シャブルベシ~チベット方面への車道は5月16日にはすでに通行可能になったことが写真家「有賀正博」氏の報告*でわかった。
  中国が復旧作業をしたとのこと。地震から3週間程度で開通したということは、地震以後も道路自体の崩落や山抜けがなかったのだろう。
 有賀氏の記事を推測すると、5月12日以前に開通したらしいが、ドンチェ手前数キロの毎年雨期に崩落し通行止になる所が5/12に崩落し、一時通行止になったようだ。

*:旅するフォトグラファー 有賀正博   「 ヒマラヤのふもと、チベット村へ救援物資を届ける旅 」



2015.4.25.地震発生

  ネットで地震関連の記事を見ていると明らかな誤りに気付く。

その1:山崩れの動画である。

 例:英国BBC 12.May.2 015  Nepal earthquake cause landslide near ・・・・・

  映像はDhuncheと記載されているが、ドンチェの風景ではなく、正しくはランタントレッキングコースの玄関口であるシャブルベシ Shyapurubesi だ。小生はこの地を地震前の23日通過し、26日またこの地に戻り一夜をここで過ごした。映像と同じ山崩れ現場が、滞在中も時折崩れていた。

動画の源典はカナダ赤十字社サイトの様だ。この映像を欧米の有力メディア(BBC,ウォールストリートジャーナル、CNNほかなど)が転載している。


その2:新聞記事の現地体験記

  韓国「中央日報」日本語電子版、4月30日、< 30分が生死を分けた・・・・・・「命拾い」(1) >

 新聞記事はトンチェとなっているが、日本語のトレッキング案内書ではドンチェ Dhunche と書かれる所であることは文面より明らかだ。
  記事では、トレッキンググループがこの地で地震に遭遇し、28日にカトマンズに帰還するまでの状況が書かれている。しかし小生は27日にここを歩いて通過し、カトマンズに帰り着いた。この時の小生が見た道路の状況と記事とでは大きく違い、記事では極端に悪く書かれ、グループがいかに苦労したかが強調されている。

  以下小生が疑問に思うカ所を順次記す。 赤字斜体文字は新聞記事 
 <村の下の道路には家よりも大きな岩があふれ> ⇒ バス道路が1本村を貫通しているだけで道路の下にもう1本道路はない。したがって岩があふれも架空の話と思う。「グーグルマップ」を見るとわかるが、黄色い道路がバス道路。トレッカーが乗っている車(バス)がバス道路をはなれてアーミーキャンプの方角へ行くとは考えられない。トレッカーが昼食を食べるとしたら、バス道路に面した食堂だ。

<バスから降りて山の上に駆けだした> ⇒ 普通なら登るのではなく道路を落石のない方向へ反射的に走るだろう。その後安全な宿営地を探すだろう。

<村の頂上には運動場ような平地> ⇒ 運動場大の平地があるかは疑問。村(集落)はほぼ一様な斜面の山腹にある。

<山崩れで道路がなくなった> ⇒ 27日に歩いた時は道路上には岩石が散らばっていたが、道路自体は健全で崩壊はなかった。だから小生は一日でカトマンズまで帰れた。したがって、地震発生日に「道路がなくなった」は見てきたような完全なウソ。


<流された道路を迂回して> ⇒ 前記と同様。迂回道路そのものがない。

<絶壁では互いに> ⇒ 仮に急傾斜山腹の地で道路崩壊があったとしても絶壁ではなく、絶壁状の急斜面だろう。

  なおこの韓国人トレッキンググループは、26~27日はドンチェに滞在していたことになるが、この間地元民などから情報を集めようとはしなかったのか。
  小生が歩いた27日は山麓であるトリスリ、ラムチェ方向から時おり人々がドンチェ方向へ歩いて行った。小生に同行していたガイドはこれらの人から話を聞いて歩いていた。
  また小生がシャブルベシからカトマンズ方面に向かって歩いていた時は、ほかにもトレッカーが4人とガイド、ポーター等が8~9人ほぼグループのような状態になって歩いていたし、ネパール人も歩いていた。
  

2015.4.25.発生 ネパール大地震 その11

2015.4.30. 帰国へ
 
  エベレストベースキャンプは雪崩れに襲われ死傷者がいる、全土で数千人が死亡した、カトマンズの世界遺産の大半が損壊したとか、テレビで被害の甚大さを知り愕然とした。テレビではカトマンズ以外の地域の地震被害ニュースはなかった。震源地はゴルカ Gorkha 地方というが、こちらの情報はなかった。くりかえしになるが、市内は平穏だから、2日間安心して市内見物ができた。
  
  3連泊したホテルをチェックアウトすると、その支払いは思いのほか低額だった。というのはホテルの夕食は地震のため炒飯しか提供していなかったからである。結局夕食は3回とも炒飯にビールだけ食した。外に一人で食べに行ってもしょうがないし、面倒だという感情もあったのと、ここの炒飯はうまく、さらにうまいコーヒーが無料サービス提供されていたからでもある。

  あまったルピーは両替店でUS$に両替してもらった。1100ルピーが10$になった。少し残ったはした金でどうでもよい土産を買った。

  空港までの街中は地震があったからといって特別な風景ではなく来た時と全く同じに見えた。
  空港には日本大使館のデスクがあり、係員が二人立っていた。名前と帰国することを告げた。空港ビルは被害がないようだった。また旅行者がメチャメチャ多いかというとそうでもないようだ。タイ航空のカウンターでも普通とおりの応対だった。

  待合室の外に出ると国旗掲揚ポールには国旗が半旗で掲揚され、支援物資らしいものがそのまま置かれていた。
  TG320便バンコク行(時刻表では13:30発)は定刻よりは遅れたようだが何事もなく飛び立った。

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