吹奏楽コンクールも、あとは全国大会、東日本大会を残すのみとなりましたね。



これは今年、私が指導に行った学校での話。

私がホール練習に到着すると、顧問の先生は
「ダメ!」「なにやってんだよ!」とマイクを使って客席から怒鳴り散らしている。
マイクに乗らない声も「"はい" じゃねーんだよ。ったくよー」と、あまり上品ではない。。。
かなり難しいこと(無理難題)を要求し、「合わせろ!」と先生は怒鳴るばかり。

「何か気になることがあったら言ってください」
と言う先生に私は言いました。
「最初の部分が合わないのは先生の指揮が分かりにくいからです。あれでは怖くて音が出せません」
(もちろん子供達のいない場所で先生には言いました)
すると
「僕はプロの指揮者じゃないんだから無理です。そんなの今言ったって直りませんよ。もっと違う意見を言ってください」
と。。。

その後、一応私の意見を取り入れ指揮したものの、上手くいかない。
すると
「先生の言うように振りましたよ! どうでした?! え?! さっきよりも良かったって言えますか?! どうなんですか?!」
「良くなかったですね」
「でしょ?! 認めますよね?!」
「それはまだ先生の振り方が良くないからです」
「だからって僕は素人なんだから無理なんですよ!」
。。。。。



ま、これは究極な例だとは思いますが。。。

私はなにも、顧問の先生みんなに指揮法の勉強をしろと言ってる訳じゃないんです。
事実、私は今までどの学校の指導に行っても、先生の指揮や指導方針に対し、一切触れたことはありません。

ただ、分かってほしいんです。
一生懸命がんばった挙句
「なんで出来ないんだ!」
と叱られる子供達の気持ちを。
子供達との信頼関係が出来ていれば、先生の指揮が分かりにくいとしても、どうってことないと思うのです。

その子その子により、進む早さは違います。
でも、時間をかければ出来るようになるんだ、ということを知ってもらえれば、それは生きていく上での大きな力になります。
その為に、こちらは辛抱強く子供達のペースに合わせて待つこと、練習に付き合うことが大切だと思うのです。

そして、どんな関係にも思いやりが大切だし、どんな関係も ”お互い様” です。
「相手の立場になって考える」ことが大切だと思うのです。
教師と生徒という関係が、明らかな上下関係にあるとは私は思いません。
どんな人間だって頑張ったことを否定されたらショックです。
人と比べられたら嫌になります。
だからこそ前述の先生などは自分の欠点を指摘されてキレたのでしょうし。
でも、自分が嫌なことを、子供達に対して行なっていないでしょうか。。。

この子達が社会に出た時、もちろん頑張っても否定されることがあると思います。
理不尽な思いをすることもあると思います。
その時に
「あの時に先生は、"君なら出来るはずだよ" と、自分を信じてくれた」
という思いがあれば、辛いことも乗り越えられると思うのです。

でも否定され続けたら
「やっぱり自分は何をしてもダメな人間なんだ」
と思うでしょう。
うつ病になったり、強迫観念症になったりという精神疾患は、ほんの小さなキッカケから起こります。
カルト宗教などへの依存も然りです。

たった一言で、人を救うことも殺すことも出来るのだとしたら、なぜ救う道を選ばないのでしょうか?




私が顧問の先生達に望むことがあるとしたら、それは、もっと音楽の勉強をしてほしい、ということです。
それは「コンクールに勝つ為の指導法」の勉強ではありません。
どの学校が何を練習しているかのリサーチでもありません。
方々で行われている「課題曲の演奏の仕方講習会」に参加することでもありません。

もっと根本的な音楽の勉強です。

「音を楽しむこと」
「音を愛すること」
「音で幸せになること」
「音で人を幸せにすること」

そして出来れば、コンクールという、これ以上にないプレッシャーを感じる場で音を出すということが、どれほど怖いことなのか、同じようなプレッシャーを感じる場を、ご自分が演奏することで体験して欲しいと思います。

私は、良い指導者になるには、自分自身がその道のスペシャリストを目指すことが大切だと思います。
自分自身が試行錯誤し、悩み、失敗しながら見つけ出した答えこそが生徒に伝えられるべきことであり、誰かが編み出した指導法のマニュアルなど無意味だと感じます。

