佛と墓の研究家 髙橋泰正師書きたい放題

最近の佛さまをとりまく問題や出来事

ネットでの佛世界

21 005ネットで大安売り、葬式、法事、石塔?
最近のネット販売業界はまるで禿鷹の巣窟、手数料稼ぎ、自分に利があれば何でもありが激しくなってきている。ある業者が廉値墓石販売を宣伝し50万円墓所セット、何社か競わせればこれだけ安くできる、現金 五万円キャッシュバックと煽り購入希望者の情報を取り,複数の墓石屋に流し見積もりをさせて施主が価格を競わせる、競わせるのはよいが、統一された図面、仕様書もなく各業者の施工基準でプラン見積もりを出させる。その結果施主が業者選定をし契約をすれば契約額の10~15パーセントの手数料を払わせ、その上に消費税8パーセント合計18%~23%引かれた金額で本当に安くできるのか?当然安くできているのだろう。結果として押し出されたしわよせはほかならぬ安く求めた施主に跳ね返る。(甘い話はうらがある)
同じことがネット業界大手アマゾンと手を組んだ葬儀業者が信仰を伴ったお寺の米櫃に手を突っ込んだ、佛教会はアマゾンに異議を申し込んだらしいが。この業者は本当に葬儀業者か? お布施の意味を知らなかったのか?。
お布施とは慈悲の心であると誰も教えていなかったのか、法事3.5万円~6.5万円に表示、勿論一回捕まれば不安心につけ込まれ、オプションを押し込まれ積み上げ計算で安いですよって本当かな?
嘘だろうな。勿論、アマゾンにもネット業者にもおいしく甘い蜜が入るであろう。 
ネットに軽い気持ちで大切な個人情報は出さない方がいいに決まっているが、申し込めば出さざるを得ない考えものだ。この情報の行先は不安だ?
*ほんとにあった話(葬儀屋にお葬式を頼まれた僧侶が葬儀屋に手数料としてお布施の半分搾取された)笑えない事実もある。
                神佛には畏敬の念を忘れてしまっては人でなくなる。21 004
神佛に仕える人は自覚を持って精進するべきだ。

ご本尊さまが苦笑 「優良寺院」とは何ぞや?

2007 4 16~19 中国 南湖 その他 018

墓石屋の広告に「優良寺院の墓地分譲紹介」というのがあるがこの[優良寺院]とはなにを基準に優良寺院と言うのか不思議でならない。各寺院に出入りさせていただく墓石屋が何を根拠に寺院に対して優、良などとランク付けとするのか、その基準や根拠を明示すべきであろう。ご本尊様も須弥壇上で苦笑いか?
一般的に寺院墓地を求めるのは、宗旨(教え)を理解されて壇家となり墓地を永代使用させていただくもので、その際には墓地代金ではなくて寺院へのお布施となる。
弊社でも寺院復興の手助けになればと思い協力紙面を考えますが、その表現には営利を目的としない宗教法人の特殊性を犯すことのないよう心がけているのが実情です。
また、これら業者の広告を良い機会ととらえて墓地を希望される方は広告を鵜呑みにせず、寺院責任者と面談し納得の入壇をされ墓地使用許可をもらうのが良い。

