外から見る日本、見られる日本人

バンクーバーの日本人社長ヒロが仕事、生活を通じて感じた経済、経営、社会、日本人観などを綴っています。

2018年12月

2018年 わが身を振り返り…4

2018年も幕を閉じようとしています。小渕さんがテレビの前で差し出したあのシーンがついこの前のように感じる平成の元号も終わりに近づいています。皆様はどのような一年をお過ごしになられたでしょうか?私の一年はきつい登り道を頑張って歩を進めた、という感じです。

実は私のカナダの会社は私がまだ「雇われ」の時代、カナダに赴任する前に設立された経緯がありその後、合併、買収などを経てこの12月が創立30周年であります。そのうち、27年を自分で掌握し、更に14年間は買収後の自分の会社として運営してきました。会社の存続率などということもしばしば出てきますが、どうにかここまでやってきました。

会社の体質もその30年の間にどんどん変わりました。90年代後半には累損300億円規模の債務超過で日本の親会社の決算に影響する大問題会社だったものを財務、会計的な大規模リストラを数年間かけて行ったほか、着実な経営回復路線を辿り、今は関係会社を含め累損を一掃してプラスを積み上げています。

その間、一つひとつの事業をレールに乗せる、無駄を省き、効率経営を行う、といった改善作業をそれぞれの事業ごとに時間差を設け実行してきました。一時期に仕事が集中するのを避けたのです。また事業改革の見直しは3-5年ごとぐらいに行ってきており、すでに改善が数サイクル目に入っている事業もあります。その結果、本体事業の体質改善と効率経営化が十分に進捗したのがこの1-2年であります。忍耐強く、一歩ずつ着実に前に進む、この気持ちを大事にしてきました。

2019年に向けて新規事業は2本予定されています。大きく風呂敷を広げすぎないで自分の目線が届く範囲で事業を拡大するスタンスで行くつもりです。事業を大きくしたいなら買収なり大型投資なりで拡大戦略もあると思いますが、私の性格は多くの従業員を雇って何かやるというより実務家として現場に少しでも多く入り込みながらその事業の本質を探し出すことにより強い興味を持っています。

日本で行っているシェアハウス事業もあるコツをつかんでいるので空きが出てもすぐに埋まりますし、今は部屋数が全然足りない状態にあります。不動産屋から新規開発用の物件も継続的に持ち込まれますが、27歳の時から不動産事業にかかわっている者として見た瞬間に「当たり」「はずれ」は分かるものです。ですので決して飛びつかないのです。

そういう意味ではプロ経営の流儀を私はもっと磨いていかねばならないと思っています。よく「プロ経営者」という言葉が経済紙などで出てきます。経営指標をこねくり回して理論武装しながら経営のかじ取りをとる、というスタイルです。もちろんそれは否定しませんが、私の肌感覚からすると10年前までの流行だとみています。

経営とは経営の基礎知識以外にリーダーの熱意やコミュニケーション能力、想像力であります。流行を追うのではなく、流行を作り出す開拓精神というキラキラしたものであるべきであり、社員に共感をあたえるリーダーです。それが私流のプロ経営です。

イアン ブレマー氏が2019年は過渡期になると述べています。私は18年も十分にそうであったと思っています。過渡期とは何かが大きく変質していくときであります。その時、それまで当たり前だったものが不要となり、新しい何かが求められる時代になります。それが何であるか予見するのが経営者の楽しみであり、布石の一つになります。一方、全てが変わるわけでもなく、普遍的に残るものもあります。メディアに乗せられず、自分で考え、自己判断できるようにする、これが2018年を通じて肝に銘じてきたことであります。

よい一年を過ごした方、苦しい年だった方、皆様いろいろだと思います。しかし、暦というのは実に便利なもので気持ちの切り替えを否が応でも促してくれます。来年もいい年とは限りません。しかし、来年が悪い年とも限りません。どうするかは自分次第です。船を漕いで18年のゴールに到着しましたが、休むことなく19年の海に出ていきます。今日という日はそれぐらい重みのある日だと私は思っています。

