妻の母探し

黄河湖畔レースに招待されたのは5月のゴールデンウィークが明けて1週間であった。
ちょうど草が伸び始めて、農業は忙しくなる時であったが、予定がぽっかりと1週間抜け落ちた5月の最終週から6月かけての間、中国のレースに行くことを決めた。
選手はすぐには集まらなかった。
即答した井村選手とフィリピンのマー君以外の応募はすぐに来なかった。
最終的に、マレーシアの元チームメイトのヨンリと彼の友人のジアチェン君の4人に中国の選手を加えた5名でチームが出来上がったのはレースの1週間前であった。

同時に、このレースに参加するにあたってひそかに叶えたい夢があった。

妻、ルオンを5歳の時に生き別れた母に会わせられるかもしれない。
断片的な情報をつなぎ合わせると、極度の方向音痴であったお母さんは、ルオンが5歳の時にある日家を出て行方不明になったきり帰ってこなかった。
それまでも、何度か家に帰ってこないことがあったお母さんは失踪して、ルオンとお姉さんは親戚の家に預けられて、育てられた。
そこでは相当苦労したようで感覚的に身に着けた知識でおいしい野菜を作る妻は子供のころから、田んぼから畑、牛や豚の世話まで何でもこなして、学校にもろくに通えず育った。
私とは比べ物にならない苦労人である。

Iさんというおばあさんからのお母さんにまつわる1通の手紙が中国からベトナムの親戚の家に届いたのは3年ほど前だったという。
そして、Iさんとルオンのお姉さんが連絡をとっていたが、Iさんはベトナム語を話すが訛りがきつくてなかなか理解できない。
「怪しい情報で半信半疑」というのがベトナムの親族の印象であったようで、コロナも手伝って誰も中国まで事の真偽を確かめに行けなかった。

中国からの招待を得た時にふと思いついたのが、ルオンをお母さんに会わせられないか?という希望だった。もし、会えなかったとしても何か手掛かりになればいった甲斐があったと言えるのではないか?

ルオンをチームのスタッフに登録して中国のビザを取りに行った。
名古屋のビザセンターでは間に合わず名古屋に行った翌日、東京まで出向いた。

ビザを取りながら、お姉さんを通してIさんのWECHATのIDを教えてもらいコンタクトを取り始めた。
Iさんとの話も断片的で、ここに来てくださいと言われた地点は広州空港から200km離れた花園であった。そこまで電車を乗り継いで行くしかない。そこに行っても中に入れるかどうかわからないという。会えなかったら、どうしたら良いだろうか?
とりあえず、レースの後、広州へ2泊3日で行く計画を立てた。

Iさんの言葉をメカニックの楊さんに確認しても訛りが強く理解できなかった。
広東語がわかる梅丹時代のチームメイトでマレーシア人のヨンリが、広東語が流ちょうなダミアンを紹介してくれた。ヨンリは今回レースでは戦力にはならなかったが大活躍してくれた。

ダミアンさんに間に入ってもらい電話をかけてもらった。ダミアンも「金の話ばかりで怪しい」という。ダミアンの提案でおばあさんの知っている若い女の人Hさんを紹介してもらい、そこから話が徐々にクリアになってきた。
広州空港は遠いのでシンセン空港に来てくれと言われたが、すでに広州にチケットをとってある。
無理行って、その女性Hさんに片道4時間の道を迎えに来てもらう事になった。
広州に飛ぶ前日に私はルオンに「このIさんは怪しいのではないか?」と話すと、ルオンは逆上した。
お姉さんも怪しいといっているし、ダミアンも怪しいと言っている。
車に乗ったが最後、拉致されることもあるかもしれない。
車の写真を撮って、グループチャットに流していつでもSOSが出せるようにしておこう。
しかし、ルオンはこのおばあさんは悪い人ではない。といって聞かない。

