世の中の常識観が変わるには1世代30年ぐらいかかるでしょうか?これは常識観を支配している世代から次の時代にバトンタッチするまで世論の駆け引き(リアリティとメンタルの両方です。)がそれぐらいかかるからであります。

2週間ほど前、経済紙の雄、ウォールストリートジャーナルが欧州版とアジア版の紙媒体を止めると発表しました。紙媒体の新聞はとにかくコストがかかるのです。印刷して配達し、なおかつ、店頭販売は売れ残りがでるという非効率の塊であります。しかし、それ以上に紙の購読者が減っていることがあります。

日経新聞がカナダでの配達を止めたのが今から1年前。それに合わせて朝日新聞も「日経が止めるなら」ということで配達がなくなりました。厳密にいえば宅配サービスで新聞を取ることもできますが、月に3万円もかける人はほとんどいません。日経がカナダでの宅配を止めたのもコストに見合わないからですが、正直、日経新聞を海外で宅配購読したいという希少価値の客は企業などかなり限定されていたのであります。

常識観が変わる時、どこが潮目でどこで踏み込むかは企業にとって大きな判断になります。やはり日経が電子版で月4000円で売り出したとき、業界ではどうなるのか、奇異の目で見られたと思いますが、結果としては成功でした。「日経は専門紙だから」という怨嗟の声が聞こえるのは一般紙の発行体ですが、変わる努力をしなければ永久に変われない典型でしょう。

ネットニュースを見ていて気がつかれた方も多いと思いますが、多くの新聞系媒体ソースは産経、毎日で日経、読売、朝日はほとんど出していないか、朝日などは「ここから先を読みたい方は有料!」となってしまいます。つまり無料媒体にクオリティ勝負をかけているのでしょう。しかし、マーケティング的センスからはあまりネットニュース媒体を小ばかにするのもどうかとは思います。産経などネットニュースはリード部分だけ載せる、というところもあります。

常識が変わる世界は世の中、あまりにも多くあふれています。東芝が東芝メモリを日米韓連合に売却するそうですが、その中で一番もめたのが韓国SKハイニックスが入っていたことでしょう。表面上、SKは融資だけで将来的にも技術が漏れないよう仕組みは施してある、と説明していますがその説明をそのままとるほどお人好しはいません。穿った見方をすれば日本はフラッシュメモリにこだわらず、次のステップに進む第一歩を「好む、好まざるにかかわらず」踏み出したとも言えます。(そういう意味では日経が電子版に突き進んだのも時代の流れに押されたという受動的行動でしょう)

電気自動車の時代がやってくる、などと書けばこのブログをお読みの方からおしかりを受けるのですが、世代が変わると幼少期の記憶と常識観が我々と全く相違するため「自動車は電気で動くもの」となり、世論がそれを支配してしまいます。これは新聞はインクで手を汚しながら読むものといえば笑われるのとほぼ同じなのでしょう。

私の20年後の大予言として例えば駅前からデパートが消えるとか、オフィスの需要が激減するとか、スーツを着る時代は終わるとか、食生活はよりシンプルになる(忙しすぎて食に興味がなくなる人が増える意)とか、いくらでも思いつきます。

我々は「日進月歩の時代」「加速度的に変化する時代」と言われています。確かに昔なら30年たっても周りの景色はさほど変わりませんでした。儒教の精神ではないですが、親の言うことを聞き、年上を敬い、年長者から学べは正しい常識観が身に付いたのであります。

ところが今は年長者が時代の変化についていけず、若い人たちの新常識が世の中を席巻するようになっていています。そこに時代のギャップが生じてしまっているのですが、それを埋めるすべがなく、結果として旧世代向き、新世代向きの二本立てビジネスが微妙なバランスを保っているといってよいのではないでしょうか?

年長者を小ばかにするな、と言われそうです。長く生きて経験を積んだ人のいぶし銀のような一言は重いものがあるのですが、それが跳ね返される時代がやってきたように感じます。私のこのブログだって「海外から見るジジィのたわごと」とタイトルを変えたほうがよいのかもしれません。わかっていながら言いたくなる年代でもあります、「君たち、経験不足だね」という上から目線。

では今日はこのぐらいで。

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また明日お会いしましょう。