東芝が絶体絶命の窮地に立っています。昨日のようなドタバタは以前にも何度か経験済みですが緊迫度は以前以上に増しています。そしてそこで発表された数字は会計士が承認していない「東芝の希望的推測」であり、なんら担保されていません。東芝問題は今後、延期した決算発表、財務制限条項に絡む銀行団との交渉状況、更に新たに発覚した内部通告によるウエスチングハウスの不適切な圧力の究明を進め、虎の子、半導体部門の売却とその比率が話題になることでしょう。
ここまでくると現時点では今後、何が起きるかわからないのでこれ以上の詳述は避け、視点を変えて根源の問題を考えてみたいと思います。
東芝が陥った原発関連の巨額損失に絡み、日経のコメンテーターが「東芝に必要なのは『第2のゴーン氏』だ」という記事を発信しています。 (コメンテーターという肩書は記者とは違う第三者的な感じでセンスがない気がしますが)
その記事のポイントは就任して8カ月の綱川智社長が今回の巨額損失を知ったのが昨年12月だったという点で社長に情報が伝わっていなかったことが問題を大きくしているのではないかと論じています。
今更そんなことを言わなくても経済系ドラマや小説で社長に情報がミラーで届かないのは日本の「お家芸」でありますが、日本を代表する企業の一連の不祥事で果たして社長の情報管理は変わるのでしょうか?
会長秘書をしていた私の経歴も含め、情報はなぜ社長に上がらないのか、を考えてみたいと思います。
まず、社長によりいくつかのタイプがあります。
1. お任せタイプ これは副社長以下の役員に部門ごとの責任を任せ、社長が鵜飼のごとくふるまうケース。
2. 副社長以下の管理者にうまく乗せられているタイプ 役員が「社長」「社長」といって持ち上げ、良いことだけしか報告しない役員に「そうか!よくやった」と性善説を信じるケース
3. 各部署に乗り込んで問題の急所を自分でつかむタイプ 基本的に役員の言うことを完全には信じておらず、自分の目で確かめるタイプ
細かく分ければいくらでも分類できるのですが、要は性善説と性悪説のどちら側に立つかではないかと思います。(秘書や社長側近が情報を上に上げるのを「社内政治的配慮」から保留することもよくあります。)その中で私の実感としては2番の乗せられるケース、部下の方から見れば「都合悪いことは報告しない、ないし、改善案ができてから報告するタイプ」が圧倒的に多いと思います。また、これは社長と部下の関係だけではなく、すべての上司と部下の関係に言えるケースであります。東芝のケースもこれに当てはまると思います。
なぜ、上司に不都合なことが報告できないのでしょか?上司の叱責と査定に響くからです。ではなぜ、叱責に甘んじなくてはいけないのか、といえば「なんで俺がこの役なんだ、このプロジェクトはもとから無理がありすぎるんだ」という怨嗟の声が聞こえて来ないでしょうか?
今回の東芝のケースは全然名前が聞こえてこなくなったのですが、室町正志前社長が15年12月に買収を決めた案件です。私から見れば買収して担当にさせられた社員からすれば「こんなもの、はじめから間違っている」とパンドラの箱にしたかったのでしょう。だから責任の所在が不明瞭になってしまったのだろうと察します。
テレビドラマでもお分かりの通り、日本の役員会は独特の雰囲気があります。派閥があり、自分の昇進を念頭に置き、事業より自分のメリットを考えることもあるでしょう。正に政治力の場です。日経の記事は「ゴーン流のぶっ壊せ」を一つの手法としていますが、日本のすべての会社が「ぶっ壊れる」わけにもいきません。ではほかにどういう改善方法があるのでしょうか?
わたしなら社長直属の第三者機関で各部門を分析するアナリストを擁したらどうかと思います。ご承知の通り、企業はアナリストに会社の現状を穴が開くほど査定され、通信簿がつきます。もちろん、アナリストの質も千差万別ですが、第三者目線で徹底的に数字を分析し、それを社長が直接報告を受け、事業の査定の助けにするという手段はとれると思います。
私なら特にそのアナリストは日本人のみならず、経営センスがわかる外国人も登用してみたいと思います。日本にアナリストの人材が不足しているのもありますし、妙に功名心が強いアナリストもいるのでより専門的で公平な分析ができる人材を外に求めるのがよい気がします。
日経の記事からは「無知の社長」や「プロ経営者」でうまく乗り切ったケースもあると考えるようですが、それら選択肢はやはり主流でないでしょう。それならば普通に社長になる人に「経営の武器」を渡す方が裸一貫でやるより現代的だと思います。
世の中これだけ進歩したのに社長の経営術はさっぱり進化していないのはある意味、七不思議とも言えるかもしれません。東芝問題をきっかけに日本の経営が変わるのでしょうか?今我々が直面しているのは一企業だけの問題ではないように感じます。
では今日はこのぐらいで。
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また明日お会いしましょう。
ここまでくると現時点では今後、何が起きるかわからないのでこれ以上の詳述は避け、視点を変えて根源の問題を考えてみたいと思います。
東芝が陥った原発関連の巨額損失に絡み、日経のコメンテーターが「東芝に必要なのは『第2のゴーン氏』だ」という記事を発信しています。 (コメンテーターという肩書は記者とは違う第三者的な感じでセンスがない気がしますが)
その記事のポイントは就任して8カ月の綱川智社長が今回の巨額損失を知ったのが昨年12月だったという点で社長に情報が伝わっていなかったことが問題を大きくしているのではないかと論じています。
今更そんなことを言わなくても経済系ドラマや小説で社長に情報がミラーで届かないのは日本の「お家芸」でありますが、日本を代表する企業の一連の不祥事で果たして社長の情報管理は変わるのでしょうか?
