうすぐB物件が発注されるからそちらではおいしい思いをさせるから。」と一種の赤字の先送りを繰り返し、決算上で儲かる数字が作られていたともいえましょう。これが世にいう「自転車操業」であります。われわれはそれが80年代半ばから起きているのは知っており、一様に不安感は持っていたはずです。

この自転車操業は道が平坦であればまだ走るのですが、金利が上がるといった坂道になると途端に走れなくなります。これがまさにバブル崩壊であります。現場により近い立場の私が三重野主犯説にいまだ同意しているのは机上の理論と実態はあまりにも違いすぎるということであります。それは井上準之助が犯した間違いでも同じでありました。その結果、銀行や不動産会社、建設会社は倒産し、私も路頭に迷うことになるのです。

では中国が今、金融を引き締め気味にし、一部銀行が不動産向け融資の一部を停止する事態になるとどうなるか、といえば上述のストーリーが当てはまると思いますが、中国の場合にはスケールがはるかに大きなものであって、そのマグニチュードは全く想定できないのであります。

もともと中国地方政府は地方債を発行できないため、苦肉の策で理財商品という形で資金を集めることに成功しました。そこには不動産開発業者と建設会社が見事に結託し、自転車をこぐという形が出来上がっています。ですが、中国の開発業者にしろ、建設会社にしろ、「ゴミ」を見えないところに押し込み続け、時間稼ぎをしているだけであります。これが「いつかはじける不動産バブル」と言われ続けたものであります。ところが次々と編み出される手法でその生命維持装置はいまだワークし続けたのですが、資金という事業の血液が途絶えることで挽回の余地はもはやわずかであるように思えます。

トランプでババを含む残されたカードは数枚というのが私の印象であります。

時代は繰り返されています。日本はその点、中国が今、実に困難な状況にあることが手に取るようにわかるはずです。私は当時、その現場にいたからこそ、中国が置かれている現状を見るにおいて「足が震えるほど」怖いのであります。中国も中央政府と地方政府の距離感が強く、中央の机上の政策が実態以上の影響を与えることはあるでしょう。その時はもはや遠い日ではないと感じています。

今日はこのぐらいにしておきましょう。

ブログの応援もお願いできますか?クリックをするとブログランクアップにつながります

北アメリカ(海外生活・情報) ブログランキングへ

ではまた明日。

新興国を助けるのは誰だろう?4

新興国不安に対して「自助努力」を強く迫ったG20、財務相、中央銀行総裁会議。新興国に対して構造改革を通して「もっと強くなれ」とし、アメリカの金融の量的緩和の縮小は既知の事実であり、それを今後も継続することに新興国から文句を言われる筋合いはない、という姿勢がありありと見える結果となりました。

一方、土曜日の日経にモルガンスタンレーの運用担当者のコメントとして「過去10年の新興国は良好な経済的背景のもと成長を享受したが、今後もどの国も同じ便益があるとは限らない」(意訳)が掲載されていました。これらの発言は世界に対するアメリカの姿勢を如実に表しているともいえるのでしょう。つまり、アメリカは我儘なのです。自国中心主義がより一層高まり、オバマ大統領が直々に「アメリカは世界の警官ではない」と発言すらしているのです。これはアメリカが自分で世界に対する影響力を限定化し、責任をもって面倒見るという姿勢はもはやない、と公言しているも同然なのです。

これが意味するものはフィリピンのようにアメリカの警官に守ってもらえなくなります。トルコのように基軸通貨という元本保証の定期預金の保証がなくなるということもあります。数が多いだけであまり機能しているとは言えないG20を通じた世界共通のポリシー欠如の荒波を新興国はもろにかぶる、ということもありましょう。

私は以前、世界経済のブロック化について何度かこのブログで取り上げたことがあります。ブロック経済とは1930年代に起きた世界をいくつかの地域で分け、ブロックの内外で関税などで仕切ることであります。 その後、アメリカを中心として世界は自由貿易をすべきであるとし、後々ブロック経済は完全否定された経緯があります。

ですが、新興国は先進国あっての成長であるというのも事実であります。日本も中国も「工場」としての機能を持ち、輸出し続けたが故の今の地位であります。今、世界ではEUやNAFTAさらにはTPPのように近隣国との経済同盟が多く存在、ないし創設されようとしています。更にFTAは世界を網目のように張り巡らされています。つまり、今起きていることは実は既にブロック経済が再び起きているともいえるのです。

私はこのブロック化が再び進む中で大陸ごとに責任国を作り出すことが新興国の安定した成長を支えるのではないかと思っています。つまり、アメリカは南北アメリカ大陸を、EUはアフリカまで含んだエリアを、そして日本は東南アジアやインドまで含んだエリアを通貨や貿易も含め、安定化させる構造改革を進める「親」になってみたらどうかと思うのです。