人を信用することに対して慎重なルオンであるが、母親に会いたい気持ちが強すぎて、
人が沢山いる食堂で怒って席を立つほど、怒りをあらわにした。

広州について無事荷物を受け取り、待合せの場所に行くと、Hさんが満面の笑みで迎えてくれた。会った時にこの人は悪い人ではないと直感で感じた。しかし、念のため私は車の写真を撮りグループチャットに流した。

雨でぬれた路面の4時間を超える車での移動中。ルオンとHさんはずっと仲良さそうに話していた。

とにかく山奥で近くには店も何もないという話であったが、近くの町はホテルもこぎれいでホテルの前にはおいしい海鮮料理の店があり、屋台では臭豆腐やレモンの生絞りジュースの店がたくさん並んで若者が夜遅くまで楽しんでた。


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Hさんのおすすめの店で夕食を食べていると、Hさんが男の子二人を連れてやってきた。6歳と2歳の男の兄弟はやんちゃ盛りで、Hさんは翌日、お母さんに会いに行くのも帯同してくれるが、子供を見てくれる人がいないので、一緒に連れて行ってもよいかと聞く。もちろん了承した。

生絞りレモンを屋台で飲みながら、嫁と話をしていると近所が騒々しい。
ガタイがいいおばさんが大声でけんかをしている。
けんかかと思って見ていたが、どうやら酔っぱらって声が大きくなっただけのようだった。
ダイナミックで平和な町である。

私はタイにあるような山岳民族の集落に泊まる覚悟で来たので少し拍子抜けである。

翌日、7時に起きて車でHさんとお母さんに会いに行く。
これはドラマのような瞬間なので、再開の瞬間を動画に収めたいと思っていた。

妻は助手席、私はHさんの子供に挟まれて後部座席。
車は田園風景の中の細い道を穴や石や枝を避けながら進んでいく。
昨日も感じたがHさんはあまり運転が得意ではなく、広州空港まで行くのは大冒険だった。

どんどんと道が細くなり、Hさんはそこら辺の人に道を尋ねながら進むが、どの人もベトナム語を理解する人が多い。
ベトナム人が率が高い集落だ。
ちなみにベトナム国境からは400kmほど離れている。

そして、おかあさんの家についた。
お母さんは雨の中家の前に立って待っていた。

お母さんとルオンの30年来の再会のシーン。
私は両隣の子供が寝ていて車から降りられず、決定的な瞬間を逃した。
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お母さんは目に涙を溜めてルオンの手を握って離さなかった。

ルオンもどこまで理解できているかわからないがお母さんの言葉を真剣に聞いて頷いている。
会話は中国語でそれにまだ覚えているベトナム語がちょっと混じった会話であったが、娘には何となく理解できるようであった。Hさんも一生懸命通訳してくれていた。

家の前に漢字で福と書かれた紙が貼られた家は、小さく殺風景でガスもなかった。
お母さんは今のパートナーのおじさんと2人で住んでいた。

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パートナーのおじさんのはからいでお昼の準備が始まった。
途中の市場で買ってきた、レンギョのぶつ切りを囲炉裏で焼いての料理。

Iさんも土間でニンニクの茎を折り準備を手伝う。

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レンギョのY字の骨を避けながら食べた。
ニンニクの茎の料理は美味しかった。
私はHさんお子供たちを連れだして散歩したり、椅子で眠ったりしながら過ごした。
お母さんの家は小さいが周囲には大きな家もあり、池には食用のアヒルがガーガーと騒いでいた。
雨期なのか、そこら中に苔が生えていて、コンクリートが滑って何度か転びそうになった。
暗い家の中から、鶏が時たま通る扉の外をボーと見て過ごした。

うつらうつらしていると、Hさんが珍しく口論している場面があった。
後で聞いてみると
意地の悪いおじさんの親戚が入ってきて、「いままで、お母さんを探さなかったことはおかしい。本当に娘なのか?」とか聞いたらしく。それにたいして、Hさんが「探したって探しようがないじゃない」怒ってしまったようだ。

