過去話

2006年05月20日

過去話最終章、アシスタント時代編

2f43c24a.jpg就職浪人ゆえにアシスタントとなった藤木俊。
そんな彼についに厳しいアシスタントの修行がはじまる・・・!
何日も眠れない日がつづき、いわれない暴力をふるわれ、大事なものを「いい集中線をひくため」とかいって壊される、そんなおそろしい日々が・・・・!
いやああああ、思い出すのもおそろしいいいいいいいい!!

なーんてことはなく、アシスタント先の草場先生はとてもいい人でした。
入ったばっかでろくに背景かけなかったりしようが・・・インク原稿にぶちまけようが原稿紛失しそうになろうがクビにされることはありませんでした。

お前そんなことまでやってたのかーーーー!?

いや、怒られはしますけどね、やりましたよ、おおよそアシスタントがやっちゃいけない項目ほぼ、すべて。
やってないのは先生の利き手折るくらいですよ。

で、なぜクビにならなかったか?
それは草場先生が辛抱強いひとだったことと、アシスタントさんの数が少なく代わりをみつけるのも大変だったことと、草場先生の原稿が締め切り知らずの優良進行だったからに他なりません。
うわー、ラッキー・・・。

そんな感じでアシスタントをつづけられ、少しづつ技術も向上。
2作の没作品ののち、4作目の「忍セキュリティ」でなんとか新人コミック大賞の佳作に。
つづけて「私のラクロス部」「特命高校」「GENIO」を読み切りとして発表でき「こわしや我聞」(月刊5回)をはじめるにあたって草場先生のところを卒業したのでした。

そんな草場先生のところで学んだものとは・・・・・ぶっちゃけ技術に関してはほんとに基本的なところを最初に・・・なぜかいた松江名さん(2回だけヘルプできてくれたんです)から学んだくらいであとはひたすら、書いて慣れていく作業。
なので「プロの技術を盗む」とかでなく「プロの原稿を使って絵の練習をする」といった感じでした。
まあ、それを許容し、最小限手を加えるだけで自分の原稿として昇華していた草場先生がすごいともいえますが。
では草場先生のところでなにを学んだか?
「漫画に対する紳真摯な姿勢」です。
とにかく草場先生は修行僧みたいな生活しながら漫画をよりおもしろくしようと全力でがんばっていました。
漫画のために時間を取り、番組も漫画に関係のあるものを見、己自ら体感し。
ほぼ、休みもとらずに。
これはすごいことです。
並みの気合ではできません。

この漫画に打ち込む姿勢こそ、おそらくアシスタントにはいってみないとわからないプロの姿勢であり、私が草場さんのところで学んだ一番大事なことだとおもいます。


おお、なんかいいこと言ってる気分になってきた。
いかんいかん、おとしとかないと。
・・・ま、そこまで打ち込んでるところ、知らない人が見るとぶっちゃけただのオタクなんですけどね(笑)


で、その姿勢を学び、今に至ります。
学びはしましたが実践できてるかというとアレですが(笑)
とにかく、落書き好きなだけの少年の話はやっと現代に帰ってきました。(DB)
ひとまず過去話はこんなところでしょうか。

あとでアシスタント時代の話や我聞やってたときの苦労話とか、思い出したら書きますね。

で、画像は1が没作品「暴走家族」長女の初デートを邪魔しようとする兄、父とそれを阻止せんとする次女のどたばたコメディ。GHKのはしり。番司っぽいのがいますが気にせずに。

2が新コミ佳作「忍セキュリティ」忍者が花形職業の現代で忍者を目指す若者と指導教官を務める女の子のお話。背景がんばってます。

3は初掲載読み切り「私のラクロス部」スポーツものやってみるかーってことで製作。ラクロス部の部費をかけて、強引な女子ラクロス部の主将桜坂萌が男子ラクロス部にいどむ。このラクロス部の部室、以前は演劇部だったとか。

4「特命高校」アクションものをやってみよう、ってことで企画。政府の特命をうけてさまざまなアイテムを管理する高校生のお話。安部雪見が合気術で戦ってます。

5「GENIO」せっかくサッカー漫画の草場先生ところいるからサッカー漫画かいてみようとおもってつくる。天才と努力家、ふたりのコンビネーションで地方大会に優勝するお話。舞台は鹿児島で実在する人物名と場所をつかってます。


ちなみに1と2の間に没になったものがありますがこれは原稿にもなってないので省きます。
タイトルは「路上キャッチボーラー」・・・わけわかんねえ(笑)
このように意外と作品少ないです。
なんで漫画下手なのも納得してもらえるかと(笑)

