2012年04月21日

ツールドフィリピン

いままでアジアの国をたくさん回ってきたが、今までフィリピンに行く機会には恵まれなかった。

マニラ空港について、オーガナイザーに会うと車で移動するという。

車なら12時間の移動と聞いていたので慌てて、翌日飛行機で行く事を主張したが満席だという返事。

1月にオーガナイザーから招待状をもらいながら、今まで交通手段を確認していなかったチームを恨めしく思いながら車に乗り込んだ。

話によれば、愛三もOCBCも車で行くという事だった。

マニラの渋滞に車が滑り込んだ時に一つの思いが脳裏に浮かんだ。
自分の岡山のおばあさんの弟の事である。

今まで、考えた事はほとんどなかったが、なぜか突然思い出した。

おばあさんの弟の「陟(のぼる)さんはフィリピンのミンダナオ島でで戦死した。

そして、本来、のぼるさんが継ぐはずだった「相沢」という姓を。今康司が継いでいる。

陟さんが戦死しなければ、康司の姓は変わる事もなかった。

おばあさんが、フィリピンまで弟の供養に行きたいと言ったのは20年前だったか?

しかし、おばあさんを連れていける人がいなかった為に、

なぜか「沖縄で我慢してくれ」という話になり、おばあさんはフィリピンに比較的近いの沖縄から南方に向かって祈りをささげたとか…



今はおばあさんも少しボケてしまってたまに、僕が訪問した事も忘れてしまうぐらいだ。

本当はおばあさんのガイドしてミンダナオ島に行きたいぐらいだが、フィリピンから実家に陟さんの事をおばあさんに聞いてもらおうとしたが、おばあさんは

「陟は生きとるかのう?」と言っていたぐらいだから、詳しい話を聞くのは今となっては難しいと感じる。もっと早めに聞いておけばよかった。



フィリピンに足を踏み入れた途端に弟さんの事が頭に浮かんだのも、僕が戦後初めてフィリピンを訪れた親族だという事に関係があるかもしれない。

家族からは

「ルソン島でいいから、親族を代表して手を合わせてきてくれ」とリクエストされた。

フィリピンの貧しい農村地帯を抜けるでこぼこ道を走るワゴンに揺られながら、ジャングルの中を抜けながら、日本から遠い地でこの深い山でほとんど全員、海外が初めてという状況下、マナリアなどに冒されながらの戦闘がどんなものであっただろうか想像してみた。

陟さんがどこでどういう形で亡くなったのかは、ミンダナオ島ということ以外わからない。

ルソン島のジャングルと貧しい暮らしをする島民の姿は当時の面影を残しているように思われた。貧しいがゆえにそういうものは残される場合もある。

12時間走っても、グーグルマップでは工程の半分も進んでいなかった。
shinichi iphone 133

約20時間のドライブを終え北端の地サントアナに夕方5時に着いた時、愛三もOCBCチームもほとんどのチームが国内線飛行機でついた事を知った。

前置きが長くなってしまった。



第1ステージ

とにかく暑い。

暑さで後半パワーが切れるのを年頭に入れながらスタート。

アタック合戦に参加するが20人の乗り損ねて追う事に

チームメイトのマッパリは死んでいる。

20人の逃げに誰も乗れないという失態を演じ、チームメイト全員で追う。

チームメイト誰もが調子が悪い。

そういう状況ではあるが、前を捕まえた後のカウンターアタックにも反応しンなくてはならない。前を捕まえて、カウンターにチャンジェとやっとの思いで乗り、25人で どうかこのままゴールまで行ってくれと思ったが、残り20kmでアタックがかかり始める。