6時間ほどたったころ、子供たちも眠くなり、駄々をこね始めたので帰ることにした。

ルオンがおじさんにお金を渡そうとするとお母さんが「そんなに渡さなくてもいい」といって制止したらしい。

そのおじさんに逆にもらった福と書いた赤い小袋には、しわくちゃなお札が12元分はいっていた。
お客には12元を渡す風習があるらしい。
その袋が気に入って、お金もとっておこうと思ったがルオンがHさんの子供たちにお金を渡すときに使ってしまった。
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ルオンはもっといたかったに違いないが、Hさんも帰らなくてはならないし、私たちもHさんなしでは来ることも帰ることもできない。

最後にDNA鑑定用にお母さんの頭髪を10本以上抜いて袋に入れて持ち帰った。
毛根がついていたほうがいいと言って、結構激しく抜くので驚いたがお母さんは顔色一つ変えなかった。
DNA鑑定で証明して、お母さんをベトナムに連れてくるための資料作りに必要だという事だった。

パートナーのおじさんは、お母さんがベトナムに帰ることを理解してくれたが、お母さんは親戚に会いにベトナムには帰りたいがすぐにおじさんのいる中国に戻りたいと言う。

ホテルに戻ってから、2人を外食に招待することも考えたが、おじいさんもタクシーを呼べないし、お母さん夫婦の普段の足であるおじさんが運転するバイクも連日の雨で道が滑りやすくて使わないほうが良いということで断念した。

後でルオンに失踪の原因を聞いてみるとどうやら、美人で騙されやすかったお母さんはルオンが6歳のころ町でいい仕事があるからと声をかけられて、ついていってしまったようだ。
そしたら、国境を越えて中国まで連れていかれて、ひどい仕事を強要され、断ると殴るけるの暴行を受けた。そして、お母さんは体を壊し生死の境をさまよった。
そんな時に、運よく現在パートナーのおじさんと出会って、体も治療してもらい、現在に至っている。Iさんというおばあさんは、そのように連れてこられたベトナム人を支える人で、お母さんのたどたどしい記憶からなんとか住所を割り出して手紙を送ってくれたようだ。

アジア中で拉致は起こっている。そして、家族が泣き寝入りするしかない状況も普通に存在している。ルオンの母探しはその氷山の一角であった。

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子供はHさんの息子。最後は眠くなってダウン。

レースではルオンは補給食作りから、ボトルの補給まで精力的にこなしてくれた。
自転車に対する理解が前よりも少し得られるようになったかな?

皆様もこのような経験ありませんか?

パスワードを設定して、その場でメモをとらずにその日の夕方、どうしてもパスワードが思い出せなくなった。
最後につ(TSU)が入ったのだけ覚えていても、何の役にも立たない。

自分の記憶力のなさを嘆きながら、致し方なくパスワードを再設定する。

メールアドレスを設定して、8桁以上の英数字を両方含む文字列。何にしようかと天井を見ながら考えた時にどうしても思い出せなかったパスワードが脳裏にうかぶ。


思考の同じ回路を使えば、意外と記憶力がよみがえる。ことは前から気が付いていたんだけど

充実した毎日

自転車に良い季節は、農業も忙しくなります。
おとといは下久堅の方々に自転車のお話し、ちょっと踏み込んだ話もさせてもらいました(秘密)。

昨日は午前中、TOJ信州飯田ステージのスタート地点である下久堅小学校で全校生徒に自転車レースのお話をした。
TOJのステージに参加選手はもちろん
ロードに、ピスト(マディソン)、BMX、シクロクロスの映像を見せて
動画を使ったローテーションの説明までして、最後に私の優勝したシーンも…
子供たちは楽しんでくれたのは迫力のある動画をふんだんなく使ったからだと思う。

