2005年01月22日

第9話 コトミ

夜図書館から







「彼女と別れたちゃ。」
練習が終わり部屋に戻ると、我が家の主であるモリタが、サッカー雑誌を見ながら憶えたての北九州弁で言った。

「は?何でだ?お前、俺の家にばかりいて、彼女と喧嘩する暇もないだろうが、いきなりなんで別れるんだ?」
洗濯物を洗濯機にほうりこみながら俺は尋ねた。
「うーん。ずっと会ってなかったから別れたんだよ。こっちにいるほうが楽しいからな。」

モリタは、その時流行っていたトム・ハンクスの映画に影響されたのか、メールを通じて数ヶ月前にその彼女と知り合い、メールを何度か交換するうちに親しくなり、付き合うようになったのだった。

「それで、なんて言って別れたんだ?」
「うーん。普通に、こっちでワイワイやってたほうが楽しいから別れよう、と。」
「それじゃ、俺が合わせる顔がねえじゃねえか。」

モリタの彼女は、俺と同じ国際関係学部、英米コースで俺もよく知っている女の子だった。
そういえば、「最近、藤木君の話ばかりなのよね」とその彼女が授業の合間に言っていたような。
しかも、よくよくモリタの話を聞くと、モリタは、自宅通いの彼女が部屋に来ている時も関係なく、俺の部屋に寄生しつづけ、ワールドカップを見ながら大声で叫び、落胆し、試合が終わると「ムフフッ」と笑い、カップアイスクリームを二つほうばり、竹千代とその日の試合について2時間ほど議論し、時々喧嘩しながら、朝を迎えていた。そしてその間彼女は、いつ帰ってくるかもわからない(翌朝荷物を取りに帰るだけの)モリタを部屋で忍んで待っていたらしいのだ。


ろくでなしである。

俺は「そうか。」と、ひとつうなずき、理不尽な責任を感じつつ茶碗を洗った。

「俺のことより、お主は好きな女の子の一人くらいいないのか?」

相変わらずサッカー雑誌を見ながら、モリタが俺に言った。

「お、俺か。」
俺はそう聞かれて、そういえばと、いろいろと思いを巡らせた。
「そういえば、俺は誰が一番好きだろうな。」
まず、アサコが浮かんだ。けれど、「好きか?」と聞かれてすぐに「ハイ」とは言えなかった。それから、何人かの女の子の顔が浮かんだが、これだと答えられる子はいなかった。

「一人ぐらいいるだろ。」

モリタは、まもなく始まる予選リーグの好カード、スペイン対ナイジェリアの試合を前に少し興奮したように言った。

「好きな女の子はいないのか?」

モリタの言ったその言葉は、試合が始まっても俺の頭の中を洗濯機のようにグルグルと泡を立てて回っていた。






「藤木さん、コトミのこと好きでしょ?」

木曜日だった。
東海地方は例年より10日遅く、それでも去年よりは3日早く、ようやく梅雨入りし、週末にかけて雨の多い天気になる、とニュースで言っていた。
俺は雨が降っていたので、電車で大学まで行くことにした。

アパート近くの静岡鉄道の御門台駅から電車に乗り、一つ隣の草薙駅で降り、県立大学へ向かう坂を登りながら、御門台駅で一緒になったタカコが不意に言った。

タカコは俺の住むセントポーリアの近くのアパートに住んでいて、忍者ハットリくんに出てくるケムマキの子分の、猫の影千代みたいに何かを企んでヒョッコリ表れる女の子だ。今でいうとモーニング娘の辻ちゃん加護ちゃんみたいにガヤガヤうるさく、それでいてちょっとだけカワイイ部分もあったりして(笑)、目障りな妹のような感じ。どういう感じかよくわからないと思うが、なんとなくそんな感じの子で、学部も同じだったので時々顔を合わせた。