例えばアメリカがTPPを強力に推進しようとしているのは今後大きく成長が見込まれる東南アジアとのビジネスを有利に運ぶための手段でしかなく、国家を助けるつもりはないのです。ところが、例えば日本ならば直接投資、政府援助を含め、東南アジア諸国と長い歴史の中で作り上げたものがあり、「儲からないから引き上げる」というドライさは少ないでしょう。

アフリカ諸国。今や、中国なしでインフラもなしと言われる一方で中国人が大挙してアフリカ諸国を闊歩していることに当該国は苦り切っているとも言われています。では中国はアフリカと心中するつもりがあるのか、といえば絶対にないでしょう。ですが、フランスは歴史的背景や本国への移民も含め、本来であれば最適国であったはずなのです。

アメリカに世界の警官と基軸通貨ドルの安定感を持たせる用意がないならばそれは世界の主要国が分担すべきである、というのが私の考えです。世界は70億という人口、より複雑になった経済、社会、国家間関係をもってアメリカに頼るという思想そのものがもはや時代遅れである、ともいえるのです。ならば自助努力しなくてはいけないのは新興国だけではありません。先進国がそれぞれ業務を分担するという自助努力を行うことが先決であります。

G20にしてもモルスタの担当者のコメントにしても先進国が先進国の立場からでしかモノを見ていないともいえるのです。世界の歪みがあるとすればこういうところから始まるものです。100年後の学校の教科書に2010年代に起きた世界経済の頓挫という歴史ができるかもしれません。

今日はこのぐらいにしておきましょう。

ブログの応援もお願いできますか?クリックをするとブログランクアップにつながらいます。

北アメリカ(海外生活・情報) ブログランキングへ

ではまた明日。

ザ「経団連」4

日本経済団体連合会、略して経団連は1948年に生まれ、日本の三大経済団体の一つであり、1300社以上の一流企業の会員を擁す集まりであります。その発言は労使間交渉の指針に大きく影響するほか、政府との経済関係のパイプとしての役割も大きなものであります。但し、その歴代会長の顔ぶれを見ればわかるのですが、かなり製造業に偏った力関係があるのも事実です。

2002年に経団連は日本経営者団体連盟と一体化したのですが、その双方の歴代の会長で製造業出身ではない会長は東電と日本郵船出身の会長だけのようです。つまり、製造業ニッポンを地で行くと言っても過言ではないのです。

その経団連の現会長、住友化学の米倉弘昌氏は退任が間近でありますが、ご本人としてはほっとしているはずでしょう。氏は安倍首相と折が合わず、大ゲンカしたこともあり、双方、プライドの塊であるせいかしっくりいかない状態だったはずです。その安倍首相も米倉氏とはウマが合わなくても経団連とは寄り添わなくてはいけない事実がありました。そう、賃上げ、しかも一時金ではなく、ベアとしてであります。その最大効率の効果を上げるには1300社の日本を代表する企業を擁する経団連の協力がなくては出来ないものなのです。

ところでその米倉氏の後任人事については実に苦戦したと言ってもよいでしょう。最終的に東レの榊原定征氏に収まったのですが、本命は日立の河村隆会長でした。が、その河村会長、固辞し続け、経団連に見向きもしなかったのであります。

理由は言葉にこそしていませんが、経団連という護送船団に別れを告げた、と割り切ったような気がします。

経団連の印象は「十把一絡げ」というのが私の印象です。1300社の意見を一つに集約し、一定の力をもって交渉に当たる、というストーリーは理解できなくもないのですが、業界団体と比べてどうなのかな、という気がします。それ以上に製造業を要とする団体運営が世の中の新たなる動きについていけないような感じも見受けられます。

印象的だったのが楽天が退会した時ですが、氏の背中を押した理由がその保守性でこの会がグローバル化に対応できるのか疑心暗鬼だったと記憶しています。これだけの会社が集まれば意見を集約するのは本来難しいもので産業によりメリット、デメリットは当然生じます。それでも多くの一流企業がそこに寄り添うのは寄らば大樹の陰のようにみえるのです。三木谷社長は自分で道を切り開くタイプですから経団連という屏風は必要なかった、ということでしょう。

もっとも経団連が今後、なくなるとは思っておりません。ある意味、戦後日本経済の要の一つだったわけですからこの団体が存在する意義を時代の変化とともに再考してもよいのではないでしょうか?名だたる企業が会長、副会長のポストを占め、そこに所属するだけでうれしいと考えている企業が8割以上を占めているとすれば何のための団体かわからなくなります。

