2011年04月07日

寝袋支援プロジェクト〜再び被災地へ、そして次に見えてきたものは〜


4月2日、再び被災地へと向かった。今回の訪問先は岩手県山田町陸前高田
市、気仙沼市。主な支援物資は寝袋が1376個(中国から800個、アメリカから
256個、フランスから50個、そして日本中から270個)。

気仙沼市では大規模な火災も発生。_800
 気仙沼市では大規模な火災も発生

 また前回3月23日に訪れた広田小学校(陸前高田市)の鈴木真紀子先生から
「ランドセルがあれば」との事でしたので、マナスル基金で集めたランドセル200個のうち100個を被災地に届ける事になった。
ヒマラヤ・マナスル峰の麓に学校を作ってきましたが、そのヒマラヤの子ども達に
日本のランドセルを贈ろうと長野県小諸市の子どもたちが200個のランドセルを
集めて寄付してくれていたのだ。この春のヒマラヤ遠征時に持っていく予定であっ
たランドセル。そこから100個を被災地へ。そして広田小学校には60個。残りの
40個は次のタイミングで他の地域に届ける予定。それ以外にもマフラー・文庫本・
漫画本・文房具・女性用下着・発電機・嗜好品など。富士山クラブからは富士山の天然水も。

津波の破壊力は凄まじい_800
 津波の破壊力は凄まじい

 10トントラック1台、4トントラック1台、ハイエース2台、エスティマ1台に支援物資を積み込み被災地の現場へと向かった。また各車両に予備用のガソリンタンクを積んだ。
何しろ被災地では極度のガソリン不足。その貴重なガソリンを我々が使うわけにはいかない。(東北道に関しては給油可)

 4月2日、午前11時東京発。途中、仮眠をとり4月3日午前3時半に紫波SAで芹澤小諸市長、富士山クラブの舟津さん達と合流。支援物資を運ぶトラックは前回同様に小諸市が提供してくださった。小諸市で環境大使を務めている関係から小諸市がバックアップしてくださったのだが、今回は芹澤市長も同行してくださった。
 何しろ、東京からも遠いのに、小諸市となればさらに遠い。それでも芹澤市長は「私も現場に行く」と、市長も現場主義。午前7時、岩手県山田町役場に到着しましたが、町役場の前はまるで戦争などで空襲を受けた跡のようだ。一面が焼け野原状態。2度目の現場入りに再び声を失う。津波が押し寄せた後、石油のコンビナートが破壊され町中に海水が混じった石油が。そして引火。

 山田町役場前。辺り一面が焼け野原となっていた。_800
 山田町役場前。辺り一面が焼け野原になっていた。

長野県小諸市の芹澤市長と。山田町役場にて_800
 長野県小諸市の芹澤市長と。山田町役場にて

 山田町、沼崎喜一町長は「私も家を失いましたが、弱音を吐くわけにはいかない」と自らが被災者でありながらも陣頭指揮を執っておられた。職員の多くも役場に寝泊まりし表情からは明らかに疲労感が伝わってきた。被災者のケアと同様に市町村の職員、または消防、自衛官などのケアも必要なのだろうと感じていた。彼らが倒れてしまっては元も子もない。特に長期戦となるこの大震災。サポートする側のケアも大切だ。

役場に宿泊している職員も寒くて寝られないとの声もあったので、寝袋600個を避難所用に。そして200個を町役場へ提供。町役場の方々は「私達はいいんですよ」と話されていたけれど、彼らに託されている役割、責任、そしてプレッシャーがどれだけ大きい事か。悲しみや怒りのやり場のない方々の感情が時に職員に向けられる事もあるだろう。せめて寝る時ぐらい少しでも暖かい夜を迎えてほしいと願っていた。

お寺の屋根だろうか_800 
 お寺の屋根だろうか・・・ 

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瓦礫の中にアルバムが_800
 がれきの中にアルバムが・・・

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 町役場を後にした我々一行が次に向かったのは山田高校。
 前回、陸前高田市に支援物資を届けた際、私のツイッターに山田高校の関係者から「山田にも寝袋を届けてください」とメールが入り、「今回は無理ですが次回は必ず届けます」と約束していただけに山田高校に到着した時には少しだけホッとしていた。
 車から寝袋以外の支援物資も下し、次の目的地である陸前高田市へ向かう準備に入った時に山田高校の先生から「もし可能でしたら避難所の人たちに声をかけてくれませんか」とお願いされた。私は正直、ドキっとしてしまった。なんて声をかけていいものか、分からなかった。
 何しろ、失ったものがあまりにも大きすぎる避難所の方々。家を失い、家族を失い、仕事も何もかも。なんて声をかけていいのだろうか、私には自信がなかった。頭が真っ白になったまま700人以上が生活している山田高校の体育館へ。

