藤本ファミリーのアマゾン日記

まさに青天の霹靂!?地球の裏側ブラジルはアマゾンの地マナウスにやって来た! 珍?徒然日記は続く・・・

2011年の始まりは、日本から。

新年あけましておめでとうございます(もう一月も半ば過ぎですが…)

昨年夏、四年間のブラジル生活を終え無事帰国することができ、もうじき半年が過ぎようとしています。
その間、何度もブログを覘いてくださったみなさん更新が途絶えたままで大変申し訳ありませんでしたm(_ _)m

帰国後ずっとブログをほったらかしにしていたので、フェイドアウトしたまま既に実質閉鎖されてしまったのではないか・・・?!ということで現在は覘いて下さるかたも殆どいなくなっていると思われるこのブログですが、せっかくなので、ブラジル生活4年間を自分自身の思い出として残すべく現在写真の整理に着手致しました!

特に帰国までの最後半年の濃い濃いアマゾン生活がカットされたまま終わってしまっているので、これから少しずつ少しずつ思い出しながら書いていきたいと思います。

というのも、ブラジル後半からずっと調子の悪かったパソコンを帰国後何度となく修理に出していましたが(その都度、治ると信じ)、とうとう年末ついに観念しまして、年末新しいパソコンを購入しましたっ!!ヤッター\(^〇^)/遅っ!!笑

まー帰国してしばらくはバタバタだったり、逆カルチャーショックと闘っていたり(笑)していたのですが、子どもたちも日本の学校に慣れ(私も!)、久しぶりの“冬”に固まりながら(*^^*)も日本での生活に随分と慣れ、気持ち的にも余裕しゃくしゃくっぽくなってきたので、そんな日本での生活も織り交ぜながら書いていきたいと思っています。


たまたま久々に『藤本ファミリーのアマゾン日記』を覘いて下さったという皆さん、毎日寒いですが、お風邪などひかれませんように。

そして、MIAさんを始め、これからマナウスに赴任される皆さん、マナウスをいっぱい肌で感じ、そして楽しんできて下さい!!








                                 

ありがとうマナウス!!〜ちょっと長いよ!!編

まずは、23日早朝にも関わらず、空港に見送りに来て下さった皆さん、それから見送りに行けないからと前日に会いに来て下さった皆さん、ありがとうございました。
25日午後7時無事宮崎空港に到着致しました。

そして、何よりこのマナウスで私たち家族といっしょに時間を共有して下さったみなさん一人ひとりにありがとうと言いたいです。ありがとう。


何から書いていいのか分からないのですが、私たち家族にとって、この四年間はとても“いい時間”でした。
そして、それを支えて下さったのはまぎれもなく、マナウスで出会ったたくさんの方々であり、心から感謝しています。

帰国前夜、いや寸前まで、引っ越しの荷物整理が終わるのかぁ?!と思った人もいたことでしょう。(最後までお手伝いありがとう!!)
終わるようになってるんですねぇ、これが!笑
期待を裏切らない私。予想通り、いや予定通りか…。


いろんな人たちに何度も聞かれた。
「いまどんな気持ち?」
「帰りたいのと帰りたくないのと何パーセントくらい?」
「思い残すことはない?」
「最後に行きたいところ、食べたい物は?」……

ん〜〜〜とかいいながら、ハッキリした返事をしなかったのは、なぜかというと、最後のほうにきて思考能力がなかったからです。笑。というのはウソで、シュミレーションができていたんだと思います。

この四年間でたくさんの人たちを見送ってきて、その度に、いつかは自分の番が来るというのは分かっていたわけで、その度に、自分だったらどんな気持ちだろう…と考えていたような気がします。
そして、自分も同じ質問をしていたような気がする。笑


もう時効ということで言っちゃうのですが、実は、今回、私と子どもと三人での帰国でした。
というのも、本当は4月末が夫のマナウス最終期限であり私たち家族も当然同じく4月末で帰国…のハズでした。

ところが、子どもたちにとっては春休み間近かの急な辞令だったことと、新学年が始まってわずか二週間(4月の第一週まで春休み)でマナウスを去らないといけなくなってしまうため、何度も家族で話し合って、会社にお願いをし、夫だけ四月末に帰国し、その後、私たち三人は子供たちの学校がきりのいい一学期終了までマナウスに残ることにしました。
(会社の社長さんと話し合い、家族の安全を第一にして、ブログでは家族だけが残ることに触れないでおこう!ということになっていました。)

ビザがパーマネント(通常のビザより長い五年間のビザ)でマナウスに来ていたため、最低五年(あと一年)は居ることになるだろうと勝手に思い込んでいたのが失敗といえば失敗だったかも知れません。
uに卒業できると期待を持たせてしまいました。
uも当然のように日本人学校を卒業できると信じ、最終学年に向けてもやりたいことをたくさん持ってたようでした。
11才のuの心を傷付けないように、何より4年間ここアマゾンの地マナウスでがんばってきたu(私たち家族も)の最後が “いい形で終われるように” したかった。
そのことはどんなことがあっても譲るわけにはいかないと思いました。

その後、マナウス入りしたときからずっと住んでいたアパートを大家さんの都合で出ないといけなくて帰国を目前にして引っ越しをしなければいけなくなったり、大変なこともありましたが、会社の方々や友だちとその家族にたくさん助けてもらって、無事にマナウス生活を終えることができました。本当に感謝の気持ちでいっぱいです。

皆さんにはご迷惑やご心配をかけたかも知れないけれど、でもやっぱり残ってよかったー!!
uも十分に気持ちの整理ができたと思うし、複雑な気持ちも多少はあってしかるべきだけど、最後はだんだんと、すがすがしい表情になっていくのがわかりました。
終業式の前日(お弁当最後の日)には「母さんマナウスの4年間毎日弁当作ってくれてありがとう。中学に入ってもよろしく!!」と言ってくれました。
こちらこそ、ありがとう。uとyがいたから母さんは楽しかったし、がんばれました。


四年前、思い切ってマナウスに来てよかった!
娯楽も少なく、いろんなことにおいてまだまだ選択肢も少ないマナウス。だからこそ、みんなで助け合っていける。マナウスの一番いいところはそこかも知れない。

数は少ないけれど日本からやってきて結婚や仕事で永住しているお友だち。
そして移民してきた日系の方々、友だち。
いまはもうマナウスを去ってしまったけれど、過去にいっしょにがんばってきた駐在の仲間たち、そしていまもいっしょにがんばってきた仲間たち。みんなにありがとう。

いまのuを知っている人には想像できないかもしれないけれど、日本が恋しくて泣いていた最初の頃(でも、不思議と学校は最初っから大好きだった!)。

ブラジルの幼稚園に行く!と張り切って飛行機に乗り、早速幼稚園に遊びに行ったその日の夜、「しょうちゃん(日本で同じ保育園で仲良しだったひとつ上の男の子)が心配してるから(日本に)帰ろう」と言ったy。

私も最初の一年は帰りたくてたまらなかった。
そんなことも全部ひっくるめて、いまは、マナウスで過ごした日々が愛おしくて尊くてたまらない。

マナウスに来る前は、いつも忙しくしていた私。
この四年間は、日本で子どもたちに「早くしなさい」「早くしなさい」ばかり言っていた私への神様からのプレゼントだったのかも知れない。
空をこんなに眺めたことはないと言い切れるくらい、マナウスの空はゆっくりと時間が流れていた。


マナウスに永住する日本人の友だちや日系のお友だち、何人もの人たちが言ってくれた言葉。

「私はずっとここにいるから。」

そう。マナウスはそういう町なんだ。
こんなに素敵なお別れの言葉はありません。

そして、いつかまたみんなで“お茶べりんぐ”したいな。またいつの日か。

ありがとうマナウス! 
マナウスで本当によかった。



おかえり







おかえり









ありがとうマナウス!

今日23日早朝マナウスを発って帰国します。
お世話になった皆さんありがとうございました。
そして、ありがとうマナウス。

帰ったらまたアップします。

視聴率100パーセント?!

今年に入って記録しておきたい記事がたくさんあるのですが、溜まりに溜まってしまって、日本に帰って落ち着いたら写真&覚えていることだけでもアップして残しておこうと思っているのですが・・・

しかーし!

