外から見る日本、見られる日本人

バンクーバーの日本人社長ヒロが仕事、生活を通じて感じた経済、経営、社会、日本人観などを綴っています。

2016年12月

私の今年のつぶやき4

2016年のこのブログもどうにか完走することができました。皆様の応援やコメントに励まされてここまでたどり着きました。ありがとうございます。思い起こせば2007年の3月にブログを復活して以来、ノンストップで書き続けてきました。その間の文字数、ざっくり約660万字は原稿用紙で16500枚にもなります。正に積み上げであります。

今年、ドストエスフキーの1800ページにわたる長編「カラマーゾフの兄弟」を完読したのですが、第1巻で「なぜこの小説が『世界の10大小説』に入るのだろうか?」と思うほど字ずらが頭に入らず、かなり苦しみました。それは宗教や当時のロシアの背景の予備知識が欠如して頭に描けなかったからでしょう。2巻以降はスーッと読めたのはそのあたりが見えてきたからかもしれません。何事も新たなものに挑戦するにはその相手のことを調査しなくてはいけないことを思い起こさせた良い例でしょう。

今年は業務的に多忙を極めた年でありました。春に事務所を引っ越しオーバーヘッドコストをバッサリカットしました。4月からは所有するマリーナについて第三者への運営委託から自社経営に切り替えました。15年所有したマリーナでも自分で経営するとなると全く違う世界だけに一筋縄では行かなかったのですが、今思えば思い切って自社経営に切り替えて本当によかったと思っています。

その中で特に顧客の顔が見えたことが嬉しい点です。自分でなるべくお客様と接触することでコミュニケーションをとり改善点を引き出し、そこに資金を投じ、よりよくしてきました。アセットは磨けばもっと光る、ということでしょう。

駐車場事業では弊社の最大顧客との経営委託契約が終了となり、ビジネスの体質が大きく変わることになりました。その事業のボリュームはそれなりにあっただけに大丈夫か、という心配する声もありましたが、経営資源をどう振り返るか、という発想の切り替えで影響はほとんどゼロで乗り越えました。そのほか、商業不動産事業では一部売却して流動化させる一方、レンタカー事業、日本でのシェアハウス事業などは順調に推移しました。

その中で投資、貸付事業が特に大きく伸びてボリューム的には一番大きな地位となりつつあります。投資先も不動産開発会社のほか各種いろいろで管理も多岐に渡りますが、いつも挑戦がそこにあることで自分に刺激を与えてきたと思います。

ではお前はそんな忙しいのになぜ、ブログを書き続けるのか、と疑問に思う方も多いと思います。答えはインプットとアウトプットであります。ネット時代になり、個人個人に入る情報は膨大なものになります。それを漫然と読み流してしまっては明日になると覚えていないかもしれません。あるいは読み違えて間違って解釈することもあるでしょう。もう一点、メディアは嘘をつくかもしれない、という前提のもと、一つのニュースをいろいろな角度から読み解く、という練習をしてきました。

物事は光を当てる角度によっていろいろな形に見えるものです。正面だけではなく、裏から、逆さから、あるいは透かして見るとか、叩いて中を壊してみるというのも考え方としてはあります。そのように徹底的に自分が納得できる答えを引き出す、そしてそれを文章という形でアウトプットし、書き留めておくことによって記憶に植え付け、私の様々なビジネスの用途に役立てているのです。

私のビジネスは確かに不動産が主流です。しかし、その不動産も所有するだけではなく、運営を伴っていること、その内容は多岐にわたります。投資先ならば上場会社を含め、30社はあるでしょう。特に私の場合資源関係の投資が多く、金(ゴールド)関連は長年手掛けてた投資先です。金についてはそれなりの理解はありますが、なぜ相場が上がったり下がったりするのか、そのタイミングの見極めとなると私も市場参加者だけに後付けの講釈ではなく、為替と株式市場の「裏返し」だという先読みで判断していくことも必要です。

不動産のように長い時間所有し収益を上げるものから相場のように絶妙のタイミングを要するものまであらゆる緊張感の中でもがきながらも形を残していくことが私の使命なのかもしれません。

