外から見る日本、見られる日本人

バンクーバーの日本人社長ヒロが仕事、生活を通じて感じた経済、経営、社会、日本人観などを綴っています。

2014年04月

消費マインドがかわった日本4

直近のニュースを見る限り消費税引き上げに対する消費の冷え込みの影響は限定的のように見えます。メディアでは飲食など身近な消費についてはむしろ伸びているとし、テレビの一般人向けインタビューでは「食事ぐらい気にしないで食べたい」というコメントがその真意をついているような気がします。

まだ断定的なことは言えませんが、仮に今回の消費税引き上げを通じて消費の落ち込みが想定ほどひどくないとしたら多くの専門家は予想を外したことになります。なぜなのか、そこを考えてみたいと思います。

数年前のデフレのさなか、メディアのトーンは「安いもの大歓迎」でした。牛丼の価格戦争にデフレ大魔神のマックが参戦してマスコミを賑わしたし、奥様はデパートの上層階のレストラン街での井戸端ランチ会を減らさなくていけない理由は「マインド」だったのでしょうか?つまり、デフレを促進した本当の怖さとは世の中のトーンが大きく影響したのではないか、とも思えないでしょうか?

日本人はかつて「羊」と揶揄されたことがあります。同じ方向に向くという意味です。今でこそこの表現は使わなくても基本的には同じ方向を向いています。これは一般的に「ほぼ単一民族の島国育ち」にその理由を求めることができます。海外に出た日本人はその発想では生きていけないということにすぐに気がつき、現地での同化が始まり、何年か経って日本に戻れば「洋行帰り」とささやかれるわけです。私のように20年以上外に出ていれば洋行帰りどころではなく「異人」「宇宙人」の世界なのであります。

先日、オバマ大統領と安倍首相が食事で使った寿司屋。3万円のお任せコースで人生で一番うまい寿司と言われれば誰でも行きたくなるでしょう。これは波及効果を生み、それまで考えもしなかった数万円のディナーを食べるという心理的ハードルを超えることができるようになるのです。

それより先、昨年あたりから飲食業界では一歩上の商品を売り出す傾向が見えてきました。例えば吉野家でも定番の牛どんと共に590円の牛すき鍋膳がヒットしていますが、一体この変化は何がトリガーだったのでしょうか?

一般家庭のお財布が緩みつつあることは確かです。一部企業ではボーナスが増えたでしょうし、株でもうけた人もいるでしょう。おじいちゃん、おばあちゃんからの教育資金のサポートで生活にゆとりができた家庭もあるでしょう。でも多分、それはまだ一部の家庭です。

ところがメディアでは高級時計が前年比5割増で売れているとか、ゴルフ場の会員権が上昇に転じたとか、不動産が上がりそうだといった周りの雰囲気が多くの人のマインドを変えた可能性はあります。以前どこかで読んだ記憶があるのですが、デフレの時に「本当はもうちょっと使いたいのだけど周りの目を気にして抑えている」と。これが実は日本人が「羊さん」であると言われる所以なのです。もちろん、「宇宙人」の私でも周りと同調しますから5人でレストランに行って皆800円のランチを注文するのに自分だけ2000円の特別定食を注文する度胸はありません。北米なら普通にありそうですが。が、程度の差こそあれそれが少しずつ出てきたということでしょうか?

今回の消費税引き上げに対して思った以上に影響が少ないとすればそれも「マインド」である可能性が高いのではないでしょうか?消費税導入時や5%への引き揚げ時、マスコミはネガティブキャンペーンをはっていました。消費者はそれをフォローしました。が、今回は前回ほどネガではなく、やむを得ない引き上げという心理状態がある程度出来上がっていた可能性はあります。

だとすれば、経済は正に心理学を取り込んだ行動経済学に大きく左右されるということでしょう。経済学がいつも「机上の論理」と笑い話のネタにされるのは学者の想定通りにはなかなかならないという難しさかもしれませんね。もっとも消費税引き上げが消費減退を生まなかったという「ればたら」が当たるという前提の先読みですからそこを外してしまえば行動経済学もなにもあったものではないのでしょうけど…