 しかし、体育館に入った次の瞬間に被災者の方々から拍手が沸いた。そして目が合うと笑顔も。私がイメージしていた避難所とは大きく違っていた。私の肩からスーと力が抜けていくのが分かった。

  そしてマイクを取りお話させて頂きましたが、私が一番使いたくなかった表現は「頑張ってください」だった。あの極限状態の中で生活していることが既に頑張っているのだ。頑張っている人にどうして「頑張って」と言えるのだろうか。「頑張って」という言葉は時に人を追い詰めることにならないだろうか。気が付いたら「皆さんはもうじゅうぶん頑張っています。あまり我慢しないで」と話していた。

 「頑張る」よりも「踏ん張る」。ツイッター上で見つけた言葉ですが、なるほどこちらの表現の方が正しい気がする。

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子ども達の笑顔に逆に元気をもらった_800
 子ども達の笑顔に逆に元気をもらった

この後も合計7か所の避難所を回りましたが、どの避難所でも共通していたのが支援物資を届けた際に「私達も大変ですが、もっと大変な人たちもいますから。私たちだけ頂くのは申し訳なくて。
そちらの方たちにも分けてください」といった譲り合いの言葉であった。

 海外メディアではこうような状況を「ほかの被災国でしばしば噴出する怒りやいらだちはほとんどない」(AP通信)「被災者は自分たちが置かれた状況を『我慢』という言葉で表現した」(米誌タイムズ)「ほかの国の大災害では殺し合いや略奪が起きるのに、日本人は避難所や商店で順番待ちの列を作っている」(タイのインターネットブログ)「日本人は例え親族が亡くなったとしても泣き叫んだりしない。我々が世界各地の被災地で見てきたものと違う光景だった」(中国の国際救急隊医務官)と報じ日本人の被災者のモラルを称賛している。

 確かに報じられた通り。世界の人々が驚くのも無理はない。しかし、あまり我慢ばかりしてほしくない。もっと「こうしてほしい」「あれが必要だ」と言ってほしい。我慢がばかりが先行すれば心のダメージに繋がる。時に我がままになることだって必要だ。

 避難所では一人でも多くの方々と直接お話しがしたかった。しかし、なかなかの移動距離で一カ所にゆっくりと滞在する時間がなかったが、それでも何人かの方々とお話が出来た。

 ある60代の男性は「野口さん、不思議なのです。私はサービス業をやっていて、お店も家も、お客さんも流されてしまった。何一つ、残っていないんですよ。でも不思議な事に悲しくないんですよ。まだ夢のような感じなのかもしれませんが。何だと思いますか、この不思議な気持ちは」と。私には答えられなかった。しかし、答えられなくてもいい。彼らの声を聞くことに意味があると思えた。私は被災にあった当事者ではい。理屈ならまだしも、「感覚的に当事者の気持ちになれるのか」と言われればそれは無理だ。当事者にしか分からない世界がある。しかし、少しでも近付く努力は必要だ。

 中学生の女の子たちはニコニコしながらも「自分の時間がほしい」と話した。50代の女性は「寝られないんです。寒かったり、音が気になって」と。また他の女性は申し訳なさそうに「耳栓とアイマスクがあれば・・・」と。それはそうだ。プライベートのない避難所では耳栓は必需品だろうし、比較的に暖かい昼間に寝たくても明るくては寝付きも悪いだろう。登山生活においても私は必ず耳栓とアイマスクを持っていく。なぜ、そこに気がつかなかったのだろうか。次回は耳栓にアイマスクだ。

 こうして様々な声を聞いた。この声は繋がる。

 山田高校を後にし、次は陸前高田市へ。前回訪れた広田小学校へ。ランドセル60個と子ども用の運動靴100足に文房具に玩具を届けた。ちょうど学校にはランドセルを失った子どもやこの4月からの新一年生がいたのでその場でランドセルを手渡した。恥ずかしそうに、でも嬉しそうにはしゃぐその子の表情に、逆に我々が元気や勇気を頂いた。

