8月24日木曜日
出身は京都で、大阪の関西学院大学に通う一年生のタケウチさんをご案内してきました。
ずっと来たい気持ちがあって、今回来れる事になって、様々なご縁から紹介されました。夜行バスで来て、1泊し、夜行バスで帰る。若さゆえのハードスケジュールですが、福島を知りたい気持ちに応えるべく全力でこちらも気合い入れて案内いたしました!(いつも全力ですが)
彼のフェイスブックの投稿が今回の学んだ様子が分かり、すごく言葉にチカラがあるなと思います。一部ですが、引用させていただきます。
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今回8/23~24に知り合いを通じて福島県を訪れました。
いわき市、双葉郡を案内していただき、双葉郡未来会議のMTGも見学させていただきました。
訪れた経緯としては私が小6の時に起きた3.11、ボランティアに行くなど考えもつかない年頃でした。しかし何かしなければならないという想いは頭の片隅にありました。そして大学生になった今、遅くはなってしまったけど、自分の目で見にいくことが大事だと発起しました。
そこで感じたことはたくさんありました。少しでも自分の言葉でそのまま伝えていければと思います。
いろんな方のお話を聞く中でまず感じたのは"人"の変化。もちろん震災では多くの方が亡くなり、建物や住む場所を失った方がおられます。と同時に震災によって価値観の違いが露わになり関係が変わってしまったりと、目には見えにくい変化だけれど確実に大きな影響を与えていました。
そして"復興"という言葉の幅広さと難しさ。人や、行政、国、企業それぞれに想う復興がありました。その中でも「もう完全に元どおりにはならない、でも故郷としてまた立ちもどれる場所にしたい。」という言葉は印象に残っています。
駅前の活気のある飲食店街、一本道を挟んで右は帰宅困難区域、左は解除された区域という場所があったり、人の気配のない閑散とした学校、またどんどん建設・開発ラッシュが進む場所があったり、そして双葉郡のこれからを考えて活動されている方々がいたり、形はそれぞれです。それに対する想いも様々です。しかし確実に動いています、進んでいます。だからこそ、私はこれからも福島にまた訪れたいです。
福島出身ではない、よそものである私ができることは、『知ること、知ろうとすること。そして伝えること。』だと思います。
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