今年一年、このブログに遊びに来ていただき、ありがとうございました。そして数々のコメント、ありがとうございます。嬉しく、そして励みになりました。

2019年も続けます。つぶやき続けます。どうぞよろしくお願いします。

皆様よいお年を。

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また明日お会いしましょう。

今年のつぶやき4

2018年の一文字は「災」だったそうですがこの意味は「自然に起こる悪い事」であります。確かに読売新聞の10大ニュースでは2位に「西日本豪雨」6位に「北海道で震度7」、10位に「大型台風襲来、関空が冠水し孤立」と3つもランク入りしています。しかし、今年は自然に起きる悪いことだけではなく、人災に金災、それに私の造語で「政災」もあったのではないかと思います。総じてみればとにかくいろいろありました。

では今年のつぶやきです。

その1 金災 マネーに見る嘆き、「あぁ、あの時に売っていれば…」
9月頃に「恐怖の10月がやってくる!」と思って構えていたらやっぱりと思ったものの月末にはどうにか落ち着きます。「よかったね、耐え忍んだね」という安どの声もつかの間、そこからググっと下がってクリスマス頃には真っ赤なサンタならぬ赤字だらけの株価ボードのプレゼント。(海外では下落が赤、上昇は青です。日本は逆張りが好きなせいか、色もさかさまです!)

下がったのは株だけではなく、ビットコインは3000ドル台で年越しになりそうですが、あの2万ドルをつけた狂乱はどこへ、であります。そんな中、最も痛手を負ったのが中国の株式市場。下落は25%、失った時価総額は255兆円、信用取引は過去ピークの3分の1、投資信託の解約は急増…と目も当てられない状況であります。オリンピック10年目の悲劇と私は何度も言い続けてきました。今年は北京五輪から10年目だったのです。しかし、中国のこの惨劇は来年以降に持ち越しそうです。

世界の為替トレーダーにも知られる「ミセスワタナベ」も最近、鳴りを潜めているようです。渡辺夫人の話ではなく、日本人の個人FX(為替)トレーダーの総称で主婦やサラリーマンの小口取引を指しますが、取引手口が割と皆同じ通貨ペアで同じ方向に走る傾向があることから為替相場に影響力を及ぼすとされます。そのミセスワタナベも日経によると今年は「円一強」で負け越し。「あーあ」という嘆きの声が聞こえてきそうです。

その2 人災 あの人が、えー、この人も… いろいろありました
日大タックル問題に貴乃花親方をめぐる一連の騒動、芸能界ではTOKIOの山口達也氏、小室哲哉氏、吉澤ひとみ氏、そしてある意味、カルロスゴーン氏も人災であります。ここでいう「人災」とは「災難を被った人」という意味で一般でいう人災とは違いますので念のため。

もっと挙げるとビジネス系では仮想通貨流出事件を起こしたコインチェックの和田晃一良クンや1月の成人式に晴れ着がない騒動を起こした「はれのひ」社長の篠崎洋一郎氏といった面々も社会面を大賑わいさせた話として思い起こせます。

こう見ると災いとは魔が差したからこうなるのか、一瞬の隙だったのか、それともいつまでも騙せないのか、はたまたここまで暴かれるのか、というディスクロージャー社会の現実を思い知らされたということでしょうか?とにかく、悪さはまずできません。

監視カメラの時代と言われます。私にもプライバシーがある、なんて昔の話になりつつあるのかもしれません。あと数年もすればあなたがいつどこで何をしているのか、見る人が見れば全部筒抜けになるのかもしれません。これでは「1984年」の作者、ジョージ オーウェルも小説が現実になって、Oh well...って言っているのでしょうか?

その3 政災 民の声はより激しく、それを治める者が強いられる防戦
政治家というのは民の上に立つリーダーであり、その政治家の中からさらに選ばれた人が国家なり、自治体を運営していく責任者として頂点に立ちます。

ところがそのトップに立つ者の判断が芳しくないと実に厳しい治政を強いられます。フランスのマクロン大統領がなぜ、これほど苦戦するのか、これぞ理想と現実のギャップであります。国民は従順ではない、と今さら認識したことでしょう。どんなに優れた政治家でも国民に増税という鞭を打つ者は支持率を奈落の底に突き落とす大反逆があると考えるべきなのでしょう。同じことは年金改革をしたプーチン大統領も全く同じです。

それを横目で見ていたのか、安倍首相は来年の消費税増税に向け一回の鞭に対して飴玉を4つも5つも大奉仕するという配慮を見せています。トランプ大統領も税制改革で支持率はアップしました。こう考えると国民とは現金なもの、ということなのでしょう。

国家元首が選挙民の顔色を見て政治をしなくてはいけないことがより鮮明となれば鞭が打ちにくくなり、よりポピュリズムに走ることになります。これを政治家の災いとせず、なんと申しましょうか?