 広田小学校にランドセルと届ける_800
 広田小学校にランドセルを届ける 

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 陸前高田市のセンターには寝袋約200個を届け最後の目的地である気仙沼へ。海岸線の45号線が繋がっていれば近いのだが、津波で所々が寸断され内陸側を走らなければならず時間がかかる。

 15時40分、気仙沼市役所着。寝袋300個をトラックから降ろし気仙沼市の菅原茂   市長と面会。震災時の様子、状況を事細かくお話頂いた。「野口さん、ご覧になって分かると思いますが、津波の被害は100か0なのです。津波が押し寄せ場所は津波で破壊された後に火災で壊滅的です。津波の被害がない所はほとんど無傷です。地震の揺れ自体ではほとんど被害がなかったのです」と菅原市長。

 気仙沼市も山田町同様に広範囲にわたって火災が発生したのだ。市内入口では燃えた車の残骸の後ろに陸に打ち上げられたままのタンカーの姿が。町に横たわるタンカーの姿が全てを物語っていた。

 震災後、私はずっと気になっていた事がありました。それは気仙沼市在住の畠山重篤さん。10年前にある表彰式で一緒になり、それがきっかけで畠山さんの著書を読んでみたり。畠山さんは牡蠣やホタテの養殖業を営んでいますが、ユニークなのが牡蠣の養殖に適している場所とは淡水と海水の交わっている所とのことで、20年前から豊かな海を取り戻そうと広葉樹の植林活動「森は海の恋人」を展開。美味しい牡蠣作りのための森作り。ご著書には「森は海の恋人」「漁師さんの森作り」「森が消えれば海も死ぬ」など森と海の繋がりを訴えている。

 その畠山さんは無事だったのか、震災後ネットで情報を探している内に無事を確認。そしてテレビニュースで畠山さんが「もう一回やりますよ!」と宣言している姿に「会いたい」と気仙沼市役所を後にしてから畠山さん宅を目指した。畠山さんが住んでいる集落の住宅地の大半が津波に流され場所によっては瓦礫すら残されず砂浜のようになっていた。確か4件しか残らなかったとか。その内の一軒が畠山さん宅。海から20メートルほどの崖の上にあり、しかし、津波が襲ってきた時には玄関の1メートル手前まで波が迫ってきたそうだ。

 その畠山さんと再会したら「お久しぶりです。牡蠣は100パーセントやられてね。全滅ですよ。でもね、海は生き生きしているんですよ。多くの方が犠牲になった津波だけれどね、海の状態はいいんです。津波によって海底に溜まっていたものが流された。津波とはそういうものです。2年あれば復活できます。私たちには海しかないんですから。海があれば大丈夫なんですよ。野口さん、2年待ってください。必ず美味しい牡蠣を東京に届けますから」と畠山さんは確信に満ちた表情で私にそう語った。この津波で母親を失った畠山さん。しかし畠山さんはどこまでも前向きであった。

牡蠣の養殖を行っている畠山重篤さんと再会_800
 牡蠣の養殖をしている畠山重篤さんと再会

 畠山さん同様に多くの漁師の方々が船や養殖所を失った。廃業を考えている漁師さんも多いのだそうだ。漁業の復活抜きに三陸地域の復活はない。再建を宣言する畠山さんの表情を眺めながら、畠山さんの復活は三陸地域の漁業全体の復活に繋がると感じていた。

 全ての漁師を一気に救済することは現実的に不可能だ。そこで復興のシンボル的な存在が必要となってくる。私はその方が畠山さんだと思う。長年による幅広い活動、メッセージ性、リーダシップ、発信力に影響力のどれをとっても。

 2度目の被災地訪問はこうして無事に終了し東京に戻ってきましたが、車中では運転しながらも次のテーマを考えていた。私に出来る事とはなにか。着実に意味のあることとはなにか。支援物資を届ける事もあれば、その次のステップとして子ども達の心のケア、または漁師さん達の復活に向けての何か、その「何か」は「何だろう」とずっと考えていました。そして私なりのアイディアも浮かんだ。そのアイディアをどのようにして形にしていくのか、更に考えを深めていきたい。もう間もなく私はエベレストへ向かいます。ヒマラヤでの生活は考える時間がたっぷりとある。