                       佛と墓の研究家

                        髙橋泰正師 合掌

意味の分からぬ 家族葬

 群馬県情報  最近、新聞のお悔み欄を見ると家族葬と表記されているのが圧倒的に多くなっている。
しかしながら家族葬ってどんな定義があるのだろうと考えてみたが、家族だけで送ってあげたい、家族や近親者だけで送ってあげたいから。。。。。。、故人が生前に遺族の経済的負担をできるだけ少なくしょうと(私が死んだら最近はやりの家族葬でしてくれ) つまり、質素で費用は安くというメッセージと思う。
人間はオギヤーと生れ、現在では80年~110年と寿命がある、その間にふれあった人々との縁で結ばれいる。
これらの人々が家族葬でと聞けば,お悔み、お焼香にも顔を出していいものか、どうかと迷わせているのが現実だ。 先日聞いた話だが長患いの末に、亡くなった親の持ち物を整理していたら現金200万円と通信文があり、たどたどしい字でそうしきだいと書かれていたそうだ。亡くなる数か月、数年前より覚悟を決め準備していたものであろうが亡くなる直前に家族に伝えることもできず逝ったものであろうか、さびしい家族葬で送った遺族は悔やまれてならないそうだったという。人間は誰でも供養をしたい心を持っている。再度、自身のこころに問えばよい。
家族葬とは葬家の方から一方的に世間に縁切りを伝えているのではと思う。家族葬であれば新聞のお悔み欄になど掲載すべきではない、葬儀屋さんもこれくらい心得るべきだ。後に縁者に対して礼状の一本くらいで済ませるべきだ。この家族葬は本当は密葬であり、うちうち(どこまでで線を引くかむずかしい)で菩提寺の住職にお願いして引導を渡してもらい佛世界へ送ってもらうのだ。
近頃では僧侶のいない葬式(直葬)というらしいが考案した葬儀屋はノーベル賞ものだ。日本全国の僧侶衆から(お釈迦さまの教えによって葬儀を生業としてきたのに恩を仇で返すのか??????????

何で今更 墓じまいか? 理解に苦しむ

 マスコミの報道で知るよりも遥かな昔より墓じまい、墓片付はしている。 絶家になったり、墓の移転をしたりする際には必ず不要になった墓石の魂抜きをしていただき解体片付作業となるが、前段階で改葬手続きなど専門的なこともあり、慣れた業者に依頼するのがよろしいのではないかと思う。
一般的な墓地では地中埋設物まできれいにさらってお返しするのだが、霊園などは既設カロートは遺骨のみ片付ればよい場合もある。つまりは原状に復して戻すのが常識である。さらに不要となった石塔は写真で解かるような無縁供養塚に納めるか魂抜きをしてただの石となったと解釈してクラッシャーで粉砕処分をする。先日TV報道のようなそこらにうち捨てておくなんて業者のモラルを疑う。
このような仕事は世の常識として全てこなすのがお墓づくりを専門とする者に課せられた義務ではないか。今更墓じまいなんて貴重な電波を使うべきでない。
下の写真は無縁供養塚、お石塔の片付(カロート含む)の工事前、工事後 寺院墓地IMG_0944例。IMG_0793IMG_0799

奇妙な戒名彫り安売り戦 その実態は質の低下 文字間違い 

文字違い墓碑 新聞のお悔み欄に掲載してみたら翌日の早朝から、石屋の営業だ「戒名彫りは1.5万円より、2万円より、2.5万円より、それぞれが好きな価格を言ってくる。つまりは価格で釣り上げる作戦開始だ。大体営業基盤のない営業員はお悔み欄の戒名彫り受注作戦よりはじめるのが実情だ。
では実際の戒名彫り価格はというと```秘密ですよXXXXX円から~XXXXXX円.
安くても仕事を取り下請けの字彫り屋に取った値段の半分?いや30%????20% ウ、ヘ~儲かりますね。
字彫り屋はほとんど零細業者どんな無理な価格ても遊んでいるわけにはいかない、へい、ありがとうございます。1日に5ケ所くらいは掘らないと経費もでない文字彫りの上手下手なんて二の次だ、ただ彫ってありさえすればいいんだ俺達もカスミをくっちゃあ生きていけない。
誰がいい思いをしているのかなと思い、考えてみると安く彫ってもらった施主様だと思い聞いてみたところ、開口一番、いや~まいりました、安いと思って頼んでみたが、あそこを直せ、ここを直せ、挙句のはてにはカロートに水が入るからカロートまで直せと言い出す始末で納骨までにあれやこれやで2万円から始まり最終的には130万円の請求書びっくりしましたよ。最初の2万円が他の業者より安かったのに好感を持ち信用してみたらとんでもなかった他業者が引いてからガラリと態度が変わり押し売り口調となり、あれよあれよと工事が進み気が付いたらとんでもないことになっていた、煎じ詰めたらみんな私がバカだった、甘かった、と反省の弁チョッピリかわいそうだった気がする。 
参考写真の墓碑には平成九年十二年二十六日と彫られ本年まで誰一人として気が付かなかった例だが文字原稿の確認を怠ったのが原因だ。念には念を入れ二重三重のチエック体制で臨み後の世までの墓碑に彫る戒名は正確に仕上げられなければ、(おあし)は貰えないのだ。

