外から見る日本、見られる日本人

バンクーバーの日本人社長ヒロが仕事、生活を通じて感じた経済、経営、社会、日本人観などを綴っています。

勝ち組

日本は勝ち組になれる?4

世界の景気にどんよりと雲がかかっています。

アメリカには財政と政治という雲が分厚く広がってきています。

ヨーロッパには緊縮財政と域内アンバランス、更にはどうやってサステナビリティを持たせるのか分からないギリシャ、ポルトガルの国債利回りがあり、雨がザーザー降っています。

中国は止まらない物価高と下げに転じた不動産で、国内の不満が民主化運動の高まりの中で何時噴出してもおかしくない状況で国内統制に精一杯の状態だろうと思います。

で、日本はと言うと確かに震災でとてつもない打撃をこうむりました。が、この打撃はアメリカやヨーロッパ、中国が抱えている問題と本質を異にします。いや、日本も震災前までは同じ類の問題を抱えていましたが震災で一気に様相が変わりました。

他の国は財政逼迫でとにかく支出を止めなくてはいけません。

日本はこれから20兆円近くを使わざるを得ません。

まったく違うことがお分かりいただけると思います。数週間前、「アメリカのQE3は日本向け復興支出」などという噂にもならない話もありましたが今世界の中でこれだけのお金をすぐに使う予定の国はありません。

思い出してください。リーマン・ショックで世界中の金利を下げ、お金を市中に溢れんばかりにしたのはお金を使って景気を引き上げようとしたことです。が、日本はなかなか使ってくれませんでした。

日本の建設会社が何故こんなに元気がなくなったかというと公共事業が1997年には9兆7000億円ありましたが2010年には5兆7700億円まで減少したことが主因と言われています。今回の震災復興を通じた建設会社に発注される事業費は巨額になるわけでピーク時のそれを上回るとしてもおかしくありません。

しかも公共事業以外に民間投資がこれに加わります。ある意味これは特需なのです。

が、一つだけ気になることがあります。この財源。一部の報道で消費税を3%上げる案がある、といわれています。仮にそれが真剣に検討されているとしたらそれはナンセンスそのものです。せっかくの特需を打ち消してしまうからです。

僕は国債発行でよいと思います。しかし日銀総裁はインタビューで海外発行に強い懸念を示しました。その理由は債券価格の暴落(利回りの上昇)を生む可能性を懸念があるからというものです。だから仮にそうなれば国内で消化させるという常套手段がその手法として考えられているようです。

が、日本の国債が巨額な海外資産に裏打ちされ、95%以上を国内で消化している上に震災という特殊要因であれば海外発行の余地は大いにあると思います。むしろヨーロッパやアメリカなどの国債に疑問符がつくようであれば日本の国債の入札に不安を持つ理由が僕にはわかりません。

日本の国債はいづれ海外で出さなくてはいけません。分かっているのに財務省はその役目を負いたくないために先送りにしています。

僕は20年間に及ぶ下向き経済に「さよなら」をいうチャンスだと思っています。東北の被災地にスマートシティを作る発想があります。これなどはゼロスタートであるが故に出来る構想なのです。既存の街には出来ません。

また、第二首都移転計画が昔あり、その際、候補地として残っていたのが福島県阿武隈地区。僕はこの構想の一部だけでも復活させたらどうかと思います。福島県には経済のエンジンが必要です。阿武隈は新幹線もあり、海からは遠い平野です。

政府部門を地方都市に置くというのはカナダでは非常にポピュラー。税の一部門や移民局などは田舎町にあるのです。日本の場合すべて東京に集めることでリスクを背負っています。しかし、今回の震災で一極集中のリスクをまざまざと見せ付けられました。東北の再構築をきちんと計画していくと日本は素晴らしい飛躍と発展をするチャンスを作れると思います。

どうか現内閣がせっかくのチャンスをぶち壊すようなまねだけはしてもらいたくないと思います。それだけはお願いいたします。

ご意見いろいろあると思います。皆様のコメント、お待ちしております。

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ではまた明日。

一億総中流という身分4

先日、僕の「外国にいる日本人は不思議」のブログに対して熱帯雨林さんからコメントを頂戴しました。
一部コピーさせてもらいます。

>(日本人の)嫌いな特徴は、スポーツではなく、ビジネスの成功者、つまり高額所得者に冷たいところです。ヒロさんの他のコメントにもあったように、この日本人の感覚は、特異で頑固だと思います。
なぜ日本人は、ビジネスの成功者に拍手を送らないのでしょう。それどころか、むしろ悪人のように忌み嫌います。

リスクをとり、人がやったことないことをチャレンジし、その結果失敗しながら、やがて成功する。その人が、何もしなかった人たちと同じ生活レベルだとしたら、誰がそんな馬鹿げた挑戦をするのでしょうか。そうやって、日本の若者は夢を失ったのではないですか? (以上転写)

僕はこのブログを通して熱帯雨林さんが主張されていることを書かせて頂いてきたと思います。今日はこの点に関してもう一度視点を変えて考えてみましょう。

日本から表向き身分制度がなくなったのが明治の初め。が、制度が変わっても世の中が突然変わるわけではありませんでした。実際に明治時代は身分制度を背景にした社会構造はあちらこちらに残っていました。

が、すべての日本人を巻き込んだ世界大戦後、日本に残されたのは焼け野原と貧困でした。バラックからビジネスを立ち上げる人が続々と現れ少しずつ活気を取り戻し始めた日本はある意味、生まれ変わったと共にそれまであった身分感覚がリフレッシュされ、平等な日本人という強力なアイデンティティが生まれました。

また共産党や社会党の復活、更には労働組合の結成を通じて被雇用者は団結を深めたのです。その結果、一億総中流という画期的な成果をあげました。その集大成を極めたのが1970年。

この時点で日本人には中流という身分階級が備わったと考えることが出来ます。が、その後、中流からの脱落者が出始めます。それが現代の格差問題ですね。一方でいわゆる勝ち組と称される人は中流階級から上に抜けることになり中流から強い抵抗が出始めたと考えています。

人間誰でも同じ能力を持って生まれたとしてもある時点において財産、度量、才能、家族、運などにより人の運命は違った道に進みます。その運命のいたずらに対して人は素直になれず、自分との仲間意識はその時点で発生したり、強くなったり、薄れたり或いは消滅します。

イチロー選手のように若いときから人並みはずれた能力を持ち、到底自分と同じ土俵にない人には日本人の同胞としてのエールを送ることにとても素直です。が、同じ土俵からスタートし、ビジネス等を通じ成功した人は自分も一労働者という同じ土俵にいていつの間にか置いていかれた一種の嫉妬が生じると考えるとナチュラルではないでしょうか?

例えば同じ小学校、同じ会社の仲間であればあるほど同じ釜の飯を食ったのに、という気持ちが強くなるのです。

日本人は運命とか宿命という言葉が好きです。それはその人に有無を言わさずそういう現実がおこるという「悲観」でもあります。だからこそ上に向かう人には素直になれず、下に向かう人には内心ほっとするのです。

日本の2時間ものドラマは殺人絡みのテーマが多いですね。或いは不幸な人がテーマです。日本人はつらい話を見て妙な落ち着きをみせたりするのです。サクセスストーリーの場合でも必ず振り落とされる人がいてこそ面白い物語仕掛けになるのです。

その点からすると日本人はある意味とても悲劇のヒーローやヒロイン志向なのかもしれませんね。

ご意見ありましたらぜひお願いします。

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