2019年03月14日

狂気の沙汰

毎年のように若くして亡くなるサイクリストのニュースは
自分に自転車競技の存在の意味を問わせる。

命>スポーツ

であるはずのものが…

ローマ時代にコロッセオでは奴隷同士が生き残りをかけて争っていたわけだし
その、命がけの戦いに人々は熱狂したものだ。

これは、まさしく戦争の延長上にあり

命<勝利

いや、命=勝利か

スポーツはまさしく戦争だ。
脳震盪を起こした選手は自転車に乗せてはいけないが
世界選手権の優勝を目の前にして、のこり1kmで転んだ選手を担架に乗せるかといえば
答えは「NO」

この、狂気の沙汰とも思えることが平気で論じられているのがスポーツの世界であった。

しかし、「今の時代は違う」
(最近よく聞く言葉で、あまり自分も好きな言葉ではないが…)

ただ、後ろから拳銃を突き付けられて
ちぎれたら撃つ! なんてやられたら
確実に何もないよりは頑張れてしまうのも事実であり。
ましてや、心臓麻痺を起こそうと思って頑張っても、相当な精神力をもってしても
健全な体には心臓麻痺はなかなか起こらないものなのである。

そして、強い肉体を作るには、ハードなトレーニングをすることが大事であり
精神力で普段出せない力を出すことは効果があると信じられてきた。

ただ、今はそういうのははやらなくて
計画的に無理なく、段階を踏んで無駄なく才能を伸ばすのが主流であり
練習量も昔と比べると減ってきているのも事実である。

ただ、そうやってできた体に最後のトッピングとして、そういう精神論を入れるのは
効果的であると思うが
最初から、精神論を持ち出すのでは 今の時代ではなかなかトップには行けず、途中で嫌になってしまうのが実際である。

フランスでは14歳までは勝負にこだわらず、楽しくテクニックを身に着けさせる。
15歳から徐々に勝負にこだわり始める。
あくまでも、目標はアンダーが終わってからである。

そして、精神論に耐えられるのも、ある意味、年齢を重ねてからで
高齢でアイアンマンを始める人はまさしく、精神論の詩人である。

Posted by fugushima at 01:13│Comments(0)

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