「ニッポン大改革」とは戦後72年が経ち、社会構造がすっかり変わったのに昔の法律や縛りでひずみが出来てきたことを修正する検討をしてみたらどうだろうか、という提言です。このテーマは折に触れて書かせて頂こうと思いますが、その第一回目は不動産です。

ニッポンの不動産は登記システムという便利なものがあります。これは所有権あるいは抵当権を第三者に対抗できるように登録し、公表することであります。多くの皆さんは土地の登記簿謄本は土地の所有者しか閲覧できないと思っていらっしゃると思いますががそれは真逆で登記簿とは第三者に見せるためにあると考えてよいのです。

ちなみに各地にある法務局に行ってパソコンを操作し、地図から見たい土地の地番を探し出し、窓口で数百円払えばその土地や建物の登記された詳細の情報をゲットすることができます。

私もめぼしい土地があると時々、法務局に行くのですが、そこから読み取れるものは多いものです。例えば相続の名義変更していない不動産なら「あぁ、これは相続税を払っていないな」とか「兄弟間でもめ事があるかな」などといろいろ想像できるのです。

ではなぜ、不動産所有者は不動産名義を書き換えないのか、ですが、主に二つ理由があると思います。一つは名変に伴うコスト(相続税や名義変更料など)を避けること、もう一つは被相続人(亡くなった方)が持っていた不動産を相続人が知らずに名義変更がなされていないことだろうと思います。特に2代それが続くとまず分からなくなるもので特に山林や田畑だとそれこそ「誰のもの?」ということになります。

これが不動産ブームの時なら皆さんせっせと名義変更をするモチベーションもあったかもしれませんが、今では「タダでもいらない」という田舎の不動産を残された子息は多いものです。ではいらないから持って行ってくれ、と市町村にお願いしても原則「遠慮します」と言われます。何故かといえばそれがルールだからです。

ところが所有者が分からなくなってしまった不動産は今や日本全国に九州や北海道の土地と同じほどある、と言われたらどうでしょうか?これでも放置し続けるのでしょうか?

役所がこの問題を解決できないのは役所が「引き取ります」とするメカニズムがないからです。特に個人の土地を役所が引き取るとなれば貰えるはずの固定資産税を取り損ない、管理費までかかれば「おらが血税をどうするのじゃ!」とお怒りの電話が殺到するのは間違いありません。

実はここで発想の原点を変えてしまってはどうかと思うのです。まず、長く所有者が分からない不動産とは固定資産税も払われていないということですから所有者はその義務を果たしていないことになります。よってここで「接収」できるルール(法律)を設定します。

例えば500万円の価値のある土地建物があるとします。固定資産税の未払いが100万円あるとします。一定のルールに従い、所有者を名乗り出る一定期間を設けます。出ない場合、接収し、建物は壊し、更地に出来るようにします。そのコストは旧所有者に帰属します。

ここで接収を誰がするかですが、なんでも八百屋の「ざる」ではないのですから税金を突っ込むと考えるのはよしましょう。まずに資本金数百億円で「ランドバンク」を設立します。出資者は誰でも構いません。役所や国がかんでもいいし、民間主体でも結構です。(個人的には県ごとが良いと思います。)ランドバンクは接収した土地の価値マイナス負債、コストを信託口座に預託します。なぜなら払い出す相手がいないからです。一方、市町村への固定資産税はランドバンクが回収コスト分を付加した形で余剰があれば市町村に払い、債権債務関係をクリアにします。世界の一般常識からすれば市町村の取り分は債権額の10-20%程度がせいぜいでしょう。

ランドバンクは時間をかけて土地を集めながら一定規模の土地を確保した時点で都市開発計画に則り再開発をします。資金は信託口座にある資金を担保に行なえばよいでしょう。基本は賃貸ですが、売却オプションもあってもよいと思います。そこで収益を上げます。このモデルは初期は苦しいのですが、高齢者が所有する不動産が加速度的に集まる仕組みが存在します。

なぜこんなことを一生懸命述べているかといえば「コンパクトシティ」が叫ばれる今日、誰もその具体的提案をしていないからです。コンセプトとしてはいいのだが…で止まってしまっています。

「ランドバンク」という発想は別に珍しいものではなく、長期的な都市計画という視点でかなりアクティブに使える「魔法の杖」なのです。壊れかけた建物、メンテが出来ていない建物、火災や安全上のリスクがある建物などは強制的に撤去できる仕組みが必要です。世界の中で日本の役所は甘すぎ、国民の権利の部分に振り回されています。義務の部分が抜け落ちているのですね。面倒な所有者も多いのですが、そこに振り回されている時間の無駄こそが税金の無駄であります。

役所ができること、民間ができることそれぞれ得手不得手があります。そこをうまく取り込むことで行方知らずになった広大な土地の無駄を改善する切り口が生まれるのではないでしょうか?無謀論かもしれませんが、誰かが何かを言い出さないと何も始まらないのも日本の特徴です。「とんでも発想」が生きてくる時代がやってくる日も遠くない気がします。

では今日はこのぐらいで。

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また明日お会いしましょう。