そして音楽に対して最も大切なのは、その音をどう扱うかという信念です。
信念のない演奏は何をしても心に響かないけれど、信念のある演奏は心に響きます。
元気な日には早歩きになり、疲れている日にはゆっくり歩くように、音楽もその時によって変わって当然。
音楽の本質を理解すれば、どこでブレスを取ろうと、どんなテンポで演奏しようと、大きく吹こうと小さく吹こうと、そんなことは取るに足りない、ちっぽけなことだと気付くはずです。

また、プロフェッショナルな立場で外部コーチをしてる方は、一回一回ギャランティを頂いてる以上、結果を出すことが求められているのも分かります。
けれど、自分が評価されたい、あるいは、自分の教え方が悪いと思われたくないという、自分中心のエゴで一杯になると、部活動の本質を忘れてしまいます。
あくまでも主役は子供達であり、それを指導する顧問の先生をサポートするのが外部コーチの仕事だと私は思います。
より良い指導の仕方を模索するのは大切ですが、「結果=自分の評価→今後の仕事のオファー」など、音楽以外の不安に取り憑かれてしまうと、その焦りから、生徒達に対してヒステリックな怒りをぶつけてしまうことにもなると思います。


そして
私が1番思うこと。
それは


演奏することに
対戦相手はない


と言うことです。



教える先生の心の中に、誰かと自分を(自校と他校を)比較する気持ちがある限り、生徒達にもそれを強いることになります。
常に、誰かより上か下かを気にする生き方は不幸です。
そういう生き方は、どこまで行っても満たされることが無いからです。
そして、そういう音楽は偽物でしかありません。
勝つ為に「強豪校の真似をする」というのも同じです。
私達は音楽に対してだけでなく、常に自分の最善を尽くして生きるべきではないでしょうか?
そして、そこに結果が伴わなかったとしても、最善を尽くしたことを自分自身で褒めても良いのではないでしょうか?
「誰かより頑張る」は、自分の最善ではありません。
虚栄心も自意識も猜疑心も捨て、真に美しい音を求めた時(無心になった時)、初めて本物の「音」に出会えるのだと思います。

そして、私は「勝つこと」に学びがあるとは思いません。
むしろ「勝ち負けを気にしないこと」にこそ、真の学びがあると思います。



でも一方で、指導に関わりながら感動した場面もありました。

初心者である1年生もコンクールメンバーとして出場させた先生は
「とても頑張っているから、コンクールという場所で、一つでも二つでも音を吹かせてあげたいんだ」
と仰っていました。
結果は不本意だったようですが、子供達はきっと、自分を信じてくれた先生を一生忘れないと思います。
(この先生とは先日ゆっくり話す機会がありましたが、生徒さん達への愛情の深さを改めて知り感動でした)

また別の学校では、審査の講評用紙に書いてあったピッコロへの賛辞を
「この言葉はあの子にとって一生の宝物になります」
そして、ちょっと家庭などに事情のあるそのピッコロの子のことを
「母親と1年ぶりに会えたんです。嬉しかったと思います」
と、コンクールでのその子の様子をご報告下さいました。

また、ある現場では、先生はメンバーよりも細々と動き、一度たりとも声を荒げることもなく
「慌てんでいいからな。あと5回同じことをするから、それで出来るようにしよう」
と穏やかに仰い、とても冷静に ”出来ていること” ”足りないこと” を見ていらっしゃいました。
人間的な大きな人であるからこそ、怒る必要が無いのです。



No.1にならなくてもいい。
Only 1であることが大事。

ある歌の歌詞のように、一つ一つの花が全て素晴らしいのだという気持ちを持って、子供達に接してほしいと思います。

そしてそれは指導する先生も同じです。
評価を気にしないこと。
コンクールで結果は出ないかもしれません。
だからと言って、あなたが教師として人間として失格なわけではないのです。
子供達と共に泣いたり笑ったりして精一杯生きることが、本当の素晴らしい教師だと思います。




世界の偉人たちは、生きていく上で最も大切なものが ”愛情” であることを知っています。

アインシュタインの言葉です。
「誰かの為に生きてこそ、人生には価値がある」

彼らが ”結果” を残せたのは、”結果” 自体を求めたからではなく、人々の幸せを求めたからだと思うのです。

「全国大会で金賞を取る」
それは大きな目標や夢かもしれませんが、ある意味、つまらなく小さな目標かもしれません。

「音楽によって、より良い人生を送ること」
「音楽によって、より良い自分へと変わること」




本日の記事、長くなってしまいましたが。。。
最後までお読み頂きありがとうございました。