外から見る日本、見られる日本人

バンクーバーの日本人社長ヒロが仕事、生活を通じて感じた経済、経営、社会、日本人観などを綴っています。

マスコミ

川勝静岡県知事の辞意表明に思うこと4

静岡県の川勝平太知事といえばある意味、全国の都道府県知事の中でも5本の指に入る知名度ではないでしょうか?その氏の知名度アップはもちろん、リニア新幹線の静岡県部分のトンネル工事に許可を出さず、抵抗し続けた点で、県内と県外の温度の差が最も大きい県の一つだと思います。

その川勝氏は現在知事4期目の3/4程度を消化したところですが、4月1日の新入職員を前にした訓示の内容で躓きました。「県庁はシンクタンク(政策研究機関)だ。毎日毎日、野菜を売ったり、牛の世話をしたり、モノを作ったりとかと違い、基本的に皆さま方は頭脳、知性の高い方たち。それを磨く必要がある」と読売新聞が報じたことで火が付きます。

これを受けて県庁で行われた記者会見で記者が「発言を聞いた県民からは、県の広聴広報課に対して『農業・畜産に携わる人の知性が低いということですか? おごった考えですね』」と質問したのに対して「それは(発言を報じた)読売新聞の報道のせいだと思っています」と読売を名指しで批判、更に「いや、(発言を)切り取られたんだと思いますね」に対して切り取っていないと記者は反論。「いや、文章全体の流れ、脈絡からは外れているんじゃないんですか」「…知性というのは、静岡県の公務員の仕事にそれが必要だからという、そういう流れの中で言っているはずです」と丁々発止を繰り返します。

そして記者会見の最後に「ここまでこういう風潮が充満しているということに対しましては、憂いを持っています。そして、どうしたらいいかなと思っていまして、よく考えたんですけれども、準備もありますからね。6月の議会をもって、この職を辞そうと思っております。以上です」

とまぁ、電撃辞任というか、ブチ切れ辞任とも取れる流れになっています。

川勝氏についてはJR東海の問題を見るとよくもここまで突っ張れるな、と思うのですが、過去4回の知事選の得票数は2009年が728千票、13年が1080千票、17年が833千票、21年が957千票と全然下がっていないのです。しかも09年の1度目の選挙では2位との差がわずか15千票だったものがその後3回の選挙では25万から70万票の差をつけて圧勝しているのです。つまり、なんだかんだ言いながらも川勝氏は支持されており、静岡県を守ってくれたという意識を県民は持っているのだろうということになります。

今回の発言を含め、川勝氏は差別とみなされてもやむを得ない発言を確かにしているのですが、マスコミが悪意を持ってそれを書きたてるため、川勝知事の防戦一方になっていたのもこれまた実情であります。つまり、県政の責任者としてぶれない考えを貫いたが、マスコミのバイアスには抵抗できなかったということであります。今回の記者会見ではマスコミの姿勢についても知事自身が苦言を呈していますが、その点はごもっともな部分もあり、個人的には一連の発言問題についてそこまで責められないとは思っています。

ただ、JR東海との問題については知事自身がトンネルではなく、自らの信念を貫通させ、民間事業だとはいえ、国家全体のインフラ整備とも捉えれるこの事業でJR側が対応しうる限りの対策を打ち出しているにもかかわらず、落としどころを造らず、反対一筋だった点については県政のリーダーとして正しい姿勢ではなかったと考えています。

北米においてアメリカやカナダの各州はかなりの自治権をもっており、様々な問題について連邦政府と州政府が対峙するケースは数多くあります。それらの問題を間近で見てきた中で州知事が自らの支持地盤を守るために考えを変えないというケースが多く、結局選挙で票を入れてくれた人への忠誠と反対票を入れた人への仕返し的な政策が多くみられます。

日本では県の自治権は北米ほどではないですが、一定程度あり、特に工事は沖縄の例のように、もめるわけです。あるいは新潟の原発再稼働問題でも折衝して国益や県としてのベネフィットよりも知事の保身に走る点で県政が偏ってしまい、県民は最終的に損をすることもある点を改めて考えるべきでしょう。