そしてそれ以上にこのブログを通して皆さんとコミュニケートすることでより高い刺激を頂戴しています。コメント欄を読むのは特に楽しみで私の間違った認識への指摘や反論、批判などは「なるほど、そういう視点もあったか」と実に良い勉強にさせて頂いております。コメンテーターの皆さん、毎日、相当量の書きこみ、本当にありがとうございます。

2017年も引き続きよろしくお願い致します。どうぞ素晴らしい大晦日をお迎えください。

明日1月1日のブログは「2017年展望、世界編」、2日に「日本編」をお送りする予定です。

では今年はこのぐらいで。

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また明日お会いしましょう。

今週のつぶやき4

「今週のつぶやき」は通常、日本時間の土曜日にお届けしていますが、明日12月31日分は「私の今年のつぶやき」を書こうと思っておりますので今週分は繰り上げさせていただきます。

さて、クリスマス明けの最後の一週間、欧米では宗教的な行事であるクリスマスが終わり、年末までは半ばお楽しみ週間となります。私もクリスマス前からレンタカー業務でてんてこ舞い、レストランに行けばラインアップ、ショッピングモールはカナダにこれほど人がいたのか、という混みようであります。

欧米発のニュースも少ないのですが、そんな中、ニューヨークのダウが20000ドルをつけるのかどうか、程射距離内であったにもかかわらず、じりじりするほど膠着し、最後のハードルに到達できません。これを書くNY時間の木曜日も小動きでクリスマス前からの方向感なき状態が続いています。

一方、日本株が木曜日に大きく売られたのは東芝ショックもありますが、どちらかといえば円高に振れた為替であります。東芝は心理的に弱気の極にありますのでいったん下げ止まるとみています。突如の数千億円規模の損失は噂が噂を呼ぶ空想の世界に入っています。あまり下げるとハゲタカに安物買いをさせることになるでしょう。同社の今の時価総額はどう見ても異常だと思います。

年明けの市場は20日のトランプ次期大統領就任演説にかかってくるかと思いますが、年末のこの時期になってケリー国務長官が最後のあがきでイスラエルを苛めているのがむなしく感じます。だからロシアはオバマ政権を嫌い、トルコと共にシリア停戦を決めたのでしょう。最後の最後までオバマさんの外交は冴えないものとなりました。

一方、日本との外交はポジティブでした。

安倍首相のハワイでの慰霊は素直によかったと思います。個人的に安倍首相の4部作であるアメリカ議会演説、戦後70年談話、広島でオバマ大統領の慰霊、そして今回のハワイでの慰霊という作品の完成かと思います。私が「完成」と言う言葉を使うのはこの4部作には安倍首相がオバマ大統領と築き上げた関係が不可欠であったからであります。仮にトランプ次期大統領とハワイで慰霊をしたとしたらやや意味合いが違ったかもしれません。

これは安倍首相がオバマ大統領との長期に渡る様々な外交交渉を経た上での総仕上げでありました。今までの日本の総理大臣がこういう形でアメリカの大統領を送り出すというシーンは記憶にありません。そういう意味でも印象的でありました。

私の印象に強く残ったのはルースベルト大統領の宣戦布告演説の冒頭である 「a date which will live in infamy (悪名高きこの日)」のあの行為は戦時中だったのだから日本の首相が謝罪する必要はないというアメリカ人のコメントが散見できたことでしょうか?カナダの新聞でも兵役経験者のそのようなコメントが印象的に記載されています。過去を許し、未来を考えるという正に安倍首相の唱える関係を日米は築いていると言えそうです。(それにしても、日本の隣国はしつこいですが。)

次に参りましょう。電通です。会社と元上司が書類送検され、石川社長は辞意を表明しました。正直、ここまで話が展開するとは驚きました。個人的には厚労省による懲罰的な意味合いがある気がします。これが電通だけに発せられたメッセージではなく、日本の全てのブラック企業に対する官側の姿勢であり、日本の労働状況を変えていこうというきっかけになるのか、注目したいと思います。

では電通は変われるのか、ですが大変だろうと思います。それは企業文化であり、しみこんだスタイルだったからです。それを全部捨てて、変われというのは文明開化的な大転換を促すものでしょう。経営陣が新ルールを設定するだけではなく、電通本体7200名、連結では47000人余りいるすべての従業員が変わることを要求されています。

人が変わることはそれこそ稲盛和夫氏のような方が体質改善の陣頭指揮をとらなくてはだめかもしれません。仕事のボリュームが減っていないから家に持ち帰っているという記事もありましたが、電通の「盛り過ぎ」に依存体質があるとすれば盛らなければ大したことがない品質なのか、と逆に問われてしまいませんか?