わあ・・・今回も長いなあ・・・。
よく読んでくれました、ありがとうー。
書くほうも3時間かかってるんですよ、画像とか・・・・。

fujikishun at 05:18|PermalinkComments(28)

2006年05月03日

過去話、就職浪人編。

acebf8eb.jpgとりあえずまずは読みきりへの感想等、ありがとうございますー。
皆様のコメントがなによりのご褒美です。
ひとまず更新しちゃいますがまだ下のスレで感想は随時受け付けてますので、劇団SAKURAにコメントある方は下にお願いします。


で、過去話のつづきー。

大学を卒業したわたくしこと藤木俊。
ここにきてようやく、ほんとにようやく漫画の原稿を正式に書き始めます。
理由はいたって簡単。

  就職できなかったから。

教員採用試験も公務員試験も当時倍率が高く、勉強もできなかったのも手伝って完全に就職浪人。
けっして漫画をかく気力がたかまった、とかではないです。
夢も希望もありません(笑)
親の「ぷらぷらしてないで働け」という冷たい視線が嫌だったからです。
必要に迫られて重い腰をやっと上げたという感じです。
でもそういうことでもない限りなかなか漫画の原稿をかく、ということはないものです。
漫画家になるための第一のハードルは書き上げる根性、というわけですね。

そんなわけでゲーム屋でバイトしながらおおよそ10年ぶり、2度目の原稿を書き始めました。
でもいくら鉛筆書きではスキルを上げてきたとはいえペンにはまったく関係なく。
それでもがんばって35p書き上げました。
出来上がった原稿の出来はこんなもの。
今見ればひどいものです。

タイトル「機動報道伝超新聞部」

とりあえずこれをなんとか書き上げ、投函。
出した先はサンデー。
理由はやはり、好きな漫画が多かったから。

で、投函したはいいものの、それだけでどうこうなるわけもないので当然他の就職活動も行いました。
NECインターチャネルのイラストレーター募集にイラストを送ったり、エニックスのアニメ企画書募集に友人と組んで企画書送ってみたり。
・・・・全部落ちましたが。
世の中そんなに甘くない。
エニックスの馬鹿やろー、俺とらなかったことを後悔させてやるぜー、とか勝手な恨み言を友人と言い合ったりしてましたよ、ええ。
・・・そういえばあのアニメ企画で大賞とった企画、必ずアニメ化するって話だったけどどうなったんだろう・・・・。

で、そのころにはゲーム屋のバイトをやめ、小学校で臨時職員として半年ほど先生をやってました。
辛いながらもやってるとなかなかいい経験もさせてもらえる教師生活。
やはりこっちにすすむのかなー俺・・・とか思ってた矢先。
突然小学館からの電話が。
「アレ、受かったんで取り急ぎお電話しました。」
えー!!
本誌で発表されるものだと思ってたのに先に連絡が来てびっくり。
賞としては一番下の努力賞とはいえ、ほぼはじめて描いた漫画がひっかかっちゃいました。
画力はまだまだだけど話が評価されたみたいです。
なんかわけわかんなくてやたら興奮したことを覚えてます。
で、担当となってくれたT氏より「アシやりに東京でてこない?」とのお誘いが。
私にとっての東京のイメージは男は東京湾に沈められ、女は海外に売り飛ばされる、という実に貧弱なものだったのでかなり躊躇しました。
が・・・・そのとき感じるものが。
なんだこのプレッシャー・・・
まさか・・・シャアか!?
親でした。
ママンがじと目でこっちを見ています。
しぶしぶ「いきます」と返事しました。

かくして、やたらと現実的な理由で漫画界に飛び込むことになってしまいました。
わあ、お前の人生ってお手軽ー。

画像はその超新聞部のものです。
ひどい・・・。
あきらかに大学時代にかいてるやつから劣化してます。
それだけ鉛筆とペンじゃ違うってことですね。
ちなみにいまだに私はペンが苦手です・・。
でも話だけは今でも自信作なのでリファインしてだせるものならだしたい作品です。
あ、理来さんいますが気にしないでください。

関係ないですが先生をやってるとき、やたら授業中落書きばっかしてる子がいたのですが・・・・自分もしょっちゅうやってたので注意するのが心苦しかったり。
注意しましたけどね。

で、ここからさらにアシスタント時代へ。
デビュー作「わたしのラクロス部」から「特命高校」「GENIO」という読みきりをへて、「こわしや我聞」(増刊版)までにはどんなことが・・・?
って別にないかな、たいしたことは・・・・。


にしても今回の文、長い・・・。
最後まで読んだ人は偉いですよ?

fujikishun at 02:21|PermalinkComments(20)

2006年04月11日

浪人時代

69991942.jpg危ない危ない。
自分の学歴詐称するところでした。
大学生になる前に私は一年浪人してます。
理由、大学に落ちたから。
漫画ばっかかいてるからだよこの子は!
あーはっはっはっはっはは!