今日はこのぐらいにしておきましょう。

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ではまた明日。

物価上昇、仮にベースアップがなくても怖くない4

「日用品の値上がり目立つ」とある日経の記事には4月は物価が3%程度の上昇になると指摘されています。「デフレ時代よ、さようなら、インフレ時代よ、こんにちは」なのでしょうか?更に28日の日経トップは「賃上げ15年ぶり2%台」で47%の主要企業がベアを実施したとあります。物価上昇と賃金、このあたりを今日は考えてみます。

まず、物価。あくまでも私の見立てですが、4月の物価上昇は予想できたことです。そして早くから3%という数字は出ていましたし、私も2,3週間前のこのブログで指摘していました。多くの専門家も同様の予想でした。理由はコスト上昇に我慢できずに消費税に便乗の値上げ。

ここから更なる物価上昇の可能性として企業が5月以降も値上げを果敢に行うか、という疑問です。円安により輸入物価が上がったというならそれは一つの理由でしょうけど今年に入って為替水準は割と狭いレンジの動きに留まっています。為替予約の関係で時間がずれ込んだということもありそうですが、私は企業はここから継続的に小売価格を引き上げず、一旦は様子見になるとみています。

3%といった水準の物価上昇は一時的な現象でいずれ1%台に戻るとみています。私の予想はディスインフレと称される2%に届かない低いレベルのインフレがしばらく続くとみています。(これについては日を改めて説明します。)ただ、デフレに慣れた者としては物価上昇を如実に感じさせると思います。

次に賃金。企業内のコスト上昇につながる賃金引き上げがこれから本格化するのでしょうか?今後、賃金上昇が引き続き期待できる分野は業種により限定されるのではないでしょうか?建設業やシステムエンジニアのようにBtoBの枠で技術者確保が必要な業種は賃金を引き上げざるをえないでしょう。

ところがユニクロのようなSPA,小売業、飲食店のように消費者向けのBtoCの業界における賃金引き上げは従業員確保という意味合いが強く、労働市場のすそ野は外国人を含め広い業種であります。この場合には完全競争の市場の中で小売価格改定がしにくく、体力のある企業は別として賃金上昇は企業の収益圧迫に直結し、一時的な上昇こそあれど、長期的趨勢にはなりにくいと考えられないでしょうか?

つまり、業種により引き合いが強く今後も成長が期待できる分野の労働市場はひっ迫し、結果として人件費上昇分を受注金額に反映させやすくなるでしょう。ところが、例えば飲食業のように代替が可能で価格競争が厳しい一般消費者向け事業は人件費の引き上げはそう簡単に成し得ないだろうとみています。

では、私が考える物価が上昇しても困らないシナリオとは何でしょうか?私は繁忙状態が残業の増加→実質収入の増加をもたらしたり、副業、アルバイトなどによる副収入、企業の各種手当の増大など付随収入が伴うとみています。給与のベースアップは出来なくてもまさに一時金という名のボーナスで報いるところも多くなります。

更に企業の経費支出の緩みでいわゆる社用族が一部復活してくるとみています。考えてみれば日本の景気が良かった80年代まで、サラリーマンは社費天国でした。私も社費の飲食、ゴルフがほとんどでした。その上、私は出張がちだったため、出張手当が給与の5割ぐらいあってそれが現金でポケットにそのまま入っていた「無税のお手当」も大きかったのです。

景気が良くなればベース賃金とは別次元で世の中にお金が回るようになります。これはベースアップの上昇率という一つのメジャメントだけでは説明しきれない世界であります。そして日本は少なくとも2020年まで大型プロジェクトが目白押しで内需型の景気はかなり良くなるはずです。多分、80年代を彷彿させるぐらいになるとみています。これは時間軸をそっくり30年引き戻した状態だと思ってよいでしょう。つまり、今は1984年と同じぐらいという感覚でよいかと思います。日本の景気については全く心配していません。むしろこなせないかもしれないと思っています。

好景気という言葉が25年もなかったわけですから若い人には無縁な話で想像しにくいかもしれませんが、外から見ていると日本のポジションは圧倒的な強さを持っているとみています。自信を持っていよいと思います。