最後に欧州経済の火薬庫、イタリアに目を向けましょう。資産規模で同国第3位のモンテパスキ銀行が自力再建を断念し、公的資金投入となりますが、その金額が膨れ上がってきています。ブルームバーグによれば現在88億ユーロとされますが、イタリア議会が合意しているのは全ての問題銀行救済枠総額で200億ユーロ枠であります。

私の懸念はイタリアには不良債権を抱え込む銀行はいくらでもあり、モンテパスキだけで公的資金の枠の半分近くを使ってしまっては足りなくなる恐れがあるのではないか、という点であります。また、まだ破たんしていない銀行への公的資金注入という点も含め、イタリアと欧州委員会の整合性が取れるのか、波乱含みのような気がします。年明けの展開には要注目かと思います。

2016年も残すところあと2日。あっという間でした。年末のお忙しい中、お読みいただきありがとうございます。
では今日はこのぐらいで。

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また明日お会いしましょう。

年末のこの時期だからこその自己啓発4

いよいよ今年もラストスパートになってきたので一年を振り返ることも多くなりました。その中で自分は満足な一年を送れたのだろうか、と考えると良いところ、出来なかったところ、いろいろ思い浮かびます。私は年初にかなりしっかりした抱負を毎年立てております。ページ数で5枚ぐらい。そこには仕事のことからプライベートな目標まで細かく設定されています。

例えばプライベートならエクササイズの回数や目標タイムから体重の目標とか、読書する本の数やタイプまでかなり広範囲な設定です。こういう縛られた目標を嫌う人は多いでしょう。しかし、私のように小さい時から常にどこまでやるかという範囲設定がないと走りにくい癖がついてしまったのも何かの性であります。

私がよく読むメルマガに鮒谷周史氏の長年続くブログがありますが、彼も目標設定型人間でそれがあってこそ物事は達成できると強く主張しています。これは人の性格の向き不向きはあると思いますが、私ぐらいの歳になると一年は放置すればあっという間に過ぎ去るのです。だからこそ、日々パンチが効いたライフを送るには朝起きてシャワー浴びているときに一年の計画の中で今日の仕事はどうするのか、ということを考えながら気を引き締めるのです。私には更に3年と5年計画もあります。本田健氏の「○○代にしておきたい」シリーズはある意味、10年計画なのですが、人生設計とはそれぐらいのものではないでしょうか?

若い時は刺激となるベンチマークがたくさんあります。幼稚園、小学校、中学校、受験を伴う高校、さらに大学で次に就職が控えます。これらは思い返せば人生を左右するほどの大きな決め事ばかりだったのですが、当時はレールに乗っかっているせいか、いつの間にか次の列車に乗り換えているという感覚だったと思います。

ところが就職が決まると部署替えや勤務先の変化はあれど激変する状況には見舞われないことも多いと思います。(最近では再就職が増えているのでその限りではないかもしれませんが。)極端な話、20代中盤から50代終わりまで一気通貫という人も多いのです。ではその間、人生に十分刺激があったかと思い起こせば人それぞれでしょう。汗をかきたくないという人もいます。

先日、小さな記事にそうだよな、と思わず肯いた記事があります。イチロー選手が愛知県の地元の少年野球大会のあいさつで子供たちに話をした内容です。「少年時代のイチロー選手は後の大記録を思い描いていなかったそうで、『人との比較ではなく、自分の中でちょっとだけ頑張ってみる。続けると思ってもない自分になる』と力説した。」(日経)とあります。

「続ける」というのは何にも勝る最高の効果があります。私が抱負を書き続け、毎日その抱負を頭に描きながら今日の歩みを考えるというもの「続ける」であります。日々の行動は決して思い付きで振り回されることではないのです。だからといって頑なになっているわけでもありません。目標に達成できないのならできない理由があったわけで翌年の抱負にそれを反映すればよいだけなのです。但し、「意識をする」ことが大事かと思います。