反応できず…

最後は暑さにフラフラになりながら4分遅れでゴール。

ゴール後、フラフラに。気温は40度を越していた。

プールに入りたいが、煮立っている。

洗濯サービスがないというので、チームメイトとトライクルというバイクを改造した3輪タクシーで街に出る。

アジアの新しい文化に触れて、心の感度がアップ。レースに集中するものいいが、カーテンを閉め切ってレースに集中するよりも、自分は地元の生活に直に触れる事によって、自分のメンテナンスが出来る。競技に支障がない(プラスになる)程度に息抜きする事が結果的に自分の成績にもつながると信じている。

ただ、競技に支障がない程度の程度は個人差があり、それは経験によって身に着くと思う。



第2ステージ

暑かった上に悪路にやられる。

半端ないぼこぼこ道を通り、自分も穴に落ちてパンク。

その後もアタックに反応したが肝心なものはチーム全員で見逃して、ゴール。

皆、移動のダメージが残り調子が悪い。

総合の遅れは6分になった。



レースが昼には終わるので、午後は時間がある。

外にチーム副キャプテンのザムリトライクルでと洗濯機探しの旅にに出るのが日課になってきたが、日曜でどこも開いていない。

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トライクルのドライバー「BOY」も困っている。

彼に「家に洗濯機ある?」と聞くとあるという。

お願いしたら、ためらいながらも奥さんの許可をとって家に連れて行ってくれた。

トライクルはどんどん、ディープなフィリピンの農村に入っていく。

貧しいが家族親戚が固まって暮らしている。

子供と犬が多い。

ムスリムのザムリは犬に触ってはいけない。彼を犬から守りながら洗濯が終わるのを2時間ほど待った。shinichi iphone 229

その間が今回のフィリピンで一番ディープな瞬間だった。


親戚が近くに暮らし子供は子供同士遊んでいる。段ボールに潜り込み遊ぶ子。

プラスチックのスプーンで石を飛ばして遊ぶ子供。水牛に乗ったり降りたりする子。

赤子の面倒をみる子供。BOYのおばさんが来てずっと話し相手になってくれた。

かごに入ったひよ子の周りを離れない雌鶏がいる。ザムリが後20分で卵を産むという。

のどの動きとお尻の盛り上がりを見てわかるのだそうだ。ザムリの家もこれに似た生活だと聞いているので、自分も日本人の感覚だけで彼に話をするのを控えた。

洗濯機と脱水気を家の中から出して外に設置、洗濯機を使いながらも奥さんが手洗いで一生けん枚洗ってくれる。洗濯機には井戸から汲んできた水を使っている。

洗濯機は普段は使っていないようだ。日陰にいても汗が噴き出してくるほど暑い。

僕にとって、家族親戚が助け合って暮らすのこの光景は理想的であるが、

彼らにとって、日本で暮らす自分の生活は夢なのかもしれない。


水牛に登って遊ぶ子供たちに混じって水牛に乗せてもらった。

少し怖かったが、エイッと飛び乗ったらスイギュウはびくともしなかった。

おとなしいしものだ。

飛び乗った時に僕のすねと水牛の背骨が当たって、ごっと音がした。

こっちは相当痛かったが、水牛は動じなかった。

BOYの家族はいい人たちだった。

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500ペソ(約1000円)奥さんに渡してきた。



第3ステージ

今日は後半に山があるステージ。

スタートして、やっと調子が戻ってきた事が分かった。

積極的にアタックして、さんざんマークされたが自分できつい展開を作って、そこからアタックした。

10人ほどの逃げになったが、フィリピン人の選手などがローテーションを乱すのでこの日唯一の登りでアタックした。

山岳賞も狙ってみたが台湾から因縁のフェンチュンカイに見事に奪われて、3位通過。

しかし、逃げの人数を6人まで減らすことに成功する。

その後はステージ優勝にターゲットを絞る。

総合で一番良く、しかも2人乗せている。スレン(イラン)チームの選手が本来一番引かなくてはいけないのに、奴らが休んでいる。

ゴール10km前になり、差は1分。

きわどい。

残り2kmでそのスレンの選手が強烈アタック。

ほかの選手が追いに入ったので、後ろに着いたが差は開くばかり。