今日はこのぐらいにしておきましょう。

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ではまた明日。

情報媒体格差の時代4

少し前、東京や横浜の図書館で「アンネの日記」関連の書籍が破損する事件が相次いで発生しました。捕まった犯人像はよくわかりませんが、ドイツ・ナチスによって虐殺されたユダヤ人関連の書籍であることから人種差別に繋がる行動の可能性、言論の自由を脅かすものだと連日記事となっていたのは記憶に新しいと思います。

では、書籍が破られるのとネットでの炎上ではどう違うのでしょうか?どちらの行為も快く受け入れられるものではありません。ただ「アンネの日記」は破損の対象となった書籍の性格上、マスコミを動かしたことになったかと思います。しかし、ネットでの炎上は橋下大阪市長や小泉元首相のtwitter投稿など一部著名人のケースは例外として紙面で記事になることはほとんどありません。

まず考えられるのは、本は触れられるモノであることでしょうか?そのために、器物損壊事件として扱うことができるかと思います。これが、ネットの記事の場合は炎上による精神的苦痛なのですが、それを証明しにくいことでしょうか?そして、「あなたのブログが本になる!」という類のネット広告もありブロガーがその記事を目立たせるために過激なタイトルにエキストリームな内容にすることもあり、煽った結果が炎上になるケースもあるのでしょう。

ここに情報媒体の王者であるテレビメディアが加わると面白い構図が浮かび上がります。

2013年を風靡した「半沢直樹」。これは、かなり古い原作本がドラマ化されたことによって一気に認知度が高まりました。(私も原作を読んでいたのですが、タイトルが違うのではじめは気がつきませんでした。)

また、テレビの取材となると「あのテレビに出ていた人」と注目が集まります。ネットが普及する前は、TV局や番組制作会社の人たちが足を運び口コミを元に情報を収集していました。が、今はネットからの情報源も多いのではないでしょうか。一昔前流行ったハワイ生まれのパンケーキ、クロワッサンとドーナツが合体したクロナッツはネットから火がついたものとしてテレビなどが取り上げました。

テレビによって情報は爆発的に拡散しますが、その情報元を辿ってみれば本やネットであることが多いのです。その本もネットでの口コミで注目が集まったりするわけですから、こうなるとどれが優位で劣位の関係にあるのか分かりません。これらの媒体の発信者側としては双方向に依存しつつも、それぞれのシェアは奪われたくないのです。

では、我々受信者はどうすべきでしょうか?

ある講演で情報格差は、昔はパソコンを持てる先進国、持てない開発途上国の間に境界線がありましたがパソコン、スマホが広く普及した今では、努力し自立度の高い人と努力なく自立度の低い人の境界線へと変わった、という話を聞きました。

この講演ではパソコンという切り口の情報格差でした。これをネット、本、テレビで線を引くとどうでしょう?数か月前のブログでは本を読まない大学生が4割ということを書かせて頂きました。ネットもしくはテレビのみが情報元の場合、知識の偏りがあるでしょう。媒体で線を引くのではなく大所高所から食わず嫌いをせずに知識を得ることが重要なのかもしれません。

今日はこのぐらいにしておきましょう。

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ではまた明日。

時間に追われる現代人が必要なもの4

先日、「魔法の質問」でベストセラーを連発されているマツダミヒロさんの講演を覗いてみました。参加した理由は売れっ子講演家の話し方を学ぼうという全然違う目的だったのですが、参加して、ある面白いことに気がついたのです。

マンダラチャートと称する質問用紙をベースに参加者同士が質疑を交わしながら進める氏独特の講演スタイルの結果、自分がいま必要だと感じているのは「時間」と出たのです。もともとお金をテーマにした話だったはずですが出てきた答えは「時間」。これが意味するのは私を含め、現代人の生活がこの20−30年で急激に変化したこととそれに対して人間という個体が現代生活に十分にキャッチアップしているのか、という疑問そのものなのかもしれません。