墓しまい?  乗せられる人々

  最近、 民放でタイムリーなお墓番組が放映された。しかしながら佛と墓の研究家として一言述べさてもらうが放送局の取材が偏りすぎていた。
この手のマスコミ報道は大衆受けを狙うあまり悪徳坊主、悪徳石屋 悪徳葬儀屋をつくり解かりやすい図式で鉄槌を下していく。ではこの放送を企画制作した人間がどれだけ悪徳坊主や悪徳石屋、悪徳葬儀屋について知っているのか知りたいものだ。現在の日本では寺院数約75.000 檀信徒数8470万人(WIKIpedoa)と発表されている訳だがお寺の住職が遊んで食べていける寺院なんてほんの一握りしかない。たまの葬式でお布施を何十万円か貰っていく葬式なんて最近はない、現代の長寿社会は90年~100年に一度の葬式すら親を仕舞いこむ、天寿をまっとうしたことを喜ぶべきなのに葬式を小さくしたがるし、一度しかない人生の終焉にお経のない終わりがあるだろうか?死したのちは千の風になっていくのか?
そんなに坊主を嫌うか彼らとて喜んで頭を丸めて日曜も祝日もなく、たまの海外旅行としゃれてみても空港で携帯がピコピコ~~不吉な予感  いやだな~ 自坊から何々さまがなくなり明後日お葬式をしたいと連絡がありましたサア、旅行は当日キャンセル泣く泣く帰る 24時間勤務体制では本当に気のぬけない生活だ。嫁さえも来てくれる人はいない。最近ではどこのお寺も世襲が多くなっているがそのすべてが喜んで坊主になったのではないと断言できる。娑婆人は簡単に考えあえて菩提寺を批判にするのであれば、まずは己の子供を出家得度 本山での修業を経てどこかの住職してみたらいかがなものか。福州 仙遊 唐金及び弘法大師 039
おまけ この放送で俄に活気ついたのは墓仕舞いつまり先祖代々のお墓を片付るお寺を縁を切る。もうこの代行まででているような 一人悦に入る石屋こそ忘恩の徒か?直葬 一日葬などと司祭者のいない人生の終焉をお勧めしている葬儀屋こそ忘恩の徒か?それらに軽いノリで意味のない言葉に踊らされる人はさてなんであろうか?
伝統ある日本の文化を滅ぼすのはテレビという電気紙芝居かもしれない。

