外から見る日本、見られる日本人

バンクーバーの日本人社長ヒロが仕事、生活を通じて感じた経済、経営、社会、日本人観などを綴っています。

日本の社会

日本は環境問題にセンシティブなのか、鈍感なのか?4

日本は分別ごみに非常にうるさい国です。決められた日に決められたものをきちんと捨てないと近所から苦情が来るのですから日本人のまじめさがよくわかります。シェアハウスを運営していて何が大変といえば外国人へのゴミの仕訳と捨てる日を教えること、また、道路脇のごみ捨ての場所と捨てる時間を守るという日本独特のローカルルールの徹底には実に骨が折れます。特にラテンの人にはゴミ捨ての認識がかなり違う人も多く、時として泣かされます。

さて、日本は環境問題にセンシティブか、鈍感か、というお題に対して鈍感とは何事か、とお怒りになる方もいらっしゃると思います。確かに分別すること、それをリサイクルしていると考えられている点においては確かに世界でもトップクラスだと思っています。

ではそれほど優秀な国民なのになぜ、大阪湾でレジ袋300万枚、ビニール片610万枚もある(読売より)報じられているのでしょうか?あるいは深刻な琵琶湖の廃プラゴミ問題でも今年6月にゴミさらいをしたら6割がプラゴミだった(京都新聞)という報道もあります。これらは氷山の一角で日本全体レベルでみれば環境に優しいとは言えない可能性はあります。

韓国では18年8月からカフェなどで店内での使い捨てカップの使用が禁じられています。持ち帰りならいいのですが、店内で飲むのに使い捨てカップはだめなのです。あるいは韓国の大型スーパーではもはや持ち帰りの袋が有料化どころか、ビニールそのものを提供すると違反になります。

カナダでスーパーに買い物に行くときは買い物袋やカート、ラックはマストのアイテムとなりました。もちろん、ビニール袋を求める客はいますが、有料だからというより「ビニール、使うの?」という冷たい空気を感じます。最近は酒屋(BC州は原則州が経営する半官半民の経営です)で酒を買っても「ビニール袋、いるの?」と確実に聞かれます。プレッシャーを感じるのです。その点、来年からスーパーのビニールが有料化になると報道される日本はすでに周回遅れもいいところなのであります。

ではリサイクル。本当にリサイクルされているのか、といえば基本は燃やすと認識していただいてよいと思います。その比率6-7割ぐらいとみています。なぜ燃やすかといえば狭義の意味でのリサイクルは簡単ではないのです。リサイクルの方法の一つ、マテリアルリサイクルでは何度もリサイクルするとプラスティック分子の劣化が指摘されています。ケミカルリサイクルではコストと設備が膨大。というわけで焼却することで熱再生という手法を取っており、小泉大臣もそれを支持する意見を述べています。

ですが、私から見るとリサイクルや分別してきちんと捨てればいいのか、というそもそも論に引っかかってしまうのです。日本に行くとプラスティック容器と向き合わない日はないでしょう。水のボトル、買い物ビニールだけではなく、私が最も注目しているのは弁当や総菜の容器であります。弁当屋やスーパーからすれば陳列と効率化を求めるのだろうと思います。なくすのは無理ですが、これがもう少し減らせないのでしょうか?つまり、総量が減らない点において鈍感ではないかと思うのです。

最近、私は肉を買うとき、冷蔵コーナーに展示されているものではなく、肉屋のカウンター越しに注文することが増えてきています。プラ容器はないのでその分環境には優しく感じます。昔、日本の肉屋では肉を竹の笹に包んでくれていたのを覚えている方はいますか?竹の笹は通風性と防腐作用があるとされています。良いものを持っていたのですが、すっかりお見掛けしなくなりました。

私は店舗が工夫をしてプラゴミを減らす仕組みを作り、市民レベルでの展開こそが日本でのプラゴミ総量の抑制になるのではないかと感じています。日本はそもそも過剰包装の国と言われています。このあたりも含め、考え直す時期にありそうです。環境省も難しいとらえ方よりももっと市民レベルで何ができるのかわかりやすいメッセージを送ってみたらどうかと感じます。

では今日はこのぐらいで。

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また明日お会いしましょう。

ガンより恐ろしい認知症、対策はあるのか?4

認知症は自分には関係ない、と思っている方はまだまだ多いと思います。ところが案外、自分の親、家族、親せき、はたまた近所の方や世話になった方が認知症という方は案外多いものです。そしてこれほど厄介なものもないのであります。理由の一つは理学的治療法が確立されていないからであります。