最後に各学年ごとに自転車を触らせて跨いで乗ってみたりして、大盛り上がり
楽しかったですね。

午後は、TOJの応援に来る緑ヶ丘中学校の1年生200人にお話をさせてもらった。
こちらはシマノの山田拓海選手の母校。
こちらも、反応が非常によく楽しくお話しさせていただいた。

そして、3時に家に帰り。田んぼの代掻き
新調したトラクターで試行錯誤しながらなんとか終了したが、まだ、表面がさらさらしていないので
今日も朝から、ゆっくり2度目の代掻きをして均して。

ムクドリが溺死したミミズを食べに来たり、突然、トンビの陰に驚かされたり。
空木岳を見ながら、田んぼを自分のトラクターで耕すのもいいものですな。

5月28日〜30日の中国の黄河流域のレース。
マレーシアとフィリピンからの選手も加えて参戦できそうです。

今週末はこの滝川地区の田植えなんですが、なんと私が田植え組合長。
農家3年目の大抜擢ですが周りの先輩がたに支えられてやっております。

そんな中、嫁はニンニクの収穫に追われています。

毎日が充実しております。
写真はトラクターに乗る私を撮る父

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究極

明日明後日と飯田の龍江と大鹿村の大西公園でクリテリウムを開催します。
大西公園は1周3.4kmのコースで登りも含みます。
良い大会になるように頑張ります。

今日のニュースで「宿題をやめた小学校」のニュース
とても面白い取り組みだと思う。

自分で勉強したいという気持ちがなければ身につかないというのは確かであるが
果たして、子供たちがどのように反応するか?

泣きながらする宿題が身につかないのも事実。

しかし、得意な事ばかりやってしまう子供もいると思う。

自転車選手は武器「登りなら絶対負けないなど」を持つことも大事であるが
基本的なテクニック「風を避ける。」を身に着けることも大事。

勉強でいえば、最低限の国語力がなければ、深くものを考えられないのではないかと危惧してしまう。結局は算数が得意でも文章題を理解する読解力がないといい点数は取れないということだから、どこか、つながっていることに気が付けば問題ないか。

毎日の授業で何がわからなかったのかをはっきりして、自分でそれをクリアにできる教材を提供できれば宿題はなくても良いと思う。

私も今回レースをオーガナイズして、理想をもってやっているが、これまでになく集中力と責任を問われる立場にある。

雨の日

雨の一日というのは農家にとっては休息の一日となる。
私は事務作業がはかどる良い一日でもある。

古民家は周りは土ばかりで、雨が降ると泥んこになったり、草が伸びて大変ではあるが
この雨のにおいは私は好きである。

選手時代に雨のにおいは好きではなかった。
路は滑るし、寒いし、はね上げは飲まなくてはならないし、いい事なんてない。
雨が好きだという、内間選手を恨めしく思ったものだが、どうせ走らなくてはならないのだから彼の様に好きになったほうが成績はもちろん出ただろう。


それでも東南アジアの生暖かい雨はそれでも気持ちよくも思えたものだ。

東南アジアのスコールのにおいは強烈だ。

先月の末に滞在したインドネシアのスラバヤでは毎日のように午後スコールが降った。
雨が降ると、バイクが一斉に雨宿りをする。
一時期、活動が停止する。

目の前であわてて縁石を斜めに登ろうとした2ケツのバイクがゆっくり転んだ。
旦那が嫁になじられている。
ああ、バイク慣れしているこっちの人も転ぶことがあるのだなと思いながら、雨宿りしているバイクに場所を開けてもらってバイクを停めた。

こういう時に煙草を吸えば、気がまぎれるのだろうなと思いながら、しかし、最近煙草は吸わないのでただスマホを見ていた。

もちろん、たばこは不健全だが片手を煙草に占領されながら、遠くを見つめながらぼーっとするひと時はスマホに目を落としているよりも心には健全なような気がする。

新しい才能?