後記
災いばかりがあった一年ではありません。10大ニュースにはもう一つ「喜」という字を当てはめたくなる素晴らしいスポーツの結果がありました。

1位が「平昌五輪で日本は冬季最多13メダル。フィギュア・羽生結弦は連覇」、4位が「テニス・大坂なおみが全米オープン優勝、四大大会で日本人初」、9位が「大谷翔平、メジャー新人王に」(読売新聞より)であります。

日本人はどちらかと言うと悪い印象が良い印象に勝る傾向があり、トップ10に「災」が3つ、「喜」が3つでも今年の漢字は「災」になります。間違って「喜」を選んだ日には「お前は『気』がふれたか」と言われるのが落ちでしょう。

近年で比較的前向きの「一字」は2013年の「輪」。この年の背景は自民党復活、安倍政権が本格稼働したその年であります。2019年は明るく楽しい「一字」を期待しましょう。

では今日はこのぐらいで。

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また明日お会いしましょう。

今年話題にこの二人 政界編4

世界の政治を見渡すと今年も話題が多かったと思います。年前半の話題を独占したのが北朝鮮をめぐる展開でした。金正恩委員長は中国訪問や韓国の文大統領との会談を経て6月12日にトランプ大統領とシンガポールで会合が開かれました。

今思えば本当に年の前半の話題で終わったといってよいでしょう。年後半はフォローアップ程度の報道程度となってしまったのは結局、北朝鮮と韓国は難しい国だということをアメリカもようやく理解したからでしょうか?トランプ大統領は年明けの1月か2月に2度目の会談をすると言っていますが、実務ベースで何ら進展もない中でトップ会談は無意味のような気もします。

個人的に気になったのがプーチン大統領の落ち目でしょうか?年金改革の不満から支持率は3割台に急落していますが、極東での知事選連敗を含め、「大統領の賞味期限」のような気がします。同じ落ち目はドイツのメルケル首相も同様でついに党首から降り首相も21年任期で終わりにすると発表しています。「終わりの始まり」ともいえるわけで21年までどうやって求心力を保つのか、こちらも苦しい展開が続きそうです。

もっと苦しいのがフランスのマクロン大統領でついに6週連続のデモでクリスマス休暇明けは再び盛り上がるのではないかと予想されています。かつての韓国の朴大統領の時と似た様相で政権を担うどころではありません。

しかしこの上を行くのが英国のメイ首相でまとまらない議会を相手に時間切れが迫る中、どういうスタンスでEU離脱問題の難局を乗り越えていくのでしょうか?

そんな大荒れの世界の政界の中で「今年話題のこの二人、政界編」、ここは順当にトランプ大統領と習近平国家主席の名前をあげたいと思います。

トランプ大統領については今更語る必要もないと思います。一年を通じて常に話題を提供し続けました。「トランプ スタイル」が世界の政治家に与えた影響も大きかったと思います。自国中心主義という一種の「ミーイズム」はイタリアやブラジルの政界や選挙にも大きな影響を与えました。オバマ大統領のG20に代表される「皆で渡れば怖くない」から「この橋に何かしかけていないか」という疑心暗鬼の世界を生んだともいえます。

一方の習近平国家主席。3月の全国人民代表大会で絶対的権力を手に入れたはずなのに、8月の北戴河会議あたりから国内不協和音が聞こえ始め、年後半はトランプ大統領の攻めに対して防戦を強いられました。直近のファーウェイ問題はまだこれからの展開ですから予断を許しません。守りに徹するからこそ、日本に対していらない刺激をしないという意味で安倍首相との会談が行われ、日中関係は雪解けとも言われています。