自己啓発本には「成長」を謳うものが多く出ていると思います。自分が成長するためにはそれなりの努力をしなくてはいけません。努力するには時間とエネルギーが必要です。頑張って数多くのハードルを飛び越え、目標に達したとします。その時、あなたは(私も含め)、次の目標を設定していることが多いと思います。これは一つ目の成長を達成した時点で大変だと感じていた成長過程が自分の中で要領よく吸収されたため、「しんどい」と思わなくなっているのです。そこで「よし、次はこれ」「その次はあれ」と、どんどん自分を縛り上げているということかもしれません。

この流れ、世の中が全てうまくいっている時は問題ありません。ところがすべてうまくいく世界など存在しません。必ず、「あれっ?」という事態は出てくるのです。身近な例では収入を増やしたい→自分の労力ではなくお金に働いてもらおう→定期預金より株式投資→アベノミクスで大儲け→次は今まで以上に積極的に攻める というシナリオは必ず身近にある話です。これがうまく回っている間は良いのですが、株式市場が急落となれば損失に追証、泣きっ面にハチとはこのことです。こうなるともう努力なんて止めるという離脱組が出てくるわけです。これはストレスの一種と考えてよくまさに成長に伴う弊害のひとつです。

現代の最大の特徴はSNSなどを通じて情報過多で他人からの影響が非常に強くなり、それが自己への刺激となり、新たなる挑戦をする人が多くなったということでしょう。しかし、その弊害は見落とされがちだという点にも気がつかなくてはいけません。

実はマツダさんの講演を聞きに行った日は仕事が朝5時から夕方まで詰まっていました。正直、疲れていたのですが、2時間の講演が終わった後、奇妙にリフレッシュされたことに気がつきました。それは自分が効率化を高めた「業務マシーン」から解放され、全く違う世界に2時間浸り、頭の中の違う回路を回すことができたからではないかと思ったのです。

この時ハタと思ったのが、「忙しい時こその休憩」です。ここ北米の人は年間数週間の有給休暇をうまく活用するのですが、基本的に一週間単位で年に2-3回休暇をとる人が多いのではないかと思います。休暇明けは充電一杯なのか、割とよく働く傾向にあるように見えます。私などはかつて「このくそ忙しい時に…」と思ったこともあったのですが、休暇の効用がよく分かるようになってむしろ、「働きすぎだから少し休暇でも」と背中を押すことも無きにしも非ずなのです。

休暇が無理でも一日1-2時間の気分転換は非常に効果的なように思えます。ITディバイスから離れてフィットネスでもよいし友人と仕事から離れてのんびり話をするのでもよいでしょう。頭の中が渋滞気味になっているからこそ一息入れることも大事だと今さら改めて認識しました。

多くの人はネットにE-mail,さらにSNSのチェックと思った以上に時間を割いていますが、それは当然ながら十数年には無かった行為なのです。ならば24時間の枠は以前よりより短く、濃密な時間を過ごさざるを得ないということであり、我々は思った以上に疲弊し、ストレスをため、結果として犠牲にしているものが必ずあるのでしょう。それはかつての友人との付き合い、家族団らん、心のゆとりであり、美しいものをみても素晴らしい音楽を聴いても反応がなくなった時こそ本当の恐怖なのかもしれません。

今日はこのぐらいにしておきましょう。

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ではまた明日。

それでも円安がお好き?4

日本人は概して円高より円安を好む傾向があります。その理由は「輸出大国ニッポンは円が安い方が有利でしょ」ということかと思います。この前提、考えをそろそろ変えていかねばならない気がします。

まず、輸出大国ニッポンというウソ。日本の輸出依存度はせいぜい10-15%程度です。日本は歴史的にも圧倒的な内需国家なのですが、学校の教科書で「加工貿易の国」とか「資源がないから輸出で稼ぐしかない」と習ってしまったイメージが強すぎるのだろうと思います。

次に電機や自動車メーカーにとっての輸出ですが、電機メーカーは先の円高時代に素早く知恵を出し、対応した結果、今や極端な話、円がどうなろうが影響を受けにくいようになっています。自動車業界も当然その方向にあるはずですが、産業自体の裾野産業が広いため、対応がそこまで敏速ではないのだろうと察しています。