知事が在任中に公約から考えを変えてはいけないことはないのです。なぜなら選挙公約とは選挙時の条件、予見のもとにそのような発言をしていたわけであり、折衝により諸条件が変わってきた場合、それを了とすることは当然あるべきであり、知事の器量と度量の大きさであるとも言えます。川勝知事はその点において自分の殻から抜け出せなくなったかわいそうな方だったとも言えます。

それ以上に日本は政党政治の背景が強く、すべての判断が政党の思想に基づかなくてはいけないという感じが日本を面倒くさいものにしていると思います。個人的には地方自治体ぐらいになれば政党ではなく、案件ごとに議員が判断する無政党議会の運営に変えていくべきでしょう。カナダの地方自治体はそのようになっており、結果としてすべての市政の案件は色がない状態で市長以下が議論して判断をするようになっています。

考えてみれば日本の政治は政党間の主義主張のぶつかり合いが主体で本当の意味での政治をしてきたのか、といえば否であると思います。政策を真剣に考え、議員が政党色に染まらないピュアな政治家を輩出できるような時代になればよいのですが、さて、100年ぐらいたてばそうなるのでしょうか?

では今日はこのぐらいで

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また明日お会いしましょう。

謝罪を糧とする文化4

謝罪のニュース、最近だけでも少なくともこれだけあります。

LINEが委託した中国の業者の個人情報へのアクセス問題
みずほ銀行の2週間で4度のシステムトラブル
東電の柏崎原発のテロ対策不備
松井証券の社員が顧客の株式無断売買

それ以外に謝罪というほどではないですが報道ステーションのセンスのないネットCMの取り下げとお詫び等々。

日経ビジネスは毎年「謝罪の流儀」という特集を年の終わりに組み、毎月これだけ謝罪があったと報じています。何年もやっているのですから毎月それだけ目立つ謝罪が延々と繰り返されているということです。

さて、この謝罪文化について外国人は奇異な目で見る人もいるようです。「アメリカじゃ謝罪なんかしないし」と言い切ったコメントが以前、日経ビジネスにもありましたが、それは言い過ぎで謝罪する時はします。一方、韓国は人のせいにするのが得意なので謝罪は少ないと思います。ただ、トップに立ち、人のせいにできない文大統領はちょくちょく頭を下げています。また、どうにもならなくなったら自殺してしまう特殊性があり、例えば最近ではソウル市長がセクハラで自殺するといった感じでしょうか?

では日本の謝罪文化とは何なのでしょうか?

基本的に「水に流す」だと考えています。幕引きともいえるでしょう。その理由に問題を起こした本人が謝罪をするのは政治家が不正を働いた時や芸能人が麻薬で捕まった時などに限定され、企業が発した問題にその本人が出てくることはほぼ100%ないと言い切ってよいでしょう。本来であれば本人の口から謝罪を聴きたいのですが、日本の会社に於いては「社員の非は会社の非」であり、その頂点である社長など経営陣がお詫びすることで幕引きを図るのです。芝居で幕を引くことが語源ですが、ではその幕の後ろがどうなっているかは分からないのに、観客である国民は「チャン、チャン」で終わりという実はものすごく中途半端な文化なのであります。

また、フラッシュが放たれる中、起立して〇秒間、頭を下げるのがあまりにも当たり前になっていますがこれでいいのか、と疑問を持たないのか不思議なのです。マスコミもそこからの深追いはあまりせず、フォローアップ記事が時折出るだけ。つまり、多くのマスコミは問題を追及し、謝罪に追い込んだ時点で「勝ち誇り」「フラッシュをたいて」心の中で雄たけびを上げる、ということではないでしょうか?

日経ビジネスが毎年、同じ特集を延々と組めるのは謝罪文化に本当の反省がないともいえ、形だけの謝罪行事となっていることを誰も指摘しないのはなぜでしょうか?