習国家主席はトランプ氏のように軽はずみな発言をしないし、国家がそのあたりを完全にコントロールしている点において吐露した今の心境など聞くすべもないですが、正直苦しいというのが事実でしょう。12月21日まで開催された経済工作会議では19年に大規模減税、金融緩和などで相当のテコ入れを図ることが決まったようですが、それだけ国内経済の状況が悪いということであります。

もう一人、忘れていないか、と言われそうなのが安倍首相であります。総裁選を乗り切り、いよいよラストスパートに入るわけですが、マラソンで独走するのはいいですが、次の人は誰なのか、ここがちょっと心配であります。首相は難しい案件を年に一つずつこなしていくというイメージがあり、今回は外国人労働者というテーマを形の上では乗り切りました。しかし、いまだ言われるのはアベノミクスの構造改革はどうしたの、という点がおざなりになっています。

憲法改正論議はなかなか進まず、国内経済も1月がプラスなら戦後史上最長の好景気となりますが、国民の実感はどうなのでしょうか?安倍首相は海外でも存在感は示していますが、大国をやり込めるところまでは出来ていません。外から見ているとやや影が薄かった気がします。いや、どの国もあまりに問題を抱えすぎていて大きな問題がなかった日本にむしろ、スポットライトが当たらなかったという方が正解なのかもしれません。

全般に世界の政界は荒れたと思います。それは国民のボイスがより大きくなったという裏返しでもあります。政治家にとって苦しい一年だったのではないでしょうか?

では今日はこのぐらいで。

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今年話題のこの二人、経営者編4

2018年ももうわずか。いろいろ振り返ってみる中でビジネス界で笑った人、苦しんだ人、いろいろいらっしゃいました。どちらかといえば苦しんだ人が多かった、というのが私の印象です。

今年のユニコーン新規上場企業だったメルカリ。事前人気が高かったにもかかわらず、業績の改善が進まず、株価は下落の一途。社長の山田進太郎氏の心境や如何に、であります。話題を振りまいたという意味ではZOZOの前澤友作氏でしょうか?日本を代表する富豪の一人となり、次に発案したのがゾゾスーツ。しかし、これは話題先行、実情は厳しいようですがご本人は強気の姿勢を崩さず、9月には民間人初となる月旅行に行くと宣言。そんな金があるなら他に使え、という大衆の声は意に介さず、というところでした。

同じ、新興企業組で苦しんだのがRIZAPの瀬戸健社長。イケイケどんどんで買収した企業群はおもちゃ箱と揶揄され、挙句の果てにM&Aを当面凍結することで同社の利益計上テクニックが使えなくなると分かるやいなや株価は大暴落となりました。

大企業ではLIXILの瀬戸欣也社長に対して創業家の潮田洋一郎CEOが「ご苦労さん」を突き付けたのが印象的でした。これは解任された瀬戸氏というより藤森義明氏に次いで二人のプロ経営者をさっさと切った潮田独裁体制の始まり、と見るべきでしょう。東芝も今年、話題の企業でしたが経営者という意味で顔が全く浮かび上がらなかったのが私の印象でした。

海外ではGEのジョン フラナリー社長の解任が劇的でした。問題が膨れ上がった元世界最大企業の立て直しは1年2カ月の在任期間中、リストラが十分に進まず、株価が落ち込み、ダウ採用銘柄からも落ちるなど不名誉そのものだったことで突然首を切られました。トーマス エジソンの祟りでしょうか?

そして忘れてはならないのがカルロス ゴーン氏でありますが、氏の場合は「金の亡者」で話題の経営者という範疇とは違いました。全般的には企業経営者は苦しい一年だった、というイメージなのでしょうか?