もう一つ、頭でわかっていても行動が伴わない人も多くいます。「ずる」をしてしまうからでしょう。やらない理由を自分で決めてしまうのです。それをするなら初めから目標など立てない方がましです。

私が今日、この話題を振ったのは他でもない、あと今年も数日と迫った中、2017年の展望を考えるときがやってきたということを申し上げたかったのです。私は翌年の展望には必ず「成長部分」を加味しています。つまり例年通りとか去年並みはないのです。いつも階段を1歩上がるようにしています。若い時には階段を5段ぐらい飛ばせたと思いますが、今は1歩で十分です。それでも10年続ければ10段です。そう考えるとわずかな進歩でも続けることで大きく飛躍するという意味がお分かりいただけると思います。

イチロー選手はヒットの数や盗塁の数など積み上げの典型であります。日々の切磋琢磨で前人未到の域に達するのです。我々凡人はそこまではもちろんいけませんが、そういう気持ちを持てば健康ではつらつとした新しい年を迎えることができるでしょう。

さぁ、そろそろ抱負を頭に描き始めてみませんか?

では今日はこのぐらいで。

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また明日お会いしましょう。

東芝に落ちた原爆4

第二次世界大戦中、アメリカは敵対するドイツや日本に対抗するため、原爆の開発、製造を早急に行わなくてはいけないと判断し、巨額の資金を投じて「マンハッタン計画」なるものを推進します。この計画によりアメリカは原爆を作り、それを日本に落とすことでその作戦を正当化することになりました。

この「マンハッタン計画」には多くの学者や会社が関与していますが、その中で主たる業務を請け負い、原爆に大きく貢献したのがStone & Webster社であります。この会社は戦時中、原爆を含めた爆弾などを作る会社として一躍有名になります。その後、同社は紆余曲折し、倒産も経て、株主も変わりながらも最終的にアメリカの原発会社、ウエスチングハウスの傘下に収まります。これが僅か1年前の2015年12月であります。

この頃、ウエスチングハウスの親会社である東芝は不正会計問題で揺れに揺れていたころであり、子会社のアメリカ原発会社がStone & Websterを買収する話は陰に隠れてほとんど見えない状態でありました。当時の東芝のIRでウエスチングハウスによるStone &Webster社の買収についてその金額は一切語られていませんが、買収額は2億2900万ドルで当時の為替からすれば275億円程度だったとされます。(12月27日付日経には買収額はゼロドルだったとありますが、私が2015年10月28日付アメリカのWorld Nuclear News をみる限り2億2900万ドルがプロジェクトの達成に応じて2回に分けてCB&Iに支払われることになっています。但し、それが既に払われたかどうかは不明です。)

尚、日経の報道(16年1月5日付)によればうち、買収額のうち105億円をのれんとして計上しています。つまり、ざっくりStone & Websterの純資産価値が170億円程度だったということになります。

今回の最大の問題は買収にはStone & Websterが関与したアメリカと中国の全てのAP1000型の加圧水型原子炉のついて過去、現在、未来のライアビリティ(責任)をウエスチングハウスが全面的に引き受け、顧客にそれを書面で交わしているそのリスクを東芝本体が過小評価か見過ごした可能性が高いと思われます。個人的にはこの取引がカギだったように思えます。

今回、年末のこんな時期に原爆に深く関与したStone & Webster社絡みで突如数千億円から5000億円規模の減損処理を迫られています。正に原爆の会社に原爆を落とされたようなものであります。

ここまでお読みになってお気づきになった方も多いと思いますが、この話、どこか変ではないでしょうか?買収金額275億円、純資産価値170億円程度の会社を子会社のウエスチングハウスが買収しただけでなぜ減損処理に数千億円も要するのか、という点であります。つまり一桁違う損失を抱えているということです。

想像するに買収した時期は不正会計問題で東芝のウエスチングハウスに対するグリップが甘かった時です。Stone & Webster社はそれまでウエスチングハウスと一緒に仕事をしながらも常に費用負担等で訴訟などトラブルを抱えていた一種の犬猿の関係だったようです。それを安い買い物をするがごとく買収することで抱き込んでしまい、味噌も糞も一緒にしてしまったのであります。当然ながら見えない瑕疵、損失も十把ひとからげですから福袋ならぬゴミ袋そのものであったとみてよいのでしょう。

