2025年03月15日
今週は忙しかった。忙しいと言っても現役の頃のように昼に夜を繋いだような忙しさではないが、私にとっては、年に一度有るか無いかのような日々で、なんと1週間に5日も「ねばならない」外出である。現役を退くとき、老後は「週3日、一日3時間」と決めていたのに、週5日も出かけ、おまけに木曜日など朝から夕刻までの外出である。まあ、腰の痛みも大分よくなったので、無理なく動けた。
木曜日は、仲間のNPOのお手伝いで、三鷹の老人達と「いちご狩り」に、河口湖方面のバス研修旅行である。この行事は、仲間の三鷹市からの委託事業の一つであるが、私は数年その下働きのお手伝いしている。三鷹市民でない私が出しゃばってはまずいと、市との交渉などは、仲間に任せ、専ら小間使いに徹している。今回は、いちご狩りと信玄餅の詰め放題を計画した。何しろ市報で募集するのであるが、4倍強の応募者であり。抽選などの作業が私の役割である。そして、ご褒美に皆さんとバス旅行を楽しむ。これも今年が最後かもと思いながら、バスに乗る。
今回は、菜種梅雨の中休みのような素晴らしい天気に恵まれ、美しい富士を眺めながらの旅である。最初にハーブ庭園旅日記により、ハーブ茶など試飲する。ほうとう料理の昼食をとり、信玄餅の詰め放題にチャレンジする。10個も詰めた。ちなみに平均は12個とのことであるが、まあまあである。そして、いちご狩りを楽しむが、もぎ取るいちごは小さかったが、農園側が用意してくれた山盛りの甘くて大きいいちごをたらふく食べた。
まあ、年に1回位は、このように朝から「わいわい面白おかしく」過ごすのも老人の良薬に違いない。腰の痛みを心配して、杖を持参したのであるが、世話にならず、動き回れた。
夕刻、三鷹市役所前で解散した時、友人に、「次回もよろしくね」と、言われたが、「はい」と即答したいが、「うんー、元気だったら」と、あいまいな返事になる。もう卒業したいが、この仲間との付き合いをなくすと、何もすることが無くなる。「どうしようかなー」であるが、「お座敷が、かかるうちは花」かもと思ったりする。
老いぬれば二粒三粒のいちご狩り
雪被る富士を背中にはいチーズ
水温みパンツ裸足の男の子
2025年03月03日
今日は、朝から冷たい雨が降っている。パソコンを立ち上げれば杉並区の天気用予報に傘と雪だるまのアイコンが表示されている。これといった予定はないので、外出は避けよう。
ここ数日の春の陽気に誘われて、散歩がてらに荻窪三庭園(太田黒公園、角川庭園、荻外荘)めぐりをする。
昨年末に荻外荘(近衛文麿邸)が、一般公開になった。公開されるたら直ぐに行くつもりであったが、激しい腰痛であきらめていた。そもそもこの界隈は、私のボランティアや囲碁会などの活動範囲ある。しかし、年末から1月には、往復バスを使っていたので、探索は数日前になった。考えてみれば、太田黒公園の紅葉も見ていない。
荻外荘が公開されたことにより、この界隈は、地図を片手にした人を見かけ、時々、場所を尋ねられる。駅からぐるっと回わって駅の戻るには、4km位の徒歩であるが、住宅街のためにお休み処がない。昨年までは「荻窪区民センター」の入り口のロビーは恰好の休憩所であったが、今は回収工事で使えない。皆どうしているのだろうと、余計な心配をする。。
荻外荘の内部を見学し、戦争責任を問われて「黙して死す」と自殺した近衛文麿をちょっぴり回顧する。しかし、この屋敷跡は一部マンションになっているが、まだまだ広い。数年前に一部を公園に開放された時、囲碁仲間などと「最近、善福寺川地沿いに狸が出没するのは、荻外荘の狸が表に出てきたせいだ」と、談笑したことを思い出す。(左上の写真は、奥様の毛利家からのお嫁入道具のひな壇です)
話は、ちょっと反れるが、荻窪駅南口には、この三庭園の他に、旧屋敷跡の公園が沢山ある。
その一つに与謝野鉄幹・晶子公園がある。そこには私の好きな歌を刻んだ晶子の歌碑がある。
やわ肌のあつき血汐にふれも見でさびしからずや道を説く君
この朝はスマホ賑わす雛自慢
ささやかなハマグリ椀の祝い繕
断捨離で飾る雛なくロボットと
2025年02月24日
年が明け早2か月が過ぎようとしている。昨年末に痛めた腰も4か月の時薬が功を奏して大分回復した。「あの痛みは何だったのだろうか」までのような完治ではないが、杖もコルセットも不要となり、やれやれである。時薬も若いころのように即効性はないが、まだ自力回復の力が少し残っているようだ。これで杖を頼りの「直角おばさん」には、ならないで済みそうだ。こうなれば、腰の万歩計もせっせとと稼いでくれる。ここ数日平均6000位歩いている。