それこそ、ガンに対する研究は日進月歩の感があり、かつて言われた「ガンは克服できる時代が来る」というのは確かに近くなっている気がします。特に量子コンピューターが普及すると各種実験に対するプロセスが大きく変わるため、治験(臨床実験)が劇的に早くなる可能性も指摘されています。

では認知症。日本の高齢者の15%程度、500万人が認知症とみられ、この比率は今後5-6年で20%ぐらいまで上がるという指摘もあります。世界規模では2015年で5000万人とされており、年間1000万人単位で増えるという報告もあるとのことですから今では1億人規模に手が届くということでしょうか?

認知症は案外、そばにいる人が一番気がつかないのかもしれません。理由は単なる老化の物忘れと混同し、自分の親がまさか認知とは思いたくないからでしょう。私の知り合いの母親が最近、高額の商品を次々と購入し、挙句の果てにクレジットカードを止められたというのです。銀行預金も大幅に目減りしているのに何に使ったかわからないらしく、その知り合いが「高齢者の親を持つと大変だよ」というので「それは認知症の公算大だよ、早く病院で検査してもらった方がいい」と背中を押したことがあります。その知り合いは認知症という発想を持っていませんでした。

私は医者ではないので認知症の仕組みは専門家に任せますが、問題は治療法がほとんどないことであります。メルク、イーライ リリー、アストラゼネカ、ロシュ、ノバルティスといった世界最大手製薬会社が大型投資をして治験をしてきましたがほぼ全滅状態にあります。製薬会社にとってこれほど薬を求められている症状(認知は病気ではなく症状です。)はなく、仮に薬ができればドル箱になるのですが、苦戦しています。

現在、唯一といってよいのがエーザイとバイオジェンの共同開発している早期アルツハイマー型認知症向け治療薬の治験で、最近その効果が再発見され、来年アメリカで承認申請をすることになっています。これももともと効果が見られなかったものがなぜか、やっぱりある認められたという不思議な話で果たして承認されるか専門家の間では疑心暗鬼の声も出ています。

では認知症に対して全く対策はないのでしょうか?私が感じるのは日本では様々な実験や効果がありそうなことを行っており、認知症予防大国に感じるのです。東北大学の川島隆太教授が著名で「脳を鍛えるドリルシリーズ」は案外、高齢者のご自宅には一冊ぐらいあったりします。仙台放送では川島教授と組んで脳トレの番組を放送したりしています。多くの老人介護施設では認知症予防のプログラムが紹介されています。毎年参加させて頂いている東京の国際福祉機器展でも認知症対策の機器、予防プログラムが数多く紹介されています。

ただ、学会というレベルではまだまだ国内規模であり、海外での研究は大幅に遅れている感じがします。ここ、カナダでも認知症に対する研究は進んでいないため、「認知症予防」などと銘打って何かやろうとすれば訴訟されかねない勢いなのであります。(学術的に効果が認められていないものにあたかも効果があるような表現をすることがダメなのです。)

ではカナダの認知症の方はどうなっているのか、といえばほぼ対策なしです。認知症の方を預ける施設も少ないし、あっても高額の費用を取られます。ご自宅でご家族が面倒みているケースでも家族がへとへとになっています。ひどい場合はご夫婦共に認知症ということもあり、悲惨さを増しているのです。私のかつてのクライアントも認知症なのに旦那は既に亡くなっていて娘も遠隔地で面倒すら見ません。いったいどうやって生活しているのかと心配でお住いのコンシェルジュに「何かあったら知らせて」とお願いしています。

認知症の対策はあるのか、といえば社会がそれを受け入れる体制が十分に整っていないように感じます。しかも世界規模の問題です。家や施設などを徘徊に対する予防法は電子ディバイスや顔認証システムの導入で対策が生まれてきています。が、人によっては凶暴性があったり、食事を延々に食べ続けるなど個別症状があります。

まずは社会が認知症の方への認識と対応を理解し、テクノロジーでカバーできる対策を取ったうえで認知症の人も安心安全な暮らしができる仕組みづくりが急がれます。

では今日はこのぐらいで。

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表現の自由って何だろう?4

国際芸術祭「あいちトリエンナーレ2019」で表現の自由が大きく議論されました。この行方はいまだに明白ではありません。が、はっきりしていることは「表現の自由」はどこまで自由なのか、結論が出ない議論が続く可能性であります。