つまり、日本は内需国家であり、輸出産業は現地化、地産池消の発想で海外にその拠点を数多く設けるとともに円建て取引、予約、ヘッジなど様々な工夫をして為替リスクを抑えこんでいます。

こうなると円安になるメリットは何でしょうか?うーんと唸ります。

では円高のメリットです。

皆さんが海外旅行に行くのに円高であれば海外のホテルはより安くなります。海外で売られている土産品もより安くなります。企業でも同じで輸入に頼る会社には大きなメリットがあるのです。小学校の時に習った本当の正解は「資源のないニッポンは輸入に頼らなくてはいけない」ということなのです。これはとりもなおさず円高メリットがはるかに大きいということです。(日本に資源がないというとお叱りを頂戴しますが、あくまでも現時点での話とします。)

4月21日に発表になった2013年の貿易収支。史上最大の13.7兆円の赤字です。この発表を受けてトロントのディーラー氏から「この数字をどう捉えたらよいのだ?」と発表の翌日に突っ込まれました。

以前にも指摘しましたが日本の輸出産業はプラザ合意以降徐々に、そして2008年を境に体質が完全に変わりました。日本からの輸出では価格競争力がない、現地の人にとって魅力的な商品が生み出せないなどの理由で日本で「輸出産業空洞化現象」が起きました。そして2012年までの円高局面でその傾向に拍車がかかりました。つまり、言い方に語弊はあるかもしれませんが、民主党政権が日本を空洞化にする体質づくりを強化したともいえるのです。

この結果、日本は円安になっても輸出は増えず、輸入額ばかりが増える事態となったといってよいでしょう。言い換えれば2013年の輸入は前年比増17.3%に対し、輸出は前年比増10.8%なのですが、この差は円安になった分の日本の負担増だったと置き換えても乱暴ではないかと思います。仮にそうならば貿易収支は2012年程度の5兆円台程度の赤字水準に収まったのではないでしょうか?つまり8兆円が円安負担分とみえます。

ところで日本企業が買収する海外企業については為替水準はメリットとデメリットがあります。買収するときは円高であればあるほど円ベースでは安く買収できます。一方、先方からの収益は円安であればあるほど大きな収入になります。つまり、一長一短です。ならば円安でもいいじゃないか、とおっしゃるでしょう。しかし、海外収益を日本の親会社が計上するのはあくまでも決算という机上での話。実際にその収益をキャッシュとして送金するかどうかは別の話です。為替が悪いなら将来の投資のために配当などせず、現地で再投資するのが普通かと思います。

日本の生産構造の変化、経済の成熟性を鑑みたうえで長期安定性を考えれば本来ならば円安より円高の方がよいようにみえます。アメリカが長らく「ドル高政策」をとっていたのも同様の理由です。つまり国内競争力がなくなったからドル高で海外企業を買収しやすくし、結果として世界の有力企業を牛耳るという戦略です。ユダヤならではの発想です。

もう一つ、国防の点からも円高の方がよいかもしれません。円安は海外から日本に資金が流入し、外資による不動産などの買いあさりが生じます。島一つ、村ひとつぐらいの不動産購入はより容易くなるのです。80年代後半の日本がアメリカを買収すると騒がれたあの不動産バブル時代のアメリカの批判の意味はそこにあります。

日本は輸出大国ではないという認識を持ち、為替の影響について再考するにはよいきっかけになるのではないかと思います。

今日はこのぐらいにしておきましょう。

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ではまた明日。

若者が作る新しい地方の時代4

日本が抱える問題の一つに地方の疲弊化、都市への集中があります。都道府県別の人口増減数を見れば秋田県や高知県のように長期的に県としての自治を維持できなくなるペースで人が減っているところも多く、また、高齢化はさらに加速しているような状況にあります。多くの人はこのまま地方は疲弊し続けるのではないかと思われるかもしれませんが、最近、この動きに歯止めがかかるかもしれないと思い始めています。