日本の謝罪文化は時として復讐心を煽ります。記憶に新しいのは「7万円ステーキ」問題で首相が謝罪する一方、誰がそれをリークしたのか、その犯人探しをし、見つければ懲らしめるという三文芝居が行われます。企業系の謝罪も同様で「ライバル社がリークしたに違いない」「会社の経営方針に反発していた社員のあいつに違いない」といった犯人捜しであります。この文化を面白おかしくしたのが「半沢直樹」で結局土下座して謝罪しながらあのくやしさまみれの顔は心の底からの謝罪ではないことが一目瞭然に読み取れるのです。

私がタイトルを「謝罪を糧とする文化」としたのは「糧」=「活動の本源、チカラづけるもの」であり、日本の社会、ビジネスにおいて不可欠なレアメタル的存在であり、あまりたくさんあっても困るけれどないと困るというものなのでしょう。そうでないと週刊文春も上がったりになるのです。

ではどうすればよいのでしょうか?私は謝罪会見自体が芝居がかっていて大げさなのだと思います。企業が不祥事を起こした際でも「すわ、記者会見!」という「パブロフの犬」状態になっているのだと思います。内容によっては丁寧な文書とわかりやすい説明を会社のホームページに記載し、報道関係者に配布するというもっと論理的で実利的なやり方でもよいのだと思います。

また、一部からは「謝罪会見がないぞー」という声も上がるのだろうと思いますが、全体から見ればごくわずかの声をいかにも国民の声であるがごとく報じるマスコミの偏向報道がより歪ませているのだと思います。

つまり謝罪会見ほどおいしいものはないと思っているのはマスコミで自らが作り出している芝居に悦に入っているとしか思えないのであります。

では今日はこのぐらいで。

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山田広報官を辞任に追い込んだ日本の悪い癖4

私はちょっと残念でした。山田広報官が辞任まで追い込まれたという事実です。もちろん、彼女が悪くなかったとは言いませんが、たまたま鉄砲の弾が当たってしまったということかと思います。もしも世間がそこまできれいごとを求めるなら日本から政治家も官僚もいなくなるかもしれません。74000円の店に連れて行かれたとしてもそれを味わってぱくつくことはないのです。会食というのは会合が主であり、接待側は場の雰囲気を作ることが重要であり、食事が華でしかないことはそれなりの人はご存知かと思います。

高額の食事の接待を受けたということだけが独り歩きし、マスコミから5チャンネルまで総叩きでした。この構図は先日のオリパラの森前会長と同じ流れですが、もちろん、中身は違います。

また山田氏が入院したことすら攻め立てる一部の書き込みは尋常ではないと思います。あれだけ世間から騒がれ、注目を浴び、非難されれば誰だって体調を崩すものです。その過激な書き込みに見えるものは書き手のストレスのはけ口なのだろうと思いますが、鉄砲の弾が当たって更にナイフでメンタルまでずたずたに刺すこんな社会でよいのでしょうか?

北米と違うところは本当に法律違反で処罰されなければならない場合は有無を言わせず、アウト。その時、当事者は大体悪人の顔つきであります。一方、法律違反ではないけれど世間一般からはおかしいと揶揄される問題があった場合はマスコミなどで取り上げられるものの本人が謝罪をして大体幕引きだと思います。また、行為がおかしかったのかどうか微妙なときにはバッシングする側に対して守るべき声が上がります。典型的な例がトランプ前大統領でしょう。

今回の場合、山田氏を守る気があれば守れたと思います。しかし、誰も火中の栗を拾いに行かなかったのはなぜでしょうか。彼女が既に60歳でこの3月で定年を迎えるため、あとひと月頑張ればよいと考えた節があるかもしれません。では収賄だったのか、といえば裁判をすればわかりますが、そんな筈はまずないでしょう。利害関係が生じないからです。

日本では「バッテン」は一生付きまとう、という発想があります。アジア全般にそうかもしれません。例えば離婚経験者が一番悔やむのが戸籍謄本。過去の結婚の部分に大きなバッテン印がつくのです。今時、あんなものを放置しているのは人権侵害だと誰も訴えないのでしょうか?