その中で私はあえて、ビジネス界、今年の話題の2名は日本からは孫正義氏、海外からはイーロン マスク氏を苦しんだ経営者の筆頭にあげさせてもらいたいと思います。

孫氏の計画が狂ったのはカショギ氏殺害事件が発端でありました。あの事件が起き、日本ではまだ話題になっていない10月13日にこのブログで孫氏は大丈夫か、という趣旨のことを書かせていただきました。その後の経緯は皆さん既知の通りであります。そして二つ目の苦労が大規模通信障害でありました。さらに追い打ちをかけたのが異論もあったソフトバンクの通信事業部門の上場であります。確かにこの上場での勝者は孫氏と言われてますが、個人投資家の犠牲の上に成り立った資金調達と言われてしまえば孫氏はもっと禿げ上がるかもしれません。

孫氏の経営ポジションは実業家というより投資家により近くなってきています。孫氏にとってソフトバンクは「この稼ぎが投資の拠り所」という位置づけだったものを自立、卒業させたという意味でご本人にとって一大決心であったはずです。

孫氏の後継者問題が時々俎上に上がりますが、孫氏は投資プランごとにその役割をばらまく手段を取り始めたように思います。つまり、孫氏がかかわる一部の事業では「禅譲」しながらも新たな事業は自分で進めるという独特のスタイルを築いているとみています。これが正しいならば賢いやり方だと思います。

海外からはイーロン マスク氏を上げたいと思います。この方が今年の春から夏にかいた汗は冷や汗そのものだったと思います。モデル3の生産計画は大幅にずれ込み、自動化する生産ラインはトラブル続きで人海戦術をとります。市場のみならず、一般大衆からも会社は維持できるのか、といったネガティブなコメントやバッシングを受け続けます。マスク氏も不用意な非上場化発言などで世間を騒がすものの私が彼を冷ややかに見ない理由は一日16時間、会社に泊まり込んで対応しようとした情熱であります。つまり誰が何と言っても頑張ったのであります。

事実、その努力は実ります。6月末には週5,000台の当初目標をクリアし、その後、増産体制が整い、キャッシュフローも大きくプラス転換しています。

私がマスク氏をこき下ろさないもう一つはスペースXの順調な展開、および大深度を使った移動システムをいつの間にか着実に進めていたということであります。つまり、アメリカはこれほどファンキーな経営者でもその恐るべき才能は見て取り、その才能を余すところなく活用していると言ってもよいでしょう。日本ならバッシングされて終わっています。

孫正義氏、イーロンマスク氏、両名とも倒れそうになるほど苦しい年だったと思います。が、今のところ、まだ踏ん張れるでしょう。マスク氏は年明けにもスペースXがNASAと組んだ発射が予定されています。いつまでも逆境ではない、この二人を思い浮かべればどんな苦労も乗り越えられる気がします。

明日土曜日はいつもの「今週のつぶやき」に代わり「今年話題のこの二人、政界編」をお届けし、日曜日に「今年のつぶやき」をお届けします。

では今日はこのぐらいで。

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国際捕鯨委員会からの脱退に思うこと4

日本政府は国際捕鯨委員会(IWC)からの脱退を決定しました。同委員会に於ける捕鯨の考え方について日本側と全くそぐわないことからこれ以上、この団体に所属していてもしようがないという結論に達したようです。本件、皆様、それぞれに思うことがあるでしょう。議論百出だと思います。

まずはいきさつ等について簡単に触れておきます。

国際捕鯨員会はクジラ資源の管理を目的に1948年に主要捕鯨国15カ国で設立されました。当初は南極での捕獲高規制以外は何もなかったのですが、1960年以降、一部の捕鯨国が反捕鯨化に転換します。理由は採算が合わないこと、動物愛護、環境保護などで英米、オランダ、オーストラリアがその先陣となっています。その後、70年代に入ると捕鯨国と反捕鯨国の対立が激化、反捕鯨国の多数化工作で1982年に捕鯨モラトリアムが可決されます。これにより商業捕鯨禁止の道筋ができ、IWCでは賛成が4分の3がないとこれを覆せないため、日本の捕鯨は調査捕鯨を別にして実質封じられてきました。

一方、日本に於ける捕鯨の歴史は縄文時代に始まるとされるほど古く、海洋国家日本は鯨と共生してきたと言ってもよいでしょう。この歴史は戦後直後、別の形で多くの国民に接することになります。それは敗戦後の日本の食糧事情が悪く、鯨肉は貴重なたんぱく源だったことからGHQが捕鯨を承認するのです。当時、日本人は動物性たんぱく質の4割をクジラに頼ったのです。