日本国憲法第21条第1項では「集会、結社及び言論、出版その他一切の表現の自由は、これを保障する」第2項は「検閲は、これをしてはならない。通信の秘密は、これを侵してはならない」であります。ここだけを見るとなんでもアリという風に読めます。ところが憲法第13条に「すべて国民は、個人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする」とあります。この「公共の福祉」がキーワードです。

このあたりの解釈とどこまでが許され、どれはダメなのか、については憲法学者同士でも諸説あり、意見が分かれるところです。つまり、憲法が公布されてからこれまで、学者と政治が憲法の規定する事柄に対して一定の落としどころを見いだし、国民に分かりやすさを示せなかったということになります。

これでは国民は混乱する一方であり、それ故に法律を制定するか、憲法を改正するかして誰でも理解できるものに変えていかねばならないはずです。ところが憲法改正論議=第九条改正というイメージが強すぎるのか、もっと真剣に考えなくてはいけない憲法改正問題が放置されているのであります。

映画「主戦場」が揉めにもめています。この映画は上智大学在学中だったミキ デザキという日系二世の学生(当時)が卒業制作と称して慰安婦問題の右派左派含めた有識者をずらっと登場させたドキュメンタリーです。その際、有識者へのインタビューは「卒業制作ゆえ、商業化ではない」という前提であったとされます。ところが商業公開された上に「出演者」が見たその映画は右派にとっては「だまされた!」という内容だったというものです。デザキ氏や上智大学への訴訟が起きているし、映画館での上映も一時取りやめになっていました。

1966年に国連で採択された「市民的及び政治的権利に関する国際規約」(自由権規約)という多数国間条約があります。日本ももちろん入っています。その中の第19条は第一項で意見の自由を、第二項で表現の自由を規定してますが、第三項で「(これには)特別の義務及び責任を伴う。従ってこの権利の行使については、一定の制限を課すことができる。ただし、その制限は、法律によって定められ、かつ、次の目的のために必要とされるものに限る。(a)他の者の権利又は信用の尊重 (b)国の安全、公の秩序又は公衆の健康若しくは道徳の保護」(ウィキ)とあります。

「トリエンナーレ」にしろ「主戦場」にしろそれを見る人にとって賛否の議論どころか、不快感を与えるものであるならばそれは公共の秩序に反する可能性はあるでしょう。ましてやそれに公的な補助金が出るとすれば税金であり、民の便益にならないとみられるのではないでしょうか?ましてや「主戦場」については出演者をだましたようなものであり、表現の自由以前の問題であります。(それこそ、個人の写真や画像を流出させたような類の話でしょう。)

レベルはガクッと下がりますが、秋葉原の繁華街に建物の3フロア分の大きさの巨大なアダルトゲームの広告が張り出されていると報じられています。しかも見るのも恥ずかしい描写です。これを表現の自由だから何やってもよい、というものでしょうか?ここがパシッと取り締まれないのが日本の弱みなのだろうと思います。

バンクーバーでは「公共芸術」が街の至る所にあります。一応審査を受けて展示されるわけですが、あまりにもひどい内容は撤去されます。仮に審査を通ってもパブリックが不快に思うのであればそれは公共の良俗に反するというわけです。

表現は自由であり、それについて様々な意見が出るのは当たり前です。それが議論の中で納まる程度であればそれは自由なのだと思いますが、その表現をすることによる社会全体へのマイナス効果が高いとみられる場合は当然規制されるものと考えています。例えばヘイトクライムや表現を通じてある一定方向への誘導を試みる思想的戦略はコントロールされるべきと思います。

カナダに住んでいて思うのは全く自由ではないということです。屋根の色だって建物の色だって自由ではありません。私の顧客の船のカバーの色が気に入らなくて近隣から大苦情が来たこともあります。日本は表現の自由という言葉の一人歩きがはなはだしいと感じています。

何でも自由ではないのだ、節度はどこにあるのか、このあたりを考えるには良い機会ではないでしょうか?