私の50代は常に新しい才能を求められる時期になっている。
なにしろ、今まで自転車しかやってこなかった訳であるから
農業にしても、レースの運営にしても、自転車教室にしても、古民家のリフォームにしても
ホームページを自分で手を加えるにしても、常に新しいことを理解しながら進める日々だ。
今一番欲しいのは大工の才能である。

全然違うジャンルの事がどんどんやってくるのは、いい気晴らしになっていいと思っている。
少しゆっくりしたいと思えるぐらいのほうがいい。

雑用もたくさんあるが、こういった雑用でも自分でこなすことに意義がある。
この日々は決して無駄ではなく、自転車の指導に対しても違った視点から選手を見れるようになってきたと感じている。

怒っても何にもならない時が多いことがわかってきた。
怒りを抑えて別の対処法で対応したほうが解決する確率が高いと思う。
どうしても避けられない場合は愛情をもって対応するように心がけている。




自転車にさえ乗っていればよかった日々

今、見て懐かしく思い出す日々がある。
タイ合宿で、地図にない道を走り回って
自転車を担いで河を超えたり、寝そべっている犬に水をかけて楽しんでいた日々。
あの頃は、ツールドフランスに出たいという夢しかなかった。

毎日、楽しいことを探して走り回っていた。

今、その時期は終わって、若者をサポートする側に回り
あのころのような、脳天から突き抜けるような笑いもないし
軽さもない。

もちろん、今はあの時になかった楽しみがあるのだが
あのお金で買えないあの素晴らしかった日々を今の若者に伝えたいと思うのだが

果たして、その必要があるのかと悩む日々

ただ、この写真は私をタイムスリップさせてくれる。

019

1か月のアジア遠征

2月11日に出国して、テト(旧正月)に沸くハノイに子供と嫁を置いて、チェンライに向かった。
チェンライで日本から2人、香港から2人の4人の若者をピックアップしてナーソンへ。

8日間の合宿で1200kmほどを走る合宿を行った。
タイに来ると、毎日自分の弱さが晒されるわけで
楽しい中で、自信を失って帰っていく選手もいるが、自国で小手先だけの練習をしている
選手で本当に雄大な練習がお腹いっぱいできるタイは、マジで勧める。

タイ合宿はトップの選手に合わせるのが通例で、今回はブリッツィエンのFENG選手とアジアランキング3位のロジャイチームに所属するチュンが来ていたから、内容は濃いものであった。

ただ、私の今回の役目は彼らに良いトレーニングをさせてやることだったので、通例4日に1度の休みを3日に1度に変更した。

それでも、来る前に体調を壊してきた選手などいて、レベルの差を埋めるのが大変ではあったが
中川さんとのコンビネーションで上位も下位も練習になったと思う。

そして、チェンライから山本幸平コーチが待つインドネシアはスラバヤへ

ツールドインドネシアで2度参加したことがあるが、2度ともリーダージャージを着た時にお腹を壊して1度目はリタイヤ、2度目は20分遅れて完走して、最終ステージのバリを優勝してリベンジをした思い出がある。

スラバヤ近郊で行われるイーストジャワも昔走ったが、3つの飛行機を乗り継いで参加したら、自転車がロストして練習できず。当日の朝についた自転車で走ったが調子は最悪であった。

スラバヤは遠い土地である。

スラバヤではロードの選手の練習に帯同した。
走る環境は決して良くないが、ベロドロームがあり、パンプもあり、MTBで来るトレイルもあり、ロードのいい長い登りもある。
地方車連のトノさんのバイクを借りて練習に帯同したが、非常に楽しかった。
ただ、車が多い。
もちろん、練習環境は車が少ないところのほうが良いが、そういうところは人口が少ないので学校に通う子供の事を考えたら、都会で人が沢山いて、コーチがいるところならそちらの方がいいと乞うこと。
子供の練習にも常にバイクでコーチが帯同していて、安全を確保していた。