会長秘書をしていた私の経歴も含め、情報はなぜ社長に上がらないのか、を考えてみたいと思います。
まず、社長によりいくつかのタイプがあります。
1. お任せタイプ これは副社長以下の役員に部門ごとの責任を任せ、社長が鵜飼のごとくふるまうケース。
2. 副社長以下の管理者にうまく乗せられているタイプ 役員が「社長」「社長」といって持ち上げ、良いことだけしか報告しない役員に「そうか!よくやった」と性善説を信じるケース
3. 各部署に乗り込んで問題の急所を自分でつかむタイプ 基本的に役員の言うことを完全には信じておらず、自分の目で確かめるタイプ
細かく分ければいくらでも分類できるのですが、要は性善説と性悪説のどちら側に立つかではないかと思います。(秘書や社長側近が情報を上に上げるのを「社内政治的配慮」から保留することもよくあります。)その中で私の実感としては2番の乗せられるケース、部下の方から見れば「都合悪いことは報告しない、ないし、改善案ができてから報告するタイプ」が圧倒的に多いと思います。また、これは社長と部下の関係だけではなく、すべての上司と部下の関係に言えるケースであります。東芝のケースもこれに当てはまると思います。
なぜ、上司に不都合なことが報告できないのでしょか?上司の叱責と査定に響くからです。ではなぜ、叱責に甘んじなくてはいけないのか、といえば「なんで俺がこの役なんだ、このプロジェクトはもとから無理がありすぎるんだ」という怨嗟の声が聞こえて来ないでしょうか?
今回の東芝のケースは全然名前が聞こえてこなくなったのですが、室町正志前社長が15年12月に買収を決めた案件です。私から見れば買収して担当にさせられた社員からすれば「こんなもの、はじめから間違っている」とパンドラの箱にしたかったのでしょう。だから責任の所在が不明瞭になってしまったのだろうと察します。
テレビドラマでもお分かりの通り、日本の役員会は独特の雰囲気があります。派閥があり、自分の昇進を念頭に置き、事業より自分のメリットを考えることもあるでしょう。正に政治力の場です。日経の記事は「ゴーン流のぶっ壊せ」を一つの手法としていますが、日本のすべての会社が「ぶっ壊れる」わけにもいきません。ではほかにどういう改善方法があるのでしょうか?
わたしなら社長直属の第三者機関で各部門を分析するアナリストを擁したらどうかと思います。ご承知の通り、企業はアナリストに会社の現状を穴が開くほど査定され、通信簿がつきます。もちろん、アナリストの質も千差万別ですが、第三者目線で徹底的に数字を分析し、それを社長が直接報告を受け、事業の査定の助けにするという手段はとれると思います。
私なら特にそのアナリストは日本人のみならず、経営センスがわかる外国人も登用してみたいと思います。日本にアナリストの人材が不足しているのもありますし、妙に功名心が強いアナリストもいるのでより専門的で公平な分析ができる人材を外に求めるのがよい気がします。
日経の記事からは「無知の社長」や「プロ経営者」でうまく乗り切ったケースもあると考えるようですが、それら選択肢はやはり主流でないでしょう。それならば普通に社長になる人に「経営の武器」を渡す方が裸一貫でやるより現代的だと思います。
世の中これだけ進歩したのに社長の経営術はさっぱり進化していないのはある意味、七不思議とも言えるかもしれません。東芝問題をきっかけに日本の経営が変わるのでしょうか?今我々が直面しているのは一企業だけの問題ではないように感じます。
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私は今「司馬遼太郎著、八人との対話」を読んでますが、その冒頭の相手がが山本七平氏です。(かなり古い本です)
対話の題は「日本人とリアリズム」ですが、内容は戦時中の軍隊の組織、役割と専門性に関して様々なことが書かれてます。司馬遼太郎氏は時あるごとに、満州事変から大東亜戦争にかけて「日本は日本でなかった、異常であった・」と述べてます。この対談の中はその軍隊生活あります。兵学校上がりの将校、学生上がりの予備将校などが混じり合い、リアリズムを無視したファナティックな軍組織の有様が書かれてます。
現在風に言いますと、プラグマティズムの欠片もなく、Practicalな面ではなく、情緒的な側面やら伝統的手法が縦糸と横糸で繋がっている感じです。今の企業はコーポレート・ガバナンス、コンプライアンス、サスティナビリティーとか、横文字並べれば終わってますが・・・司馬さんが言っているような総合的な軍の組織革命と近代兵器の融合が「バラバラ」といった感じでしょう。「たられば」の世界で上層部は考えていたのでしょう。
これは福島の原発事故の発生とその後の処理も同じです。経産省の官僚と「なあなあ」で作り上げたのだと思います。