見てる人の中で最近浪人になってへこんでる人、大丈夫。
人生何とかなります。

で、浪人もまた貴重な人生経験。
予備校にも行かず、自宅で浪人生、いわゆる宅浪というやつをやってました私。
そしてここぞとばかりに漫画を描いてます。
大学勉強する気がないなら就職でもすればいいのに、やっかいなやつです。
親にしてみれば「ろくでもない子供になっちまった」というところでしょうが、漫画家になってしまえば「漫画を描くことこそ勉強だったのだ!」と偉そうにいえるから不思議です。

みなさん、こんなことのないようがんばってください(遠い目をしながら)


でも漫画描いてたというわりにまだ鉛筆書き。
応募用の原稿はまだかきません。
この頃の漫画は、また自分の内にこもるような作品が多いです。
なぜなら人に見せる機会が減ったから。
大丈夫かこいつ・・・。

で、なんとなく分かると思いますがこの頃には帯をギュッとねの河合さんの影響がでてます。
・・・なんといおうとでてます。
あとはスプリガン好きだったので皆川さんの影響も・・・・あるような気がします。
高校までのに比べると全体的に等身が高くなり、舞台もファンタジーでなく現代劇も増えてます。
興味の方向がかわったんでしょうね。
だいぶ今の絵に近い気がします。

そして漫画をかく合間にかるーく勉強したのでなんとか大学に合格。
鹿児島の教育学部に進学します。
この頃になるとだいぶ現実もみえ、漫画家にはなれないかなーとおもってます。

次回、大学生編へつづく。

fujikishun at 08:46|PermalinkComments(17)

2006年04月03日

高校編

77b2d8d0.jpgで、心の師ともいえる友人に出会った中学時代も幕を終え、藤木少年も高校生に。
ともに漫画を描いたりした友人たちも全員別の高校へ。
藤木少年を取り巻く環境は劇的に変わったといえるでしょう。
環境が変われば人は変わる。
そこで藤木少年はどうなったかというと・・・。

またも漫画を書く同志が2,3人うまい具合にみつかり、相も変らぬ漫画書きを続けていました。
・・・・いや、少年は少年なりに「高校にはいったらバスケ部とか入ってナオンにモテモテの生活を送るんじゃよギャワー」などといまとなってはずいぶん古いネタで野望を持ったりしてたのですが所詮はへたれ。
またも近くに漫画を書く友人ができちゃったためにもう、抜け出せません。
中学時代は自分が好きで描いていた漫画。
それを人に見せて反応を見る、ということをやり始めます。
このあたりから「ひとに見せるための漫画を書く」ということをを意識しだし始めました。
ま、これもやはり、周りにみてくれる友人がいたからこそ、でしょう。
ありがとう友人。

ちなみに中学まではギャグもかいていた私ですが、高校でギャグ漫画がすげえうまいもーちゃんという男に会い、それ以来ギャグ漫画をかくことはあきらめました。
センスが圧倒的過ぎる・・・・。
ついでににそのもーちゃんという男や、他の友人たちはいま、普通の会社員になって幸せに暮らしております。
くそう、なぜ俺だけ茨の道やっちゅねん・・・!

そして高校時代もあっという間に過ぎ、大学生になった藤木青年。
そこで彼は・・・・!

次回、大学編に続く。

というかこの自伝、見て楽しいのは私だけなんだろうなー。
でもよし、ここはわいのブログやから!

ちなみに画像が高校時代の作品の一部。
これも鉛筆書き。
いっさい原稿にはしておりません。
このころには伊東岳彦さんとか高田祐三さんとかの影響が。
ほんとに節操ないなあ。



fujikishun at 08:00|PermalinkComments(36)

2006年03月23日

中学生編。

12fa21e2.jpgで、仕事に入る前にさらに更新ー。
過去の私を振り返る、中学生編、スタート。


最初の漫画を投稿せず終わったその後。
藤木少年は己の力を伸ばそうと・・・・いや、現実逃避にひとりでもくもくと鉛筆書きで漫画をかいてました。
実際、自分の力量不足を目の当たりにして「これは将来漫画家になるのはあやういかもしれん」とも思うこともしばしばありながら・・・・

