歴史が長い日本において教科書的に美しい話ばかりを聞いていると「そんな世界があったのか?」ということを耳にして驚くこともあります。

今では反社会的勢力として社会から完全に一線を敷かれている暴力団。例えば不動産を購入する際にあなたは反社会的勢力との関係がないと言い切らねばなりません。ローンをする時も同様です。警察の力もあり、暴力団の勢力はずいぶん小さくなったものです。

この暴力団はもともとは港湾関係の労働者など荒くれ者が組織づくったもので戦前から戦後にかけて一気に増えました。特に戦後のどさくさ時には日々の生活が苦しい中、チカラによる制圧をかけようとした戦いが繰り広げられ、高度成長期に共に勢力を伸ばし、そのピークはバブルの時代に訪れます。

山口組や稲川会は経済部を持ちます。「ヤクザは天才でもバカでもできない」とされ幹部は「売春、薬、密輸」といった明らかに不正な行為から若干発展的でグレーな「地上げ、土地ころがし、絵画取引」といったビジネスに力を注ぎます。そんなヤクザも例えば稲川会経済部がハマったのが東急電鉄株買い占め事件で大仕手戦になった挙句、稲川が売りぬけ失敗で大損を食らったというオチがあります。

また、バブル当時、盃を交わしていないけれど、その筋に密接につながっている仲介人やディーラー的役割の会社も多数存在しました。この辺りになるとまず一般社会には情報が出てこないかもしれません。例えば戦後最大級の事件となったイトマン事件はその典型でヤクザではないけれどそれとほぼ同類項と言い切ってよいかと思います。

次いでいろいろ言われるのが在日韓国人。これは大戦後に日本に流れてきた、あるいは帰国しなかった在日韓国、朝鮮人であり、今の北朝鮮、及び韓国出身の方々です。何故帰国しなかったといえば本国が余りに貧しく、その後に朝鮮戦争もあったことで日本に新天地を求めたものであります。また、その後、韓国に帰国したらもっとひどい差別にあったという話もあり、行き場をなくした人たちとも言えるのです。

ところが日本の企業は在日朝鮮、韓国人を採用しませんでした。つまり、仕事にあぶれるわけです。そこで彼らは起業家精神を育みます。パチンコ屋、カラオケ、芸能関係、焼肉やそのたぐいの飲み屋といった娯楽系で圧倒的躍進をします。多くの日本人はそこで金を使い、その金が北朝鮮に回ったりしていたわけです。

しかし、在日の人たち誰もが成功したわけではありません。またプロレスの力道山がそうであったように社会との厳しい断絶の中、危険と背中合わせだったとも言えます。そして、その一部は上述のヤクザに合流します。日本のヤクザの主流が在日によって構成されるようになっていく流れはそのあたりに歴史的源流を見出すことができます。

三つ目の闇とは同和であります。いわゆる部落問題ですが、最近の方は言葉そのものを知らないかもしれません。端的に言ってしまえば差別されていた人たちの集まりです。中世の日本では多くの人が天皇に仕えていました。神道ゆえに天皇のもとで働くことで一定の生活ができる仕組みあったわけです。

ところが江戸、徳川の時代になり、幕府は朝廷とは違う政策をとり、士農工商という身分制度を作り上げます。その上、下々の仕事をしている人たちにはその身分すら与えられなかったのです。これが狭義の差別問題の始まりであります。

明治時代になり、士農工商はなくなり、当然、それ以下にカテゴライズされた方々も身分が回復するはずでしたがうまくいかず、その方々は日本各地(特に西日本)でかたまって住むようになりました。これがいわゆる部落です。

部落は部落解放同盟という団体を通じて各方面に圧力をかけます。これが極めて強かったのです。国は差別されていた立場を慮ってあらゆる配慮をします。そして更なる配慮を求めて有力政治家を推すのです。この結託の中心は自民党であり、明らかに対立するのが共産党であります。

一般社会では接点がない限りその世界を知ることはないでしょう。また、部落民と一般民との融和も進み、お互いに背景を知らず結婚するケースも増え、今では表向き全く聞かなくなった話であります。が、その利権たるやとてつもないものであり、「一度味わったおいしさはしゃぶりつくす」し、取り上げたりでもしたら常識では考えられない仕打ちが待っているのであります。

ですが、時代も変わり、あまりにも非合法な活動で暴利をむさぼりつづけると徹底的にやられることもあります。その例がハンナン事件でありました。ここでは長くなりますので興味ある方は検索していただければと思いますが、基本的には牛肉や豚肉の特殊な関税の仕組みを使った詐欺であります。長年、みんな知っていた(私だって知っていました)のに捕まえられなかった行政が重い腰を上げた例でありましょう。

いわゆる部落出身者もその後、ヤクザに転身した者が多いとされます。

こういうのをパンドラの箱というのでしょう。情報開示が当たり前だとし、知る権利を主張するのはいいのですが、興味本位でそのピンポイントだけの情報をもってああだのこうだの議論することはある意味、危険であります。多くの判断には極めて難しく、開示できない部分が隠されているはずです。

いわゆるアンタッチャブルな世界、と申し上げておきます。触らぬ神に祟りなしとも言えます。不都合な事実が開示されると、そのつじつま合わせはなかなか難しいものです。その前にうまく処理する要領のよさが欲しいところです。

では放置してよいのか、とも申し上げません。時代が変わったのだから過去はさておき、今後はスタイルを変えないと国民は納得しないでしょう。役人と自民党の姿勢が変われるのか次第なのでしょう。

では今日はこのぐらいで。

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また明日お会いしましょう。