私は北米が居心地良いと思うのは「バッテン」があってもやり直せる社会だということです。会社を倒産させてもやり直しができるのです。日本はなかなか難しいでしょう。人間誰しも苦い経験はあると思います。私なんて両手の指では足りないぐらいあります。それに対して罪をかぶせていたら命が10あっても足りなかったと思います。

かつて韓国でねたまれる人をネット上で大バッシングし、本人を自殺に追い込むなど無茶な私刑(リンチ)があった際、日本では韓国はひどいよね、と言っていたのですが、今の日本はそれとさして変わりないように見えます。菅首相がいみじくもこぼしたように「同じ質問ばかりを繰り返し」ボロを出させようとします。これは警察の取り調べ方法と同じで長時間の拘留で相手のメンタルにダメージを与えるという手法です。

ではバッシングする側の心理とは何でしょうか?私はメディアの熾烈な競争意識、それと「出る杭」に対して世論を味方につける流れなのだろうと思います。自分たちはコンビニでパンを買うような生活なのに74000円なんて私のひと月の生活費じゃないか、という妬みとそんな奴は許さないという奇妙な正義感はあるでしょう。一般大衆を相手にしたら勝ち目はまずありません。

一方、接待の場所選びは相手をどれだけ舞い上がらせるか、接待する側の武器でもあります。そもそも店は山田さんが選んだわけじゃないのです。別に5000円の店でも問題なかったと思うのですが自分でも出せないほどの店に連れて行くところに接待する側の戦略があるともいえます。

こう考えると個人的には御馳走をした側、東北新社に7割以上の過失があると思われるのにそちらの方はネットでもあまり書き立てられないのはなぜでしょうか?首相のご長男のお写真のインパクトが強すぎるからでしょうか?

日本では収賄事件は懲りずに頻繁に起きています。金品をつかませ、具体的な見返りを期待すればこれはアウトですが、官僚も政治家も情報収集は必要です。電話やメール、事務所での面談でことが済まないのが日本のビジネスでこれは役人も企業もまったく同じ体質があります。これを直すのは日本人の体質そのものにまで踏み込まねばならず、容易ではないでしょう。

私は時としてまじめな役人は可哀そうだと思うのです。机上の理論だけで物事が進むと思ってしまい、実情に合わない法律やルールを制定したりします。また我々一般人はそれを批判したりするのです。役人からすれば「どうしたらよいのか?」わからないのです。私は日本でも時々役人とご一緒しますが、民間と明白な温度差を感じることはしばしばあります。この辺り、単におごる、おごられるの話から一歩踏み込まないと10年後も同じことを繰り返しているような気がします。

では今日はこのぐらいで。

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報道のクオリティ4

東京新聞40代男性記者が厚労省でコロナの際のマスクの原価を調べる取材で一線を越えたことに対して同紙が謝罪文を掲載しました。同紙の謝罪文の一部です。

9月4日の取材の際、記者が「ばかにしているのか」と大声を出して机をたたいたり、職員の資料を一時的に奪ったりした。取材時間は3時間45分に及んだ。厚労省から、業務に支障が生じたとして編集局に抗議があった、とあります。

情けない、品格がない、社会人としての常識がないの「3無し」であります。大体3時間45分も居座るというのはヤクザもびっくりの業務妨害。取材を受けた厚労省担当者は新聞記者に変なことを書かれてはいけないし、自分の態度が厚労省全体の印象悪化につながってはいけないと必死に耐えたのだろうと思います。これを本当のハラスメントというのでしょう。

記者の行き過ぎた取材姿勢は時として禍根を残します。私が直接的に覚えているのが雑誌「経済界」の社主、佐藤正忠氏でしょうか?氏がトップで君臨していた頃の同誌は異色であったものの佐藤氏がインタビューし、時の経済人を追いかける記事内容は非常に注目されました。

