【ビックダディ講演会】ダディの子育て論

ダディは奄美に引っ越してくる前は、児童手当などの受け取りを拒否していたと言っていました。
「自分はたいした収入も無く、まともに税金を払えなかったのに、そんな訳の分からないお金を貰うのは気持ちが悪い!」って。

でも、奄美に引っ越して来てからこども手当てに変更になり、役場の人の説得もあって受け取る事にしたそうです。
今では当てにしていて、こども手当て支給日まで指折り数えて待っているそうです。


ダディは静岡で接骨院を開業していたので、借金はその開業資金などが主だと思われます。
その頃はワンボックスの車に乗っていたと言ってましたから、そのローンもあったのでないかと。

TVで言っていた友人の保証人になって、借金したと言うのは製作側の演出ではないかと思われます。
だいたい、そんな大家族で借金があって、まともに税金を払っていなかった人に、友人が保証人を頼むなんて不合理な事だと思います。


ちなみに接骨院を新規で開業するには縄張りみたいな物があって、近所に同業者がいないか調べてから開業するそうです。
大棚の時は名瀬まで行かないと接骨院は無かったとの事。
現在、大棚に接骨院は無いので、『一歩堂』に通っていた人達は、名瀬の病院に通っているそうです。
大棚から出てしまって、その患者さんの負担についての質問した方がいましたが、ダディは「元々、接骨院が無かった所に開業したので『一歩堂』が無くなっても、自分が来る前の状態に戻っただけ」と説明していました。



子育てについては、長女が下の子の面倒をよく見ていたと言っていました。
長女が3歳になる前位から、弟妹にミルクを飲ませたり、おむつを替えたりしていたそうです。
そうやって上の子が下の子の面倒を見て、順番に育って来たと言っていましたね。

食事のエピソードも、休みの日に朝一から「お腹が空いた~!」って起きて来た長男をダディが「まだ皆寝ているから揃ってからな!」と言って、お昼まで待たせていたそうです。
それで、1日の食事は二食で済んだとか言っていました。
食事は毎日3度って訳には行かなかったみたいです。

後、ダディは佳美さんが来てから8人の子供達とうまく親子関係が作れるように、色々努力したと言っていました。

次男との関係は特に気にしていたようで、運動会の親子競技の時、次男と佳美さんを一緒に出場するように仕向けたと言っていました。
次男はなんの違和感も無く佳美さんと作戦を練っていたらしく、その時の様子を見ていたダディはホッと胸を撫で下ろしたと言っていました。

ダディは佳美さんが子供達との関係をうまく築こうとしなかったと言っていました。
やはり、離れて暮らしていたので、戸惑いがあったのかも知れません。
まだ、佳美さん自身考え方が子供のようですね。



今回の講演会は子育ての講師としてお呼びしたとの説明がありましたが、正直、学ぶ事は何もなかったです。

逆に違う意味で、こういう世間の常識とは違った考えの人が世の中にいるんだと関心しました。



【ビッグダディ講演会】ダディの性格②

ダディはブログの書き込みとかよく見ているそうです。

悪く言われた事に反論していました。

『貧乏生活なのに、子供達の服がブランドの良い物を着ている。』ってコメントに対し、「あれは全部貰い物だ!」などと反論し、『お金を払ってまでお米を作ったのに、ぜんぜん収穫量が見合って無い』とのコメントに、「あくまでも農業研修と言う形で研修料として払ったもので、お米の量は二の次だ!」などと反論していました。
あくまでも、奄美に帰った時に、米作りをする為の勉強だったそうです。
今でも、毎週日曜日に、お米の他に畑も借りて野菜を作っているそうです。

後、次男とかが『清志さん』って、名前で呼ぶのは、大家さんとか廻りの大人が下の名前で呼ぶので、自然と名前で呼ぶようになったとか。
ダディから強要した訳では無いみたいです。
岩手に居たときはちゃんと『父ちゃん』って、呼んでいたそうですよ。

奄美の方は目上の人を『○○さ~ん』と呼ぶ習慣も有るとかで、子供達の友人もダディの事を名前で呼んでいたそうです。

他、子供達が携帯を持ていた事も、あれは制作会社から、連絡用として渡されていたらしいですよ。
今は、持っているかどうかわかりませんが…。

忙しい方なのに、よくブログを見る暇があるなぁと関心しました。

自分は自由気ままに生きている感を出しながら、結構、世間の反応とか気にしているんですね。


後、佳美さんが奄美を出て行くとかで、子供達が引き留めるシーンを一視聴者として観ていたそうです。
ダディもどうやって子供達が引き留めたか、TVを見るまで知らなかったそうです。