 2度目の被災地入りでは希望の芽を確かに感じた。人々の表情からは、時に笑顔、そして時に闘志が見えた。東北の方々の強さ、そして優しさ。被災地の方々は過酷な状況の中で必死に生きている。

 それなのに私たちが下を向いて落ち込んでいる場合じゃない。自粛の連鎖が続いているが、過剰な自粛モードは社会を暗く停滞させる。我々が元気やエネルギーを失ったらどうして被災地へサポートが出来るのか。正直、私自身「エベレスト清掃活動どころじゃない」と気持ちが切れかけたけれど、私には私にしか出来ない事もある。人にはそれぞれ与えられた役割がある。その役割の中で生きていくもの。その上で被災地、被災者の方々と向き合っていきたい。

 この度の「野口健・寝袋支援プロジェクト」では本当に多くの方々からご協力、ご寄付を頂きました。大阪の鼓動館さんも嗜好品を集めてくださった、富士山クラブは富士山の天然水を、そして小諸市はトラックの手配だけでなく芹澤市長自らも現地入り、中国など海外の企業からも寝袋の提供、そしてその救援物資を中国から無償で運んでくださったANAさん、皆さん、本当に有難うございました。深く深くお礼申しあげます。

 6月、無事にエベレストから帰国し、再び三陸の地で新たな活動を開始したい。

2011年4月7日 野口健

 PS 野口健・寝袋支援プロジェクトで届けられた支援物資の一覧など近々に報告書を作成しブログ・ホームページにてご紹介させて頂きます

東日本大震災に関して1 「私に出来ること〜被災地に寝袋を届ける!〜」
東日本大震災に関して2 「陸前高田市へ〜寝袋を届けて〜」


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この記事へのコメント

1. Posted by もも   2011年04月07日 22:29
5 友達が仙台にいます。
目を疑う光景。
でも皆さん、日本人の底力持っていますよね。
子どもちゃんたちの笑顔にほっとします。
大切なものを流され、奪い。。。
私も行きましたが、その時はライフラインがどうにか良くなったなった時で。
でも段々瓦礫は綺麗になって行くんでしょうけど、気持ちを考えると。。。
瓦礫。。。でも皆さんにとっては大切なものですよね。
瓦礫じゃないですね。
うん!瓦礫ではない。
2. Posted by もんBoo   2011年04月07日 22:44
5 健さんのブログから
上手く言えませんが「何か」を
胸に抱えて生きる事を改て知りました。
どんな人でも「生きる使命」を与えられて最後を迎えるはず…。
使命は人それぞれだけど
健さんには健さんの
私には私の使命が有るはず…
被災地の方々は
この困難な状況の中でも
生きる強さや優しさを見つけて
らっしゃるのですね
被災地の方々からのメッセージ
「有難う」では軽すぎる気がして
適切な言葉が見つかりません…
学びます皆さんから学び
進んで生きます。
3. Posted by Rigel★   2011年04月07日 23:28
5 言葉にならないくらい感銘しました。その行動力、優しさ、姿勢、全てにおいて。
私は日々の生活で、震災直後の意識が薄らいできてしまっていました。普通って、怖いです。新聞やニュースで被災地の次々起こる問題を知っても、自分が普通に生活出来ていると、その普通に慣れてしまう…。
まだ、あの日から状況がほとんど変わらない方もたくさんいらっしゃるんですよね。
津波が到達したかどうかで、天と地ほどの差があることも初めて知りました。
本当に反省です。


そして、嗜好品のことでブログを炎上させた方にも、今回のブログを読んでそれでもなお同じことが言えるのか問うてみたいです。
第三者の私が言うことではありませんが、自分が野口さんのとられた行動の1%を実行するのも大変なことだと思いました。
まだまだやるべきことは沢山あります。
また初心を取り戻せました。ありがとうございました
それから、無事に6月 日本へ戻って来て下さい
4. Posted by todakatsuhisa   2011年04月07日 23:41
5 読んでてとても面白かったです。被災した人との交流は野口さんの暖かい思いが伝わり胸が熱くなりました。これからも支援のレポートお願いいたします。
5. Posted by sayu   2011年04月08日 08:17
野口さん大切な情報を教えて下さって、ありがとうございます(><)


野口さん、エベレストから絶対無事に帰ってきて下さいね!!