東芝不正会計問題で2016年3月期に長年指摘されたウエスチングハウスののれんの減損処理を2600億円ほど行います。東芝は2006年にウエスチングハウスを5400億円で買収し、うち3300億円がのれんとして残っていました。この「会計処理作業」が出来たのは虎の子、東芝メディカルをキャノンに売却した為に懸案のウエスチングハウスの減損を進める枠が出来たからであります。言い換えれば会計原則と自己資本の余剰部分とのバランスをみながら最適な処理を進めた一種の会計ありきのリストラであります。とにもかくにもウエスチングハウスという臭いものには蓋をしたはずでした。

が、買収から僅か1年しかたたないStone & Websterは充満した臭い匂いで折角の蓋を吹き飛ばした、というのが今回の流れでしょう。ではその具体的中身は何なのか、個人的にはAP1000型原子炉の抱える潜在的問題だろうと思いますが、明らかに背任的要素がどこかにあります。少なくとも買収当時の社長である室町正志氏に火の粉が被らないことはないでしょう。

問題は東芝は生き残れるのか、であります。9月末の自己資本は3600億円。この損失を計上すれば自己資本は吹っ飛びます。ただ本業が好調で今期1500億円程度の利益を見込んでいたことを考えれば債務超過ギリギリのところに踏みとどまるかも知れません。しかし、同社ほどの大企業がそんな綱渡りはできないため、金融支援を要請するのは当然の流れでしょう。報道されているメモリー半導体部門の分社上場化もオプションの一つになるのかもしれません。

第三者的な物言いかもしれませんが、東芝という立派な会社に育て上げてきたのにウエスチングハウスという原発会社の買収でこの会社は解体的出直しを迫られているとすれば同社の買収決断した西田厚聡氏の責任はとてつもなく重く、余りにも多くの負の遺産を残してしまったとしか言いようがありません。結局、アメリカのヤンキーを日本の品行方正な大企業には扱えなかったということなのでしょうか?残念でなりません。

では今日はこのぐらいで。

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自動車のコモデティ化4

バンクーバーでクルマにマニアックな連中はマニュアルトランスミッションを愛している人が結構多いものです。何故、と聞けば「運転する楽しさ」とほぼ100発100中返ってきます。コーナリングでは手前でシフトダウンしてコーナーの先が見えたところでぐっと踏み込んで、加速感を感じながらさっと抜ける、という手と足のギアチェンジプレイは車の運転が大好きな人たちの趣味の領域であります。

クルマが好きな人は何が好きか、といえばスタイル、躍動感、自分の世界…などいろいろ求めるものがあるかと思います。だからこそ、世界の中で様々なメーカーがそれなりに生き残り、ユニークなクルマを生み出しています。1980年代、世界では7つぐらい、日本では3つぐらいの自動車会社しか生き残れない、とされていましたが、日本でそれ以降、なくなった自動車会社はありません。どちらかといえば富士重工やマツダのように個性を売り物にする独自路線でファンを囲い込みました。

2016/17の日本のカー オブ ザ イヤー。下馬評ではプリウスと大激戦になるとも言われながらも富士重工のインプレッサが大賞となりました。中を覗いてみるとプリウスは371点であったのに対してインプレッサは420点と割と点差が出ています。もう一点、見逃してはいけないのは上位10車のうち、日本車はこの二つ以外に8位のホンダフリード、9位の日産セレナだけで残りは欧州勢でした。インプレッサが受賞した理由は歩行者保護エアバックといった「初もの」を含めた安全性能が高く評価されました。

カーオブザイヤーは1980年以来外国の車が受賞したのは後にも先にも一度だけ、2013/14年にVWのゴルフが受賞しています。今後、日本のクルマが何時もカーオブザイヤーに輝くとは言い切れない時代になっていることは確かでしょう。ここには車に対する期待感が大きく変わってきていることもあろうかと思います。