これだけはイマ載せとかなきゃマズイでしょ〜ってことで、W.C中のブラジル(マナウス)の様子をレポート!

ブラジル戦が午前中に試合がある日は、基本的に仕事も学校も休み。
午後から試合のある場合は、午前中で仕事を終え帰宅を急ぐ人たちの車で道路は大渋滞!
日系企業も日本人学校も当然同じく、です。

試合の始まる30分くらい前からは、ブブゼラやラッパがマナウス中になり響き、あちらこちらから花火があがり始めます。
正午には大渋滞していた道路も試合が始まる寸前には道路に全く(と言っても過言ではない)車は通ってないし、まず、人が消えます。これホントです!

ちなみに、次の試合『ブラジルVsオランダ戦』は午前中に試合があるため日本人学校は休校となります。
最初はビックリしました。でも、ブラジルでは当然のこと。というより、逆を考えてみたら、日本代表が戦っている間に日本人が働いていたり、学校で勉強していたり、というのをみて不思議に思ってるブラジル人もいるかも・・・。

ブラジルでは、ワールドカップ中はどこのお店の店員さんも皆代表の黄色のユニフォームを着ているし、アパートの住人も道行く人も、どこもかしこも黄色黄色黄色!
自宅にも車にもブラジル国旗がなびいています。

私たちも普段着・・・なんて、そんな非国民?!(一体ナニ人じゃ!)なことは許されないし。笑 だから、当然、黄色のユニフォームを着て画面の前にスタンバイです。
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上の4枚の写真はコートジボワール戦の時のテレビ放送。点が入った瞬間を激写!笑
KAKA〜!!歯〜白すぎ!!笑

wc2左の写真は、この日誘ってもらっていっしょに観戦したS家にて。
点数が入るたびに、ベランダに出てラッパを鳴らしまくっていた男3人衆!
ました。笑

ブラジルがゴールを決めるとマナウス中にラッパやホイッスルがなり響き、花火があちこちからあがります。ご近所からは歓喜の声が次々と聞こえてきます!


ところで、ブラジル戦の視聴率いったいどれくらいなのでしょうか?
ワールドカップ始まってから、状況把握や周辺を観察してみてみると、どう考えても・・・・・・100パーセント?!な気がするけど・・・
いやいや、100パーセントって、それはあり得ないよね。95パーセント?!・・・

長年ブラジルに住むSさんをはじめ、日系ブラジル人の方何人かに聞いてみました。

ブラジルでは、日本みたいに試合が終わる度に「視聴率何パーセント」なんていうのはいちいち公表しないみたいなんですが・・・それでも、


「100パーセントに近いと言ってもいいんじゃないんですか?」

「ん〜〜100パーセントなんじゃないでしょうかねぇ」

「その時間にテレビつけてる人がいるとしたらチャンネルは全部ブラジル戦でしょ」

「100パーセントに決まっているじゃないか」←アパートのお掃除のおじさん(ブラジル人)


という答えが返ってきました。

ブラジル人は普段のリーグ戦など、とにかく集団で観戦するのが大好き。
マナウスには屋根だけある屋外レストランや道端の露店がすごく多いのですが、そんなところでも必ずといっていいほどテレビが置いてあってWC見入っています。
だから、どこにいてもWC観戦はできるし、そんな状況を考えてみても『100パーセント』というのはまんざらではないのかな、と・・・。

それにしても、コートジボワール戦のKAKAのレッドカードは痛かったですよね〜。というか、結果的にその次の試合ポルトガル戦に勝ったからよかったものの、もし負けていたらブラジル国民怒りまくってたと思います!!・・・多分。

wc1この写真パッと見て何か分かりますか?
Uのピアノの先生のアパートのベランダから撮った〜の絵なんですけど、道路いっぱいいっぱいに国旗が描いてあるんです。(下の絵はFIFAのマーク)
で、道路の頭上には黄色や緑色のヒラヒラが舞ってます!
この国旗とヒラヒラの2点セット(?)は至る所で見られます。


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写真左:歩道橋なんかにかかっているWC宣伝アーチ。
アマゾンらしくインヂオがボール蹴ってます!笑
写真右:セントロのWCのグッズを売っている露店のご主人に地元テレビ局がインタビューしているところに遭遇!
「儲けてまっか?」
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写真左:代表のユニフォームがいっぱいの露店。拡大してよーく見てみて!写真左側の椅子に座って店の主人がWC観戦してます。
写真右:テーブルクロスもブラジル国旗一色!

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どの店も愛国精神出しまくり。

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写真左:道路の上も下もブラジル一色!
写真右:道を歩いていたら、かわいいおばあちゃんを発見!写真撮らせて〜とお願いしたら、はにかみながら、カメラ目線してくれました!








思い出づくり。

2〜6月(ブラジルでは前期)までの間の火曜日と木曜日の週二日、UとYはラ・サーリ(現地校)でそれぞれバスケットとダンスの部活動(と勝手に言っている)に参加させてもらっていました。
Uが3年生の頃、当時文化コースにいた中学生の女の子がラ・サーリ校でバスケットをやっていて、外部者も入れるという話を聞き、即、見学に行ったのですが、後期の途中ということで入れず、その後も何度か行ってみたのだけど、何せ、男子バスケット部はものすごい人気でなかなか入れてもらえず、今年の2月1日にもう一度最後のつもりで、一か八か行ってみたところ結果はやっぱりNO!

コーチがUのことを覚えていて
「何度も通ってくたのを知っているから僕の気持ちとしては入れてあげたいのだけど、この学校の生徒でさえキャンセル待ちしているという状態だから申し訳ないけどキミを入れてあげることはできないんだ」と本当に申し訳なさそうに話してくれたのでした。

ところがその次の日突然コーチから「学校に来るように」と電話がかかってきて、行ってみると・・・なんと
バスケットの申込用紙に自分(コーチ)のサインを入れて、
「これに名前を書いて明日事務所に提出しなさい。事務所のセクレテリアにはちゃんと話してあるから」と手渡してくれたのでした。
「ただ、責任者(学校を歩きながら見守っているちょっとエラい人)には、ぼくがキミを入れたことは内緒にしてくれよ。」「よろしく!U」
と言って握手。
そんなこんなで思いがけなく入部成立!こんなこともあるんだー。

バスケ1写真はそのコーチと。
5月以降の後半からは5人1チームでミニゲームをやったり。
部活が終わってからも、「Uやろう!」とチームの子が誘ってくれたりして、よくいっしょに練習をしていました。
ブラジルは他民族の国だからだろうか、周りに外国人がいることに小さい頃から慣れているのだろうか、本当に自然な感じで接してくれる。

これが逆だったら、日本の学校にたった一人ブラジル人の子が入ってきたとしたら、こんなにも自然に子どもたちは接してあげることができるものだろうか。

私は子どもの頃、外国人が目の前にいたら(私の故郷では外国人自体超珍しかった)、話しかけたいのだけど、どうしていいのかが分からない・・・という思いだったなぁ。
そういう意味でも、本当に外国人の私たちにとってブラジルは優しい国だった。


バスケ2火曜日と木曜日は日本人学校は4時半帰りで疲れていることもあるんだけど、こうして入部させてもらったのだから簡単に休んではいけないということで、旅行で留守にした以外は毎回がんばって通いました。



一方、Yは・・・

ただ、Uについて行くだけでは勿体無い!ということで調べたところ、おおよそ同じ時間帯に7〜9才の女の子のダンスが始まることが判明!