6. Posted by ハナエ   2011年04月08日 09:09
5 野口さんのプロジェクトを知り、このブロックを拝見させていただきました!
次回は何か私もお力添えできればと思います。

まずはエベレストから必ず無事に帰ってきてください<(__)>
7. Posted by 営利団体で無く、非営利団体に集結しよう。   2011年04月08日 11:16
4 寝袋支援プロジェクトについては、誰もが評価している事でしょう。

[嗜好品のことでブログを炎上させた方にも、今回のブログを読んでそれでもなお同じことが言えるのか問うてみたいです。]

そもそも、(煙草は嗜好品というのは煙草産業の言い分であって)今日の社会では、煙草は嗜好品でないという認識が多数です。

嗜好品のことでブログが炎上したのでなく、煙草で炎上したのですが、それがわからないのですか。
嗜好品と思っている限り話はかみ合いません。
煙草を送る是非については、なかなか難しいですが、肯定している人は深く考えないで盲信的に肯定なんだろうな。

私は嗜好品は肯定、煙草は是非が難しいけど、出来れば、止めてほしかったと思いました。
スポンサーの絡みで無理だったのだろうな。
8. Posted by 山京   2011年04月08日 11:41
5 被災された方々の感覚は、現地にて、本気で向かい合わないと、共感に及ぶことはない。そして、一見無邪気に元気よく見える子供たち、ランドセルを手にして喜びかけまわる姿が目に浮かぶが、その心の傷はいかに…。
漁業や農業、サーフショップなど、今回の被害は、今からがまた修羅場になる可能性もあり、いかにサバイバルできるか。私たちは本気でそのサポートをしなくてはいけない。とりあえず、耳栓と愛マスクならぬアイマスクを健さんの元に送らせていただきます。
ガソリンを積んで向かわれた健さんは、本気で現場を把握しよう、支援したいと願っているのですね。それがビシビシと伝わってくるから、余計に私の心のアンテナにかかります。
ふんばる力、生き抜く力、どんな困難にも負けない力を、オールJAPANで、オールWORLDで共に手を携えて育んでいきたい!日本人の美徳を、発揮し、世界へと伝播させるchanceが今きてる気がします!サポートする側のケアも大切。まさに同感!!被災者のケアと同様に市町村の職員、または消防、自衛官などのケアを、今こそ!どうすればいいのか、日々考えて、小さな一歩でもかまわないから、皆で歩みを進めたい!踏ん張り時です、オールJAPAN!今こそ、力をひとつに☆あの空の彼方にいる同志たちと心をあわせて!宮崎京子
9. Posted by eririn   2011年04月08日 15:23
5 健さんの温かく力強い行動、とっても誇りに思います。健さんの生のレポートから感じること、学ぶこともたくさんあります。「頑張る」よりも「踏ん張る」。いいですね。私も「踏ん張らなくちゃ」といつも元気づけられています。本当にありがとうございます!

小さいことでも何でもいいので、「自分ができること」を一生懸命模索し、協力していこうと思います。

カラダには気をつけて、無事に帰ってきてくださいね。Take a good care of yourself!!!

10. Posted by かず   2011年04月08日 15:57
健さん!
頭痛大丈夫ですか?
心配です…
石巻また地震…また電気と水ストップです もう…嫌だなぁ… 亮太くん、石巻に来たみたいですね!
残念ながら会えませんでした 亮太くんの作った、カレーライス食べたかったです♪また…夜がきます… 悲しいなぁ〜せめて電気だけでもきてほしいです!
健さん! 身体大切に!

11. Posted by すくすくママ改め奈穂子   2011年04月08日 22:18
5 被災地の状況は、テレビや新聞で見るより、ずっとずっと悲惨だと聞きます。
私も、野口さんと同じように、何かやれることがあるはずだと思い、フリマの売り上げを寄付する準備を進めています。
私のような主婦ができることなんてたかがしれているかもしれません。
でも、一人一人が、被災された皆さんのために自分に何が出来るのかを必死で考えれば、きっと状況は少しずつ良くなっていくと考えます。
6月に、元気に無事に帰ってきてください。
絶対ですよ!!
12. Posted by t-tsubana   2011年04月09日 01:45
5 被災地を直接訪れて避難所の方々に少しでも元気を与えられる健さんのそのチカラは、やはり素晴らしいです。