では今日はこのぐらいで。

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急務となってきた「落ちこぼれ対策」4

以前私のところの塾に小学校一年生から通っていた子供がいました。1年半ぐらい通ったのですが、どうも他の子供と違うのです。自分から進んで勉強を展開できず、集中力がなく、5分前に分かった、といったこともすぐ忘れるのです。かなり時間をかけて個別指導をかけてもダメなのです。当然学校でもそのような状態の中、IQ(知能指数)を測定したら70に達していなかったようなのです。

私の塾をやめ、引っ越しをしてしまったのでそのあとどうなっているか分からないのですが、とても教育熱心な親御さんだったのでショックだったと思います。

最近、2冊の似たような本に接しました。「ケーキの切れない非行少年たち」と「上級国民/下級国民」です。この書籍はある意味、出来ない子の存在を示し、今後、この問題放置できないだろうことを否が応でも実感させます。

少し前ですが、若者が信号で停止していた軽自動車の前に突然、飛び出し、フロントガラスを石のようなもので必死に叩き壊す事件がありました。ドライブレコーダーに全容が映し出されたその若者の顔は正気ではありませんでした。この若者はフリーターで親がこのニュースを知って自首させました。

こんな事件は氷山の一角で奇妙な事件、またニュースにならなくても些細なトラブルは相当起きているようです。私が気になるのはこんな事件がやけに目立ってきた、ということであります。

上述のIQ。100を基準とした偏差で表し、様々な判断基準があります。かつては前後15を境にし、85から下は要注意となっていたのですが、近年ぐっとハードルが下がり、70程度が境界線と考えられています。つまり、70に満たない場合は何らかの知的障害があると考えれるのです。

知的障害、ないしそれに近い子供たちが標準のスピードで進む学校教育についていけるか、といえばちょっとしたきっかけで完全に落ちこぼれます。それがほんのわずかの躓きであってもそれ以降、相当頑張らないと立ち直れなくなります。マラソンで集団にはいないとずるずると引き離されるのと同じです。小中学校で始める英語の授業も基本は全員、「ヨーイ、ドン」のスタートのはずですが数カ月で完全に差が出ることは皆さんも経験値として記憶があると思います。

そういう子供たちには特別支援学校がふさわしいのですが、施設が十分ではないのと親のメンタルからそういうクラスには入れたくないというケースもあります。私は既存の学校に完全に別枠で支援クラスを作ることを提唱したいと思います。一般クラスが終わった後、2時間程度、学校の先生とは別の先生ができない子だけを集めて学校の授業に沿った個別指導を行うのです。

なぜ、出来ない子を放置できないのか、といえば前述のような唖然とする事件が起きやすい社会になってきたことを一般社会がその原因について十分認知していないからです。

出来ない子の理由が先天性か、後天性かの議論は専門家に任せますが、アメリカのマレーという学者は「階級断絶社会」という著書で親の学歴による子供のIQを調査しています。両親ともに高卒の場合の子供への期待IQは94、ともに大学卒なら109、ともに名門校の学位取得なら121となっているとあります。(Wikiより)

今、日本の社会では明らかにできない子が増えています。考える力がなくなっており、楽しいことがあふれているため、勉強が二次的な義務になっています。この結果、落ちこぼれが生まれやすく、いわゆる中間層が少なくなり、出来る子とできない子のギャップが明白になっていているように感じます。

非行に走るケースも多くが学歴的に高くない場合が多くなっています。高校中退するような子供は弾かれた、という意識が高いのだろうと思います。その結果、自閉症になり、部屋から出られなくなったかと思えば胸のすくようなとんでもないことを仕出かすこともあります。

出来ない子をできないまま放置しては絶対にダメです。もちろん、どうにも対策を取れない障害を持ったお子さんもいるでしょう。その子供たちに希望を与え、簡単な作業でもよいので社会人としての役割を担わせ、自立支援をすべきでしょう。

大きくなったのに働かず、部屋に閉じこもってゲームばっかりやっているお子さんは案外、あちらこちらにいるものです。心の扉を開くにはどうしたらよいのか、放置せず、専門家と問題解決してもらいたいと思っています。

では今日はこのぐらいで。

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即位礼正殿の儀を迎えるにあたり天皇制を考える4

即位礼正殿の儀というめったにない儀式に接し、我々日本人がどれだけ天皇制について考えることがあるのか、ふと感じることがあります。近年では被災地を丁寧に回っておられる天皇皇后のお姿というイメージが強く、励ます立場の公務が増えている気がいたします。

こんな中、三島由紀夫のプチブームが到来しているとされます。今更、三島かと思う人も多いでしょう。私は彼を信奉しているかどうかは別として(というよりそこまで三島研究をしたわけではないので判断できない)、少なくとも三島は天才であったと確信しており、その発言の一つひとつに深く考えさせられるものがあるのです。今後も人間、三島由紀夫を少しずつ解明していきたいと思っています。

この春、TBSが「伝説の討論」とされた1969年の東大教養学部900番教室での「三島対東大全共闘」のフィルムを発見し、一部で話題になりました。死を覚悟して臨んだこの2時間半の討論会で三島が強調したのは東大全共闘には天皇という言葉がない、だが、その言葉があれば私は君たちと共同戦線を張っていたかもしれないという趣旨の発言でしょうか?

