
その年は6月というのに雨が少なかった。
俺の住むセントポーリア104号室の窓の外では、
アジサイが「まだかまだか」と雨を待ちわび、
砂漠の旅人のように干涸らびかけていた。
その頃俺は大学のサッカー部のある重要な立場にいた。
日本風に言えば主将である。
埼玉辺りから出てきた坊主頭の青年が背筋をピンと伸ばし、
「そっ、そうでありますか、若輩者ですがよろしくお願いします。」
と言われかねない立場。
西洋風に言えばキャプテンである。
ポニーテールのマネージャーが「センパイッ、良かったらこれ使って下さい」
などと、グランド脇の水道で顔を洗っているときにタオルを差し出してくれ、
しかもそのタオルには「S・F」などとキャプテンのイニシャルが入っていたりするという立場である。
そこで俺は一見厳しい男の世界の雰囲気を漂わせつつ、男女夏物語にでもでてきそうな
「イヤンッ。そこはだめですぅ」
という青春チックでもある誤解されかねない役割を担っていたのである。
その日も7時過ぎに部活を終え、サッカー部も含め飯を食う時には
必ず一緒にいるクボと大学の食堂で飯を食い、
何という事もなく清水市御門台にある俺のアパート、セントポーリア104号室に戻ったところであった。
「チュルーン、チュルーン。」
さあニュース・ステーションでも見て、せめて表面的であっても
世間の情報を入手しようとしていたその瞬間、
一度洗濯機に落とし、あわや水死体となる寸前に決死の覚悟の俺の右手に救われた
携帯電話が鳴った。
「あぁ、モシモシ」
「フジか?俺だけどよ。お前の家に今から行くわ」
「オニオンか?何か用か?」
「とりあえずそっち行ってから話すわ」
と、オニオンは自分の用件だけを告げると、さっさと電話を切った。
オニオンというのは、俺が大学に入ったばかりの頃一緒にサッカー部に入っていたのだが、
その後「やりてぇ事が他にある」と言い放ち、女と姿をくらました、
もう知り合って3年目にもなる俺の数少ない仲間の一人だった。
俺とオニオンは会えば喧嘩になるのだが、基本的には仲が良く、
一年の時には二人でヨーロッパに貧乏旅行したこともある。
オニオンは御門台から静岡鉄道で一駅行った(500メートル程しかないのだが)草薙という街で、
この春から一人暮らしをしていた。
それまで静岡市の藁科という山奥にある実家から
バイクで草薙にある大学まで通っていたオニオンが、
なぜ大学三年にもなって今頃一人暮らしを始めたかというと、
何度か通学途中に事故を起こし、親に危ないからと言われやむを得ず、
と、何とも情けない事情からであった。
「相変わらず、お前の部屋は異様な臭いがするなあ」
オニオンはそう言いながら、半分入った新潟の地酒を持って、
呼び鈴も押さずに部屋に入ってきた。
オニオンはここに来る前も部屋で飲んでいたらしく、顔がほんのり赤く、足取りもおぼつかなかった。
オニオンは窓にもたれるように「ドカッ」と座り、
「ニターッ」と鼻の下を15�冂�伸ばし、
「フジ、俺よぅぅぅっ新しい女が出来たんよぅぅぅっ」と、回らない口調で言った。
「本当か?どこの女だ?」
「同じゼミで知り合った『ミドリ』という女だ。学年は俺達と同じだが、歳は二つ上だ」
「今流行の年上の女か!」
俺は年上という響きに胸を躍らせ、身を乗り出すように聞いた。
「やっぱり女は年上の女に限るゼ、色々と世話焼いてくれるからヨ」と、
語尾をカタカナにしたくなるように自慢げに言った。
オニオンは、一年ほど付き合っていた前の彼女と別れ、
一時期は学校にも全く行かず麻雀漬けの生活を送っていたが、
3年生になり、ゼミが始まったことで最近では学校にも行くようになり、
そのゼミでミドリという女と知り合ったということだった。
「ゼミで知り合ってな。それ以外も一緒に過ごす時間が増えてな。昨日、高台まで二人で歩いて
『今しかない!』と思ってチューしたんだ。そして付き合うようになったんだよ。デヘヘッ。」と、
鼻の下をもう5センチ程伸ばし、オニオンは笑った。
その後もオニオンは、年上女の良さに関する自分の考えをダラダラと話し、
「もうわかった」という俺の言葉を無視し続け、それを三回繰り返すと満足したのか帰って行った。