が、それは読み手側の評価であって、取材を受ける側は戦々恐々でした。私のボスであったゼネコン会長も普段は肩で風を切っていたのに佐藤さんのところに出向くときは借りてきた猫のように変貌しました。その時の我々が作った名言が「ペンは剣なり」であります。「ペンは剣よりも強し」は報道機関の勇気をたたえるものでありますが、「ペンは剣なり」とは恐ろしく真逆の意味を指し、書き手の印象を損ねるとどんな暴力的なものでもかけるのだから気をつけよ、という暗示であります。

記者と称される方は新聞協会によると2019年時点で18000人弱いらっしゃいます。2001年が20700人程度で2017年ぐらいまではあまり減っていないのですが、ここにきて少し減少に転じています。新聞発行部数が激減する中で記者は1割ぐらいしか減っていないというのも腑に落ちません。それだけの数の記者が似たような事件や報道ネタを追うのです。ネット主流の時代となり、ネットメディアが相当増え、報道内容がネット上に「散乱」している中で、報道機関としては「特ダネ」がどうしても欲しいわけです。

かつて記者は「夜討ち朝駆け」などと言われたものですが、冒頭の東京新聞の姿勢は情報をくれるまではてこでも動かないという記者の焦りすら見て取れるのです。

かつてフリージャーナリストの安田純平氏がシリアで3年4カ月も拘束されました。これなども起死回生の報道を求めて命も賭けたといえば聞こえはよいのですが、彼を解放するためにどれだけの税金が投入されたかと考えるとちょっと違うでしょう、と思うのです。

野党の追及も最近はメディアや週刊誌ネタからの流用も多くなってきました。政治家は調査費が出るわけですが、もはやそんな調査より、マスコミから情報を貰った方が便利だというのはその辺にある経済小説の典型的ストーリーでもあります。週刊文春のすっぱ抜きは犯罪ではないけれど社会的に粛清させるようなネタを次々と出してきます。それ故、2020年上半期の同誌の販売部数は前年比100%増で笑いが止まらない状態であります。

しかし、これらの報道はある意味、のぞき見趣味であり、私には「家政婦は見た」にみられる日本人の独特の悪趣味と勧善懲悪が背景にあることを否定しません。真の報道とは誰か有名人の上げ足を取ることが重要なのでしょうか?それよりも社会経済政治問題で本当に提示しなくてはいけない事象を地道に取り上げ続けることが本質的なのだろうと思います。

では今日はこのぐらいで。

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マスコミの品格4

かつて新聞社への就職はなかなかの人気職種で「新聞社の電気が消えることはない」とされたものです。私も幼少のころからそのような印象を植え付けられました。ビジネス街の人通りが途切れた夜半でも新聞社の前で社員待ちのタクシーが並ぶ風景をみてある意味、日本を支えていると思い続けていました。

先日、広島で久々に記者会見に臨んだ安倍首相に対して飛行機の時間の都合上、質問数が4つと限定されている中で司会者が終わりを宣言した後も朝日新聞の記者が大声で質問をします。切り上げる首相に恨み節のような叫びをあげ、更には首相報道官の職員が腕をつかんだというクレームの報道もされています。同様の話はその少し前に官邸で毎日新聞の記者も首相の背中にかなり無理な雄たけびに近い声を浴びせていました。

東京新聞の記者、望月衣塑子さんもある意味、菅官房長官とのやりとりで一躍有名になった方でしょう。賛否両論ありますが、個人的には賛同できません。質問の内容が偏見を前提に引っ掛けて何かネタを拾い出そうとする感じがして格好良くないのです。悪く言えば二流の週刊誌的な感じでクレバーさを感じないんです。

報道関係者の世界もネットが普及し、激しい競争社会になっています。ちょっと目立つ記者会見ならば報道陣が100人以上詰めかけることもしばしばでそれぞれのペン先がどう光るかでその記事やメディアの価値も変わってきます。しかし、基本的には記者会見だけでは100人記者がいても100人が同じ情報しか取れないはずなので内容の差は出ません。あとは記者の知性と表現力そして予習能力にかかるところであります。