母が 夢枕にたったよ

 直送? 直葬?そんな言葉を最近聞くが具体的にはお坊さん呼んでの葬式ではお布施がかかるからとお布施を省略する目的で家族全員で送る方法を選んだ。
最近直送《葬》された方がお墓の相談で来られて意味深いお話を聞くことができたので参考までに記す。
長い闘病生活をおえて病院で息を引き取り専門の遺体引き取り業者が待っていてその後の打ち合わせをするが最近の葬儀はこうなっていると直送の説明があったが、何か違和感があったのは否めない事実だ。お経もなく焼却炉に遺体を入れる時もただ焼くんだなーと認識していた。
その後、墓石もない霊園のカロートに遺骨を入れて家族全員で「千の風になって」を歌う、お墓の上で風が舞っていたような気がしたが、この時も何か釈然としないものを感じていた
90年近くこの世に生を受け3人の子供を育て苦労の連続だった母の一代記の最終章がこんな終わり方でよいものか母に対して後ろめたい気持ちがあった。
しかし、母は生前にお葬式はやらなくてもいい、お墓もなくてもいいそう 言っていましたよね。その言葉の裏側は私の経済事情を知っていたからですか?死ぬ間際まで子供のことを思いそのような優しい言葉をかけてくれたのですか?
その言葉をすっかり信じてそのように全てを執り行ったのですが、何か釈然としないものが心の中に火種のようにくすぶり続けていたようです。
千の風になっての歌詞が心地よく耳をなでたのです。
人間の本質、追慕の情、供養してあげたい心、子としての親の最後を始末する義務感 いつかTVで見た猿がすでに死んでしまったわが子の遺体を生きているがごとく抱いていた姿、全てがごっちゃになって自分の心が迷いに迷っていたその時に母が夢枕に立ったようですと悩みをうち明けられましたが、
何か最近の世情を色濃く反映された話でした。
皆様も人間の死とは何か。何をどうすべきかよく考える時期ではありませんか 自分の一生でただ一度のことです。
その時どうすべきか迷わぬようくれぐれも亡くなった人が夢枕に立たれぬよう後悔のない心で対処しましょう。

喝、、、お墓づくりの専門家

IMGP3746岡田喜八郎家 開眼 005  喝、、「専門家としてのプライドをもて」
 常々感ずるのだが、昔の石屋はお出入りさせていただく寺院の住職様や諸先達の薫陶を受け、日々佛教教理を学び、お墓の専門家としてお客様の末代までも残る大切な墓所を意の面、物としての面よりお任せいただいて自己のもつ最大の表現をしたものである。そして石屋としてのの誇りも失っていなかった、その証拠には現在残されている苔むした旧墓と向かい合えば一目瞭然である。
しかしながら、現在の石屋といえば先人の築き上げた信用の上に胡坐をかき、専門家として日々の研鑽すら怠り、意、物両面より、他人の意匠をパクリお金に換えている。嘆かわしい事実である。
私が指導するお墓の前柱によく「爲供舎利」「嚴飾塔廟」と刻まれているが、出典は妙法蓮華経序品第一よりの引用であり多数僅刻している。
先日、墓地に言って驚いたはこの偈文が彫られている前柱を建てている石屋がいたので訝しんで聞いたところ施主が彫れと言ったので彫ったという回答であった。この言葉を聞いて感じたのは恥も外聞もなく、専門家としての矜持さえもない情けない石屋だと感じたものだ。
ある本で読んだ記憶に専門家責任という言葉があった(専門家はその専門とする分野で日々研鑽を積み、お客様の利益になるよう業務遂行をし、高度な倫理規約にのっとり専門家としての矜持が不可欠であり、例えお客様の希望としても自身が専門家としてのプライドを捨てるべきではない)
又、良雲型五輪塔などでは各家の菩提寺の属する宗派や信仰心により数ある経典より選んだもので他家の石塔などから摺り取りなどしては末代までの恥となるのではないか。                                 合掌

深刻な佛教離れ現象?