1Yも休まずにがんばって通いました。
写真は16日にあったラ・サーリのダンス発表会で。

たくさんの友だちが出来ました。
たまたま遊びに行っていた日本人学校のお友だちの住むアパートでダンス部のお友だちに会って、「発表会楽しみだね〜」って話したり、DB(地元のスーパー)でおばあちゃんと買い物に来ていた双子ちゃんの一人に「最近ダンスの練習来ないけどどうしたの?」って聞いていたり(面白くないから他のダンス部に移った、と言ったらしい。笑)、すっかり仲間気分なY。笑
帰国前の少しの間でもいい経験が出来てホントによかったなぁと思うハハなのでした。

2写真は、ダンスの先生と。

最後の運動会

2010マナウスにきて4度目の運動会はUにとってもそして私たち家族にとっても最後の運動会♪
小学部最後となる今回の運動会では赤団の団長としてもがんばりました。
Uのマナウスに来て運動会で「一度も勝ったことがないので最後は勝って帰りたい!(帰国したい)」という想いは、さて届いたのでしょうか・・・(^^)

BlogPaintBlogPaint赤団。


13BlogPaint白団。


BlogPaintBlogPaint恒例のBOI


BlogPaintBlogPaint走る!
カメラ撮りながらビデオ回していたら、あろうことか“二兎を追うものは一兎も得ず”になってしまい、うぇ〜ん・・・となっていたら、その日のうちに、このブログにもたまにコメントくれるMikaちゃん(現地のお友だち)が「写真撮ったよ〜」と言ってメールで送ってくれました!
しかも真正面。ありがとーMちゃん!


BlogPaintBlogPaint勝負の結果は・・・

白団優勝おめでとう!!

ということで、Uにとっては残念な結果となりました。

が、結果は大事。でも、がんばったプロセスは尊い!
勝っても、負けても。 

この日の本番のために約ひと月かけて練習してきた子どもたち。
学年主任のT先生がUのがんばりに「毎日応援の練習見ていて涙でそうになる」と言って下さって、「あ〜がんばってるんだなぁ」と想像すると同時に、そうやって見守って下さっている周囲の方々がいることにも感謝の気持ちでいっぱいでした。

きっと悔しかったに違いない・・・とハハは察するのですが、涙の後の清々しい笑顔が全てを物語っていると思いました。

いいものを見せてくれてありがとう by 母さん

写真は 『魂のこもった気合いあふれる応援賞』 を校長先生から手渡されるU。





 

最近の私たちと最近のブラジル

またまた更新があいてしまいました。その間、何度も覘いて下さったみなさんごめんなさいでした。

実は帰国を前に先月末、諸事情により引越しをすることになりまして(予定通り)、マナウスに来てずっと住んでいたアパートを引き払い、ダンナの後任で来られる方が入居予定のアパートに私たちが帰国までお世話になることになりました。

私たち家族がマナウスに来たときは家電製品も持って来ず、企業にしてはとても少ない荷物(だったらしい)でブラジル入りしたのですが、家族でしかも4年もいると荷物って気づかない間に増えていくものですね〜。かたずけながらビックリ!!

家電製品や主な家具などは会社からお借りしたものでしたが、あとはこちらの職人さんに作ってもらった本棚やテーブル、ちゃぶ台など、思い入れのあるものはお世話になった日系の方々に使ってもらうことにし、後は、知り合いやお友達に持って帰ってもらったり、Yがお世話になった幼稚園のバザーに寄付したりして、すっかり身軽になりました。

日本に送る荷物と引越し先の新しいアパートに送る荷物、それから処分する荷物を仕分けするのが意外と大変だったのですが、周りの人たちの助けを借りて、なんとか無事終わらせることが出来ました。ミンナアリガトウ!
近年帰国した人たちから、家族で4,5年住んでると引越し1日じゃなかなか終わんないよ〜と聞いていたりしたので、もうドキドキものでした。

新しく引っ越してきたアパートの前からこれまで住んでいたアパートの上半身が見えるのですが、新しいアパートに移ってきてから2日目くらいにUが「カヒニョン(前のアパートの門番さん)に会いたくなった」と言いました。
だからというワケではないのですが、その2日後の31日の夜に、子どもたちといっしょに4年間お世話になったアパートにお別れをしに行き、写真とビデオ(Uの解説付き)に収めてきました。

子どもたちと仲良くしてくれた仲良しの門番さんの一人は
「Uはいまいくつだ?Yはここに来たばかりの時こーんな(と手を自分の腰くらいに合わせながら)だった」「もうブラジルには戻ってこないのか?」などといいながら、泣いてくれました。
いや〜この別れのまま飛行機に乗ることにならなくてよかった!

そんなこんなで、ここにきてようやく落ち着いてきました。
いろいろな行き違いなどもあって、ネット会社を待って3回目、先月25日に引越してから2週間目にして、ようやくインターネットとテレビと電話が繋がりました。

しかも、ネット会社が工事に来るという指定された時間というのは『お昼の12時から夕方の6時の間』・・・・・・・
もう慣れっこといいながらも、このストレスだけからはもうすぐ解消されるんだぁと思うとやっぱり嬉しい!!

そういえば、私がテレビやネットニュースを観ていなかった間に鳩山首相が辞任してました。



ところで、ワールドカップ始まりましたね。
ブラジルはまさにサッカー一色!
店の店員はこぞって黄色と緑色のブラジル色のTシャツを身にまとい、道路にはブラジル国旗が描かれ、頭上にはブラジル色のキラキラしたお飾りが。
ブラジルが予選のときは基本的には学校も仕事も休み。
国中が戦闘モード!!に入るらしい。
いつも使っているタクシー会社のOKAMURA(完全なるブラジル人/ナインティナインの岡村に似てるから誰かがそう名づけた)の車に乗ったら、車にテレビがついていた!!
マナウス日本人学校も予選当日は午前中で帰宅&1日は休日。
さすが、サッカー王国です!!


明日はUとYの日本人学校での最後の運動会。
ハハ、ビデオ&写真今年もがんばります!!




五・七・五

今朝、子どもたちのたまったプリント類を整理していたら、面白いものが出てきました。
Yが昨年、一年生のときに書いた俳句です



『フェジョアーダ とてもおいしい たべものだ』

『トゥクマンは かってびっくり すごいあじ』

『インジオは あたまがいいんだ すごいよね』

『マカシェイラ あげるとうまい おやつだよ』

『おいしいぞ おにくにするぞ シュハスコは』

『クプアスは ジュースにすると おいしいよ』

『マナウスは たいふうないね ずるいよね』

『ココのみは とってたべたら おいしいよ』

『おもしろい あみものだよね タペッチは』

『バナナの木 とってたべたら 虫がいた』

『かわいいよ かわったネズミ カピバラは』

『トゥクナレが 小さいさかな たべちゃった』

『もともとは ジャングルなのね マナウスは』

『アサイのみ とってたべたら はがおれた』





釣り&射撃!!

turi1260先々週の日曜日、友だち数家族といっしょにサンジエゴに釣りに行ってきました

この日は、ブラジルも日本と同じ『母の日』で、朝ご飯食べようと覘いたレストランは多くの人でごったがえ!
結局ドライブしながら、どっかCafe Da Manhaできるとこはないかな〜と探しながら到着したのは空港の『BOB'S』&『Pao de Queijo』という、なんじゃそら〜な一日の始まり(^^)
ホントに釣りに行く気はあるのか?!というようなまったりとした休日の朝。
マナウス〜な休日・・・

魚がちょっと縦になってますが、タンバキー、ゲット!!の写真。

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写真左:この日、一番釣った感のあるY。釣り竿を持たせたら誰にも負けてないY。ひたすら釣り続けます。満足〜♪
マトリンシャン、ゲット!!

写真右:早速、舟を漕いでオオモノ?を狙いに行く・・・。さて、釣れたのか・・・。
釣った魚を調理してもらいお腹いっぱい食べて、ハハたちはまったりするも、子どもたちは、またすぐに釣り糸を垂れに行く。
時間を気にせずに、ひたすら無心で遊ぶというのは、マナウスで与えられた特権のような気がして、こんな時間をたくさんくれたマナウスに感謝だなぁ〜。


思いっきり遊んだ後・・・
サンジエゴの帰りにある『射撃場』をちょっと見学してみよう!ということになり覘いてみることに・・・。

すると、偶然にもお世話になっているMさんの息子さんに遭遇!
Mさんは家業の傍ら、射撃のプロでもありまして、鉄砲の弾を作れる資格も持っています。
頼まれて映画に出たこともあるそうですが、アクションスターに射撃のパフォーマンス(どうやったらカッコよく見えるか)等、教えることもあるそうです。

6260日曜日の夕刻時という閉店間際の飛び込み見学ツアー一行にも関わらず、気持ちよく応対してくれ、なんと、子どもたちも含めて全員に打たせてくれるとのこと。
ヤッター!!