人として見過ごす事の出来ない事態を目の前にして、葛藤はあるかと思いますが、健さんにはやるべき事も。それを期待して楽しみにしている多くの皆さんの為にも、思いは繋げながら、次の事に良い集中をしてメッセージを届けて下さいね。
私たちもまた出来ることで、お手伝いさせていただきます。

それでは、気を付けて活動してきて下さい!見守っております。
13. Posted by miyabi   2011年04月09日 14:50
今回も、ブログを読ませていただいて、言葉が見つかりませんでした。

ブログでも書かれていたとおり、

ただ、感じるのが、本当に、日本人は忍耐強く、謙虚だな〜と。
そんな状況でも静かに耐え抜こうとしている日本人。誇りにも感じます。



今回のような被害が、ここアフリカで生きていたとしたら、生きるための殺し合い、争い、盗み、強盗が耐えない状況になるだろうと思います。



こうやって、現地の声を健さんがブログにて届けてくれるおかげで、いろんなことを海を越えて伝えてくれている。そのことでなにができるかを考える機会をいただいてます。








14. Posted by アヤックス   2011年04月09日 18:22
5 健さん。ありがとうございます。こんな現実があってしまうと。今までがなくなり、何もできなくなりました。しかし、健さんの"ふんばる"の気持ちをいただきました!!
できることを、できるひとが、やる! ですね。
ありがとうございます。これからも、一緒にやってる気持ちで、微力なわたしもやりつなぎたいと思います。
15. Posted by いちご   2011年04月09日 22:57
5 再びの被災地へ行かれ支援お疲れ様でした。

あれから1ヶ月が過ぎようとしていますが、いまだに被災者の方々にはなんと申し上げてよいものか言葉が見つかりません。

家も思い出の品々も、大切な命も、大切なものを一気に、また突然に呑み込んだ津波。あまりに衝撃的過ぎて悲しいというより、心にぽっかりと穴が空いたような感じです。私は今回の被災者ではありませんが、そうではない私が、そう感じているのです。
まして、当事者であれば、もっと 大きな穴が空いてしまったのではと思います。

その穴を埋めていくのは、やはり… 健さんが言っている早く日常を取り戻すこと、 ではないでしょうか。そしてこの先をあきらめることなくコツコツと取り戻してほしいです。

あきらめることなくコツコツと、この言葉も健さんの著書から教わりました。この事を忘れないで希望を持ち生きていってほしいです。

私の両親も災害にあい幼子〈私〉と乳児を抱え当時は大変な思いをし、明日という日に希望を捨てず勇気をもってコツコツと生きたのだと思います。

どうか 生かされた命を大切に どうか心まで飲み込まれることのないよう 明るい明日を思ってほしいです。

健さんの届けられた寝袋で寝られた夜はきっと、健さんの温もりも感じられ幸せだったのではないでしょうか。

健さん再びの再びの…もう何度となく行かれヒマラヤは健さんにとり故郷のひとつですね!
お気をつけて、そして必ず無事に日本へお帰り下さいね!

みんなで待っています。

16. Posted by hanada   2011年04月10日 00:56
5 被災者の方々から逆に元気を与えてもらう事が多い日々。こんな事で落ち込んだりなんか出来ない。もっと苦しんでいる人が居るんだ。と、自分に鞭打って前を向いて歩く。そしてそれに集中している時は良いけれど、フッと考える時間が出来て自分の立場を振り返った時、一体自分って何なんだろう…と疑問がわいてきて虚しささえ感じる。これが前に向いて進んでいるのだろうか?…しかし、こうも思う。気持ちさえ前を向いてれば、時には立ち止まってもいいんじゃないのか、と。
被災者の方などは特に前に前に進もうとするそのスタート地点さえ見えない所からの分、踏み出す一歩ががかなり大きくないと元の生活まで辿り着けない焦りが、必ずどこかでその無理が出てきて息が詰まってしまうんじゃないかととても心配される。誰かにもたれ掛かってみたり、思いきり泣いて叫んでみたり…、それを受け止めてくれなくても、きっとそうした後は「ヨシ!生きていこう!」って思う根性は、一生懸命生きてきた人なら、自然と出てくるものと思うので、我慢したり諦めたりしないで、素直に感情をぶつけて欲しい。私たちは絶対見捨てたりはしない。大丈夫。「共に生きる」が出来る今、一緒に生きていこうよ!