三島の天皇に対する考えは軍隊と天皇を一体化する発想であり、戦後の象徴天皇については批判的態度を取っています。氏の文化防衛論では天皇を「国と民族の非分離の象徴」と考えています。

日本の歴史において天皇が国家を主導した時代は鎌倉時代以降、ほとんどなく、近代の歴史において明治時代(から昭和初期)に統治権を総攬するという一時期を迎えます。明治においては維新後の内閣では公卿の三条実美を置き、近世の日本の歴史においてまれにみる天皇家躍進の時代でもありました。その明治時代における日本の国際化と成長ぶり、そして最後に日露戦争で勝利したことはまさに「坂の上の雲」であったのであります。

戦後の象徴天皇とはそういう意味で元のさやに戻ったともいえるのかもしれません。三島にしてみれば納得がいかないのかもしれませんが、日本の歴史を概観すると明治時代の天皇の在り方は特殊であったと考えています。また私が見る限りの三島論では日本国民は純粋なるほぼ単一民族としての発想を原点にしています。が、今の時代、それを強く主張するのはあまりにも保守性が強いと思われるでしょう。「民族」としての日本人なのか、日本に住む人を広義の意味で捉えるのか、論争がある点だとは思いますが、取り巻く環境が変わることで人々の考えも変わってくるのでしょう。

天皇家が日本の文化を守り、国土と国民の安全を祈願し、豊穣であることを第一義に考える今の天皇制の在り方は多くの国民が納得できるあるべき姿なのだろうと感じています。時代とともに天皇制に対する世論の見方や認識は微妙に変わっていくのかもしれません。しかし、令和という時代を通じて天皇が日本の歴史と不可分であり、日本人の心の中に深く影響を及ぼしていることは変わることがないと信じています。

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苦渋ながら最良の選択と言える五輪マラソン札幌開催4

小池百合子都知事の恨み節が聞こえてきそうです。「なんで今更!」ということでしょう。ただ、北方領土開催云々というのは言い過ぎです。ほとんどたわごとにしか聞こえないので小池さんの人格と器が小さく見えるので止めましょう。

東京都は金満都市であります。そして勝手にお金も人も流入してくるため、入ってくることを当然としています。しかしながら、少子高齢化社会と地方活性化が国全体で大きく課題となる中、東京都だけが独り勝ちする構図は必ずしも正しいとは思いません。

オリンピックは開発途上にある国の社会インフラ整備の促進という重要な役目を持っています。今回の東京の開催はその点についての充足度はほとんどなかったわけでむしろ、大会開催コストを節約できるということを前面に出した真逆のロジックがそこにありました。

その中で開催費用負担において近隣他県(埼玉、千葉、神奈川)との負担額で大きく揉めたことはご記憶の方も多いでしょう。要するに小池都知事はナローマインド(狭量)なところがあるように見えるのです。自己利益の極大化ばかりが目立ってしまっているのです。それゆえに今回の札幌の話についても怨嗟しか出てこなくなっています。

私の10月1日付ブログでは望ましかったオリンピック開催時期の見直しと題して安全で選手ファーストのオリンピック開催があるべきということを主張しました。それはドーハの世界陸上の悲惨ともいえる状態を見て抜本的見直しが必要なのだろうと改めて考えたからです。IOCのトーマスバッハ会長も同じことを考えたのでしょう。そして仮にオリンピックで選手や観客に暑さが原因で何らかの大きな事故が生じた場合、その責任問題は今後のIOCの運営そのものに大きな影響すら与えるだろうことは容易に察することができるでしょう。

となれば東京都としてはここはむしろ喜んでマラソンと競歩の札幌開催を支援すべきです。台東区が「おもてなしのために何年もかけて準備してきたのに」と嘆いているようですが、浅草、雷門はオリンピックがあってもなくてもいつでも観光客で満杯であり、何の影響もありません。

今、開催されているラグビーは日本全国、北海道から九州まで12の会場で行われています。だからこそ、相乗効果もあるし、地方在住の多くの方が楽しんでもらえる機会があるのです。一方のオリンピックはほとんどが東京地区であり、開催期間中はむしろ経済は沈静化します。理由は期間中は海外旅行客が日本を敬遠する傾向が出る上に人が皆、東京に集中してしまうのです。だったらマラソン/競歩をcarve out ((大きいところから切り取ること)することは本来のオリンピックの目的からしても正解ではないでしょうか?