2260使い方を教えてもらって、

構える!
打つ!

パーン!!


4260この辺りに命中!
子どもたちは、みんな初めてとは思えないほど、なかなかの腕前。
真剣に、そして気持ちよ〜く打つ子どもたちを横目に
「これ、毎週の習い事になったりして・・・
「ここまでタクシー?!)」などと言ってみるハハ。

あ、ハハは夫婦喧嘩したらウサ晴らしにここに来る!と言ってます


13260弾。

5260打ったところから、100メートル?200メートル?先にぶら下がっていたガス管に命中した痕跡!
ひとりが打ち終わると全員で打った痕跡(鉄で出来た人間やガス管など)を確認しに行く。


72608260
Yでも結構命中してました。
力めない分、命中しやすいらしいです。 
12260エアガン(だったかな?)
これは、打っている本人だけでなく射撃場にいる全員が耳栓をします。
そんだけ音がデカイ!

99260ここに命中〜!


3260超かわいいショットが撮れました。
射撃場にいたワンちゃん&ネコちゃんです。
射撃場に犬ならともかくネコがいるなんて!と思って聞いてみたら、ここのワンちゃん、ネコちゃん弾の音が聞こえないそうです。
あ、耳が聞こえないということではなくて、鉄砲の高い音がもう耳に入らなくなっているのだとか。
だからと言って耳が全く聞こえないわけではなく、射撃場の人たちが名前を読んだら、ちゃ〜んと振り向きます。


10260Yが落ち葉を傘にしたら、すうっとやってきて、ホラ!超カワイイ!!

11260あんまりかわいいので、ただズームしてみました。

2010.5

カレンダー3

我が家の壁にはいま、この写真が・・・

アマゾン川をバックにツクナレを両手で持ち上げるU!

これ何かというと、夫が勤める会社のカレンダーです。

夫もめくるまで知らなかったらしく、もうみんなでビックリ!!

2010年、今月のカレンダーです。

学校参観週間

過去に何度も書いてきましたが、日本人学校恒例の学校参観は一週間あります。
授業だけではなく、休み時間や子どもたちがお弁当を食べる様子(ハハたちはどちらかというと食べる様子よりもお弁当の中身に関心が・・・。「みんなどんなおかず持ってきてるんだろう・・・」)等も観ることが出来て、学校で子どもたちがどんな生活をしているのかがよく分かります。
一週間毎日通うのは、結構疲れるんですが、一週間あるので、自分の子ども以外の教室や文化コースの授業も観れるから面白いんですよねぇ。
何度観ても、何を観ても飽きない。

さて、また5月より新たに日本からT先生(26才!またまた独身!!)を迎えて賑やかになった学校の様子です。
あ、写真に大小がありますが気にしないで下さいね〜

パーティの準備11、2年生はいろんなことをがんばったご褒美に貯金してきた銀色のコインが貯まったので、パーティを企画しようと計画し・・・

BlogPaintBlogPaintそして、パーティの日。開会宣言!
プログラムも役割もバッチリ決まりました。

パーティ2写真はプログラム3の『みんなであそぼう』でおにごっこをする子どもたち。


こいのぼり集会1BlogPaint
週の中日にあった恒例の『こいのぼり集会』での『相撲の取り組み!』
もちろん東と西に別れ、一人ひとりに四股名がついてます。

BlogPaint6年生理科の実験

BlogPaint5、6年生家庭科。
5年生は『お茶を入れる』。
6年生は『湯がく、炒める』。
4年間ずっといっしょだったTくんと。


おんがく低学年(1〜4年生)の音楽。
パート別に分かれて練習中。


すいえい全校水泳の時間。


BlogPaint業間(3時間目の後の長めの休憩時間)に、赤団、白団に分かれて、今年の運動会の役割等を話し合う赤団選手!
真剣です!


畑仕事1畑仕事u
写真左:Y、生活科の時間。
写真右:U、なんの時間だったかな・・・「総合?」。

かまきり1かまきり2
生活科の畑仕事の後に見つけた、でっかい「かまきり」。
かまきり「さて、わたくし、どこにいるでしょ?」 

ホワイトボードBlogPaint
6年生教室の黒板ならぬホワイトボード。
写真右:休み時間に子どもたちが描いた担任のE先生。うまいっ!!

オペラ♪

オペラ1オペラ2

4月19日から5月末まで今年もアマゾナス劇場でオペラが開催中です。
今年は最後だしどうせ観るなら本場モノがいいな〜と思いながら、パンフレット&ネットを開いてみたら、ありました!ありました!


シェイクスピアの『ロミオ&ジュリエット』


めちゃめちゃメジャーすぎる〜!!

そういえば高校3年の文化祭で『ロミオ&ジュリエット』やったな〜。懐かしー。


写真は講演終了時にとったものです。

そして新しい出会い&重大発表!!

『別れ』の後は必ず『出会い』が訪れる。でも、それはここマナウスに限ったことではなく、どこにいてもそうなんだ。3月に日本に帰っていった人たちもきっとまた日本での新たな出会いのもと、新たな出発をしているんだろうなぁ。

3月にたくさんの仲間たちの別れがあって少々寂しいモードだったマナウスにもまたいくつかの新たな出会いがやってきました。
日本人学校にも新しい校長先生ご夫妻、6年生になったUのクラス担任をして下さることになったE先生ご夫妻、そしてYたち1、2年生のクラス担任のT先生、それから新3年生のTくんご一家!

あっそうそう、それから16年間マナウス日本人学校で働いてくれたオズマさん(ブラジル人)が辞められ、新オズマさん(名前ド忘れ!!奥さんが日本人だからちょっとだけ日本語が分かる。若い。)との出会いもありました。
オズマさんは公務員の試験に合格されたとかで、3月に毎年恒例で行われる『日本人学校お別れ会(「離任式」改め)』では涙で感謝の言葉を述べていらっしゃいました。

そんなこんなで新たな出会いのもと新体制で始まった学校ですが、そんな中、新たな動きもあります(と、前回のブログからかなりひっぱっている。笑)

それでは、前回の久々ブログで書いた『重大宣言!』をここで!

なんと!

私たち家族の帰国が決まりまして・・・!!!

子どもたちの学校が一学期を終了した時点で日本に帰ります。

正直いうと、あと一年居たかった。
ここで卒業したいと願っていたUのことを思うと切ない気持ちになったりもするのですが・・・。多分、U自身が一番無念だったと思います。
でも!その残念無念な気持ちよりも、4年間ここで過ごせたことの幸せに感謝して残り3ヶ月を過ごそうと話しました。
かみしめながら、心して、でもこれまでと変わらずフツーにマナウス生活楽しみたいと思います。みんなヨロシクね!


PS.ブログ更新が滞っていた間の春休み、実はあるところに旅行に行ってきました。とても感動的な場所でした。
それも追って掲載できるようにがんばります。



春の別れを振り返る

少し長めの春休みも終わり既に新学期が始まって3週間が経とうとしています。
Uは6年生、Yは2年生になりました。ハヤかったような、そうでないような・・・

春休みに家族で、アマゾン河に一泊で出かけてきたのですが(後日アップします・・ホントか?!・・・笑)、撮ってきた写真をパソコンに取り入れていたら、一番最初マナウスに来てすぐの頃にアマゾン河に行った時の写真を見つけて、マジマジと子どもたちに見入ってしまいました。あ、かわいいとかそういうことではなくて(笑)・・・そういえばマナウスにやってきた頃は、Uがちょうど今のYと同じ2年生、Yは4才になったばかりでした。
そう考えると「やっぱハヤっ!!」と思いました。
私はその間何をしていたのか。トシとって黒くなってボケた!!笑

そんなこんなの春休み、今年度もたくさんのお別れがありました。
日本人学校から、校長先生ご夫妻、最後の年にUの学年を持ってくれた担任のB先生ご一家、同じくYの担任をして下さったS先生ご一家、そして、Yと一年間同じクラス(複式)だった2年生(現3年生)のYーちゃん一家。Yちゃんはマナウス在住一年ちょっとだったけど、いっしょに過ごせてよかった〜。
B家は我が家とアパートが近かったこともあって時々いっしょにお茶したりご飯食べたりUがピアノを教えてもらったり・・・。誰に似たのか超慎重派の長男Sちゃんと、生まれて半年目にマナウスにやってきた強さでは兄に負けてない妹のCーちゃん、それから見かけに反してオモシロ系のBハハ。帰国後も早速、爆笑のメールが届き笑わせていただきました。アリガトウ。 
S家は3年間Uと同じクラスだったYちゃん、弟のJくん、カワイイ妹のKちゃん、そして、ハハは、聞き上手話の盛り上げ上手〜だったからホントにいろんな話をしたり聞いてもらったり。楽しかった〜。アッという間だったね。
マナウスはもしかしたら狭い日本人社会かも・・・だけど、北から南まで日本中にかつてのスクールメイトが散らばっていると思ったら、めっちゃ日本が狭く感じるし、何より子どもたちの成長がとても楽しみです。

みんな仲良くしてくれてありがとう。
これからも、ヨロシクね! 
また、いつの日かみんなでお茶しよう!