で、時は移り、中学2年生。
ここで私の漫画人生におけるひとつ目の節目があらわれます。
同じく漫画家をめざす同士Iの登場です。
彼は実は家が斜め向こう、といういわゆる幼馴染な存在でしたが、小学校の間、クラスが違うことでそれまで縁遠くなっていました。
が、その間に彼は恐るべきパワーを蓄えていました。
そう、Iはべらぼうに絵がうまくなっていたのです。
もう、ビグザム並みの圧倒的な力です。
私は心の中で彼をライバル視しながらともに漫画をかき、絵を見せ合ったりして彼のスキルに追いつこうと努力しました。
そしていつしか心の中で彼を師匠とおもうにまでいたりました。
彼がいなかったら今の私はないでしょう。
ありがとう、I。

で、そんなこんなで漫画ではないにしろ絵やイラスト好きな馬鹿がすこしづつ集まり、4,5人で漫画をまわしてかいたり、ゲームしたり野球したりしてました。
この頃が一番、漫画を描くだけで楽しかった頃です。
そして中学卒業まで鉛筆書きでノートにかいた漫画はどんどんふえ、かるく20冊くらいにはなってます。
その間、原稿にしたものはありませんが。

で、画像がその頃のもの。
1から順に年代がすすんでいきます。

この頃は魔神英雄伝ワタルやらんま1/2、バスタード等、好きなものは際限なく取り込んでます。
節操なし。
ちなみに2の画像は髪型違いますが住友子です。
住と天野は実は自分で考えて作った女性キャラの1号と2号なのです。
なので愛着があり、我聞にだせたのはとてもよかったですねー。
ちなみに読みきりにもでてます(笑)

そして中学を卒業し、普通高校へと進学。
環境がかわれば人も変わります。
さて、この藤木少年が高校でどうなるか、次回へつづく!

でも漫画のまわし書きって今思えば男同士の気持ち悪い交換日記みたいだな・・。
女気のなさにいまさら愕然。


fujikishun at 20:32|PermalinkComments(20)

2006年03月20日

前半終了

c5a50530.jpg読みきり作業、前半終了です。
今回ページがおおいので2回にわけて一旦アシスタントさんたちにはお帰りいただきました。
で、いまからひとりでカラー分をやります。
その前にちょっとひとやすみで更新。

佐々次郎は読みきり終了後ってことで今回、昔の絵でも、とおもい中学のとき書いた漫画の表紙を。
画像がそれです。

恥ずかしすぎる・・・・。

私はそもそも子供の頃から落書き大好きで小学校5,6年くらいには漠然と「将来漫画家になりたいなあ」とおもっていました。
でもきちんと漫画の形式でコマを割ってかいたりしたことはなく、あくまで落書きが好きな程度。
でもこれだけ絵がかければ(当時の主観)漫画家ににもなれる、と思うおろかな子供でしたよ、ええ。

そんなとき手に入れたのが鳥山明先生の「へたっぴ漫画研究所」。
いわゆるこれから漫画をかくひとのためのかるーい入門書みたいなものですがこれを読んで「俺もきちんと漫画をきてみよう」とおもいいたります、よせばいいのに。
で、中学一年の頃一大決心をし、投稿用の漫画をかいてみたのがこれです。
もう、ドラゴンボールの影響受けてるというのもおこがましいくらいの出来。
こんなものでも当時の私は「すげえ、俺うますぎ」とか思ってました。
で、いざ投稿、となったところでよくよく冷静な目でみてみると「下手だな」とはっと気づきました。
当時の自分としてはかなり賢明な判断といえます。
エクセレント。
そして結局これは投稿せず、ずーっと押入れの中にはいってたのです。
よかった、ほんとによかったこんなもの送らなくて。

でもこれのおかげで漫画を実際に書く、といういろんな工程を直に知りました。
下書きがないとおもむろにペンでかいてもバランスがとりにくいこと、Gペンできれいな線をひくのがすごくむずかしいこと、かいたあとに下書きの線をきれいに消さなきゃならないこと、トーンがべらぼうに高いこと(当時は一枚700円くらいしてました。今は300円前後で買えますが。あと、当時の物価的に700円は今の価値なら1000円越えてます。)
そしてその感想。

「思ったよりめんどくさい。」

それ以降、実に24歳になるまで原稿をかかなかった藤木少年がいたとかいないとか。

怒涛の中学生編、次回につづく!





あ、このブログみてまたチョコくれた方がいました。
ありがとうございます、アシさんたちとおいしくいただきました。
すごいよ、優さんから、といった趣でスパナとかペンチとかの工具型のチョコでしたよ。
食べるのおしかったくらいです。

でも、ファンのひとのはカウントしない、とアシさんにも言われたのでわたしはやっぱりもてません(涙)


fujikishun at 06:27|PermalinkComments(28)