また、情報が次々と発信される時代において経団連からのアウトプットを見かけることは案外ありません。団体としての外部への発信力は当然問われるでしょう。そのあたりも含め、その在り方が変わってくれば日本経済にまた新風を吹き込むことができるでしょう。

外から見ると日本はやはりとても閉鎖的で対外交渉が上手ではなく、理論武装にも欠ける企業が多く、一匹オオカミでやり抜くぐらいの意気込みが感じられる企業がもっと育ってほしいな、というのが私の個人的な印象であります。

今日はこのぐらいにしておきましょう。

ブログの応援もお願いできますか?クリックをするとブログランクアップにつながります。

北アメリカ(海外生活・情報) ブログランキングへ

ではまた明日。

百田尚樹氏はしゃべりすぎたか?4

NHK経営委員で作家の百田尚樹氏の発言とその後の動きについて注目が再び集まっています。

百田尚樹氏はこの数年、突如注目されるようになった方なのですが、それは「永遠の0」というゼロ戦に乗るパイロットの運命を描いた氏の処女作が売れに売れ、さらに映画化されたことが大きいでしょう。私も読ませていただきましたが、事実関係をよく調べたうえで小説化した点において作品としては評価されると思います。その中で「思想の色」があることもその文章からもよく見て取れます。ただ、人はどんな思想でも憲法上許されているわけですから、「個人」としての主張はなんら問題はないと考えられます。

しかしながら「主張」はある時、「事実」という意味に履き替えられ、誤解を招く可能性がある点だけは気をつけなくてはいけません。一定の影響力がある人やしかるべき立場に立つ人の行動や言動は慎まなくてはいけないのはなぜでしょう?その言葉が間違って認識されたり言葉足らずだったものをマスコミや一般庶民が面白おかしく捉える結果としてご本人の意図と違う方向に勝手に進んでしまうことがあり、制御不能になりやすいということであります。それは今日、インターネットが急速に普及した時代であるがゆえにより気を付けなくてはいけないのであります。

例えば、森元首相が浅田真央選手について「大事なところで必ず転ぶ」と発言したことが大きな波紋を呼びましたが、結果として森氏はその発言の趣旨を再び説明する事態に追い込まれました。これも森元首相が2020年東京オリンピックの責任者であるという立場からオリンピック選手の失敗を非難したという意味合いに繋がったものかと思います。

百田氏については氏が作家としてのみの活動であればまだ、「あぁ、あの人がまた何か言っているね」で終わったかもしれません。しかし、NHKの経営委員という立場となればこれには噛みつく人はゴマンといるわけです。NHKの経営委員とはNHKの最高意思決定機関であり、一般会社でいう取締役であります。一方、放送関係者は委員になれない為、全員社外取締役と言ってもよいのかもしれません。

NHKそのものの運営はウェブサイトからは公共の福祉、独立性や自主性という言葉が並び、その言葉通りに取れば思想的背景は反映させないということになります。ある意味国民から広く薄く受信料を頂戴するためには特定思想に偏れば「俺は払わない」という状況を生み出すことになります。これが百田氏他に対して罷免要求する側の根本背景でありましょう。

一方、NHKは思想的に左がかっていると長年指摘されてきました。渋谷のNHKには中国の国営放送(中国中央電視台)が同居している事情もあり、先方に配慮しなくてはいけない事実もあったのでしょう。ところが、NHK会長を任命した安倍首相がその色合いをグッと変えてきました。それが経営委員会のメンバー構成であり、昨今のさまざまな問題発言につながるというわけです。

個人的には発言者の道徳観の問題かと思います。自己思想と自己の立場のバランス感覚が悪いということでありましょうか?公人と私人というわきまえの中で「今日は私人として発言するが…」としてもそれをその言葉通りに取る人はいません。私人の色も公人の色とみなされやすいものです。NHKの経営委員になった以上、百田氏を含むすべての経営委員は行動や口は慎むべきです。それが嫌で私人としては好き勝手したいというなら経営委員不適格であります。経営委員を降りたあとはまた私人として好き勝手言えばよいでしょう。

急速なITの普及はつぶやきが瞬く間に世界に拡散します。そのフォローや対応が十分にできないのならば呟くべきではないというのが私の考えであります。

これについては皆さん、様々なご意見もあることかと思います。お聞かせ願えればと思います。

今日はこのぐらいにしておきましょう。

ブログの応援もお願いできますか?クリックをするとブログランクアップにつながります。

北アメリカ(海外生活・情報) ブログランキングへ

ではまた明日。
アクセスカウンター
  • 今日:
  • 昨日:
  • 累計:

QRコード
QRコード
Archives
記事検索
Recent Comments
  • ライブドアブログ