繋がりました!

ずいぶんと更新が滞ってしまい、この間何度も覘いてくださったみなさん、そしてコメントを下さっていたみなさん、ありがとう&申し訳ありませんでしたm(__)m

昨夜、めでたくインターネットが繋がりました!!!

こんなに長かったのは初めてかも知れません。毎日毎日会社の秘書の方が間に入ってやって下さいました。Obrigada!!

で、修理に出していたままのパソコンはというと・・・結局手元に戻ることなく使えなくなってしまいまして・・・・・・。会社からお借りしていたパソコンはいろいろと問題があって映像の読み込み等のハードの部分が壊れて(?)いたりして・・・だったんですが

なんと、そんなこんなを話して事情を知ったお友だちが自宅に一台余っているというパソコンを貸してくれました!!!女神!

その間、撮りためていた写真見てみると、もうホントにたぁ〜っくさんの出来事があって、しかもこの間年度末〜新年度ということもあり、校長先生をふくめ三人の先生方の帰国、そしてずっといっしょにマナウスで過ごしてきた仲間たちとのお別れ・・・。
そして新しい年度とともに新たな出会いがあり・・・&重大発表・・・もあります!

どうやってこの間の出来事を載せましょ〜〜なのですが、とりあえず、どこからいきましょー・・・(迷)

今日はこれから夜遅くまで出かけてしまうので、少し考えて、明日にでも、また更新したいと思います。

とりあえず・・・のご報告でした! m( )m


サンタ・カタリーナ〜砂丘

砂スキー2サンタカタリーナと言えば“海”!
世界中からサーファーが訪れることでも有名で、毎年サーフィンの世界大会も行われています。
車に乗って外を見ていると、店先にサーフボードがたくさん並んでいるようなサーフィンショップがたくさんありました。

しかーし、サンタカタリーナは海だけではありません!
フロリアノポリス市街地から車で50分くらいのところにある砂丘に行って来ました。


砂スキー4砂丘の入り口にボードをレンタルしてくれるショップがあって、そこでボードを選びます。
座って乗る形のボードやサーフィン(海の)のように立って乗る大きめボードなどいろいろ。

 
砂スキー6砂スキー7
Pattiが背中を押してくれて、「行くよぉ〜」 

砂スキー8「行きは良い良い、帰りはダルい〜」で、行き気持ちよ〜く滑ったのはいいけれど、その後ボードを持って上って来なければなりません。
これが、かなりキツイ。
上から見ていたら、二人仲良くボードを運んでいたけれど、途中からYひとりが持って上っている。
「ぅわぁ、妹に持たせるなんてかっこわりー」と叫んだら、仕方なく?ボードを奪いとる兄。
ところが、「Yちゃんが持つ、Yちゃんが持つ」と言ってボードを奪いにかかるY〜の図です。この写真。
忘れていた!Yは荷物持つのが趣味だったんだ〜


砂スキー1砂スキー9
パパイとY                            PattiとY

BlogPaintこの写真、随分ズームで撮ってます…。
この砂丘の形は『砂の器』みたいになっているんですが、ふたりで滑っていったと思ったら、こっち側に上って来ず、あっち側に上り始めました。写真はそのあっち側の頂上の部分。
「あ〜今度はあっちからこっち側にむけて滑るのね」と思っていたら、なんと、視界に入らないホントのあっち側(器の外側)にボードを向け、Uがひとりでボードにまたがったと思ったら、そのUの背中をYが押したではありませんか!Yは、落ちていく兄を見て呆然と立ち尽くす・・・?!
えっえ〜うっそ〜!姿が見えなくなった
もしかして、向こう側って湖じゃなかったっけ?!
まるで、兄の自殺行為を手伝った妹、みたいだ〜とあっけにとられていたら、一分もしないうちにボードを抱えて上がってきました。ホッビックリしたなーもう。




・・・・・・で、この翌朝、サンタカタリーナを発ってサンパウロに戻ったのですが、それ以降の写真が、私のパソコンのハードの中におとしてあって、あとちょっとだけ載せたい写真があるんですが、チップの中に写真が残ってないので、一旦ここでサンタカタリーナの旅は終了です。みなさま、2010年も2月が終わろうというのに昨年末の旅行記を読んで下さってどうもありがとうございました。
ではでは、一旦終了。
はやくマイパソコンちゃん戻って来ないかな〜。

サンタ・カタリーナ〜フロリアノポリス

フロリアノポリス橋
サンタカタリーナの州都フロリアノポリス。
右の写真は、エルシリオ・ルース橋。
島のシンボルでもあるこの橋は、南米大陸と島を結ぶ橋として百年以上前に造られたようなのですが、橋として重量的に耐えられないという理由から、橋としては機能しおらず、そのお隣に新しく造られた橋が今現在はその役目を果たしています。
でも夜になるとライトアップされすごくキレイなので観光スポットのひとつとなっているそうです。
私たちは空港に着いてホテルに移動するとき、あまりの眠さに爆睡していたので(夫以外)残念ながらライトアップされたエルシリオ・ルース橋を見てません。
この写真は、現在使用されている橋のしかも反対車線の方から撮ったのでかなり遠いです。 

フロリアノポリスツリーフロリアノポリスの海岸線にあったクリスマスツリー。
高さ14メートル(だったかな?!)のこのツリー、どういう形か分からないけれど、本当はもっと高くなる予定だったらしい。
通信会社が入って市民のメッセージをツリーに映し出すという巨大なプロジェクトがあったらしいのですが、入札の段階で市長さんの不正が働いたということが判明し、工事が途中で中断してしまったままクリスマスを迎えてしまったのだそう。
で、撤去するにも税金かかるし…ってことだったけど、その後どうなったのでしょう…。


市場市場カフェ
街の中央にあるメルカド・パブリコ(中央市場)に行って来ました。
入り口にあった、さとうきび100%のジュースを注文したら、ものすごい量がきちゃってがんばったけど全部飲み干せませんでした。
さとうきびのBARはサンタカタリーナでは結構見かけました。右の写真は市場内にあるカフェ。

市場内市場カマロン
市場に一歩踏み入れたら、両脇に魚介類やさん!

市場オストラ市場ムール貝
サンタカタリーナは海の幸が豊富に獲れるので魚介類大好き一家の私たちにとってはパラダイス!
二泊三日という短い滞在期間だったのですが、ホテルの朝ごはん以外の食事には全てテーブルにカキが並んでました。
レストランでカキを注文すると大抵1ダース(12個入り)15ヘアイス(約800円)くらいで、やはりサンパウロなんかに比べたら断然安いんですが、市場で買うと1キロ4〜5ヘアルくらい!安っ!!
でも、いまはカキの時期じゃないらしく、獲れる時期はもっともっと身が大きいのだとか。

カランゲイジョカランゲイジョとu
カニです。大きさとしては、アマゾンの泥ガニと同じくらい。あ〜これ味噌汁にしたら美味しそう〜。食べたいなぁ。

くだもの市場前露天
市場前にずらずらーっと並んだ露天。

素焼きやさんばなな〜
こちらもよくある素焼きやさん。かわいい鉢やお飾りがリーズナブルなお値段でいっぱい売ってます。

サンタ・カタリーナ〜ビーチにて

プライアサンタカタリーナのビーチを船から撮った写真。(前日の海賊船より撮影)


海6海9
海賊船に乗った次の日、朝からプライア(ビーチ)に行って来ました。
写真右は、プライアでビニール製の折りたたみ椅子をレンタルしているおじいちゃん。自慢のオープンカーで忘れ物を取りに行く、のだそう。笑

海1海3

「やどかりがいっぱいいるよ。ほら、見て!」 

海3海2

海4三人

海5海7

海8バナナボート

写真左上は何だと思います?
ブラジルの海、川、どこでも必ずといっていいほど見られる光景です。
答えは、おにいさんが、チーズを炭火であぶって売っている、でした。
写真右上はたまたま写真を構えたところに入ってきたバナナボート。

海辺のレストラン2海辺のレストラン
海辺のレストランでランランランチ!

