1999年6月、倒産の瀬戸際だった日産自動車にカルロスゴーン氏が送り込まれました。近年の日本の大企業経営では確実に歴史に残る荒技をやってのけました。特に日産自動車の場合、その組合にアキレス腱があったとされましたが、ゴーン氏就任とともに会社が生まれ変わるような事態となりました。

同じ組合問題を抱えていた日本航空も稲盛和夫氏がトップに就いてから大きく変わったように企業再生とは数々の経営手法や戦略も大事ですが、人がどこまで変われるか、これが大きかったのだろうと思います。組合に胡坐をかいていた時代とは労使の不協和音が背景にあったと思います。しかし、組合側のボイスが大きくなれば「ではどうぞ、会社を畳みますから」という強気の経営側の姿勢は想定外だったともいえるでしょう。これは近代日本の経営の大きな転換点でもあったと思います。

さて、カルロスゴーン氏については厳しい評価をする人も多いようです。ルノーに資金を持って行ってしまうとかゴーン氏の報酬は日産から出ているなど金目の批判があることは事実です。ですが、個人的には日産が作り出した儲け、あるいは相乗効果を考えればそれは脇に置いておいてもよいと考えます。

同様に厳しい評価がある孫正義氏への批判も最近の加速度的パワーアップを見るとどちらかというと「ひがみ」に聞こえてきます。言い換えればゴーン氏や孫氏のような圧倒的経営は日本人ではなかなかできないとも言えるのでしょう。

さて私が今回のゴーン氏の退任で注目しているのは時々話題になる「後継者探し」とスムーズな引き継ぎであります。いわゆるカリスマ経営者が主導する企業はそのバトンタッチほど難しいものはないと思います。ソニーが創造性豊かな製品不足に苦しんだのもホンダが「らしさ」を失ったと言われたのもパナソニックがマネシタと囁かれたのも創業者の色が濃すぎてそれを乗り越えられる経営者が簡単に育たず、日本型企業としての再出発をするのに時間かかったということかと思います。

カリスマ経営者のいた企業の反動とは社員が考える癖を忘れていることです。よって企業らしさを取り返すのに時間がかかるのが一般的です。私もカリスマ経営者の元で秘書をしていましたがその際、トップから「うちの社員は役員を含め誰も考えない」と嘆き続けていました。克明なる事実だけを報告し、最終判断はトップに仰ぐ癖ができているのです。この場合、現状把握は優れていてもそれをどう展開するべきか、どうやれば引退したカリスマ経営者と同じ道を歩めることができるか、経営判断に苦しみ、足元がすくんだ経営になりがちであります。

そういう言う意味ではカリスマ無き後の日産自動車の経営については多くのカリスマ経営者たちがその行方を見守ることになろうかと思います。柳井正、永守重信、孫正義氏らにとっての将来の判断材料となることでしょう。先般退任した鈴木修氏のあとを継ぐスズキ自動車の行方も個人的には注目していますが、トヨタとの連携という展開になったのは鈴木修氏の本心だったのか、諦めだったのか私にはまだ疑問であります。逆に言えばそれぐらいカリスマ経営の後のかじ取りは難しいということです。

個人的には日産自動車においてはゴーン氏が作り出した電気自動車路線を中国市場を中心にわき目も触れず突き進めばよいと思っています。また自動運転でも一歩先を行きます。

そういえばGTRを発表した時の日産は圧倒的注目度だったと思いますが、それは他社を出し抜く創造性だと思います。よって経営の野性味がなくなることだけは避けてほしいと思います。個人的には最近トヨタがやや迷走している気がしますので今のうちにキャッチアップすべきだと思います。

では今日はこのぐらいで。

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また明日お会いしましょう。