 残暑お見舞い申し上げます。
 最近の佛教離れは驚くほど急速に進んでいる。各宗寺院の皆様方この事態を重く見て早めに対処しないと佛教の衰退は目の前に迫っているのではないかと感ずる。
日頃お寺と檀家のお付き合いも世代が変わり希薄になっている。先日も新聞紙上で現職僧侶がお寺の敷居が高くなって人が来ない、布教活動を熱心にしていてもなかなか人が集まってくれない、このようなことを言う前にどこに原因があるのか考えるべきであろう。
僧侶もピンキリまであり、僧侶が意味ありげにする所作や口より発するお経の意味もかわからない檀信徒はただ黙って早く終わらないか。拝み料を少なくやったから今日は拝みが短く終わってよかった。(一般人はこう思っているんだぞ)と時間のたつのを待っている。
先日、一般人を対象にした座禅の会があり現職僧侶の面白くもない話を長時間聞き最後に質疑応答があり、一人が座禅は何のためにやるのか?という質問に対して「座禅をするのに何も求めてはいけない」との答えがあったが質問をした本人、会場の大多数の人には理解できなかったろうと思う。
本堂で儀式を修して最初にざっと説明があれば参会者にも理解できる(そんな説明をされている僧侶もいるようだが日頃の布教活動もおろそかにしているため檀信徒がわかるわけがない。又、ご立派な法話をする当の本人はそんな立派な話ができる言動をしているのか?
こんな状況であれば葬式不要論もとびかい、ますます人々は迷い混沌とした社会となり、この世にお釈迦様の教えなどもなくなるだろう。未来の法燈をお守りする若き希望に燃えた若い僧もたまったものではない。
さあ~早く目覚めて布教活動をすれば、世の中にお寺はやっぱり必要なのだと認識されお葬式には佛教が必要となるのではないかと思う。
世界史を見て「お墓を持たない民族は滅びている」のを鑑みれば お釈迦さまの教えを引き継いでいる現職僧侶が日本を滅びさせないよう頑張ってほしいものだ。

朝顔 

IMG_1611朝顔が咲きました 真夏の早朝鮮やかなグリーンの葉の間から薄紫の直径7~センチの朝顔がこれ見よがしと精一杯開花しました。お寺の奥様が種より育てた貴重な苗を植えて数十日、今朝はこれを見てホットが心が和むを覚えております。
巷では相変らず滋賀県のいじめ問題が朝から晩まで報道されていますが、いじめられ自殺にまで追い込まれた子供さんにはあの年齢での自殺という選択は本当に辛かったろうと思う。ご冥福をお祈りし、この朝顔を手向けたいと思う。
昔、今ほど裕福にくらせる時代ではなかった頃にも似たようないじめは存在していた、やはりどこの小学校、中学校、高校でも、また、一般社会でも何かしかのいじめが存在していた。村八分などが存在していたようである。人が群れると誰かがはじき出される。カンカン照りの野原に大きな木がもたらす日陰があったとして誰もがその日陰めがけて殺到するが早く着いたもの順に日陰に入れ、遅れたものは日陰すら入れない、これが人間、動物社会の原理だ。一人5分涼んだら遅れてきた人と交代するルールがあれば全員に日陰の涼しさを分かちあえるがルールを作る場合も発言力、力のある者、声の大きい者、策略のできる者等がルールを自分たちの都合のいいようにつくる。この国のパワーの縮図が今回のいじめ問題と似ているのではないかと思う。
話は飛躍しすぎたが、いじめた者も自分の心のなかに死ぬまで後悔の念を持ち謝り続けていく棘の道を歩き続けなくてはならず、これも辛い道を歩み続けいかなければならない
人それぞれに佛の心を持っているその心が大きいか、小さいか、その場で気ずき回れ右するか、気ずかずに進むか人それぞれであるが。いじめられる痛み、いじめる痛みもある。これこそ永遠のテーマだ。

平和な国 ニッポン

およそ世界中で一番といって良いくらい平和だ情報統制されているかのように朝おきてTVのスイッチを入れればオセロ中島だ家賃を払えない、霊能師と一緒に住んでいる、他の低能人いや失礼、芸能人はこう言った、ああいった、昼は昼で井戸端会議的、低次元のTV番組夜は夜でラーメンがどうの、温泉がどうのと芸能人が突然泊りの来たらなど、ビッグダデイなどとやらせ的番組をこれでもか、これでもかと放送する。こんな低俗番組にスポンサーになる企業もあるのかと感心する。このまま続いたら、10年後はどうなってしまうのかと憂慮する。
電波の力特にTV番組の影響っておおきな力だ隣の家のお兄ちゃんがあれよあれよと有名になり、チャンネルを回すとどこの局でも出ずっぱり、しかし、1年もたてば忘れられて振り向きもされず人々の記憶から消されてしまう。
一体、日本のマスコミってなんだろう、言論は自由といってもあまりにも切ない気持ちになる。そうだ今夜からTVを捨てよう、ラジオのNHKのみで当分いこう。
南京大虐殺、竹島問題 北朝鮮問題 尖閣諸島問題、もう1回大地震が来たら福島原発はどうなる、この地球上から脳天気、平和な国ニッポンが消えてしまうのではないかと心配するのは私だけか。