そこから強烈にアタックして一気に詰めに行ったが、振り向くと自分には全選手素晴らしい反応でついてきている。

「俺の爆発力が弱いのか。それともみんな向きになって俺をマークしているのか?」

残り1kmを切りフェンがアタック。

こいつはやばいとすぐに反応したが、自分が踏むと他の選手は反応する。

ので、踏むのをやめた。

フェンも行ってしまった。

「ああ、最悪だ。」

UCIポイント獲得に後1席しかない。

残り400mで愛三の伊藤がスプリントを開始。

スレンの2人目の選手がそれをまくる。

ゴールを見るとまだある。ちょうど間に合った感じでスレンの選手をさして3位でゴール。

いや、なかなか勝てない。

アジアのレースはステージ3位まで表彰台がある。

本来、3位まで上げるのは反対だが、その好意に甘える事にして、表彰台に上がり、なぜかガッツポーズまでさせられたが「楽しんだ方が得」なので愉しむとする。



ゴール後、ネットで調べたら、フィリピンの戦没者慰霊碑リストに「BANNBAN」という地名がある。

グーグルマップで調べると、ホテルから15kmほどだ。

まだ、午後2時半。

行くしかない。

フロントで鼻高バスの乗り方を教えてもらい
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バス停に来たばかりの満員のバスにまるで乗りなれているかのように乗ってみた。

皆との距離が近い。

ほかの人も視線が合わないように皆一様に前か外を見ている。

4人ほどの子供たちは親の膝で一様に寝ている。

Iphoneのマップでで目的地までの距離を測りながら、隣に座る子連れのおばさんに皆が代金20ペソ(約40円)を渡して下りていくので自分もそれにならった。

さて、バンバンについて慰霊碑を探す。

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カンガルー便?

写真はどれもジャングルの中だ。

これはなかなか見つかりそうにもない。

トライクルの運転手も一様に首を横に振る。

1時間ほど、聞き取り調査の後、ある運転手が「これはこの州ではない」と言いだした。

州名を確認すると「違う」

どうやら、ルソン島にバンバンという地名は2つある。

という事が分かり、本日の調査は終了。

路上でスイカを買って帰った。

切り売りのスイカは10ペソ。

可愛い娘がお母さんに甘えに来ていたのでカメラを向けるとにっこり笑って

「サンキュー」と言った。

また、鼻高バスに乗りホテルに戻る。

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第4ステージ

最終ステージだ。4月のフィリピンは夏真っ盛りだが

南に行くにつれて気温が下がってきて、コンディションも上がってきた。

不安はないがコースがきついので難儀することが予想された。

スタート前に、昨日会場で話してきた日本名「本田さん」と話す。

彼は昔埼玉に10年ほどいたようで日本語がぺらぺらだ。

彼に、慰霊碑の話をすると

「ここら辺は、日本とアメリカが喧嘩した場所だから、山の中に行けば沢山の墓がある」と教えてくれた。

昨日、お願いして連れて行ってもらえば良かった。

また、フィリピンに来た時はぜひうちに泊まってくれと言われたがいつ行けるかどうか。

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レースは超山岳コース。

スタート直後に逃げに、元気がなかったマッパリが乗って行く。

集団も追って、いい展開だ。

登りが始まって、集団がどんどん小さくなる。

最後、集団はばらばらになりニュージーランド人をペースメーカーに登っていた。

下りで牛の群れが集団の前を横切る。フィリピン人も怒鳴っていたが、牛ばかりはこちらが避けないといけない。延々ときつい上りを登り、そのうちこう配がきついのか緩いのかも良くわからなくなる。そんなにきつくないように見えても27のギヤを使っていたりする。

最後になって対向車がどんどんやってくるようになり、そしてついには交通規制が出来ていない区間になり、下りで抜け出したニュージーランド人を追って、バンの後ろを走っている時に後ろからチームカーが来て