オレンジジュースかぼちゃ
マナウスはくだものが美味しいから、きっとオレンジはブラジルの中でマナウスが一番なんじゃないかな…と思っていたけど、塗り替えられました。
サンタカタリーナのオレンジは、まるで砂糖が入っているようにめっちゃ甘かった。
それと、この色! おとなりのかぼちゃと同じくキレイなオレンジ色です〜。

えびかき1
写真左は白身魚のムニエルにえびやマッシュルーム、じゃがいも、の入ったソースをかけたもの。
かきは前の晩にも別のレストランで食べたばかり。同じく前の日のお昼はムール貝をたんまり食べたし、とにかくシーフード三昧です。


サンタカタリーナ〜陽気な海賊船

【お詫び!】『一月はお別れの季節』のコメントに誤りがありましたので再度コメント編集しました。



弓場農場を後にして、アラサトゥーバ空港から一旦ガリューロス国際空港(サンパウロ)に戻り、そのまま空港で2時間ほど待機してから、サンタカタリーナへひとっ飛びしました〜!!!といいたいところですが、離陸時間を過ぎても一向にサンタカタリーナ行きが電光掲示板に表示されないので、おかしいなおかしいな、と思っていたら、アナウンスが…


「…空港が変更になりました」


は? 何て言った?今。


な、なんと散々待たせまくった挙句、サンタカタリーナ行きの飛行機が、ガリューロス国際空港から、サンパウロにもうひとつあるコンゴーニャス国際空港に変更になったので移動して下さい、とのこと。

そんなのアリ?

外は土砂降りの雨。時間は夜中の一時半でした。
悪いと思ったのでしょう(そりゃそーだ)。ブラジルに来てこんな高級なバスに乗ったの初めて〜というようなバス二台が、サンタカタリーナ行きの私たちお客をコンゴーニャスまで運んでくれました。

いやぁ、それにしても、ありえないっしょ〜。いくらなんでも。
ブラジルに来て、大抵のことには驚かなくなった私だけど、これにはさすがにビックリしまくりました!

北海道行きの飛行機に乗るために羽田で待機していたら離陸時間過ぎても案内がないからおかしいなと思っていたら、成田に変わってた…みたいな感じ。

深夜、空港に着いてから指定されたゲートで待っていたら、途中で「ゲートが変わりました」ってアナウンスされるし(しかも2回)。ゲートが変わるっていうのはこっちでは普通にありえるから、ま、いいとして…。

でも、つくづくブラジル人はトラブルに強いなぁと。
だって、空港が変更になっても、みんな私みたいにビックリしている様子もないし、当然文句言ってる人もいない。「どんなときにもトラブルはつきものよ」といった感じ?!
あ、トラブルに強いというよりもトラブル慣れしてるのか…。

でも、そんな風に思えることが出来たら、大抵のことが起きてもイライラしたり慌てたり誰かを責めたりしないですむんですよね。
これは私がブラジルで学んだ大きな事のひとつです。…とか言ってますが、
実はそんなことを随分前にマナウスに駐在していたお友だちと話したことがあったのですが、その友だちが、帰国してみたら、「ブラジルでは許せていたけど、日本ではやっぱり許せない。笑」と話していました。

というか…(この問題ひっぱり過ぎ?!)例えば、ブラジルでは何かトラブルを起こしても大抵の人が謝らない。
前にも書いたことがあるかもだけど、タクシーに乗ったり、何かモノを買った時、代金を支払ったのにお釣りがない、なんてことはしょっ中。たいして大きくもない金額なのに、である。特に朝。日本だったら客商売をしていたら普通業務を開始する前にお釣りは準備しておくと思うのですが、そんなことはやらないのだと思う。
彼らは、お客である私たちに「お釣りないけどどうする?」って言う。
どうするって聞かれても…こっちこそ「どうするの?」って言いたい。
あ、でもそういった場合は、トラブルじゃなくて“文化の違い”ですね。

じゃあ、トラブルを起こしてしまった場合。なんでまず最初に謝らないんだろー…と思うんだけど、彼らって、自分がトラブルを起こすことも当然ありだから、相手が起こすトラブルに対しても寛容なのかも知れない。

でも、それって裏を返せば、日本の場合、誰かが起こしたトラブルに対してすぐに問いただそうとするし、必ず責任のありかを突き止めたがるけど、だから日本人は、自分のやることに対して自信がもてなかったり、失敗を恐れたり、絶えず緊張したりするのかも知れないなぁ…なんて…勝手に納得。


話がまた大分逸れてしまいました。何を書いていたかというと…あ、そうそう。
バスや飛行機に乗ってる時間よりも、立って待っていた時間がとても長かったため、子どもたちはバスに乗っていた50分というわずかな時間ちょっと眠っただけで、もうフラフラ。

なんと、サンタカタリーナ空港に到着したのは午前4時を回っていました。ブラジル〜〜たのんますぅ〜。


海賊の店1海賊の店2
次の朝、というか殆ど着いたの朝ですが、ホテルから徒歩4、5分のところにあるビーチへ。
そこから、あるアトラクションに参加するために、ビーチ沿いを更に20分ほど歩きました。
写真はビーチ前にあったお店。店の屋根には宝箱が…。そしてその宝箱から何やら溢れてますねぇ。

海賊といっしょに1
「この人たちだれ?」 

YがCocoを飲んでいたら、このご両人がどっかから突然?やって来て、Yの両脇を囲んで怖い顔で「写真撮っていいよ!」って。


遠くに海賊船が海賊船4
ん?何やら海の向こうから怪しげな船が近づいてくるではないですか。

一体、何なんでしょう?
 
海賊船1うぉーっ!!

もしや、海賊船ではないですかー!!!


海賊ですへい、いらっしゃい!


海賊船に乗る海賊船
早速、海賊船に乗り込んで。

海賊たちこ、怖い!

海賊たちがこっち見て睨んでる。


海賊船でカポエイラ海賊船でu
カポエイラやってます!                  アメリカンポップスに合わせて踊る海賊♪

陽気なアテンド8陽気なアテンド9

陽気なアテンド9この白いTシャツの人、高田純次です!
あ、違うか。このツアーのアテンド(案内人)です。

どこまでも陽気なアテンド…。


海賊船陽気なお客ガンガンな音楽に合わせて船の中を

「ふうふう

とこぶしを挙げ腰を振りながら練り歩く客たち


海賊船5この写真は一緒にクルーズしたもう一隻の海賊船。どちらの船も負けじと?盛り上がる盛り上がる!

これまでブラジルで数え切れないほどの陽気な人々を見てきましたが、ここまで陽気な人たちを見たのは生まれて初めて!と言っても決して過言ではありません!!笑


海賊船7写真のこのおじさん、Uに向かって
「よう!そこの少年盛り上がってるかい?!」
とか言って手を振っているところ。

Uが親指を立てて答えると、おじさんの横にいた女性がしきりにUにカメラを向けて、お互い撮り合いっこ。笑


海に飛び込む海賊這い上がる
途中、船が停まったと思ったら、海賊たちの命令?で海に飛び込む客たち

陽気なモトリスタ海賊船でu
写真左の船長、ひとりムスッと「みんな何やってんだか」…と言ってるかどうかは知らない…。笑
写真右は、音楽に合わせて、ストロー笛を吹いているUくん。笑



要塞要塞の景色
海賊船は途中、サンタカタリーナ州フロリアノポリスの要塞(ようさい)の見学へ。
“要塞”って言葉を私はブラジルに来て知ったのですが、むかし敵国が入って来ないように海際に建てられた国を守るための軍事施設のことです。

兵隊さんたちの部屋くじらの骨
写真は700人の軍隊さんたちが寝泊りしていたという広い広い部屋ですが、今は巨大くじらの骨が展示してあります。かなーりデカイくじらだったようです。(大きさ忘れました)

Pattyたちとそしてっ、この写真は、今回のサンタカタリーナの旅で、私たち家族をアテンドしてくれた(いっしょに遊んでくれた)Pattyとお母さんの裕子さんです!