かつては見た目のソアラ(1981年)、MR2(84年)、バブルの象徴であるセルシオ(89年)、ディアマンテ(90年)、不況期の小型車ブームでマーチ(92年)、シビック(95年)、運転者の個性化の象徴としてレガシィ(03年)、ロードスター(05年)、新技術と燃費向上時代にはプリウス(09年)、リーフ(11年)といったそれなりの時代背景が大賞受賞車にはあるように見受けられます。

では自動車が今後どのように発展していくのか、といえばこれは確実に自動運転に向かっています。各社し烈な開発競争に入っていますが、そこに見えるのは楽しいというよりより実質主義になってきたような気がします。

GMボルトの完全自動運転車の試作車が実験を開始するようですが、ミシガンでは雪が自動運転の目であるレーダーの邪魔をするため苦労しているとコメントされています。自動運転車はアメリカが実験しやすい環境があることで一歩有利な気もします。また、グーグルを含むIT関連企業との連合も図りやすいことがあるのでしょう。そうなればまさかのアメ車のカー オブ ザ イヤーが数年後に実現するかも知れません。

産業界の話題に対して盛り下がる人もいるでしょう。車にはロマンがあったのに、と回顧する人々です。私の知り合いにMGのクラッシックカーを10数台近く所有している人がいます。倉庫にいくとBMWの三輪車(しかも前が開く)などもあり、唖然としますが聞けば「全部動くよ」と。(MGに関しては世界一のコレクターと聞いています。)もう一人の私のお客さんのカーマニアは古いアメ車を集めて5-6台持っています。先日は77年のトランザム(スーパーカーもどきです)をゲットしたと喜んでいました。「乗っているの?」と聞けば「Of course!」と嬉しそうに答えます。

自動運転の車になぜ、ドキドキしないのかといえば自分でかわいがる必要がないからであります。勝手に動くモノなんです。(まさにIoTです。)電車やバスのスタイルにこだわる人はそう多くはないでしょう。それと同じでコモディティ化してしまう気がします。

今、日本ではインフラを利用してビジネスが進むようになりました。格安携帯は通信のインフラからの派生です。安い電気代は電気のインフラ利用です。2017年にはガスの自由販売も始まります。それらは人々が見えない資産であるインフラを利用し、安く利用できるという価値を享受しているともいえます。

自動車が仮に自動運転になれば所有目的とは「プライベート移動機」であります。家の前にいるその箱に乗って目的地を指示すれば勝手に連れて行ってくれます。その間、箱は移動するためのディバイスであって愛着を持つかといえば私には疑問であります。

「俺、新しい自動運転移動機買ったけど、君、助手席に乗らない?」といえば「わたし、用事ないから乗らない」と返ってくるでしょう。これではほとんどサマになりません。

自動運転の開発が進めば日本には本当に3つの自動運転移動機メーカーしか残らないかもしれません。(突然全部が全部、自動運転になるわけではないと反論はありましょうが、長い目で見ればその趨勢はかわらないでしょう。)未来は誰もわからないけれど世の中の展開とはそんなものかもしれません。とすればその頃には人々は何にロマンを感じてドキドキするようになるのでしょうか?

私にはこれがどうしても引っかかっていて腑に落ちないのであります。

では今日はこのぐらいで。

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また明日お会いしましょう。

知事のあるべき姿4

2016年ほど「知事」の二文字がマスコミに取り上げられた年はないかもしれません。大騒ぎの2016年「おらが知事」の話題は他県の話題と聞き流すにしてはあまりにも大きなテーマを掲げてくれた気がします。知事の在り方をもう一度考えるときかもしれません。

今年の話題をさらった知事の多くは「争点型」知事であったことでしょう。ある一点について争い、県民の強い支持を取り付け、場合によっては国政との激しい対立すら引き起こしてきました。知事は直接選挙で選ばれるということもあり、国政が無視できない生の声があるのも事実です。この辺りの駆け引きが時として微妙な温度差として表れたとも言えましょう。私の記憶に強く残るのが鹿児島と新潟の原発を争点とした知事選でありました。

しかし、2016年の注目知事はやはり翁長雄志氏と小池百合子氏でしょう。まず、どちらも争点型知事であります。そして一点を深堀し、住民を巻き込み、争点を横に拡大して地盤を強化していくスタイルでしょうか?正直申し上げるとこのやり方が正しいのか、また、長続きするのかわかりません。争点型は小泉元首相の郵政解散選挙で一種の攻略法として注目され、その後、この手法がしばしば分かりやすい手法として浸透したことが挙げられます。

