2005年01月22日

第8話 編集長登場

静鉄御門台駅中






 「アサコはどうなった!、くだらないことばかり書いてないで、早くアサコの事を書け!」
 夕方からの練習を終え、現在の俺のアパート、シティハイムコジマ103号に戻り、シャワーを浴び終え、パンツを履こうと思った瞬間に、さっき脱いだばかりのジャージの中で携帯電話が鳴った。
「おーあぶねぇ。買い換えたばかりなのに、また洗濯機で回してしまうところだった。」
 俺は思わず、掴んでいたパンツを放し、電話を取った。
「あーもしもし。」
「おーフジか。お前アサコはどうなったんだよ。つまらねえ事ばかりばらさないで早く書けよ。締め切り遅れてるぞ!」
「小説のことか?」
「そうよ!もったいぶらずに早く書けよ。アサコの事も、コトミの事も早く書いちゃえよ。」

 それはもう何年も聞き慣れた声だった。
「アサコの事はそろそろ書こうかと思ってたから心配すんな。ぼちぼち書くからよ。」
 俺は床に落ちたパンツをもう一度拾い直し、答えた。
「だったらいいけどよ。あと俺のことを書くのは良いけど、もうちょっと大袈裟にするとか手を加えろよ。本当にそのままだから、何書かれるか心配だからよ。」
「わかった。わかった。今シャワー浴びたばかりだから、とりあえずパンツ履かせてくれ。」
「おー、わかった。じゃあ頼んだぞ。また静岡でな。」
 電話を切ると、とりあえず俺はパンツを履き、いつだったかユニクロで買った寝間着に着替えた。
 そして、小説の締め切りが遅れていたことを思いだし、それと同時に、キレやすい編集長の馬顔がぼんやりと浮かんだ。
「あーそろそろ書かないとな。やー書かないとな。うー書くかな。めんどくさいなー。でも書かないとなー。明日にしよっかなー。でも明日夜遅いからなー。やっぱり今日書くかなー。どうしよっかなー。」
 と、ぐだぐだ考えていると、俺が以前、「お前は所詮、こたつの足よ。」と軽く冗談を言ったつもりだったのが、「プチン」と編集長の逆鱗に触れ、怒りに荒れ狂う般若のようになったことがあったのを思い出した。
 俺はそれを思い出して少し身震いし、「編集長は怒らすと、そこら辺のホラー映画より怖いからな。」と思い直し、俺は牛乳を一口飲み、パソコンの前に座った。
「ふーっ」
 そして話は1998年に戻るのであった。



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 モリタが、俺の家に寄生し始めて一週間が経とうとしていた。
 まだ一週間だというのに、すでにモリタは俺よりもこの部屋の主らしく堂々とし、冷凍庫の中にはモリタの買ってきたカップアイスクリームが色とりどりに並んでいた。
 竹千代はテレビでワールドカップがある度に、太陽が東から昇るように規則正しく、その時間にポテトチップスを持って現れ、試合が終わると何か食い物はないかと首を振り、最終的にインスタントラーメンを食い、一寝入りした後で、太陽が海に沈んでいくように、規則正しく帰っていった。
 俺はこの生活の中でも、試合のない日など時間を見つけ、それでも週に3,4日程スポーツクラブでバイトをしていたので、そう考えると、モリタや竹千代は明らかに俺よりも俺の部屋にいる時間が多かった。

 この日も俺は試合がなかったので、久しぶりにバイトに行った。
「なんか、久しぶりだね。」
 トレーニングマシンを見回り歩いていると、背中のほうから声がした。
「ワールドカップが始まったから、家でずっとサッカーばかり見てるんでしょ。」
 振り向くと、少し髪の短くなったアサコがそこに立っていた。
「あ、あぁ。」
 俺は、髪をきったせいか、少し雰囲気の変わったアサコに少しドギマギしながらうなずいた。
 アサコというのは、話を少し巻き戻してもらえればわかるが、俺と同じ大学に通う色白で広末涼子似(本当だ)の女の子だった。
「最近学校でも見ないもんね。どうしてるのかなって思ってたよ。」
 それまでアサコの顔をはっきりと見たことはなかったが、初めて間近で見たその顔は、目や鼻、唇がとてもやさしく、肌も白く、とても透明感があった。
「あ、あぁ、毎晩夜遅くまでサッカーばかり見てるから、昼間は学校行けずに寝てるんだよ。」
 俺は少し見とれて、遠くに行きかけた意識を引き戻しながら、答えた。
「結構私も見てるんだよ、ワールドカップ。藤木君もこれを見てるんだろうなって思いながら。」
 髪の短くなったアサコに、俺は必要以上に緊張しながら、しばらくワールドカップの話、そして学校での話、アサコが最近読んでいるという村上春樹の本の話をした。

「明日プールの水を替えるから、今日は9時になったら清掃を始めてくれ。」
 野田さんが慌しそうにジムの外から声をかけて行った。時計を見ると、もう9時までショートケーキ、ワンカット分の時間だった。
「今日、二階のダンスホールの清掃でしょ。私もなんだ。」
 アサコが首を傾けていった。
 ダンスホールは、20帖くらいの広さのフローリングでエアロビクスをやったりする。
 この日はアサコと二人、ここの清掃だった。
 床にモップをかけると、二人で床に座り1メートルくらいのストレッチマットを拭いていった。100枚ほどあるストレッチマットを丁寧に拭いていると、アサコがダンス用の音楽のスイッチを入れた。それはenyaのファーストアルバムで、ダンス終了の時によくかけるものだった。
「これ聞くと落ち着くのよね。」
 アサコはアルバムのジャケットの向こうで顔をのぞかせながら、笑った。
 そして、「あのダンス難しいよね。こうだったっけ。」とアサコが音楽に合わせてレッスンでやっているダンスを踊り始めた。
 淡いオレンジ色の小さな中間照明が二つ、enyaの音楽にあわせてアサコの影の中で揺れた。
 俺はストレッチマットを一枚ずつ右から左へ置き換えながら、水の中で踊るアサコを見ていた。


   「小人が出てきて『一緒に踊りませんか?』と言った。」


 村上春樹の短編小説に出てくる言葉がふと浮かんだ。本当に小人が出てきそうな、そんなやわらかい空気だった。
「おーい。もう終わるぞ。」
 と不意に野田さんがダンスホールのドアを開けた。そこで、小人は踊るのを止めた。
 そしてアサコは音楽を止め、俺は照明を落として1階に降りようとした。
 その時、アサコが俺を呼び止めた。
「ねえ藤木君、今週末空いてる?」
「よかったら、ドライブ行こうよ。私、水族館に行きたいんだ。」


   『一緒に踊りませんか?』


「あぁ。」
 俺は小人に呼び止められて、少しドギマギしながら、再び遠くに行き始めた意識の中でなんとか答えた。


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