一時期は過激タイトルで目を引こうとした稚拙さも最近はやや沈静化した気がします。一方でメディア戦略は右派、左派をはじめ、様々な思想や考え方のどちらかに重きを置く方がよいのか、両取りをするのがよいのか判断に迷うところです。例えば当地で長年ローカル新聞を出版していた社主は私のその質問に対して「バンクーバーのように小さな日系社会では分断を作ってはいけないから思想色を極力避けるために社説などは出さなかった」と言われたことがあります。これはこれで一つのポリシーです。

では最近のメディアの特徴はどうか、といえばあえて言うなら東野圭吾的記事が増えたように感じます。つまり、記事のトーンはある色をもって展開するのに最後の1-2行で「しかし」とそれまでのストーリーラインを打ち消し、盛り上がりを消去させる手段です。多分、これで記事の公平感を保とうとしているのでしょう。ですが読み手は混乱すると思います。

もう一つ、記事は記者の表現力一つで読み手にどんな印象でも与えられるのです。例えば日経の8月8日の記事にこんなタイトルのものがあります。「バフェット氏投資会社、純利益87%増2.7兆円 4〜6月」。ネット主体で皆さん忙しいのでタイトルだけの読み流しの方もいらっしゃるでしょう。その方がこのヘッドラインをみたらどういう印象でしょうか?バフェット氏、ダメダメと言われていたのにやるじゃないか、です。事実、日経は5月に「衰えるバフェット氏の手腕 指数に勝てず含み益も急減」とバフェット氏の否定記事を出しています。読み手はここで混乱するのです。

それからすれば8月8日の記事は嘘じゃないけれど私からすればややミスリードなんです。1-3月期の赤字が496億ドルあり、4-6月期は262億ドル利益が出ています。しかし、同社の暦年の本当の実力は50億ドル程度の利益水準です。これはアメリカの会計基準が変更となり、投資先の株価を決算に反映するようになり偽利益、偽損失が本来の数倍から10倍近く出てしまい、会社の実力評価ができないというのが正直なところでしょう。つまり、表層の数字ではなく、この決算の本質は何処にあるか、ここがポイントだと思うのです。そしてバフェット氏の神通力がまだあるのか、そこが知りたいところではないでしょうか?

最近は聞いたことがないメディアの記事も多く配信されています。個人的に一言だけ申し上げれば記事そのものが「針小棒大」。つまりある目立つ部分だけを取り上げ過ぎておりバランスが崩れているものが目立つと思います。だから私は無名の配信会社の記事はあまり読まなくなりました。感覚が狂うんですね。

良い音楽、良い絵画、良い小説…といった具合に品の良いものに接することが大事だとすれば無限に広がるニュースメディアの中身も取捨選択すべきでしょう。さもなければ時間の無駄で、知識の汚染を招きかねないと思います。

では今日はこのぐらいで。

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今週のつぶやき4

台湾の李登輝元総統がお亡くなりになりました。97歳。歴史に残る人物でした。台湾で初めて民主的方法で選出された総統であり、台湾のあるべき道を常に考えていました。親日家というより自分の少年期は日本人だったと述べ、日台改善にも尽力され、今の台湾との良好な関係の礎を築いたと思います。ご冥福をお祈りいたします。

では今週のつぶやきです。

日米の株式市場の違い
先週のこの項で「連休明けの日本の市場は厳しいかもしれない」という趣旨のことを申し上げました。蓋を開けてみれば月曜から金曜まで全敗。おまけに金曜は629円もの下げとなりました。厳しいと申し上げた根拠はドル円の為替、コロナの新規感染者増の上に企業の4-6月決算がどんな結果であろうと事前予想との比較ではなく、表面的な赤字幅、減収率に目を奪われてしまう日本の特徴があるからです。