中国福州市にお大師様がおわします。

福州 仙遊 唐金及び弘法大師 0362011年10月 中国福建省 福州市の開元寺の近くへ行ったので参拝しましたところ、なんと真言宗の開祖若かりし頃のお大師様がお立ちになっておりました。 この場所は福州三坊七港にほど近い伽藍も立派な相当な古刹でした。何しろ今より一千二百数十年前(延暦二三年七月六日に長崎県平戸市を出でて万里の波濤を乗り越えて約一ヶ月後に漂着したといわれる福州の赤岸鎮にありました。偶然とはいえ事前の知識もなく入ったお寺がお大師が大陸に足跡を残した最初の地であったとは感激にしばらく像の前で見入っていました。
ふと思ったのですが日本に対する抗日デモの際は安全なのかな?尖閣でギクシャクしたらお大師様救出に誰が来るのだろうか?
ああ、南無大師返照金剛

ああ、こんな? されどこんなこともあり

 昔は祝儀赤字、不祝儀黒字と言われたものですが、最近の葬儀事情を聞けば葬儀を小さく、金がかからないようにと意図し、家族葬などと称し会葬者を少なく、式自体を地味にするようですが、最終的には施主の持ち出すお金が多くなり、家族葬なのに何故こんなに。。。。。という人が多くなっているといいます。さらにはお寺のお布施を出さないようにとお坊さんのいない、直葬などと言われる宗教を無視した送り法さえ葬儀屋さんが編み出しているようです。
何故、佛教が除け者にされるのでしょうか?先日新聞のコラム欄に目をやるとお寺の敷居が高くなり、近寄りづらいといわれているのは明治維新の廃佛毀釈あたりからお寺に家庭が入り込んだ等々とおっしゃておられますがまさにそのとうり、一番の原因は世襲が何代も続くお寺が多くなり結果として子孫に美田をという一般的な世の父親、母親化が原因ではないかと思われる。そのために幼き頃よりお坊ちゃまと我儘放題に育てられ、大学卒業後本山、または宗派の研修期間で修行教育された、苦労を知らぬ人間、ましてや白刃の下をくぐり、フライパンの底をはいづりまわり、思う存分辛酸をなめつくしたような経験もなく、苦しむ人々の魂の救済なんてはたしてできるものか?と思われる。わりとこんなところがお寺の敷居の高さと関係あるのではないかとおもう。
 あるお寺の一人息子が本山で数年間修行をなされ父親が引退し晴れて住職となりましたがその住職はまだまだ私は修行が足りないので、この宗派の有名な荒行に志望し檀家の役員に図ったところ全員が反対したとのことです。何故反対したのでしょうか?つまりこの住職はまだ子供がいない(跡取りがない)ので荒行に行って体を壊しでもしたらとの理由だそうです。これらの話は世間の人々がお寺の世襲化を認めて居られるのです。一口にお寺を世襲化といいますが檀家の少ない、経済的には困窮しているお寺もあり、このお寺では住職はわし一代で倅は勤め人にしたい、本人もお寺の跡継などまっぴらご免と考えておりますが廃寺にするのは忍びなく必死に勤めをしながら、数少ないお檀家の為に休日返上で頑張っているそうです。
世の方々自分の子供を檀家数100軒くらいのお寺の住職にされたらいかがでしょう。苦労されることは確実です。

謹んで震災のお見舞いを申し上げます。(「お墓」地震被害対応チーム発足)