ところが鯨肉は必ずしも旨い、という印象を持っていない方もいるでしょう。(クジラ肉が好きな方には異論があるのは分かっていますが、あくまでも一般的印象です。)小学校の給食で鯨肉が出た記憶がある方は今50代半ばから上だと思います。私も食べましたがとても嫌いでした。とにかく堅い肉だったこと、パサついていたことなどを覚えています。当時の給食ですからそんなに作り立てのうまいものが出てくるわけではなかったこともあるでしょう。

ただ、私の味覚がそれほど狂っていなかったと思われるのはその後、鯨肉の消費は大きく下落するのです。1960年代前半は年20万トン以上の消費があったのに1980年には5万トンを割る水準になっています。つまり、上記でいう1982年のモラトリアムの前に既に日本では鯨肉は主流ではなくなっていたのであります。そして、商業捕鯨禁止後は年間数千トン程度で推移しています。

80年代にはすでに鯨肉が一般家庭の食卓から消えているわけですから今、30代以下の人は食べたことすらない人がほとんどではないでしょうか?

そんな中、国際捕鯨委員会からの脱退を決意、それに関して菅官房長官の談話として「来年から商業捕鯨を再開すること、IWCが反捕鯨ありきの団体となり、発展的討議が出来ないことを鑑み、脱退することとした」(意訳)としています。

ではなぜ、ここにきて脱退に至ったのか、政治的背景とみる節はあります。つまり、和歌山太地町を地盤にする二階幹事長、下関を出身とする安倍首相、千葉の捕鯨拠点を持つ浜田靖一捕鯨対策委員長といった捕鯨に縁がある政治家が後押ししたとみられています。

これを矢面で進めたのが水産庁でそれに対して穏健な解決方法を探る外務省と激しく対立したものの水産庁が押し切った形となっています。

さて、では日本は何をしたかったのか、私はここがよくわからないのです。確かにニュースを読む限りIWCのスタンスは一方的に見えます。しかし、日本がIWCを脱退してまで商業捕鯨に固執する理由もどこまであったのか、これも分からないのです。食道楽の日本ですからきっとうまい料理の仕方を考えるのでしょう。しかし、今だって鯨肉専門の料理店はあります。それが大行列だという話は聞いたことがありません。要は珍味に近いものになっているのではないかと思います。

私は以前、国際委員会等からの脱退は負け戦という趣旨のことをこのブログで書かせて頂きました。脱退とは議論を止める、そして国際社会との協調を放棄するということであります。アメリカがパリ条約を脱退するのと同じ。その時安倍首相は残念だとコメントしました。もちろん、脱退することで突然、嫌がらせがあるかどうかは分かりません。しかし、関係国には強烈な印象として焼き付けることになるでしょう。

今年の平昌オリンピックのころ、韓国で犬を食べる習慣があることに一部の世界から強い抗議の声が上がりました。同国内でも賛否両論のようですが、日本人もさすが気持ちいい話ではないでしょう。中国ではかつて奇妙なものを食べる美食家クラブなるものがあり、あり得ないものを相当食していたことが暴かれたことがあります。私は香港に勤務していたある日本人から聞いたのですが、生きたサルの脳みそを食べるというのもあったそうで、文明国として強い拒否感を持ったのを覚えています。

つまり、どの国にもあまり自慢できない歴史はあるわけでその歴史を維持する国家と昔話として歴史の中に仕舞う国家があるのだろうと思います。日本は捕鯨の歴史と鯨肉という食を伝えたいという文化を持っています。但し、文化が国民社会一般に商業レベルで水平展開されるものでもないと考えます。

ならば、ここは国際捕鯨員会からの脱退ではなく、文化、歴史、伝統の維持というレベルの捕鯨に対する理解を求めていく方が良かったのではないかと考えています。消費量としては今の調査捕鯨の余り肉でも国民の大多数は困っていないでしょう。

皆様、様々な意見があるかと思います。脱退することを捕鯨の話とは切り離し、国際社会に日本の立場を明確に示したという意見もあるかもしれません。ただ、こう言ってはお怒りを買うかもしれませんが、捕鯨を通じた国際社会との断絶は日本の今後の水産事業に大きな試練を与えることになることは否定しません。マグロを含む遠洋漁業に対しても世界の目は厳しくなるでしょう。私はこれは逆効果だったと感じています。