でも、ダディはこの辺りから、奄美に帰る事よりも、仕事の関係で、子供達を豊田市に呼ぶ事を考えていたみたいです。
接骨院で「自分は院長の右腕として頼りにされてる。今は職場を離れられない。」って、言ってましたから。

「奄美は人も優しいし、とても住みやすい奄美に帰りたい」と言っていましたが、その反面、生活が有るから、今は、豊田市を離れられないっていました。

やはり番組が無いと野望通りにとは行かないみたいですね。



【ビッグダディ講演会】ダディの性格①

ダディは入場してきた時点からとても威圧的でした。
『わざわざ来てやったぞ~!』的な雰囲気ですかね。

まず講演会を主催した有志代表の方がダディのエピソード、今回ダディに来て貰ったきっかけなどの話の後、ダディが話し始めました。

有志の方と愛知県を代表する喫茶店『コメダ珈琲店』で打ち合わせをしたそうです。
第一声が「皆さん『コメダ珈琲』が愛知にしか無いの知ってました?」って。「ちなみに『すき家』もこの辺にしかありません」と言うので、えっ?『すき家』なんて全国区じゃん!ダディは知らないのかしら?辺りが確認するようにざわざわしていたら「ホントですよ!同僚が『じゃあ、奄美でラーメン食べる時、何処で食べるの?』って、言ってましたから!」の発言に、それって『スガキヤ』じゃないの?前列でつっこんだん人がいましたが、聞こえないかのように次の話しに進んで行きました。
 
この流れから感じたのは、ダディは人から否定される嫌い。間違った情報を伝えても気にしないタイプのようです。 だいたい打ち合わせをしているのに③時間の講演で原稿も無く、大勢の前で話しをしようと言うのが間違っていると思います。
それだけ、自分の発言に自信が有ったのでしょうか?

ダディは10人兄弟の末っ子と言ってました。やっぱり、ダディ自身も大家族だったんですね。
父は公務員で厳格な人だったそうです。
あまりお父さんと話した記憶が無いと言っていました。
ダディは高校を卒業して、岩手を離れたので、成人してから殆ど会って無かったそうです。
お父さんが入院した時に、お兄さんから連絡があり、1度見舞いに来るように言われたそうです。ダディは自分が会いに行っても父は喜んでくれるか心配だったみたいですが、ダディが病室に訪れた時「よく来てくれたな…」の返答に、とても嬉しかったそうです。
それから、暫くして亡くなったそうですが、最期に会えて良かったと言っていました。
お母さんの事や他の兄弟の話はありませんでしたが、ご健在だと思われます。

今回の再婚&離婚も言って無いと思います。言いにくいのも有ると思いますが、子供達にも事前に相談も無く、事後報告ですからね。

そういう話の流れを考えると、ダディは自己中心的でわがままだと思います。子供達より自分が1番好き、一生懸命やってる自分を評価して欲しいって感じでした。

今回、講演会に行って、ダディを見る目が180℃変わりました。

今までTVで観ていて、子供思いの素敵なお父さんってイメージが強かったですけど、結局、番組によって創られた理想像だったんだと・・・。

接骨院の宣伝も兼ねて講演会に来たと言っていましたが、場所の詳細も無かったですし、仕事の話もありませんでした。
それに講演会場の隣の市なので、市民会館から接骨院まで40分以上掛かります。地域限定の講演会なので、見に来ていた人もまばらでしたし、あまり宣伝効果は無かったと思います。

結局、自分を見て欲しいから講演会を引き受けたんじゃないかと・・・。
 
3つ子の生活を事を考えて、続編は考えられないと言っていましたが、それでも、TVで3つ子の触れられていなかった生い立ちを公にさらしてしまうなんて、親としてどうかと思います。
講演当初は子供たちの実名は伏せて喋っていましたが、後半になると普通に名前を出して喋っていました。
TVで実名が出ているので抵抗は無いかと思われますが、まだ未成年なので親としての配慮が欠けているなと感じました。


livedoor プロフィール
カテゴリ別アーカイブ
タグクラウド
QRコード
QRコード
  • ライブドアブログ