ディエンビエンフーのレースが終わった。
今回はモンゴルのビルグンをエースに、東京ヴェントスの藤田選手をゲストライダーとして、タイのシンハチームからボーイ選手。そして、ボンシャンスの古川選手の5名で挑んだ。
サポートとしてはブリヂストンハノイの竹野さん、ハノイ自転車クラブの佐藤さん、タイからボーイの帯同として中川さんに帯同をお願いした。出走予定だったタン選手は今回お手伝いで帯同してくれた。

現地で走らせようとしていた、ベトナムのタン選手がライセンスの問題で参加できないことを言い渡されて、急遽、ハノイ在住のイラン人選手アリ選手を起用した。
彼は年齢的に27歳と高齢でこのチームの趣旨にはそぐわないので一度断っていたのであるが、4人で出走するよりはいいということで今回の起用になった。

監督会議で6日間のレースの3日目と4日目がキャンセルになったことを伝えられる。
連盟の重要な方が亡くなってお葬式があるというのが理由であったが、皆、さほど驚いていないところを見ると、事前に話は漏れていて知らなかったのは自分とフィリピンのチームぐらいであったのだろうか?

残念であるが、抗議をしても仕方がない。

選手がそろい、英語でミーティングするがわかっているのかどうかあまり反応がない。
こちらがわかっていないことを素早くくみ取って、説明をする。
このアジアのチームでは、一番のネックはコミュニケーションであろう。
初日の45kmのクリテリウムでは藤田をエーススプリンターに挑んだ。
ボーイが積極的にアタックをする。
最終コーナーでビルグンが落車して擦過傷を負った。
ベトナムの選手は相当、アグレッシブなようだ。
藤田は11位。


第2ステージ
後半本格的な山を含む140km。
序盤の逃げにビルグンが乗ったが登りで捕まった。
そこから、クライマーが抜けだした。
この日、ベトナム人が運転するチームのバンに乗ったが、ラジオツールもないし、情報が全く入ってこない。
前の状態が全くつかめないままゴール。
3分遅れでゴールした藤田が20位台で最高位。
総合から脱落してしまった。
この日、竹野さんに単独でサポートバイクを運転してもらった。
もう一台はベトナム運転手にタン選手が乗る。
ほかのベトナムチームの監督たちと壮絶なバトルを繰り広げたようだ。
夜にスタッフで外食に行くとホーチミンのチームが飲んでいて、乾杯を求めてきた。
何回か、一気飲みをして友情を深めると向こうの監督が竹野さんに、今日は失礼しましたと謝っている。何があったのか聞くと、3台のサポートバイクを出すホーチミンが竹野さんを囲んでひと悶着あったようだが竹野さんが蹴散らしたらしい。
中京大学在学時にスプリンターとして、ならした竹野さんのバイクテクニックは素晴らしいし、売られた喧嘩は買う方だ。
「外国でけんかをしたら最後は負ける」と教わってきた自分から見ると、このベトナムでこうやって生きている竹野さんはとても頼もしく感じた。
彼らは飯代も全部払って切れた上に強力な弓矢の土産もくれた。

移動日も朝は早い。6時半にキャラバンで出発。
途中、休憩所でアリ選手を紹介してきたアンジャンチームの不愛想な監督がバナナチップを買ってくれた。腕にけがをしている。
程6時間かけて、ソンラ市に到着。
雨が上がったので選手には3時間練習に行かせた。

4日目
本来、ソンラの実質、休養日。
朝練習にいった選手を近くの総菜屋に連れていく。アジアの選手は飯の選択が楽だ。
夜にパーティーがあり、軍のお偉いさんとたくさん乾杯をした。
日本に入った話を聞いたり、皆友好的だ。

5日目
最終山岳ステージは、自分が竹野さんの後ろに乗った。
前回の戦いで認められた竹野さんに喧嘩を挑んでくるバイクはない。
逃げのメンバーの情報も入るし、タイム差もバイクの掲示板でわかる。
選手を大声で呼べば声も届く。
バイクの序列は決まっていなく、出たもの勝ちである。
ただし、後ろから集団が来たときは、審判がバイクを利用しないようにバイクを脇に寄せる。

ツアーオブジャパンを2度総合優勝しているミルサマ(アンザン)がスペイン人と逃げ切って、チームメイトのベトナム人からジャージを奪った。
16人ほどの集団に残ったビルグンがステージ7位でゴール。

その日は1954年にディエンビエンフーの戦いでベトナム軍がフランス軍を破り独立を勝ち取った日。
夜に花火が上がったり、町は祝賀モードだ。

6日目
最終ステージ。
藤田のスプリントにかける作戦。
序盤から、ビルグンが戦闘でペースを上げてコーナーで単独落車した。
前輪の気圧を10まで上げていたことが判明。
慌てて空気を抜いている。
8人の逃げに乗っていたビルグンだが、周囲の協力が得られなくていら立っている。
戦闘で黙々と引くように指示する。
スプリントポイントでばらけた集団から3人が飛び出す。
集団に戻ったビルグンだが、さらにもう一度アタックして前を負う。
前に届かなかったが4位でゴールした。

ボンシャンスアジアサイクリングアカデミーの初戦が終了した。
まだ、始まったばかりであるがこのレースの参加を皮切りに、ほかのレースに招待されたり、名乗り出てくる選手も出てきている。
まずは船が港を離れた。改善する点もたくさん見られたし、この方針でやっていこうと思う。
第2戦のベ ノン トンはアジアの選手で6人そろえることができなかったので、名乗り出てくれたオーストラリアのパースの選手を起用してチームを結成します。

今後とも応援よろしくお願いします。