1年ほど前から自分に問いかけていることがある。それは「あなたの会社は企業なのですか?」ということだ。
世の中の多くの小企業は、形態として株式会社や有限会社などの「企業」ではあるが、実際には「個人事業」であるパターンが非常に多いものだ。今はそこからの脱却を目指している。

個人事業というのは、社長個人の力量がほとんど全てであり、営業に関しても事業オペレーションに関しても、社長がいなければ何も回らないというものだ。社長が営業や制作の現場の第一線にいるということそのものが個人事業であり、その色合いが強いと給料とかルールさえも社長の一存で決まってしまう。

これが良いか悪いかという問題ではない。個人事業の方がうまくいくパターンもあるし、個性的な企業というのは多くの場合、個人事業的な色合いが濃いものだ。

しかし最もネックになるのは、個人事業のレベルでは結局、成長に限界があることだ。
社長の稼働時間=企業の稼働時間 でしかなく、それ以上にはまず成長しない。

個人的な経験では、個人事業の場合、サービス業で年間2億円〜3億円、小売業で5億円、ものづくりや建設業で10億円くらいまでが限界なのではないかと思う。

社長ひとりの力量ではここまで伸ばすことができても、これ以上成長させるには個人事業的なやり方では相当難しいと思う。

何よりこの水準の売上を作っていく中では心身ともに相当なプレッシャーがかかるし、消耗する。高い水準で継続するのは困難が伴うように思う。

仮に、自分の右腕のような人間を作ったとしても、社長を超えるパフォーマンスというのはまず出せず、3割から4割がいいところで、人数を増やしていくと今度はマネジメントの負担が重たくなってきて社長の稼働時間が減る。するとトータルでマイナスになったりということが起き、結局は社長が巻き取らねばならず、社員のディレクションや教育がおざなりになり、辞めたりして元の木阿弥という次第だ。


僕は学生から起業したこと、そして編集業というセンスが武器の業種を最初に選んだこともあり、ほとんど個人事業のような形で経営をしてきた。上記のような現実を繰り返し、がっかりし、反省して、個人事業への脱皮の重要性を痛感しながらも、実行するのは非常に困難なことであった。

なぜか。

それは創業社長にとって、「企業」への転換は次のような「恐怖」を伴うからである。

1)自分が現場から抜けることによる売上のダウンの恐怖
2)自分が現場から抜けることによる社外からのネガティブな評価を受けることの恐怖
3)自分が現場から抜けることによる社内からのネガティブな評価を受けることの恐怖
4)自分によってこの企業は回っているという自信喪失の恐怖 

まず、1について。
社長が現場から抜けてマネジメント側に回ると、売上は確実にダウンする。黒字すれすれで飛行する会社なら、まず間違いなく赤字に転落する。赤字になると銀行の融資が受けにくくなったり、ピンチの時に助けてもらいにくくなるから、「ちょっと黒字」とか「融資をきっちり返していかないと」とか「資金繰りがピンチ」みたいな状態だと現場から手を引くのは非常に難しい。文字通り「生き死に」に関わってくるからだ。

僕の場合はこの恐怖から抜け出すことがなかなか出来なかった。

僕の場合は本当に偶然の形で、景気の回復とインバウンド観光景気に恵まれたため、売上利益ともに伸び、余裕資金のメドがつき、一気に転換を図ることが可能になった。本当に「今ここしかない」というタイミングであった。

なので融資でも投資でもいいから資金調達をある程度して、時間的余裕を稼ぎ、心のゆとりを持った形で事業運営に当たれることは、本当に本当に本当に、経営者にとって重要なことであると心から思う。稲盛さんが「土俵の真ん中で相撲を取ることを心がけよ」と言ったことは、素晴らしい名言である。

それくらい小企業の経営者にとって売上ダウンや赤字転落というのは「死ぬほど怖い」から、この恐怖を克服できる状況でないと企業への転身は図れない。鶏と玉子の関係であるのだが、難しい。だからほとんどの会社は個人事業の状態から脱しきれないのである。


次に2とか3について。
社長が営業をしたり制作物の仕上げを担当しなければ、当然のことながらクオリティは下がる。それによってクレームが起きたり、評判が落ちたりする。会社=自分のもの という社長にとって、このことは屈辱以外の何物でもなかったりする。そのことが怖くて、いつまでもまかせられないということになる。