有貝家 石塔倒壊現場 006
このたび東日本で発生した大地震におきまして被災された皆様、またその関係者様に心よりお見舞い申し上げます。

弊社施工の墓所に於いては丸墓前燈籠の火袋や笠が落ちたり、石塔が台の上で数センチ歩いた程度で土圧遮断工法基礎による墓所には、当地の震度5強の地震には被害ゼロ。つまり耐震、制震、免震なんて立派なことは出来るわけない、そんなこと堂々と言ってのけたら閻魔様の顔も見られない。しかし、日頃より稚拙なお墓づくりに励んでいた業者の造ったお墓は一部破損、半壊 全倒壊が見られ、それを造った業者は今はなく、困った施主より直しの依頼が殺到しており、真剣に対応しております。
特に、築後20年以上経ったお墓においては、当時のセメント使用施工の為、セメント劣化により地震により石塔が台上で歩き(不思議な現象ですが歩きます) 又、台から転げ落ち、3メートル下の道路に落下したり、隣墓地に飛び込んだりして隣墓地の持ち主と揉め事になったり、不意の地震は思わぬ事態をひきおこしているようです。

今後も余震による二次災害を引き起こさないためにも、ご自分の墓地の石塔に何かあれば、下記連絡先までご連絡ください。
http://www.fujiboseki.jp/
群馬県内即対応します。なお、弊社「富士墓石本舗」施工のお墓に限らず、他社施工のお墓についても対応いたします。

死んで放ってミイラになり年金は子供に食われるか?

嘆かわしいことだ、大恩あるべき親の死をミイラ化するまで放っておき年金を食い物にする、忘恩の徒となってしまうか?
最近の娑婆世界全体があらぬ方向へ捻じ曲げられ押し流されている。数十年前の流行言葉で「赤信号みんなで渡れば恐くない」状態ですな。本来、死はもっとも尊厳化されなくてはいけないと思うが、最近は一番粗末にされているのではないかと思う、葬儀などに於いても直葬、家族葬などと簡略化の進行が大幅に進み、しいては死んだらミイラになるまで放っておいてチャッカリ年金だけは横領しているなんてことが常識となりまさに社会の病だと、更にこの病が大幅に広がって日本国からまともな葬送儀礼がなくなってしまうのではないかと憂慮するのは気がはやすぎるかも知れぬが>

北欧の銘石に四君子の彫刻完成

四君子 彫刻  SW 003四君子(しくんし)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)

四君子(しくんし)とは、の四種を、草木の中の君子として称えた言葉。 また、それらを全て使った図柄模様。本来、君子は徳と学識、礼儀を備えた人を指し、文人はみな君子になることを目指した。蘭、竹、菊、梅が四種の植物がもつ特長が、まさに君子の特性と似ていることから、文人画の代表的な素材にもなった。蘭はほのかな香りと気品を備え、竹は寒い冬にも葉を落とさず青々としている上、曲がらずまっすぐな性質を持っている。梅が早春の雪の中で最初に花を咲かせる強靱さ、菊が晩秋の寒さの中で鮮やかに咲く姿が好まれた。
この四君子の画を北欧スエーデンの黒御影に彫刻してみる。見事なものだ。こんな画のある墓所の施主の粋さを感じられ、夢とか愛とかの文字もよいが、どうせ後世の子孫達へのメッセージとしては東洋人としての四君子は永久に変わらないだろう。

秘佛 見てはいけない.でも見たい

全透院 地蔵堂現況 001この厨子の中に秘佛(地蔵尊)の像があると知れば見たくなるのは人情ですそっとあけて観ました。一瞬、体の中を冷たい風が頭からはいり脚から抜けていったような感じがした。
さあ、その夜脚の筋肉は痛くなり寒気がして熱がでてガタ~震えまできた。思い出すのは秘佛の目、確か青澄んだきれいな目だった。見てはいけないものを観た罰があたったのか?仕事柄多くの佛像は見ているが今回みたいなことになったのは初めてだ、秘佛は確かに秘佛なり、偉大なる佛の霊力にふれたような気がする。先人の言うことは間違ってはいない。ふと感ずる笑えない本当にあった話です。