「藤木さん、コトミのこと好きでしょ?」

俺は突然のタカコの言葉にハッとし、最近ハッとしたり、不意をつかれたり、突然とか多いよなと思いながら、タカコの顔をみた。

「最近の藤木さん見てたらわかるよ。だってコトミを見るとき恋する目になってるもんね、それに私に訊いてくる話題もコトミの事ばかりだし。」
コトミというのは、タカコの親友で背が高く、12時30分を指す時計の針のようにスタイルが良く、夕立の後の空のような気持ちのいいさわやかな子で二人はいつもトムとジェリーのように、仲良く喧嘩しながら一緒にいた。俺はそれまで、かわいいなあとは思いつつそんなことを考えたこともなかったが、そういえばコトミのことばかりタカコと話していたかもしれないと思い、うっすらと笑みを浮かべてこちらを見上げるタカコの顔をみて、顔が次第に赤くなっていくのが自分でもわかった。

「そ、そんなわけないだろ。」
と俺は必死に答えたが、タカコは「さーどうでしょうねー。」と確信したように下唇をとがらせこちらを見上げ、ヒーロー漫画に出てくる悪役のセリフを吐いた。


名悪役だった。

この日は、1限から4限まで授業があった。
昼飯の時に学食に行くと、
「お前グラウンド以外で見るの久しぶりだな。」
とウエジが言った。
「夜中サッカー見て、朝起きられないんだよ。」
と俺が言うと、
「あーだめだめ、駄目だ。サッカーの話はするな。昨日のスペイン対ナイジェリア戦まだ見てないんだから言うな。今日帰ってビデオでみるからそれまでは駄目だ。」
とウエジが慌てて言った。
「今度の日本戦、お前の家で皆で見ようぜ。」
鳥居が言った。
「おーいいな。俺も行くよ。クボ、お前も来いよ。」
そうウエジが言うと、クボは、
「足りんな。うどん食うかな。」と目の前の和風ハンバーグを平らげてボソッと言った。


久しぶりに朝から授業を受けたおかげで、4限目にはすっかり疲れていた。

4限目は、英文学史の授業だった。
国際関係学部棟3階の3314という、小さな教室だった。
去年、単位を取り損ねたおかげで、俺は3年生なのに、2年生20人女ばかりの中でたった一人その授業を取っていた。


そこにコトミもいた。

コトミは、いつも一人でちょこんと黒板から見て右後ろ、窓際から一つはなれた席に座っていた。
俺はいつもその後ろ、窓際の席から視界の端にコトミを置きながら授業を受けた。
そしていつも、授業の始まる前に、決まって予習で読まなければならない本の話、そして最近のどうでもいい話をした。

俺は朝のタカコの顔を思い出し、武者震いをしながら若干緊張し、その日も窓際一番後ろの席に座り、授業を始まるのを待つフリをしながらコトミを待った。
しかし、いつもは俺よりも先に席についているはずのコトミは授業開始の時間になっても現れず、少し遅れて講師が来てもコトミは来なかった。
コトミは授業をサボるような子ではなかったので、俺は遅れてやって来はしないかとずっと授業の間、ドアの方を気にかけていたが、その日、とうとうコトミは姿を見せなかった。

4限の授業が終わり、俺はコトミの姿を探すように学部棟をうろうろし、よくコトミが授業のないときに自習をしていた図書館も探した。
しかし、どこにもコトミの姿はなかった。

俺は図書館の新聞コーナーのソファに座り、今朝のタカコの言葉とコトミの顔を窓に透かせて、胸がせつなくなるような不思議な気持ちを感じ、朝から降り続く雨を窓越しに見ていた。

***************


「いやー、ウエジ、本気で怒ってたわー。あんなに怒らなくてもいいのによー。スペイン対ナイジェリアの試合のこと話しただけなのによー。」

その時、センチメンタルに浸っていた俺の前にモリタが現れ、俺の気持ちを察しもせずに
「ウオチョー、今日アイスクリーム3割引だぜ。たくさん買って帰ろうぜ。ムフフッ。」と首をすくめて言った。


俺はもう一度窓の外を見た。

窓の外で、雨が激しくなった気がした




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