安倍首相が憲法改正の一つの名目として高等教育無償化を掲げました。「おやっ?」と思った方もいらっしゃるのではないでしょうか?私も唐突感を持ちました。そんな教育の無償化とその教育の絶対的指標である偏差値について考えてみたいと思います。

まず、教育に関する憲法は26条でその第2項に「すべて国民は、法律の定めるところにより、その保護する子女に普通教育を受けさせる義務を負ふ。義務教育は、これを無償とする。」という定めがあり、この議論の原点になります。高等教育=大学と捉えれば大学を義務教育化するならば憲法改正は必要ないことになります。義務教育は教育基本法などで定められているからです。

では首相発言の真意は何処にあるのか、これは推測ですが、別目的の憲法改正議論の中で教育を緩衝材的に入れたような気もしますが、敢えて言うなら、高卒と大卒の生涯年収格差を捉えたのかもしれません。つまり、国民平等に生まれたのならば家庭の懐具合で高等教育をあきらめなくてはいけない子女をなくす、というやや政治的背景が考えられなくもありません。

しかし、ちょっと待てよ、と思うのはなぜにして誰でも大学を出なくてはいけないのか、であります。「大学は出たけれど」という映画が昔ありましたが、大学に行く基本的思想は終身雇用だと思うのです。「良い大学、良い就職口=一生面倒見てくれる」ではなかったでしょうか?しかし、今や、終身雇用を信じる現役族は少ないでしょう。一つには会社の将来は見通せないこと、もう一つは自分の人生をその会社と共に固定化させることに抵抗があるからです。

塾で子供たちと接触しているとあまり勉強熱心ではない子たちがいやいや勉強させられていることを体感しています。しかし、その子たちは通信簿が全部均等に悪いわけではなく、2ばっかりなのに一つや二つ、4とか5があったりします。私は本来であればそのような才能を見出し、好きなエリアを深堀させればよいと思っています。別に大学に行かなくても素晴らしいスキルを磨けます。

しかし、親は「どうにか普通高に」「将来は無名でもいいので大学に」と懇願し、模試と偏差値との格闘が始まります。この偏差値ですが、「合格圏内」とか「合格確実」といった模試での結果で親や子を一喜一憂させる魔物であります。ではこの学校の偏差値はどうやって決まるのでしょう?

割と簡単に出ます。ある高校の合格者のすべての偏差値を調べ上げ、最低成績の合格者の偏差値をその学校の偏差値としています。つまり、偏差値60の高校があれば60が足切りラインということになります。ならば高校の合格者のすべての偏差値はどうやって調べるのか、といえば今はやりのビックデータのようなものなのですが、要するに模試の会社がそのデータを持っており、それを分析しているだけであります。かなり機械的に算出できるといってよいでしょう。

ここで気が付いてもらいたいのはこれは学校の人気ランキングであってその学校に行ったあとのことを何ら保証するものではないのです。では学校はどうやって人気ランクを上げるかといえば高校なら国公立大学合格状況やスーパー グローバル ハイスクールの認定かもしれませんし、大学なら就職や知名度が影響してくるでしょう。そして受験生が増えれば偏差値の上昇につながります。(株価と出来高の関係と同じです。)

例えば一部の高校や大学がスポーツに異様に力を入れるのは知名度向上であります。箱根駅伝などはその典型で大学にしてみれば学生を広告塔にしているわけです。そして多くの受験生は知名度が高いところを望む傾向があります。学生の人気企業ランキングも上位はほとんどが「BtoC」です。2018年度の人気企業ランキングは1位ANA、2位JAL(学情の調査)というあいも変わらずのミーハーぶりが見て取れるのです。

つまり、今の教育は人気ランクに基づき、親も子供も振り回されているといってもよく、それを憲法改正してまで高等教育無償化にするというのはおかしいと思っています。どうせ無償化するなら小学校入学前、つまり、保育園と幼稚園の無償化を優先した方がはるかに理にかなっています。それこそこちらを全入体制にすべきなのになぜかちぐはぐな感じがしないでしょうか?

本来であれば高校や大学がその教育方針や進学/就職をベースにした査定を受けるべきです。上場企業は決算とそれに伴うアナリストから厳しい質問を受け、一定の評価を受けます。株価や格付けもあります。私は学校もそれが必要だと思うのです。何もわからない親や子供が人気だけで振り回されるのはまるで客観性を持ちません。

まずはこのあたりから手を付けるべきではないでしょうか?

では今日はこのぐらいで。

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また明日お会いしましょう。