※記事は2016年7月15日付の京都新聞朝刊
京都新聞のコラムに、知人の鈴鹿さんが寄稿しておられた。いわく、社家である吉田神社の紋が木瓜紋なので平素から胡瓜は一切口にされないそうだ。そしてそれがある種の誇りとなっているということが書かれている。
えっ!そんな風習が!と驚くとともに、「そういうこともあるんだろうな」「鈴鹿家ともなれば他にもありそうだな」などという気持ちが湧いてくる。(ミーハー……)
京都では家とかいて「うち」と読み、「うちのしきたりは」とか「うちのごはんは」などと使う。 京都においてこの「うち」は、「内」という意味も含み、外部から切り離された独自の「内部世界」を指している。
それは「『うち』は他と違うもの」という暗黙的な拒絶のニュアンスを含んでいるものだ。コラムに出てきたものは「鈴鹿家」という「異世界」の一端であり、敬意を持って接すべし。ここをより深掘りしようなどとは考えれば、きっと吉田神社の呪いで受験に失敗したりと何か良くないことが起きるのである。嘘のような本当の話だ。
余談はさておき、京都の「うち」について初めてショックを受けたのは、小学生の頃だ。
土曜の昼、親御さんが商売をされている友達の家に泊まりに行き、みんなでテレビゲームをしていて夕方になり、そろそろ夕ごはんという頃、部屋に友達のお母さんが顔を出した。
「そろそろ行ってきなさいね」 と言ってそのお母さんは友達に何かを渡した。
「ほな行こか」と言って目指した先は、なんと銭湯であった。 そして銭湯の後は、お好み焼き屋で夕食であった。(小学生の子どもたちだけで!)
ありがたいという気持ちよりも先に、カルチャーショックだけがあった。
そして子どもながらに読んだ空気として「なぜ僕らは君の家の風呂に入れさせてもらえないの?」などという疑問を投げかける余地がなかったこともリアルに覚えている。
風呂とか食卓という極めてプライベートなスペースは、「うち」のものであり、たとえ子どもであっても「うち」には入れさせないのである。これが京都の奥ゆかしさなのか……などと高尚なことは思わなかったが、「よその家」というのは、外部の人間が簡単に足を踏み入れられない、疑問など投げかけられないものなのであり、「『よその家』は『うちの家』とは違う」ことだけを子どもながらに深く学んだ。
そういった話を知り合いとした時には、「俺は小学生の同じような時に、友達の家の昼飯に幕の内弁当が出てきてビビったことがある。生まれて初めてやったし何を食べてええかわからんかった。俺とこいつは別世界の人間やなと思ってちょっとヒイたわ」と話していた。ありそうな話である。ほか弁やコンビニ弁当ではだめなのだ。「うち」は「あんたの家」とは違う、ということを明確にサインとして示すようなことがないといけないのだ。
なので鈴鹿さんの書いている「よそはよそ」という認識に、体感的に同意するのである。
他の街では一般的に、主婦同士で交わされるような「車は何に乗っているか」とか「普段はどこで買い物をしているか」とか「家族でどこに出かけたか」といった話題は、京都では不思議と友達同士でもあまり話題に上らない。特にクルマとかスーツとか着物など「消費」に関することはことごとく話題に出てこないのだ。
どこに住んでいるかみたいなことを聞くのですら「ちょっとハードルがある」(少し仲良くなってから聞こか)な感じがする。
家のしきたりのみならず、その周辺のプライベートなことも含めて「よそのこと」なのであり、「よそのこと」に首を突っ込むのは無粋なこと、となっている。
京都で育つとそういった作法が当たり前のようになっており、特に違和感はなかったりするが、改めて鈴鹿さんのコラムを読んで「うち」の奥深さというか面白さというか、見ようとしても決して見られない京都の闇のようなところが、「そと」の世界からは不思議な興味対象として見られるんだろうなと思った。
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