まず、翁長知事ですが、個人的には知事というより反米軍基地派の過激派のように見えてしまいます。もちろん、県民の多くの方は米軍基地問題を沖縄県の不幸の元凶とお考えになっているのかもしれません。しかし、私から見れば沖縄が抱えている問題は経済、雇用、貧困といった米軍基地問題以上に重要な課題を抱えている気がします。

米軍基地問題は沖縄の歴史上重要で住民の悲願であることは違いありません。しかし、喫緊の課題という点で考えるなら経済問題が先でしょう。平均年収は全国で唯一の200万円台、県の財政力指数(=自力で地方財政どこまで賄えるかの指数)はグループIVで0.3程度と全国でもかなり低い水準であります。沖縄の経済は3K(観光、基地、公共事業)とされ、子供の貧困率は全国平均の2倍以上であります。

この経済を立て直し、貧困の子供を減らし、将来に夢を求めやすくするのが知事の仕事であり、知事のリーダーシップではないでしょうか?それにはどうすればよいのか、普通なら国との連携を取ります。しかし、翁長知事は基地問題で自分をごり押しし、一部の強い支持層からの熱い声援で見るべきものを忘れ知事としての大所高所の仕事を「置いてきぼり」にしてしまったのではないでしょうか?

では小池都知事。女性初の知事、トラブル続きの都知事のポストを作り直す、オリンピック問題の争点、自民党との確執、挙句の果てに豊洲の問題などよくもこれだけ争点があるな、という気がします。(いや、争点を生み出しているのかもしれません。)選挙の時には少なくとも他の有力候補とは明らかな違いと期待感があったのですが、私は今、やや後ろに引いて見ています。彼女の場合は敵をどこまで増やす気なのか、という懸念があります。49人の敵がいても51人の味方がいれば勝てる、という数の論理が必ずしも効かないのが知事の仕事ではないでしょうか?

彼女は調整型ではなく、勝ち上がり型タイプですから必ず犠牲者が生まれます。このスタイルは短期戦は行けるのですが、長期戦になると自分の戦力を増強し、より激しい攻防を続けなくてはいけないところに特徴があります。

例えばオリンピック費用負担の問題で東京都を囲む埼玉、千葉、神奈川の各知事が切れまくっていることでしょうか?矛先は東京に向かっているようです。但し、これも純粋に見れば「俺、費用負担の件、聞いていないしそんなの知らない」というのは北米的に見れば「低レベルなたわごと」としか言いようがありません。そんな議論は当然起こりうるべき話でそれを予見し、事前に提起し、文章に落とし込ませるのがプロの交渉人である知事の仕事です。

原発争点の鹿児島、新潟知事についてですが、鹿児島知事は何が何だか分かりません。選挙で反原発を訴えていましたが知事にはそれを止める権限がないことは分かっていたはず。結果として原発は動きます。その間の知事の180度転換について議会での追及には「記憶は定かではない」と述べるなど変節ぶりに毎日新聞は「看過できない」と批判しています。

もうひとつの新潟県知事選も下馬評をあっさり覆し、反原発派の米山隆一氏が「ひょこり」当選します。新潟県の想定外でありました。彼も原発一本勝負。そして柏崎を再稼働させないと強硬な姿勢を示しています。一方、知事としての手腕は未知数、大丈夫なのか、という声もあります。糸魚川の大火の対策でどのような行動を示すのか、そこにまず注目が集まります。

一点、ほぼ確実なのは知事は47都道府県のトップに過ぎないことです。そして一部諸外国の州知事のような強力な権限は持ち合わせていないのであります。つまりヒエラルキー的には国の下にしかなりません。そのような関係の中で知事が行える範囲はありそうでないものです。東京都のように圧倒的な票とボイスがあるような都道府県は特別で仮に小池都知事が地方の県の知事ならばこれほどのことにはならなかったはずです。

そして国側には上から目線でがんじがらめにして苛め抜く陰湿な体質があります。ここで一点突破してもほかで勝てない、あるいは嫌な思いをさせられる、その結果として住民に不自由を強いるとなれば知事の采配とは実に難しいものと言えそうです。

