4月5日
朝起きて、いつものようにメッセージをチェックしていた。
ガンツムール選手のフランス初戦を控えて、海外活動許可証をモンゴル車連に依頼していたのを確認して、グーマークを送った。
彼の渡航を夢見て、自分もOGGIも自分の奥さんを巻き込んで随分と頑張っていた。
奥さんから、そのグーマークへの返信で
「昨日、オギが死にました」というメールが返ってきた。
きのう、14時までメッセージのより取りをしていた彼の死が全く理解できなかった。

占い師、シャーマンと連絡を取り15日に葬儀を行うときまり、自分も葬儀に参列することにした。

ネットで調べてみると
死体を馬に載せて馬を走らせて、落ちたところが墓になるとか鳥葬だとかいう情報が飛び交っている。
現地に着くまではほとんど、何の情報もなくウランバートルに降り立った。

現地では2人の選手が迎えに来てくれていた。
ブルグンとアギである。
二人とも英語を話す。
そこまで、重い荷物をもって歩いていたのだが、二人に無理やり荷物を奪われて手ぶらになった。
車の中でオギは練習中に来るまでついて言っているときに何かの理由で止まっていて、そこから選手に追いつこうとしていた時にコースアウトしたらしい。
車は韓国製の大きなバンであったという。

その夜は日本食をブルグンにおごってもらった。

翌日、アギが迎えに来てくれて練習を見に行った。
アジア選手権を前にして、皆で練習している。
写真を撮って、奥さんの家に向かった。

家はアパートの一室でオギの写真が飾ってあり弔問客に軽食をふるまっていた。
オギの写真に手を合わせて、おいしいスープをいただいた。
翌日の段取り、ブルグンのベトナムのレースまでの日程などを話し合った。
奥さんは突然、オギをなくして3日ぐらいショックであったらしいが、その間もフランスに着いたガンツムールのことを心配したり、チケットを手配したりしていた。
自分も彼女の状態を思うとほかの人に頼みたかったが、彼女以外にそれができる人が見当たらなかったため、遠慮できなかった。

葬儀は火葬であると聞いて、少し安心した。
翌日は朝の5時に病院からオギの遺体を運び、スポーツコンプレックスで葬儀が始まった。
そこで一言と言われていたのだがその場はなく、終わってしまった。
棺桶の蓋が後ろにずれているところから顔を出すオギの顔は、昔の表情豊かな顔からは想像できないほど、角ばっていて当然であるが無表情であった。
皆でその棺の周りを時計回りにぐるぐる3週回った。

そして、オギの体を霊きゅう車に乗せると、自分は指定されていた車でどこかに向かった。
車は穴や段差が多い道をひたすら走って、小高い丘陵地帯にある墓地に着いた。
初対面の人々と乗り合いであったが、皆終始無言であった。
30分ほど、待ってから奥さんに連れられて葬儀会場に入った。
今度はスポーツコンプレックスから比べるとかなり狭い。
スポーツコンプレックスにいた選手も友人もいなくなって、家族と自分とCCNというジャージメーカー社長コリンさんぐらいだ。
そこで促されて、一言話してくれと急に言われた。
通訳の人が付いていたので、英語で話した。
「おぎ、世界中のレースで争った我々はいい人だったね。
オギは選手としても人としても強かった。
引退後も選手の為に各チームを回ってボトルや補給食を集めていたね。
常にモンゴルの選手の事を考えていたね。
オギが亡くなったことは衝撃でこれから30年間一緒にできると思っていた。
いつも、ウランバートルに来いって呼んでくれていたけど、俺が来たからオギは喜んでいいるに違いない。
これから、お前の選手たちを強くするためにできる限りのことはするから、安心して休んでくれ」
と遺体に向かって話ができた。

つづく