本来過渡期には仕方がないが全てに目を光らせて完璧に、というのは限界があることを自覚せねばならない。


加えて、日本には「額に汗して働くことに価値がある」という根強い信仰がある。だから、今まで営業として動いていた社長の代わりに営業マンが来るようになったら当然「あの社長はサボっている」と考える人が出てくる。なぜなら、相手先もいわゆる個人事業だったりして、「社長自ら顔を出す」とか「社長が営業する」ということが当たり前であり価値のあることだと信じているためだ。こういった取引先に遭遇した営業マンは、「確かにそうだよな、社長も挨拶まわりをすべきだよな」と思うようになる。

そもそも社員にとっても経営者とか社長の仕事は見えないものだから、急に「明日からは現場には出ません」などと言うと、「楽がしたいのかな」とか「しんどいことを社員にやらせたいのか」などといった考えが出てきてしまうのである。

こういったネガティブな評価が出始めると、気弱になったりして、「やっぱりある程度は」などと言って個人事業に逆戻りしてしまう。


最後は4について。
会社を5年以上経営していくというのは、並大抵のことではない。給料を払い家賃を払い税金を払ってトラブルにも対処しながら続けていく。これができるのは個人事業の場合、ひとえに社長がすごいからである。人並み以上の能力とガッツがなければ、どんな業態であれ続けていくことはできない。そこは間違いのない点である。

だからこそいつの間にか、仕事に取り組み、「自分で結果を出すこと」が自己の存在証明のようになっていく。売上を出し利益を出して社員を「養う」ことが、自分の生きがいのようになるのである。社員との接し方も常に「俺が稼いでやっている」という上から目線にどうしてもなる。

この独特の感じは、非常に優越的であり、達成感のある感情だ。自分で企画したり営業したり稼いでいるのだからなおさらそうである。自分こそがその企業を回しているという自負は、強烈な生きがいとなるのである。

逆にそのことが、個人事業からの脱皮を難しくする。会社=自分のもの であるから、会社=みんなのもの になったり、 自分ではなくてみんながこの会社を支えている となったときに、心の拠り所を失うのである。それが怖くて、会社、をいつまでも自分の手元に置いておきたいと思うようになる。


それくらい、個人事業からの脱皮というのは難しい。

しかしベンチャーとして上を目指すのであれば、欠かすことのできない決断だ。

自分が今までやってきたことを分解し、ノウハウを共有し、伝える。
できているかを確認し、足りなければアドバイスする。
自分は現場に出ずに結果を見守る。

このプロセスにいち早く転じる必要がある。
名選手であればあるほど、そのプロセスは苦しいものとなる。自分がやったほうが早いし良くできるからだ。

しかしこの転換を図らない限り、つまり個人事業から企業へと脱皮しないかぎり、どこまでも上を目指すことはできないと覚悟する必要がある。

繰り返すが、この文章は個人事業を否定しているわけではない。
今のやり方に納得感や満足感があるなら、それで全く問題ないと思う。

サービス業で、5億、10億とどんどん伸ばしていきたいと思うなら、企業的なやり方に転換しなければならないし、そうでなく、今のやり方でいきたいのなら成長の天井があることを理解し、受け入れなければならない。
どちらが幸せでどちらが適したやり方なのかは経営者の価値観によるだろう。

僕は一度きりの人生だから、会社がどこまで大きくなるのかということに挑戦してみたいし、雇用を増やしたくさん稼ぐことが1番の社会貢献・地域貢献にもなると考えているから、企業化にチャレンジしてみたいと思ったのである。

なので今までのように自分がお客さんのところに行って商談をまとめたり、イベントの現場で指揮を取ったりということを、もうする予定はない。現役引退である。それはスタッフみんなにまかせて僕は本当の意味での会社経営の仕事をする必要がある。社内外から色々な意見をもらうことだろうが、それはそれで当面は仕方がない。

このようなことも、成功の途上ではただのぼやきに過ぎない。
僕にできることは、今の自分の考えをまとめることだけである。
この方法が吉と出るか凶と出るかは自分次第である。