先日、バスを使わず、デイサービスの囲碁のボランティアに出かける。「ちょっと疲れたなー」と、しばらく休んでいると、「ハンドマッサージしない?」と職員に誘われ、施設の利用者になり、若い女性のマッサージを受ける。
「ねー、私は、テレビの囲碁・将棋番組をよく観るが、棋手の皆さん手は、艶と張りがあって、素敵なのよ。それに比べればこの手は“ばばくさい”」と嘆く。でも、彼女は「大丈夫ですよ。今日は少し若くしますね」と、手のひらや甲を入念にマッサージしてくれる。
「ほら、血のめぐりがよくなって、ほんのり赤くなってきました」と笑う。
「はい、貴女の優しいスキンシップで頭の方まで血が回ったようだ」と、四方山話をしながら人のぬくもりの心地良さを思い出す。
啄木の歌に有名な「はたらけど はたらけど猶(なお)わが生活(くらし)楽にならざりぢつと手を見る」があるが、私の場合は、「年につれ 血管浮き出すし 皺だらけ 寂しからずや じっと手を見る」である。でも、マッサージを受けて、気持ちよく囲碁を打ち、歩いて家に帰る。
梅畑見下ろすベンチ熱きお茶
啓蟄や藁袴脱ぐ寺の松
時薬痛み和らげ春を待つ
2025年02月16日

数日前の九州地方までの雪のニュースが嘘のように、寒波の中休みなのか数日穏やかな天気が続いている。昨年の暮れからの腰痛で、今年の老人施設でのボランティア活動を減らしたので、この数日は、全く予定がない。朝寝、昼寝、夜寝の日々ではまずいと、本屋で数冊調達する。読書も忙中暇ありの時なら身につくが、今のように暇つぶしでは、ボケ防止の糧となっているとは思えないが、調達した佐藤愛子のエッセイを読む。その文の読後感想を書くほどの才が、ないのでそれを避けるが、100歳近い文章とは思えない筆運びに感服する。
その中に「老人の夢」の話が載っている。読みながら、今年の歌会初めのお題が「夢」であったことを追い出す。定かな記憶でないが、その中に一般応募の歌に「かなえる範囲にしておけ、そんな夢など見たくない」のようなうたがあった。今、私に「夢はなんですか」と問われても「ない」と答えるのみである。
若い頃は、夢は大きくもって、続く長い人生をそれに向かって邁進するかもしれないが、今は違う。佐藤愛子の言うように「ぴんぴんころり」が老人の夢かもしれない。それにしてもつまらない夢だと思ったが、いや待てよ、歌会の歌のように、叶えられそうで、叶えられない夢かもしれない。
もう子供の頃の夢を叶えることは、完全に無理であるので、実現しそうな夢を見よう。
姉植えし梅一枝折りて仏壇に
梅畑見下ろす土手の熱きお茶
寒の入り更に追い打ち値上風
初午や幼馴染みは今如何に
2025年02月02日

今日は、節分である。目覚めれば、南岸低気圧の到来で冷たい雨が降っている。
しかし、これは今日の節分と同じように冬型気圧配置の日本海側は雪、太平洋側はカラカラ天気が変わり、春の訪れを知らせるものである。でも、テレビの言うように雪など歓迎したくない。今日はちょっとしたお出かけの予定があったが急遽変更する。
2月2日の節分は珍しい。地球の公転周期の関係らしい。うるう年と同じように365日一周するわけではなく端数が生じることによるらしい。だからしばらくの間うるう年の翌年の節分は2日になるらしい。
外出の予定もないので、せめて駅前のマーケットに行き、恵方巻でも調達しささやかな「ぼっち節分」をすることにする。床にまいた豆の始末に困るから豆は、撒かない。子供の頃は、この豆を集め神棚に備えて、夏の雷のなる日にへそをとられないように食べると聞いていたが、そんな経験はない。結局は、捨てていたのだろう。
友人の話では、門松と同じように東京では、正月の門松と同様に塩をまいてゴミとして捨てるようだ。
ロボットに鬼面被せ福はうち
時移り地豆昇格福豆に
道の豆車に引かれきな粉なり
歳多すぎその数無理と一つ食む
2025年01月25日
寒の真最中だと言うのに暖かい日が続く。ポンコツ体の老人には温かい日が何よりである。昨年末からの腰の痛みは「もう大丈夫」と、豪語出来ないが少しずつ回復しているように感ずる。いくらポンコツでも日々の営みに支障がない程度に動かなければ更なるポンコツになってしまうと、少しずつ復帰する。