実はこのブログにもよくコメントをくれるクリアンサスさんが年末「旅行どこ行くの〜?」ってメールくれたとき、サンタカタリーナに行くと言ったら、仲の良いお友達がいるからと言って連絡をとって下さったんです。
Pattyは日本留学から昨年帰国し、今はサンパウロの日系企業で働いていますが、ご家族はサンタカタリーナに住んでらっしゃいます。この時はクリスマス休暇で帰省中なのでした。
で、なんと、驚いたことにPattyのご両親どちらも私たちと同じ宮崎の出身(一世)で、お父様はブラジルで県人会の会長さんをされていたというから更にびっくり!
はぁ〜。弓場で始めての“生宮崎”(二世さんでしたが)の方にお会いできて感激していたのに、まさか、またここでも生粋の“生宮崎”の方々にお会いできて、しかもアテンドしていただけるなんて。笑 ホントに嬉しかったです!


ムール貝2ムール貝を食べる
写真は途中船を下りて昼食をとったレストランで食べたムール貝。
海の幸に飢えてる私たち家族四人全員ひと皿分ペロッといっちゃいました。
レストランはビュッフェだったのですが、私たちがあまりにも「美味しい美味しい」と言いながら貝ばっかり食べていたら、お店の人が、「食べて食べて」と言って、でっかい皿いっぱいにムール貝を盛ってきてくれました。オブリガーダ…笑 


                                          <つづく>




アリアンサ〜空のコレクション

弓場農場のある第一アリアンサから第二アリアンサ、そして第三アリアンサを車で走ったときに撮った空。いろんな表情を見せてくれました。
走っている車の中から撮ったのでアングルが少々定まっていませんが、すごく楽しい空への旅でした。

弓場へ19


弓場から6


アリアンサ2


アリアンサ3


アリアンサ5


アリアンサ雨2


アリアンサ1


弓場から4


弓場から2


弓場から1



以上、弓場への旅おわり。
次はサンタカタリーナに続きます。

弓場勝重さんのこと

私たちよりひと足先に弓場を後にしたSさん(記事「小原明子さんのこと、そしてユババレエのこれから」に登場)の紹介で、最後にまた素敵な女性に出会いました。
弓場農場の創設者故弓場勇さんの七女勝重(かつえ)さんです。
勝重さんは、クリスマスの舞台でオペラを歌いながら踊った方です(記事「弓場〜クリスマス舞台2009」で紹介)。
踊りもさることながら勝重さんの素晴らしい歌声に驚いた私だったのですが、その後、勝重さんが歌や踊りの他にもいろんな才能を持った芸術家であることを知りました。

勝重さんから聴いた話を私自身の記録としてなるべく書き記しておきたいので、とめどもなくだらだらと書いてしまうと思うので、みなさん適当に飛ばしながら読んでって下さいね。

以下、勝重さんの住まい兼アトリエにて−。
アトリエ7アトリエ3
写真右:亡くなったお兄さんを思いながら彫ったもの。

アトリエ2アトリエ4
写真左:勝重さんの初めての木と石を使った作品。この作品に使用されている“石”は勝重さんのお姉さんが亡くなったとき、お姉さんの荷物を整理していて見つかったものだそうです。
捨てようと思って手にした石が勝重さんの手に何となくフィットしたことから、「この石は捨てちゃいけない。」「(お姉さんに)選ばれた石なんだ」と思い直し、キレイに磨いてから、こうして作品に使ったのだそうです。

アトリエ1勝重さんは素敵な景色に出逢ったら写真を撮らず描きたくなるのだそうです。だから勝重さん絵を描くスピードが速い。
「描くと、後に目を瞑っても不思議と背景の細かいところを覚えているね。」

アトリエの壁には勝重さんが大好きなオペラを観に行ったときのミラノの風景などたくさんの絵がかかっていました。

私たちの寝泊りした部屋の壁にも大輪のユリの花の絵がかかっていました。最初版画かなと思ったその絵も後で勝重さんの“土絵(弓場の赤土を混ぜて描いた絵)”だということが判りました。

勝重さんはモノや風景を描く時は画用紙を一度も見ずに目の前のものだけを見て描くのだそうです。
勝重さんの部屋で見せていただいたバラの土絵も「30秒から1分くらいで描いた」とか。時間をかけて描いた絵より、あっという間に描いた絵のほうが大抵気に入るのだそう。

いま会社からお借りしているパソコンちゃんにカメラのチップ用のデバイスとブログ用の写真編集機能がないため、カメラとPCをケーブルで繋いで写真を取り入れてます。写真が横向きになってしまったまま載せてしまっていますが、パソコンが戻っ
てきたら編集し直したいと思います。せっかくの絵なのに観づらくてごめんなさい。(多分、写真くらいはどっかで回転できると思うのですが…)
アトリエ6アトリエ5
 写真左:地に還る                       写真右:お母さん 

どちらも勝重さんが絵の具に弓場の赤土を混ぜて描いた作品。
写真右の絵は生まれてわずか4ヶ月で天国に行ってしまった弟を抱いたお母さんを描いた作品。亡くなった弟のお墓の赤土を混ぜて描いたのだそうです。
このときのことは、後のお母さんの日記に、「乳がはって辛かった」ということや「天使のようなキレイな心のまま天国に行ったあなた(弟)へ。お母さんも魂を磨いて、いつかあなたに会ったとき恥ずかしくないように、きれいな心を持ってあなたのところに会いに行くから待っててね。」というようなことが書かれてあったのだそうです。

勝重さんの本勝重さんの絵
勝重さんは絵本作家でもあられます。
ちょっと写りが小さいのですが、写真左の二冊のうち表紙が緑色の絵本「はまの大きな大きな樹」の“はま”というのは勝重さんのお母さんのことです。
この物語は、はまさんが子どもの頃のことからブラジルに渡ることになった経緯、そして故弓場勇さんと結婚するまでが日本語とポルトガル語で描かれています。
もう一冊は「やまのおはなし」。“やま”というのは弓場のことです。
やまのいろんな出来事を絵本にしたものです。
それから勝重さんの部屋で読ませていただいた「靴下を穿いたピアノ」という絵本など、どれも本当に素敵な絵本ばかり。

「はまの大きな大きな樹」の挿絵(写真右)は、勝重さんがペンで一筆描きしたものです。ひとつの絵がすべて一本の線で繋がっています。
この一筆描きするときの絵はすべて目をとじたまま描くのだそうです。

“降りてくる”という表現があるけれど、勝重さんのお話を聴きながらたくさんの作品を見せていただいていたら、ふとそんな言葉が頭をよぎりました。

帰って来てからネットで調べていて知ったのですが、勝重さんの絵本「ヤマのおはなし」「風と少女」をご覧になっていた美智子皇后が1997年天皇皇后がブラジリアを訪れた際、勝重さんを招待されて激励されています。

そんな勝重さんの絵本に出てくる“はまさん”ですが、勝重さんのお姉さんがある日言ったそうです。
「お母さん、遺言があるなら今のうち言っとかないといけないよ」って。
そしたら、はまさん「ここ(弓場)で生きたことが私の遺言」だと言ったそうです。

勝重さん曰く、生前のはまさんの口から「大変だ〜」とか「頑張っている」という言葉を聞いたことが一度もないのだとか。そんなはまさんが、一度だけ我がままを言ったことがあるのだそうです。
「死ぬ前に一度でいいから日本に帰りたい」と。
その時すでにはまさんは病床だったため、願いを叶えてやることができなくて、あの時は本当に辛かったと話してくれました。
はまさんは、生きているうちに一度でいいから日本に帰ってお父さんとお母さん(勝重さんの祖父母)の墓参りがしたかったのだそうです。
勝重さんは、はまさんがお墓を前にしてお父さんお母さんにどうしても報告したかったことがあったのだと言いました。