多くの地方都市の中で私が注目したのは仙台。東京から新幹線で二時間。遠くもなく、近くもないこの都市は3年前の震災でその復興への中心都市となりました。震災後、多くの若いボランティアさんが東北の隅々で活動し、仙台が一つの拠点的イメージでありました。更に昨年の楽天イーグルスの大活躍で多くの仙台人を沸かせましたが、若者はこの人口107万人の都市に心地よさを感じているように思えます。

人口42万の香川県高松市。四国の玄関として、また、讃岐うどんのメッカとして知らぬ人はいないと思います。私の従兄は生まれてから高松以外一度も居住したことがありません。何人か知っている彼の高校時代の友人もなぜか高松から出ません。以前、「恐るべきさぬきうどん」というローカルナイズな本が高松で売り出されたのですが、これが地元で爆発的ヒットした理由は若者がうどんを通じた地元愛を持ち続けたということでしょうか。

地方都市には地方都市の心地よさがあります。それは小学校時代から何十年と長らく付き合い続け、「おい」「おまえ」の壊しようがない関係がその根底にあるのかもしれません。そこにはささやかながらも誰にも邪魔されない幸せが充満しています。地方都市に行く度に都会にはないその空気にうらやましさを感じます。

それは海外でも同じです。ここバンクーバーでローカルコミュニティの結びつきの強さはやはり、小さい時からの付き合い、そして双方がトレーサブルな位置関係にいるということでしょうか?バンクーバーの場合、出身高校ないしUBCやSFUといういった地元の著名大学が共通項でしょうか?その中で更にあのクラス、あの学部の誰々という形で話が展開するのを見るにつけいわゆるリアル版SNSは地方都市にあり、と断言出来るぐらいなのであります。

ではなぜ、いま、再び地方都市なのでしょうか?

「ネットの普及も加わり、『生活コストの低い地方で東京以上の楽しい人生を送れるようになった』として地元を出て、上京する流れは大幅に縮小していると見る」と発言しているのはゼンショー(すき家)の小川社長。また日経の記事にはこんな指摘もあります。

「『幸せの物差しが大きく変わった』と電通若者研究部の吉田将英研究員はこう指摘する。もはや消費額と幸福度はリンクしない。地方から東京へ出ること、大企業で出世することの価値は低下し、『身近な仲間とLINEなどを通じて交わすコミュニケーションそのものが楽しい』と分析する」とあります。

高度成長期には人はこぞって東京や大阪など都市に向かいました。それはかつて金(ゴールド)を求めて男たちが山に向かったように、日本では仕事を求めて上野駅に人々は続々と集まったのです。それは生活をするためという必要性があったからでしょう。次の時代には若者は田舎の人間関係を「うざい」と思い始め、都会で「個の時代」を楽しむようになったのです。ところが今、世の中にはSNSにシェアハウスといったわざわざ自分をディスクローズして、自分と共有、共感できる相手を求める時代となりました。

地方には同じ郷里という完全な一致点があります。これは言葉、文化、風習を含め、SNSがそこにすでに完成していると考えてもよいのではないでしょうか?若者はもはや必ずしも都会の刺激を求めているとは思えないのです。確かに東京には毎日、新たなる店が出来、情報誌や情報番組はそれを取り上げ、人々に刺激を与えています。しかし、私にはそれがもはや刺激にならなくなってきたような気がするのです。それよりも本当に良いものは何か、それが案外「仲間」であることに気がついたのではないでしょうか?

TPPの交渉は依然続きますが、仮に交渉成立となれば農業は明らかに新たなる産業として開花する可能性を秘めています。そして東京や大阪では農業は出来ないともいえるのです。戦略特区の構想は都市はよりインターナショナルにという発想ですが、これは若者を地方に押し戻す力も同時にかかる可能性は否定できません。

日本人の発想は今後10年で再び大きく変革するような気がします。

今日はこのぐらいにしておきましょう。

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ではまた明日。

今、溢れるほどのお金があれば何をするか?4

珍妙なタイトルに私らしくない、と思われるかもしれません。

もしも多くのごく普通の日本人にこの質問をすれば何と答えるのか非常に興味があるのです。
独身の男性ならお気に入りの「自動車」や趣味のグッズ、若い夫婦は「住宅」でしょうか?では、自動車を買ってどうしたいのでしょうか?彼女を乗せてドライブ?それとも表参道で見せつける?
住宅を買う人は引き続き家具やインテリア小物も併せて買う傾向があります。で、ようやく落ち着いた家をどうしたいでしょうか?親せきや友人を呼んでホームパーティー?自分だけの憩いの空間づくり?それとも友達に自慢する?

