企業活動を俯瞰し、外から日本を見るとこの数年、制度疲労を起こしているように見えます。直近では富士フィルムの子会社の富士ゼロックスの海外子会社で不正リース処理による巨額損失計上に伴う原因究明、及び社内処分が発表されました。ゼロックス社の副社長、専務らが直接的にを指示、売り上げ至上主義の醜い部分を見せつけてしまいました。

富士フィルムといえば古森重隆会長が君臨する写真フィルムの会社から会社を変貌させた数々の美談を持つ日本を代表する会社であります。その子会社で繰り広げられていた悪事に関して「細かい報告が上がってこなかった」とされます。「富士フィルムよ、お前もか」とつぶやきたくなるほど残念です。

日本企業における制度疲労とは何でしょうか?考えてみましょう。

まずは歴史をぐっとさかのぼり、農民が集落単位で水田に水を引き、協力しあって農作業を進めていた時代を考えてみましょう。その頃は集落民の一致団結した協力のもと、「個の尊厳」は二の次であり、嫌なことも我慢を重ねながら仕事をしていました。昔の映画や小説などで「ここで踏み外した農民」が村八分となり、事件を引き起こしてしまう話はよくあります。「砂の器」などはその典型でしょう。

その後の戦争を経て高度経済成長期に至るまでこの「お国の為に」「会社の為に」という自己をかなぐり捨て、家庭を顧みず、ひたすら働き、尽くすスタイルが日本の圧倒的特徴でありました。

ところが、バブルのあたりからこの歯車は狂ってきます。一つには裕福になり、個人が我儘になり始めます。初めの頃は旨いものを食うといった小さな他人との差別化でしたが、それがエスカレートすると車になり、住宅になります。そしてバブル崩壊後、本格的な「個の時代」に突入します。多品種少量生産のブームです。その背景には一人っ子が増え、我儘に育った子が増えたこともあるでしょう。

当然ながら会社でも個の主張が始まります。「若いやつが酒に付き合わない」というのはその頃からです。合わせてネットの時代がやってきます。これがさらに拍車をかけます。情報が地球儀ベースで瞬時に伝わり、欲しい知識を瞬く間に得ることができるようになりました。つまり、ここで個人は一定の自我に目覚めたと考えられます。

一方、企業はそれと真逆のガバナンスという締め付けの時代に入ります。ディスクロージャーをする、そのためには社員が一定の方向に収まるよう社員教育します。これが人事上、大きなストレスとなります。つまり、会社は新入社員を会社色に染めようとあらゆる処置を施すものの個人はすでに自我に目覚め、解放されていますので「やりたくない」、「そうなりたくない」と抵抗を示します。

電通の社員自殺問題の原点はそこにあると私は考えています。電通の社風の色は極めて強いカラーです。顧客至上主義は大企業の数十億、数百億円といった広告宣伝枠を抑え込むため、何が何でも顧客に服従しなくてはならず、社内の稟議は数多くの同意を得ねばならず、仮に一人でも上位者の反対があればアウトになり手戻り作業が発生します。これは同社に限らず、金融機関でも普通の大企業でもほぼ変わらないでしょう。

併せて起きているのが隠ぺいであり、上述の富士フィルムもそうですし、東芝もそうでした。

サラリーマンは宮仕えという言葉があります。そこにはぐっと我慢し、家族のために耐え忍ぶ、という悲壮感すら漂うのですが、宮仕えを何年、何十年もやっていると当たり前になって苦痛は感じないはずです。「その世界がおかしいのだ」という世界を覗き見ることがないからでしょう。

ところが若者はフェイスブックを通じて様々なタイプの人と交流があります。「〇〇さん、海外で一旗揚げるんだって」「△△さん、会社辞めて世界一周旅行するらしい」といった新たな刺激が満載となります。こうなると「なぜ、自分だけ…」という認識をはっきり持ってしまうのでしょう。

私の思う制度疲労とはこういうことです。

では解決する方法はあるのか、ですが、私は日本人の付き合い方は大企業ではなく、中小企業こそ、その良さを引き出せるものがあると思っています。つまり、企業レベルが大きくなっても一緒に汗をかくその協業精神が維持されないとだめなのだろうと思います。アメーバ経営とはよく言ったものですが、そのアメーバを積み上げたものが大企業という仮の姿である、という意識を取り戻すことが大事ではないでしょうか?

日本企業の人事政策は極めて大きな岐路に立っていると考えています。

では今日はこのぐらいで。

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また明日お会いしましょう。