中国で日本人 死刑か

ここ数日この問題がマスコミを騒がしているが、覚せい剤の密輸くらいで死刑とは、又、中国も日本の反応を見るため小出しにしているようだと評論家は言う。
中国には中国の国法がありそれによって人口13億人の国民を統治している、近年、反体制の立場でいろんな政治問題が提起され人権だの自由ないだのといっているが総人口13億人、このほかにも幽霊人口も多分いるだろうが、日本や他国のマスコミ報道などに反応していたら国はまとまっていかないだろう。そこが中国の現実だ。特にアへン戦争を経験している以上麻薬や覚せい剤等には日本人が想像する以上に刑は重くなるのは当然だ。おりしも円高の影響でお手軽な中国旅行だが渡航先の国の法律に触れるようなことはするべきでない、今回の死刑は二度と中国で薬物に手を染めないよう全世界の人々に対しての警告ではないかと思う。

佛の世界も大安売り

ひところ仏壇が半額だ、7割引だと宣伝をしていたが現在では戒名彫り2万円、石塔半額、お寺で戒名3万円と宣伝されると三途の川の渡し賃も半値の5割引くらいになって脱衣婆(しょうづかばーさん)も実入りが悪くなっているのではないかと心配になっている。必殺仕事人の中村主永殿もあまり安いのでビックリされているのではないかと思う。
しかし、これだけ安く売っても儲けているのは何故?戒名彫りを例に取れば下請けには一戒名五千円~七千円で発注し、請けた字彫りやは四、五件まとめて息つくひまも無く、まさに三万円で戒名をもらい、二万円で戒名を彫ればやすいものです。これで直葬をすれば七~八万円で親を終えるかもしれません。えらい世の中でんな?死んでまでこんなに粗末にされるのか。もうええ加減にせんかと半額石塔の下で親父が渋い顔をしている。ほんまかいな?

墓地選び、失敗は許されません

 本日の建墓相談は墓地探しの相談でした。最近はこの手の相談が多くなり、複雑になっています。
まず、新規に墓地を求めるとなりましても墓地にはいろんな管理運営形態があります。寺院や神社などの宗教法人が管理運営する墓地、公共団体の管理運営する霊園、野墓地といわれる地域共同墓地(一族の共有墓地)、民間業者が管理運営する霊園、永代供養をも含む永代供養墓、さまざまな管理運営形態の墓地があり、それぞれに特徴がありますので、事前に各墓地の諸事情を充分研究された上で墓地を決めるのが最善の方法でしょう。又、選ぶ墓地によりお墓の形にも制限などもあり事前の研究が大切です。寺院墓地に奇をてらった形のお墓などをつくれば、当時院は宗教施設であり貴方の墓所は宗教施設にはふさわしくないので墓地の使用料はお返ししますから、何処か受け入れてもらえる場所へ持っていっていって下さいなどといわれかねないので施主の常識も大切にして下さい。
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プロフィール

高橋泰正師

昭和56年(1981年)「富士墓石本舗」創立、お墓づくりを開始したところ、当時の無秩序なお墓づくりに気づく。そこで「正しいお墓づくりとは何か」を追求するため、日本各地でお墓づくりにおける偉大なる大先達を訪ね歩き、お墓づくりの真髄を含むところの教えを受けた。温故知新を根本理念として、古の民俗風習及び佛教の教えの上に立脚した「価値あるお墓づくり」を提唱、善男善女のお墓づくりを指導実践してきた。
さらに、「砂上の楼閣はお売りしません」とのキャッチフレーズを掲げ、墓石で隠れて見えなくなってしまう「基礎工事」の重要性を説き、富士墓石本舗独自の基礎工事手法である“土圧遮断工法基礎”の開発を行った。
お墓だけでなく、寺社関係の建築物、佛像(石、木)、及び荘厳具の製作指導にも励んでいる。

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