では、車も家も持っているあなたなら溢れるお金をどうしたいでしょうか?
グルメ、旅行に趣味の消費三昧、寄付という人もいるかもしれませんね。

この質問の意味は物質の所有欲の次に何が来るか、という人間の基本行動を基に経済的影響を考えると日本や世界経済の行方を考える指針になるのではないかという仮説を立ててみたいのです。以前、ある方とこのような話をしていた時、アブラハム・マズローの「欲求段階説」の話ですか、と聞かれ、そうとも言えるし、それともちょっと違うもっと現実的な社会を足し合わせたものと自分では想定しています。

私がもし、溢れるほどのお金があれば、自分が今まで未経験だったり興味を持たなかった世界を覗いてみたいと思います。私には車も家もあります。かといってグルメ三昧になるほどバンクーバーにうまい店があるわけではないし、食事は食べる質と同時に席を囲む人々との雰囲気のバランスが大事だと思っています。それより私が具体的に興味あるのは茶道や歌舞伎などの日本古来の文化、芸能への入門や日本の「城」ももっとみたいと思います。時間があれば世界の古典的な名著をじっくり読んでみたいですね。旅行なら旧満州、ブラジルにポーランドとイスラエル。まぁ、普通の人には興味なさそうなところだと思いますが。

こう考えてみると物質的欲求というのはマズローの5段階の2番目である「安全の欲求」がある程度確保され、次の段階に進んでいるともいえ、私の例も含め、多くの人は3段階目の「社会欲求と愛の欲求」(=所属意識など)や4段階目の「承認の欲求」(所属グループの中で認められる)に向かっているように思えます。つまり、「…自己尊重感、技術や能力の習得、自己信頼感、自立性などを得ることで満たされ、他人からの評価よりも、自分自身の評価が重視される」(ウィキより)となり、それを満たすために補完的に物質が必要になる、ということでしょうか?

例えば美しい桜の写真を撮って友人とシェアしたい、あるいは思い出のアルバムに残したいと思えば、良いカメラが欲しくなるでしょう。もちろんカメラのメカに興味がある人もいるでしょうけどカメラとは基本的に写真を撮りたい人の補完財です。

以前、私は日本の駅前繁華街の絵図はいつか変わる、書かせて頂きました。家電量販店が跋扈する意味がなくなる日が来ると考えています。それはECの普及が今後、もっと当たり前になるからで、人々は買い物に行く時間をエステやスポーツジム、仲間との時間の触れ合い、あるいはスポーツ観戦や美術館や劇など文化に接しながら、同じ興味を持つ人たちとの共有する時間を追い求めていくのではないかと考えています。

秋葉原や池袋のサンシャイン通り、新宿2丁目といった個性的なエリアに集まる人々は明らかに同胞を求めています。これが成熟化した日本の経済を支えていく新たな柱になる気がしています。

とすれば不動産事業を営む私としては10年後、20年後のライフスタイルの変化を見据え、どのような不動産活用が今後の日本に求められるのか創造しなくてはいけなくなります。例えば8年前に完成したバンクーバーの商業不動産事業においてテナントはすべてサービス業にしました。サービスの一部業種はインターネットで代替できないからです。

そして、今、東京では新しいスタイルのシェアハウスを施工中です。不動産を賃貸か所有かという概念から、ライフスタイルの概念において家族、おひとりさま、そして疑似家族のシェアという切り口に変わっていくとみているのです。

お金があれば何をするか、という素朴な疑問から案外、深い考察ができるものですね。私のビジネスはいつもこんな切り口なんです。

今日はこのぐらいにしておきましょう。

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