
ワールドカップが始まってから、サッカー部にはいつも以上に部員が集まっていた。
ジャッキー・チェンの映画を見たあとに、「アチョーッ」などと
興奮して壁を蹴ってしまう現象と同じで、
おそらく皆ワールドカップを見たせいで、自分が画面の中の
スーパースターにでもなったつもりでいるのだろう。
練習はいつも以上に熱が入っていた。
「いつもこれくらい集中してやってくれればとんでもなく強いチームになるのになぁ」
キャプテンとして、この状況と普段の状況とのギャップに頭を悩ませるふりをしながら、
練習後に水道の水を飲んでいると、
「フジ、今日のイタリア対チリの試合一緒に見ようぜ」
と竹千代が言ってきた。
「昨日はバスケ部の友達と見たんだけど、そいつがうるさくてさ、ゆっくり見れなかったんだ」
「おお、いいぞ。じゃあ後で俺の部屋に来いよ」
それを聞くと、竹千代はそそくさと着替え、帰っていった。
俺は練習後いつも、
体育館2階の隅にあるトレーニングルーム(といっても部屋の仕切りさえ無いのだが)
で筋トレををやるふりをしながら、
隣で踊っているジャズダンス部の女の子をチェックするという、
筋肉もついてかわいい女の子も眺められる、これ以上ないくらいの勝ちパターンを
2年間の大学生活をかけ修得していた。
そして、いつものようにひととおりチェックし終えると
シャワーを浴び、深い満足感に顔を緩ませながらチャリンコをとばし、家に帰った。
家に着くと、時計はもう8時を回っていた。
俺は急いで米を研ぎ、それが炊けるのを待ちながら洗濯物を洗濯機に放り込み、
まもなく始まるイタリア対チリの試合に備えていた。
「チュルーン、チュルーン」
そのとき、電子ジャーが保温に切り替わるのと同時に、
まるで合図のように携帯電話が洗濯機の中で、鳴った。
「危ねぇ。危うくまた洗濯機に回してしまうとこだった」と
ほっとしながら電話をとると、竹千代だった。
「おお、フジ。今日のサッカー、バスケ部の友達も連れていっていいか?
「モリタタロウ」ていって、うるさいんだけどさ。」
「おお、いいぞ。そいつなら顔は知ってるわ。カマキリみたいな奴だろ。」
「おお、カマキリっぽいかもな。じゃあ連れて行くわ」
そう言うと竹千代は電話を切った。
俺はいつもサッカー部の練習後、体育館で筋トレをしながらジャズダンス部の女の子を見ていたが、
そうみせかけて実はバスケ部のマネージャー、バレー部の女の子、
そしてバドミントン部の女の子までもをチェックしていたのだ(、、ガーン)。
しかも、「ゲッチュー」という俺の友達もバスケ部にいたため、「森田太郎」という名と、
その顔くらいは知っていた。
俺は急がなければ試合が始まる、と炊き立てのご飯をいれ、
実家から送られてきたキュウリを千切りにし、最近ハマッているインスタント味噌汁をお椀に出し、
最後にご飯にふりかけを掛け、「いただきます」の「す」を言い終えるカウント2、9秒
「おい3秒言ってるじゃねえか、八百長だ!」という観客の
ヤジと椅子が飛んできそうな微妙な瞬間に家のドアが開いた。
「おお、フジ。飯食ってたのか」
そう言うと竹千代は、ポテトチップスをほおばりながら入ってきた。
そしてその後ろから、骨と皮でできたカマキリのような男が、ちょこんと頭を下げ入ってきた。
「なんか貧相な飯食ってるな」
竹千代は俺の高貴な夕食を侮辱するかのような発言をし、
カマキリ男も俺の夕食に目をやった。そして、
「おおぅ、これはすごい。まさに日本の正しい食事だな。すごい。すごい。すごいぞぅ。」
と、まるで水たまりが太平洋であるかのように、大袈裟に言った。
俺はあまりにカマキリ男が大袈裟に言うので少し照れくさくなり、
「ちょっとだけならキュウリ食っても良いぞ」
と自分でもよくわからない発言をし、
わけがわからないまま何となくぎこちなく3人でキュウリを食った。
そうこうするうちに試合は始まり、先制したイタリアにチリがマルセロ・サラスのゴールで
追いつくという展開で、点がはいる度にカマキリ男の絶叫は初対面の遠慮を無くし、
そのたびに俺は竹千代と顔を合わせた。
しかし、初めはぎくしゃくしていた空気も徐々にうち解け、試合が終わる頃には、
もう何年も連れ添った仲間であるかのように自然になっていた。
その夜、竹千代とカマキリ男は俺の家に泊まり、朝までサッカーの話や大学の話、
どうでもいい話をして過ごした。
それが森田タオル、ではなくモリタタロウとの最初の出会いだった。