北米市場は決算期の前に各企業の決算予想がアナリストにより出ていますのでそれに対してどうだったかで株価が動きます。例えば4-6月のアメリカGDPが32.9%マイナスと出ましたが事前予想よりやや良かったので市場でこのニュースの反応はあまり出ませんでした。また、決算発表に対する企業側のコメントはどんなに悪くてもよいところを見つけてポジティブに発表します。一方の日本のそれはコロナで大変でした、というネガトーンが覆いかぶさるようになっています。

企業経営者には株価を注視する、ひいては株主の利益を守るという大事な役割があります。会社は誰のものという議論はここではしませんが、株主の利益を守るのは銀行からの借り入れと同じぐらい重要なのです。それに対して「駄目でした」「お詫びします」では意味がないのです。どうやったらよくなるのか徹底的に分析し、四半期決算発表で解を示すことが重要です。そもそもの経営姿勢とプレゼン能力が大きく進んだ世界水準について行ってないように感じます。

コロナ、マスコミと知事
正直、私にはよくわからないし、大多数の方もわからないと思います。専門家ですら意見が割れるこのコロナ、日本だけではなく、当地のテレビでも延々とやっていますが、何かが違う気がするのです。そしてそう思う人が少しずつ増えてきているような気がします。このところの新規感染者の増加はマスコミにとって格好のネタ。各都道府県の発表前の数字を内部情報でつかみ「東京都の今日の新規感染者数は〇〇人台になりそう」と赤字で派手に予告報道しています。これ、おかしくないでしょうか?数字だけが独り歩きしていませんか?

PCR検査の陽性者数と新型コロナの本当の感染者数は一致しません。真の感染者はもっと少ないかもしれません。なので私は統計としては重症者と死亡者数を見ています。確かにこのところ6月頃に比べ若干増えていますが、それでも少ない水準に収まっています。一方、どこの知事も陽性反応の数を受け、躍起になっていて感染予防を呼びかけるのは理解できるのですが、むやみに煽り過ぎている気がするのです。そしてそれ以上に国の声が全然出てこないのです。都道府県の管轄だから、でよいのでしょうか?これは政権のグリップが効いていないように思えます。

ウィズコロナとは小池知事も発言していましたが、小池知事の日々のマスコミ向けの発言にはウィズを認めたくないという意思が強く込められています。また、知事連中がバラバラに発言し、マスコミはおいしいニュースだけを拾い上げ全国区で放送する、すると他県の人まで奇妙な呪縛にかかるという悪循環と委縮の社会を作り出しました。私はコロナ以上に縮む日本がもっと怖い気がします。

巨大IT4社の公聴会はなんだったのか?
アメリカの巨大IT企業、アップル、アマゾン、アルファベット(グーグル)、フェイスブックが下院の司法委員会の公聴会に呼ばれ(実際はオンラインです)5時間以上グリルされたと報じられています。グリルとは「直火で焼く」ですので炙り出して本音を吐かせるという感じでしょう。目的は巨大すぎる企業体系が中小企業のビジネス機会を喪失させていないか、であります。

各社のトップとも非常に練られた上手な回答をしたと思っています。司法委員会は会社分割などを迫っているのですが、司法委員会のポイントずれだと思います。彼らを巨大な私企業と考えていることがそもそものはずれで無数の中小企業の「拠り所」「お助け処」になっている実態を無視していると思います。思い出してほしいのですが、楽天が楽天市場を開設した時、多くの個人事業経営者は楽天に登録を急ぎ、EC店舗の存在で売り上げが急増したと大喜びしませんでしたか?レストランはコロナ対策でインスタ映えする写真をアップしました。多くの個人も事業主もGAFAなしには生きていけないのです。

私は巨大ITはインフラだと思っています。スマホを介したサービス、検索、SNS、Eコマースの基盤です。これらは電気ガス水道などと同じで、なくてはならないものなのです。この観点からあえて規制をするならばインフラのパイプ強化に専念させ、より強固な世界規模のITネットワークを構築する一方、自社ブランドの商品の販売を極力少なくさせるといった対策が正しいと思います。会社分割なんてとんでもない陳腐でビジネスと経済を知らない人の発想です。アメリカなのですからもっと偉大な考え方をするべきでしょう。今回の公聴会は議員側の負けです。