むしろ私としてはここから東京と札幌の連携を通じた様々なビジネスや交流を生み出せると考えています。また、北海道にどうやって移動するか、その手段は飛行機、新幹線、フェリーだけではなく、安価なバスを考える人は多いのです。どうやって北海道までバスで行くか、それならば沿道の経済も潤うことが可能かもしれません。いくらでも経済効果は作り出せるのです。小池都知事にとってはこれはチャンスにもなりやしないでしょうか?「さすが、小池さん、次も頼むよ」と言われるような大都知事の器量を見せてもらいたいものです。

では今日はこのぐらいで。

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台風一過で考える損害保険4

台風が爪痕を残して過ぎ去りました。今回も各地で被害をもたらしたわけですが、その後の始末で出番となるのが損害保険です。その損害保険、このところの自然災害で保険料は上がる一方となり、今年の10月以降、保険料は一斉に見直され、6-7%上昇するのですが、この上昇は保険会社が使用する計算書によると建物構造、使用目的、場所で6-7%では収まらないばらつきが出ています。更に21年にも値上げすることが発表されており、いつの間にか損害保険料がとんでもない金額になっていた、ということになるのでしょう。

実は私も日本の不動産の火災保険を9月30日付で更新したのですが、約15%上がりました。私の場合5年契約をしているため、上り幅が大きくなるのはやむを得ないところでありますが、あと1日違っているともっと上がっていたことになります。

さて、前回の台風で千葉県のゴルフ練習場の鉄塔が倒れて住宅に被害がでていますが、いまだ鉄塔は処置されておらず、問題は解決していません。想像ですが、保険がなかったのだろうと思います。同ゴルフ場の鉄塔は以前から劣化していた為、強化策を行うよう県から5年前に指導受けていたとあります。仮にそうであればその賠償責任保険が買えなかったのではないかと思うのです。

もう一つは単純に損害保険だけの規定に照らし合わせると日本の場合、自分の家の保険はあるけれどそれが他人に影響を与えても何ら責任がないという特殊な規定があります。火事の場合によく言われるケース失火責任法であります。これはもともと日本の住宅は紙と木でできていて「江戸の大火」でも知られるように火事など自然災害は当たり前だった背景から失火でも他人の家の被害は原則面倒見なくてもよいことになっています。

そこに加わるのが自然災害。この言葉があると保険会社は保険契約者には保険の支払いを行いますが、それ以外の賠償は一切行いません。ご記憶にあるでしょう、新潟県糸魚川の大火。中華料理屋のオヤジが鍋に火をつけたままちょっと席を外している間に144軒燃えた事件ですが、あれも大風の中での火事ということで「自然災害」となり出火元の賠償はなく被害者が自分の保険を使うことになったと理解しています。(本人はどうなったのか知りません。)

では千葉のゴルフ場の隣家で鉄塔が倒れてつぶされた家はつぶされ損だったのか、といえば「そうです」としか言いようがないのです。ただ訴訟することは可能かと思います。必要な安全対策を取らなかったことによる人災であったと判断されればゴルフ練習場の土地を競売してその代金で保障させることは技術的には可能ですが、大変時間がかかるし、多分、被害家庭が加入している保険会社の協力が必要でしょう。

今回の台風では川の氾濫が各地で相次いだわけですが、これに対抗できる防御策はないのです。私がコンパクトシティを主張するのはそこにもあるのです。特に地方の場合、インフラを含めた甚大な被害が出やすく、住宅も古い木造であることが大半です。それを自分の土地に住む権利があるということでそれを許すのか、ある程度国家が規制するのか、そろそろ考え時だと思うのです。

人気テレビ番組「ぽつんと一軒家」は何度見てもおかしいと思うのです。なんでそんな辺鄙なところに住むことを許すのか、生命の危険があった時誰がそれを面倒見るのか、何でも自由ではないと思っています。警察消防自衛隊のサービスは無料だと考えているところに疑問を感じます。個人負担はないけれど国民の税金がベースのそれらサービスに個人の事情で労力を費やすのは何らかの形で考える時期に来たのだろうと思います。

保険料が上がり始めて多くの家庭でどうにかならないのかと感じた時、あらゆる災害に対する基準が合わなくなってきてると思っていただいて過言ではないでしょう。

では今日はこのぐらいで。

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