昨日、荻窪の囲碁仲間から「もう酒は飲めるようになったか?」の電話に誘われてささやかな会食をする。いつものように、囲碁談義やたわいもない四方山話の肴で一時を過ごす。その時、一人が「こうして地元に飲み仲間いて良かった」と言う。「そうね、私も」「もう僕は昔の仲間との会食は止めた。なにしろ新橋・銀座まで出かけて行くのが面倒になった」「酔っぱらって電車やタクシーで帰るのやだよね」「うん、だから昨年は、社友会も行かなかった」
互いに老いとともに活動社会が狭まり、地元の生活空間が最後の砦となった。「ねー、これ以上狭くならないように時々碁を打って酒をのみましょう」「うん、生活空間がベットだけにならないで荻窪の飲み屋での生活を楽しもう」すると、別の友が、「僕、男性の平均寿命まで生きた。できれば90位まで行きたい」と語る。しかし、その後の彼の言葉が憎い。「でも、また会って飲む約束は出来ない。何時転んでもおかしくない。だから、約束は無理」である。
日々つつがなく過ごし、再開した時に「おお、お互いに生きていたか」で酒を飲むに限る。
暖かくなれば、腰の痛みも減るだろう。ポンコツ体は、がたがたきしむ音を立てながらそれなりに動き、女性の平均寿命までを目指そう。
痛む腰だましだましの初仕事
初打ちの友遅しとワイン抜く
鏡開き飲み屋のおとうし汁粉なり
2025年01月09日
2025年の松は取れ、世の中は、完全に動き出した。私もそろそろ始動しようであるが、ポンコツの体であるから、急発進は無理であるから「ガタゴト」と動き出すことにする。
昨年末から10日間ほど故郷の温泉に浸かり腰を癒した。その効果のほどは定かでないが、杖は必要で無くなった。これなら腰の痛みと相談しながら歳相応の始動は出来そうだ。
これと言った今年の目標など無いが、何か見つけよう。でも悲しいことに見つからない。
そして、見つけたのが、80の声と同時に体力と気力の衰えを覚え、本来ならライフワークであった読書を忘れ、すっかり本を読まなくなった。今年は読もう。これなら腰に負担はかからない。
私が囲碁を始めたきっかけは、若いころ履歴書の趣味の欄に「読書」と書くのは、余りにも能が無く「趣味無し人間」と思われたくなかったので室内ゲームとしての趣味を考えたからである。そして初段位の実力になった時に「これならどうどうと趣味の欄に囲碁と書ける」である。
現役を退き、歳を追うごとに社会が狭くなり、狭い生活空間での毎日は如何に地域社会に馴染むかである。最近の私は、囲碁の趣味を通して荻窪の仲間とのへぼ碁が暇つぶしには役立っている。前向きの立派な今年の目標はないが、ポンコツの体を騙しながら囲碁と読書の1年にしよう。
湯けむりに小雪ちらつく窓の外
雪野原ウサギ足跡点々と
雪被る信濃の山の気高さよ
来年のこの日あらんと初詣
2024年12月29日
今年も残り3日になった。おもちゃのロボットは、12月の声を聴くと、「今年を振り返っての質問するね」と、しばしば問いかけてくる。しかし、その質問内容は、「今年買って良かった物や、楽しかった事、場所?」などと。前向きの質問ばかりで、決して「今年一番辛かった事」などの質問は無い。この歳になれば、朝、目覚め時、「ああ、今日も生きていたー」くらいで、ときめきの無い日々であるが、今年は11月の腰痛には手をやいた。連日の電気マッサージのための病院通いであり、1年間のささやかなときめきなど吹っ飛んでしまった。
先日発表された恒例の今年の漢字は「金」であった。しかし、私にとっての漢字は「腰」である。この「腰」の漢字が示すように、腰は人体の要であることを切実に感じた。歩くときはもちろんであるが、ちょっと顔を横に向くにも腰を使う。そのたびに「ビーン」と痛みが発生する。しかし、12月になり、痛みが治まってくると、要であることを忘れ、酷使してしまう。
ちょっと振り返れば、今年の漢字に選ばれた「金」のようにオリンピックの金メダルに心豊ぬなり、9月末には、子供の頃からの夢であった「立山黒部アルペンルート」の旅があった。
あの世の閻魔さんの話では。彼の国は、円もドルも使えなく三途の川は、5円玉で間に合うらしい。だから、出掛けられるうちは、何処かに行こうと思う今日この頃である。
駅中に冬野菜山積みJA出店
冬至夜は何やらうれし陽が延びる
湯に浮かぶ柚子千切りて鼻先に
クリスマス坊主の息子ケーキ買う