2016年は目立つ知事が多かった気がします。もしかするとしばらくはこの傾向が続くかもしれません。が、目立つことが重要なのか、あたかも住民の声を一手に引き受けているというパフォーマンスが重要なのか、それとももっと実利で動くのか、この辺りの議論は今後もっと出てきてもおかしくないでしょう。

マスコミがたきつけた知事狂騒曲2016年、これが私の強い印象でありました。

では今日はこのぐらいで。

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車内アナウンスのパフォーマンス4

先日、カナダで長距離バスに乗り、席について出発を待つと何のアナウンスもなくいつの間にかバスはスーッと走り出していました。乗車前に切符をチェックしているので乗り間違えなどはありません。必要な情報はシートポケットにはいっています。運転手はマイクこそつけていますが運転に集中していました。唯一、停留所が近くなると最小限のアナウンスだけをします。運転手は手元のデータでどこのバス停で何人乗り降りするかわかっているので客も降りそこなうこともありません。

日本のバスはまるで逆で「本日はご乗車頂き…」という恒例の言葉から始まる長いスピーチがあることが多いのではないでしょうか?

特急や新幹線に乗るとテープの案内のあとに車掌が同様のお礼言葉を述べます。私が耳障りだと思うのは車掌のしゃべりが一様ではないことでしょうか?気を引く喋り方の人もいるし、棒読みの人もいます。マイクの音声が低すぎて何を言っているのかわからないこともしばしばであります。それに電光掲示板があるのになぜ、そこまでしゃべらなくてはいけないのでしょうか?

これが飛行機になると更に苦痛になります。例えばカナダはもともと公用語が二か国ですから英語とフランス語のアナウンスが確実に行われカナダの飛行機で国際線を飛べばその相手国の言葉によるアナウンスも加わり、延々とノイズにつき合わされなくてはいけません。飛行機の安全設備の説明は10中8,9の人が聞いていませんが、CAは義務感満載で意気揚々とその作業をこなします。聞かせるのが義務ならばアナウンスの間は寝てはいけないのか、ということにならないでしょうか?

私はこういうのを役所の規定に基づく「押し付け」とサービスの「押し売り」だと思うのです。

初めて欧州に行った時、長距離列車が発車ベルもなく時間になるとスーッと出発していくのに気が付き、驚愕の思いでしたが、なるほど、発車ベルの意味はむしろあと一歩の人をせかせるわけで悪く言えば事故につながる可能性すらあるといえます。

発車ベルの代わりに横断歩道のようにあと何秒でドアが閉まるというデジタル方式を取り入れる発想はないのでしょうか?例えば山手線のホームドアにデジタルメーターがあってカウントダウンないし、赤黄青のパイロットランプが点灯で知らせてホームドアが閉まる、そして電車のドアも閉まるならば駅は静かになるでしょう。

日本は基本的に音に鈍感な国であります。パチンコ屋の前のがなり立てるようなビートの音楽、その隣には静かなコーヒーショップやすする音が聞こえてくるような蕎麦屋が並ぶとなれば騒音の存在は持ちつ持たれつなのかな、と思います。

ではカナダはそんなに静かなのか、といえば例外があります。それは救急車、消防車、パトカーのサイレンの音。これだけは本当にどうにかしてもらいたいと心底思います。事故があれば大体三点セットで全部来ますから音は3倍。しかもカナダのサイレンはたまらなくうるさい上に夜中でも明け方でも平気でガンガン鳴らして走り抜けます。ではそんなに緊急車両が走るのか、といえば住む場所にもよりますが、私のところは1日数回は確実に悩まされます。

これを都市の音と位置づけてしまえばそれまでですが、人々はそれらのノイズからおさらばしようとイヤフォン越しに音楽で遮断しているようです。通勤電車にのる人々の無表情さは音楽で遮断されて同じ混み合う社内でも違う空間にいることを自己防衛のごとく楽しんでいるのかもしれません。

昔はしんしんと降り積もる雪の音が聞こえてくるような静寂さなどと風流なことを言ったものですが、そんな時代はどこへやら、なのでしょう。

では今日はこのぐらいで。

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