後記
見えなくなった仲間たちを感じています。なるほど親友と友人と知り合いという3段階評価をした場合、コロナ禍でも会うのは親友。友人とはメール、知り合いとは疎遠になるというのが私の経験的流れですが皆さんは如何でしょうか?結局ビジネス仲間だとコロナ禍の経営の出来不出来次第でやっかみもあり、ふるいにかかったような状態です。何やらコロナが人付き合いまで変えてしまいそうで恐ろしいですよね。早く和気あいあいの時代に戻れればと思います。

では今日はこのぐらいで。

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また明日お会いしましょう。

G20 安倍首相の通信簿4

G20が終わりました。これほどの重要会議の議長を務めた安倍首相への注目度は否が応でも高まっていました。難しいと思われた共同宣言である「大阪宣言」も盛り込みました。総括して通信簿をつけるなら私は85点を差し上げます。

20か国の我儘が先鋭化する中、それをどう取りまとめるか、むしろ、19か国が安倍首相に気を遣ったようにも感じます。つまり、あしげく外遊に勤しみ、外交で必死に落としどころを求め続けてきた安倍首相への遠慮もあったかもしれません。

日本は基本的に外交姿勢はバランスを保つスタンスを取り続けてきました。理由は小国で資源もない中、敵を作らず、うまくやっていくことを至上課題してきたことがあります。時の首相によりそのバランスは多少、右寄り、左寄りの時もあります。が、安倍首相の場合、就任当時に比べて明らかに等間隔外交が強まりました。それは逆に相手との関係に厚みを増す中でどちらも立てなくてはいけない状況になるからでしょう。

その例としてプーチン大統領との首脳会談は26回目を重ねていますが、その外交成果が十分ではないのは人間関係が先に構築されてしまったからともいえます。トランプ大統領とのゴルフ外交も双方の理解度が進み、最悪のケースは避けられるものの最良のケースもあり得ないともいえるのです。

ではそれに対して辛口筋が「甘い!」「失望だ!」「あれだけ外遊しているのになぜだ!」といった声を上げるかもしれませんが、日本の立場を考えた場合、今のバランス外交がうまく機能するプラス面はマイナス面よりはるかに大きいのかもしれません。色濃い外交を将来するのであればそれはその時の首相のリーダーシップに担うものであり、安倍首相の持ち合わせた外交能力は以前にもまして角が丸くなったと言わざるを得ません。

その丸い外交の成果は二国間外交にも表れ、安倍首相を真ん中に左右にトランプ、習近平両氏が座るサミットの開会はその流れを象徴するものだったのかもしれません。注目された米中首脳会談も非常に中庸で予想通りの結果となりました。この件に関し、一点だけコメントを付け加えるとすればトランプ大統領の強面戦術はそろそろ薬が切れそうだ、という点でしょうか?アメリカはもっと論理的戦略に立ち戻らないと中国との通商戦争は尻切れトンボか中途半端な成果に終わる可能性があります。

主要紙の社説は日経、読売、産経、毎日が米中首脳会談を取り上げ、安倍首相にスポットを当てませんでした。一方、朝日の社説は見るに耐えない安倍首相への批判というより非難に近く、まったくもって公平性を欠いている内容であります。まるで野党の遠吠えと同じであります。

マスコミが議長への敬意を一つも示さなかったことは最低のマナーすら守れなかったとも言えます。

もし私が首相で難題山積の中、こんなバランス外交を通じて将来への可能性を繋げる議長が出来たなら自分への褒美を上げたいところであります。では最後になぜ15点減点があったか、ですが、大阪宣言に数値目標を設置したのはプラごみ対策だけだった点でしょうか?もっと具体性が欲しかったというのが正直なところでした。

では今日はこのぐらいで。

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