「Uターンしろ!道が違う」という。

ニュージーランド人はそのまま間違った道を突き進んでいった。

前を走るコミッセールカーも間違えていたようだ。

それまで、さんざん自分にコバンザメの様についてきては単発的にアタックして、追いつかれたら、つきいちを決め込んでいたフィリピン人たちが、道を間違える自分を何も言わずに見送っていた。



奴らを捕まえて10位争いのスプリント。

ゴールも人がうろうろしているのでもがく勇気もなく13位でゴール。



正直言って、走りながら苦笑いが止まらず、戦意を喪失していた。



フィリピン人がステージ優勝と総合優勝。

先頭のコミッセールがフィリピン人で彼らが車に捕まるのを容認していたとか。

車から降りてきて走りだす選手を目撃したとか。

とにかく、いろんな意味でハードなこのレース。



もちろん、もっとUCIポイントを獲得したかったが

初めて訪れたフィリピンは、とても楽しかった。

新しい土地と文化に触れて、脳みそが活性化した気がする。

誤解を恐れずに言うならば

僕にとってフィリピンのいいところは、「貧しさが残っている」ところだ。

(フィリピンの人は怒るかもしれないが)

その貧しさの中に、人間的な豊かさを感じる事が出来る。

マレーシアやタイと比べて

フィリピンは未開の部分がまだ残されている。



ゴールした、バギオは標高1600m

寒いほどだった。

真夏の避暑地として大変にぎわっており、それゆえに交通整理もできていなかったようであるが、湖に家族連れが足こぎボートでイモ洗い状態のにぎわいを見ていると

ふと家族を連れてきたいと思った。



そこから、慌ただしく用意をして17時にホテルを出発

マニラに着いたのは朝の2時であった。



翌朝、朝7時半にタクシーに乗り

ルチナ公園に向かった。

タクシーの運ちゃんは最初に渋滞しているから250ペソといったが、強引にメーターで行かせた。結局220ペソ。

ここにジャパニーズガーデンがありそこに広島から送られた慰霊碑があるのだ。

あろうことかタクシーで30分以上かかって到着したジャパニーズガーデンは改装中で閉鎖されていた。なんとか、中に入りたい。

裏口からチップを渡して案内してもらい、般若心経をあげて、今回のミッション完了。

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Posted by fugushima at 11:13│Comments(6)レース 
この記事へのコメント
とても厳しい条件下でのレース、お疲れさまでした!!
ご親族の供養もしっかりやって、エライ!
あなたの目線で見る世界感、自分は好きです。
Posted by daisuke-p at 2012年04月21日 21:21
5
いつも貴重な情報ありがとうございます。

自分の母方の祖父もフィリピンで戦死しました。海軍だったそうです。
母が祖母のお腹に宿っているのも知らずに出兵しました。

軍服姿の祖父の写真は、あまりにも若いです。

レース中に先供養…

心と身体のバランスが素敵です。
Posted by HiroyukiSugimura at 2012年04月22日 03:21
レースレポートの枠をはるかに超えた、渾身のドキュメントありがとうございます!まさに「福島晋一の地球家族」という感じですね。ブラビッシモ!
Posted by 荒川自転車研究所・萩原です at 2012年04月22日 09:10
レースレポートというよりも、紀行文を読んでいるような気持ちになりました。フィリピンの熱い風を感じました。

レースのいいニュースももっと聞きたいですが、こういうアジアの風景ももっと聞かせてください。
Posted by Tokiwa at 2012年04月23日 16:51
非常に 過酷な条件 でのレース 、 お疲れ様でした! ! 私は偉大な 、 しっかりと あなたの家族 の記念 を行う! 私のような あなた の目を通して 見た世界 感 。
Posted by runpiligh at 2012年11月04日 09:50
停止
Posted by sunetpho at 2012年11月10日 18:00

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