忌憚ない意見、お待ちしております。

では今日はこのぐらいで。

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なぜ「昔はよかった」のだろうか?4

26日の日経にエコノミスト誌からの転載で「懐古主義が台頭する意味」という長文の寄稿があります。要は世界各地で昔を懐かしみ、その時を取り戻そうという動きがあるがそれはなぜだろうか、というものです。

なぜ我々は昔のように楽しく気楽な時代から離別し、新参者の移民や外国人労働者と接し、高い税や社会保険料を払い、ハラスメントに気を付けなくてはいけないのだ、自分は何も悪いことをしていないのに…ということでありましょうか。

記事によるとその意味とは「ノスタルジアは今の激動の時代には、悲観主義者にも楽観主義者にも船のアンカーのようなある種の安らぎを与える」ものであり、「こうした時代に人々は安心と自尊心を再確認しようとノスタルジアに吸い寄せられる」とあります。一方で、「抗議活動を繰り広げる人々は、(中略)抵抗で改革が停滞すれば、落ちぶれていくとの感覚は強まる可能性がある。しかもノスタルジアに浸る人々が求める自尊心は、往々にして排外主義をあおる」とその危険性も指摘しています。

読み応えのある記事だと思います。

どんな方もふと昔のもっとシンプルな時代を思い起こすことはあるかと思います。「あの頃は楽しかったよなぁ」であります。社会のルールも規範も今ほどうるさくなくて、賢い人もヤンキーもみんなもっとストレートだったと思います。しかし、世の中が複雑怪奇になり、グローバル化が進み、好む、好まざるにかかわらず社会が勝手に進化し、自分も変わらなくてはいけないというプレッシャーをもらうことになります。

その中で10人が10人、皆、社会の変化についていければよいですが、必ず落ちこぼれはいるものです。やれ国際化だ、情報化だ、ITにAIだ、コンプライアンスにキャッシュレス、あとLGBTもあるぞ、とくれば「はぁ、そして次は何?」となるでしょう。いわゆる「2対6対2の法則」に当てはめれば怒涛の変化に対して2割は先を走り、6割はついていき、2割が落第することになります。

日本のように高齢化社会が進んでいるとひょっとすると「2対4対4」ぐらいの感覚かもしれません。世界でも人々が声を上げ、デモを行い、シュプレッヒコールをするのは「もう、俺はついていけないよ」という「ムンクの叫び」そのものではないでしょうか?

この2割なり4割の「脱落者」は学校の試験であれば点数という明白なもので判断されますが、一般社会においてそれに及第しているのかどうかは分かりません。分らないがゆえにボーダーラインの人たちは悩みを抱えます。それがストレスになり、その発散のために奇妙な行動に転嫁する人もあります。日本における社会面を飾る数多くの馬鹿々々しい事件からほぼ理由なき殺人事件までその動機は薄弱でやってから「しまった!」と気が付くケースも多いように感じます。

あるいは高齢者が引きこもりのごとく家から出ず、孤独死するケースも多いですが、外とのやり取りに恐怖を感じている人もいるのでしょう。

私は確かにいまだにいろいろなものに興味もあり、調べる熱意もあり、行動する力もあります。ですが、昔とは明らかにその動きは変わってきています。かつてはもっと無謀だったし、アグレッシブでギラギラしたものがありました。が、今は社会の変化の切り口があまりにも多く、防戦状態と言ってもよいでしょう。ある分野でリードするにはかつての10倍も100倍ものエネルギーを要するのです。

自分が変わったなと感じるのは食べ物の嗜好にも出てきます。何か新しいものを求め続けていたあの時代から普通の居酒屋で焼き魚がうまいと感じるようになるのです。おにぎりが食べたいって真剣に思うのです。(海外でおにぎりは案外食べられないのです。)

では止まらない社会の変化にどう対応したらよいのでしょうか?私は「ケセラセラ(=なるようになるさ)」でいいのだろうと思います。分からなければ聞く、それで恥ずかしいと思うとストレスになるので「あぁ、親切な人に当たってよかった」と思うぐらいの感覚でいいのです。