いつでも皆さんに元気と勇気を与える健さん、今度もヒマラヤからのメッセージ楽しみにしております!そして、無事帰還されることをお祈り申し上げております!
17. Posted by Reiko   2011年04月10日 08:58
健さん 被災地支援 ご苦労様です。 本当に頭が下がります。お疲れ様!! ヒマラヤに行かれるんですね。くれぐれも お身体 大切に 。 ヒマラヤで 少しは 心癒やされて下さいね。 そして 無事に 帰国を お待ちしてます。
18. Posted by 宮崎京子(山京)   2011年04月10日 22:22
5 ヒマラヤ、くれぐれも気を付けていってきてください。登山に集中して!考え事していたら痛い目に遭いますよ。健さんの痛い目は、私や、健さんを愛するすべての方々にとって胸の傷むことなのですから。きちんと無事に帰国して下さることだけで、充分癒されるし満たされます☆美しい写真やstoryのお土産、期待していますね☆お気を付けて!追伸 栗城君も雪が深い、ラニャーニャ現象で雪崩が…っておっしゃってますから連絡して情報を共有されてもいいかも知れませんね(*^ー^)ノ♪ではまた。健やかに生きて、今ある命を大切に☆
19. Posted by 清原香子   2011年04月11日 12:12
 寝袋を持参し、被災者に手渡すことや、勇気づけたいと思ってらっしゃることを下心あってのこととは思いませんし、どんなにか体力的にもメンタル面でも大変だったことと思っています。
また、煙草を大量に避難所にばらまいたのではないことも理解しています。
たまたま連絡を取り合っていた被災地の方の希望に
急きょ、入手できたぶんの煙草で応え、喜ばせてあげたかったということかと思います。
 が、居場所が限られている被災地では、煙草に苦しめられている被災者がいることは事実です。
 「室内で吸ってる人いませんでしたよ〜」と
おっしゃったことを嘘とは思いませんが、見落としいてる、気付いていないことがあります。
20. Posted by サスケちゃん   2011年04月12日 00:09
5 健さんが、被災地へタバコも運んだと拝見し、本当に被災者目線で考えてくれる方だなと、嬉しく思いました。

愛煙家のお父さんなどが、一服出来る事で、ほんの一瞬でも、落ち着く事が出来たと思います。

震災前は、ただの習慣…。
今は、その何気ない習慣が出来るだけで、全然違うと思います。

私は、茨城で被災し(東北の方々の比にならないですが)あの日、主人と「今、タバコが精神安定剤だね」と、震えた手で吸いながら、落ち着きを得ていたので。

有害な物質が多いのは、分かっていますが、タバコだって元は葉っぱ!!

薬草成分だって、少なくともあると思います。

愛煙家の言い訳かも知れませんが。。。

被災者の方々のためにも、絶対に無事で戻って着て下さいね!!

ご無事を祈っています。
21. Posted by marco   2011年04月12日 02:05
明日少しですが、アイマスクと耳栓送ります。
健さんの東日本へ向けての活動の、目を見張るスピードと効果、実行力、今まで以上に尊敬しツイッターは毎日拝見しています。
牡蠣の畠山さん、説得力ありますね。先日NHKでもインタビューを拝見し、水産業への希望の光をリアルに感じました。文藝春秋読んでみます。
心のケアに関して、私は精神科医の桑山紀彦さんに希望の光を感じ、尊敬し応援しています。『地球のステージ』ブログで被災地の現実と、被災者としての心の変化をつづられてみえます。
22. Posted by みさと   2011年04月12日 12:52
5 野口さん、初めまして。
先日テレビ番組で、野口さんの寝袋支援プロジェクトについてを知りました。
4月に入っても東北ではまだ寒い日もありますので、被災地の方々にはすごく重宝するものだと思います。

(申し訳ありませんが長文になりますので、字数の関係により複数に分けてコメントさせて頂きます。)
23. Posted by みさと   2011年04月12日 12:53
5 (先程の続きです)