ASIA UNION TCSの選手たちも気さくな選手たちがスタッフと一緒にチームを作り上げていく姿は素晴らしかった。

そして、インドネシアを後にして、バリに一泊してGRABのバイクタクシーでバリを走り回って、翌日ハノイへ。

ハノイはほぼタッチアンドゴーでホーチミンに移動して、サイゴン自転車クラブ皆さんと120kmのライド。
昔からお世話になっているブリヂストンハノイの竹野さんのペーサーで何度がもがかされる。

そして、第9回ジャパン ベトナム フェスティバル、元競輪選手の林次郎さんとサイクルサッカーの晝間君と小高君と自転車コーナーをした。
とにかく人が多くて、さらに皆さんの熱気と食いつきがすごくて、ただただひっちゃかめっちゃかにされながら過ごした2日間。

帰りの飛行機(夜便)でうちの息子がかつてないほど泣きじゃくった。
同席の方には申し訳ない。

そうして戻った我が家は古民家なのに輝いて見えた。





雪の降る集落

ユニコーンの雪の降る町は私の好きな歌である。
ほかにも、雪の忘れ物や郵便馬車の御者のうたなど
音もなく降り積もるゆきは心を和ましてくれる。

小中学校過ごした岩手の冬は、12月から2月ごろまで根雪(今まで寝雪だと思っていました)で
大阪から引っ越した後、買ってもらった新しい防寒靴を履いて学校に通うのは楽しかった。

岩手の同級生は心底雪が嫌いな人もいるが…

私の今住む全部で8軒の集落は県道から500m激坂を登ったところにある。
どの家も農業をしており、軽トラ、ビーバー、鋤簾、ごかき、雪かきスコップは標準装備。
私の家にも前の持ち主の人が一式残しておいてくれた。
雪が降った日は各戸一人ずつでて、朝6時集合で雪かきをする。

今日は午前中に降り始めた雪が昼には積もった。
一度、ビニールハウスの雪下ろし(ビニールハウスは雪の重さで声荒れる時があるので、中からつついて雪を落として夫来なくては潰れてしまう)に出かけた時にプリウスが途中で登れなくなり、下のコーナーのところに停めて軽トラで迎えに来てもらった。

夕方になったら、もう一台、登れない車があったようで車が増えていた。

雪かきは大変だが、例年ならすでに何度かある雪かきが今までなく、
やはり、地球温暖化の影響かと思っていたら雪が降った。

地球温暖化はもちろん問題だが、地球寒冷化よりはまだいいと思う。
暑いのは我慢できる。
この燃料高騰の時に地球がどんどん寒くなってきては、農業にも影響はあるし、自転車にも乗れなくなる。

こういう時は薪ストーブを家族で囲んでいるのが一番。

明日は雪かきや!

ツバメ?

柿の出荷も終わり、ここ2日間は柿の剪定作業をしています。
2月に東南アジアに行く前に選定を終えなければならず、やっていますが
柿の木の理想的な枝の姿をイメージしながら、それに近づけていく過程は
ちょっした芸術的な作業でもあり、うまくできた時は嬉しいですね。
ちょっと角度を変えてみたりして、切りなおしたりしています。

妻と青空のもと作業していると、いろんな鳥が飛んでいきます。

今日はどこかで聞いたようなさえずりだなと思ったら、ツバメの群れが
グジュグジュ
鳴きながら飛んできました。

帰ってきたよと言わんばかりに、空を群れで旋回するツバメを見て

もう帰ってきたのか?とちょっと大きな声で言ってしまいました。

昨年、散々喜怒哀楽を共にしたツバメの到来は嬉しいものですね。
今年もうちに来てくれるかな?

それにしても早すぎますが、確かにツバメだったんですよね。

ここでの、自然の中での生活は楽しいものです。

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