変わる社会を阻止するのは果たして誰のためなのだろうか、と考えた時、自分たち、変われない世代の自我な抵抗ではないか、と思えば若い世代にはその変化を必要としているのだ、と考え直し、じゃぁ、その時は助けてくれよ、と気楽になるほうが少なくとも私の精神衛生上はより健康的な気がします。

では今日はこのぐらいで。

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株式市場の弱気はトランプのみにあらず4

それにしても目を覆いたくなるほどの惨状、と言ってもよいのが株式市場であります。これを書いている24日のNY市場は今日も変わらず600ドル以上下げており、ここまでくると「またか」という反応しか出てきません。特に今日は市場参加者が極めて限られるため相場は一方通行になりやすく、これを受ける東京市場も大荒れの展開が予想されます。

この状況を引き出したのは直接的にはトランプ大統領なのかもしれませんが、私はもともとピーク感があった北米景気に大統領がいらぬ細工をしようとしていることがそもそもの発端、と思っております。つまり、ボトムラインでは誰が大統領であれ、この弱気相場は避けれらなかったのかと思います。

私の会社が入居しているシェアオフィス。30社ほど入っていますが、その中でよく話をする一人が「ビジネスはどうだい?」というので「エキサイトするほどではないけれど安定しているよ」と答えると「お前のところぐらいだよ、ここにいるどの人も落ち込んでいると嘆いているよ」と。

今、私は事業用不動産を探しており、ある不動産屋とやり取りしているのですが、やけに丁寧でフォローアップもしっかりしています。この前会った時も「今不動産を買う人はいないからね。値引き交渉、かなり行けると思うよ」と食らいついたすっぽんのように年中連絡をよこします。

何故、今になって急カーブを描くように状況が変わったのか、私が思うところ、巷に言われる様々な理由以外に労働力と賃金に原因がある可能性を考えています。

北米の労働市場がひっ迫していることはすでにご承知と思います。特に専門分野の人材となると全くいない、と言ってもよい状況にあります。そこで起きるのは他社からの引き抜きを含めた人件費の上昇であります。おまけにアメリカ、カナダの各州が定める最低賃金もどんどん上昇しているため、労働力に左右される業種の価格は否が応でも引き上げられていきます。これに消費者がついていけなくなったことは否めない事実かと思います。

例えばバンクーバーの不動産がなぜ高い、といえば建設ラッシュで工事の監督や作業員の人件費が暴騰しているためであります。多くのアナリストは不動産需要があるから、と分析しているのですが、それ以外に、供給側の事情により価格が上昇、中古物件の価格もこれに引きずられ全般的に高くなった要因がもっと大きい、というのが私の見方です。政府は高くなった住宅をどうにかしなくてはいけない、と言いますが、雇用政策や工事の安全対策のルールをより厳しくしてきたわけで自分で自分の首を絞めたともいえるわけです。

英国とトルコで日本企業が受注していた原子力発電所事業が暗礁に乗り上げていますが、これもかつてはなかった安全対策費などで建設コストが暴騰したとされます。オリンピックをどの国もなぜ誘致したがらないか、といえば当初見積もりに対して10倍になっても不思議ではない安全対策費用が問題なのです。

言い換えれば労働集約型の業種(建設、飲食、ガードマン、運転手など)は何でも高くなりすぎて個人消費者や企業がすくむ状態になっている、というのが私の注目点です。

ただ日本はエアポケットのように物価が上がらない国なので私の書いているこの意味もなかなか実感として伝わらないかもしれません。

では冒頭の下落する株式市場とどう関連付けるのか、ですが、結局アメリカの株式市場は様々なコストが上昇する中、消費者の背伸びがもう限界になった状態のバブル現象だったとみています。そこに金利上昇で人手不足とくれば泣きっ面に蜂であります。そのバブリ具合の尺度は難しいところですが、それが剥がれ落ちるまで調整が進む可能性は否定しません。

ただ、このところの下げ幅は尋常ではないのでどこかで反騰するとは思いますが、小手先の対策ではなく、抜本的なところで何かやらないと無理だと思います。一番良いのはパウエル議長が市場寄りの声明を出す、そしてトランプ大統領の議長信任への懸念を一旦払しょくすることでしょう。こんなクリスマスプレゼントは期待薄なのは勿論、わかっていますが。

では今日はこのぐらいで。皆様、メリークリスマス!

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