先日、また違うテレビ番組で、原発で働く職員の方々の現状を拝見しました。
原発で働く方々についてはあまり映像では報道されませんので、どのような状況下で働いてらっしゃるのか、あまりご存知ない方も大勢いらっしゃると思います。
私もこの番組を拝見するまではほとんど知りませんでしたし、この番組でも流さない部分もあると思います。
そこで私が驚いたのが(言葉は悪いですが)そこで働く方々の扱いの粗末さです。
まともな防備服ではなく普通の作業服に長靴を穿き、肌が露出しないようにテープでぐるぐる巻きにし、作業炉に向かわれていました。
休憩時間もその場所も十分なものではないようでした。
今日本で一番誇り高く、また一番辛いお仕事をなさっている方々がこのような状況下にいるのかと、胸が締め付けられました。
また、その状況を少しでも知りながらも何も出来ない自分に悔しい思いでした。
24. Posted by みさと   2011年04月12日 12:53
5 (先程の続きです)

そこで野口さんの寝袋プロジェクトを思い出したのです。
作業に疲れても雑魚寝するしかない戦士の方々に、少しでも暖のとれるよう、少しでも柔らかい布団に包まれ休めるよう、寝袋を原発へ送っていただけないでしょうか。
放射能等の関係で、そこまで直接お届けになるのは難しいかもしれません。
ですが寝袋が戦士のもとへ届きますよう、なんとかご配慮していただけないでしょうか。
私にはこのような状況をお知らせすること、お願いをすることしかできません。
また、もしかすると野口さんはもうすでにこのような状況をご存知であったり、または以前より状況が多少改善されているかもしれません。もし、そうであれば申し訳ありません。
現在は清掃活動のため日本を離れていらっしゃるとのことですので、今すぐにこの私のコメントをご覧になることはできないかもしれませんが、いつか野口さんの目にとまれば幸いです。
長文・乱文失礼致しました。
25. Posted by ハスユ   2011年04月13日 05:44
5
 健さん、健さんチームのみなさん、ありがとうございました。

 本当にハードで厳しい救援物資活動だったことがあらためて解りました。

 僕が送った寝袋も本もごく一部ですが、健さんたちのおかげで誰かが喜んでくれたら嬉しいです。

 鼓動館さんのブログや富士山クラブのフォトトピックスにも今回の活動が詳しく報告されていました。
あらためて、みなさんにありがとうございますと言いたいです。

 野口さんがヒマラヤに行っている間に「アイマスク・耳栓」と「希望」を届けてくださる剛さん、お気を付けて行って来てください。僕もちょっただけ送りました。
よろしくお願いいたします。
26. Posted by みよさん   2011年04月15日 14:01
健さん、寝袋支援、お疲れ様でした。ありがとうございますm(__)m。
現地の状況や情報を、ありがとうございます。言葉を探してしまいますが…、これからも欠かさず支援していきたいと思います。
*僅かですが、耳栓とアイマスク送らせていただきました。届けてくださる方々、くれぐれも気をつけて行って…帰って来てくださいませ。宜しくお願いします。

健さん、今回のエベレストの写真やメッセージ、楽しみにしていますね☆また、くれぐれも無事に帰って来てください!
27. Posted by maimai(remi_mai2)   2011年04月16日 18:18
5 大変遅くなりましたが、この度被災地への支援物資を届けて下さったスタッフの皆さま、お疲れさまでした。そして本当にありがとうございました。
何かしたくても、気持ちだけ空回りして時間ばかりが虚しく過ぎてゆく...そんな日々でした。募金はしたものの、TVから流れる被災地の様子に、今できること、必要なものを届けるにはどうすればいいのかと思っていた時に今回の嗜好品も含む物資の募集を知り、とても嬉しかったです。個人でできることは僅か、それでも避難所で時間を持て余している子供たちのことを思い出し、絵本なら1冊でも大勢に読んでもらえるし、のちのち長く使って頂けるかもしれないと思い、鼓動館さんを通し僅かですが持って行って頂きました。
直に被災地を訪れた方しかわからない皆さんの声、様子を伝えていただけるのもとても意義のあることです。健さんが仰る通り、簡単に「お気持ちわかります。」なんて言えません。それでも何かしらのお手伝いができればと思っている人がほとんどだと思います。時間の経過と共に必要なものも変わっていくでしょう。今後も
被災者の方々の声を届けてくださいね。
ありがとうございました。そしてこれからもよろしくお願いいたします。
28. Posted by disconnectedce   2011年11月27日 07:41
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29. Posted by sortie game   2012年01月02日 21:48
サウスオール旅行給与
30. Posted by sprint cars engines   2012年01月04日 03:09
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36. Posted by sonar 2 download   2012年04月01日 03:23
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37. Posted by ckvo0dll download   2012年04月01日 15:41
旅行chaha

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