はまさんは15才のときにブラジルに入植しているのですが、本当だったら10才のときにブラジルに渡っているはずでした。
はまさんが10才のとき、ブラジル行きの夢を語ってくれていたお父さんの夢が叶い、家族三人でブラジル行きの移民船に乗るため神戸で待機していました。
ところが、待機中にその時流行っていたスペイン風邪にかかってお父さんが亡くなり、一日置いてお母さんが亡くなってしまったのです。
その後、はまさんはおばあちゃんの家にひきとられるのですが、優しかったおばあちゃんが亡くなった後、お父さんが行きたいと夢見ていたブラジルにたったひとりで行くことを決心します。
15才のときに同じくブラジル行きの移民船に乗るというご夫婦の養子になり(家族単位でないと渡航できなかった)ブラジルに渡ったのです。

『お父さんが行きたかったブラジルに行ってみたい。』

「本当にそれだけの理由で、たったひとりで船に乗ったの?」
勝重さんは晩年何度もはまさんに聞いてみたのだそうです。
でも決まってはまさんの答えは同じ。「そうよ」

長い長い船旅を終え、ブラジルサントス港に着いて、更にアリアンサ移住地までの長旅は続きました。
アリアンサに着いたとき、はまさんはお父さんから聞かされていたブラジルがそのまま目の前にあって感激で涙を流したそうです。
周りの人たちはとても親切で、はまさんはとても幸せだったといいます。後にはまさんは、小さい頃養子に出されていた弟や妹たちをみんなアリアンサに呼び寄せました。

「お父さん、お父さんが行きたかったブラジルに私行ったよ」
「お父さんの話してくれたブラジルはいいところだったよ」
「弟妹たちも呼び寄せてみんないっしょに暮らしたよ」
「ブラジルで暮らせて私幸せな人生だったよ」

その事をはまさんは、お父さんお母さんの眠る墓前に報告したかったんじゃないかと娘である勝重さんは考えるのだそうです。


勝重さんは、はまさんが亡くなった後、はまさんが死ぬ前に帰りたいと言った日本に帰り、故郷の信州にはまさんの骨を散骨しました。
その信州にある聖地諏訪湖にまつわる話でこんな話が。冬に張った氷が春が近ずいて割れるとき、ひびが入ってダダダダーッと何かが走るように割れていく。その光景は『神が通る道』のように見えるのだそうです。
その話をからめて、はまさんと勝重さんを知るある方がこんな表現をされたのだそう。
『母が神の道を通ってブラジルにやって来た。そして娘がその神の道を通って諏訪に帰って来た。そしてお墓に亡き母の骨を撒いた。』

勝重さんは、その言葉を聴いたとき、生かされている感謝とともに『あぁ、やっぱり天と地は繋がっているんだなぁ』と改めて思ったのだそうです。

勝重さんの部屋にはたくさんのCDがあって、その中でも勝重さんが大好きだというマリアカラスを私がリクエストすると、話の途中からずっとマリアカラスの歌声をBGMにお話をして下さいました。


弓場の女性たちはみんなお裁縫が大得意で輪洋服どんなものでも作れちゃう、という話をしましたが、勝重さんが大事なときに着る服をいくつか見せてくださいました。その殆どが自身の手作り。
日本の知り合いの方から着なくなったからといただいた着物や帯などを素敵な洋服の数々に変身させていました。そのどれもが、色彩、デザインひとつとっても、うわぁ〜と声が出ちゃうほど。
クリスマスの前夜祭のパーティのとき、食堂の全てのテーブルに敷いてあった真っ白なレース編みのクロスも勝重さんが編んだものでした。

前夜祭が終わって洗濯し終えたレースのテーブルクロスを丁寧に一枚一枚たたみ箪笥代わりのスーツケースにしまいながら、こんな話もしてくれました。
勝重さんのコイバナ(恋愛話)。
勝重さんはご結婚されてないんですが、若い頃、弓場を捨ててもいいという程の大恋愛に落ちたそうです。
でもその恋はたった4日間で終結。しかも、はじめから結末が分かっていた恋。それでも二人とも何の躊躇もなく、夢のような濃縮された4日間を共に過ごしたのだと遠くを見るような目で時に照れながら話してくれました。
まるで、『マディソン郡の橋』みたい。
それから40年間一度も会ったことがないという遠い外国に住んでいるその彼から2009年も届いたクリスマスメールには、ある方のネットでのページで今年も勝重さんの舞台の活躍を知ったこと、更なる活躍と健康を祈っている…とありました。

そういう恋のストーリーまで勝重さんは持っていたのか…。かっこ良すぎる。
私がいたく感動していると、勝重さん
「私は本当はメールとか好きじゃないんだけどね。手紙のほうがやっぱり心が伝わるから」
と言いながら、でも嬉しそうに笑っていました。

この話を最後に聞いてから私はますます勝重さんのことが大好きになりました。
きっと数々の辛いことを乗り越えながら、この弓場でたくさんの仲間たちと共に過ごしてきた歴史を振り返りながら『私は幸せ』と言える人生−。本当に素敵だなぁと思いました。

きっと弓場で生きてこられた一人ひとりの方たちそれぞれに素敵な歴史があるのでしょう。
それにしても、こんな素晴らしいお話を私ひとりが聴いていいんだろうか…。途中、何度も思いつつ、でもいつの間にか話に深く深く聴き入っている私がいました。

今回、明子先生や娘さんであるアヤさん、それから勝重さんのお話をじっくりと聴かせていただいたのだけれど、でもそれはそれぞれの人生のほんの一部に過ぎません。
もっともっと言い尽くせないくらいたくさんのことを抱えながら生きてきたに違いありません。にも関わらず、たかが数日間の旅行で訪れた一個人の私に快くいろんなお話をして下さった弓場の方々に感謝です。心からありがとうございました。




最後に…

ずっとずっと昔、勝重さんがまだ子どもだった頃、弓場に一台の蓄音器があったのだそうです。
夕食の後、今日は童謡、今日はクラッシック、今日はオペラ…というように一台の蓄音器をみんなで囲んで聴く時間がとても楽しかったそうです。

そうやって、ずっと変わらずに音楽や踊り、芝居など、芸術を愛し、“祈る・耕す・芸術する”の提唱のもと生きてきた弓場の人たちですが、そんなみんなの夢だったテアトロ(劇場)が出来たときの話もして下さいました。

小原久雄さん明子さん夫妻が弓場に来られてあと一週間でクリスマスという日にテアトロ建設は着手されました。
勝重さんは、子ども心に本当に一週間で出来上がるのか心配だったといいます。

みんなが見守る中、ずらずらーっと屋根に上った子どもたちが流れ作業で瓦を一枚一枚組んでいき、そしてテアトロの骨格が完成したそうです。
あの時の感動は忘れない、その時初めて弓場の人たちの持つ力の凄さを知ったのだと話してくれました。


その弓場農場のテアトロが完成するまでの記録を見つけました。

テアトロ・ユバ』 ← ここをクリック















弓場の暮らし〜さて問題です!

これは何でしょ?突然ですが……

問題です!


これは何でしょう? 

火にかかってます。




これは何でしょ2ヒント!

の前に……


じゃあ、これは何でしょう??



チッチッチッチッチ・・・・・・ハイ、ブー!



洗濯機2正解は・・・


『洗濯機』でした!



これは何でしょ4では、


これは何でしょーかっ???


『炊飯器』と答えたあなた! はいブー!


答えは……


『脱水機』でした!!!



脱水機2じゃ、これは????


これも、『脱水機』。

大きなもの(大量のもの)を脱水する機械でした!!!



これは何でしょ3これは、『洗い場』です。

でも、ただの洗い場ではありません。

石を彫って出来てます!!! 

もちろん弓場の手作りです。


実は、この他にも小さめの『洗い場(流し場)』が3つ程並んでいたんですが(残念ながら写真撮ってません・・・)全部、陶器で出来ていて、手前の部分は洗濯板みたいにギザギザになっていました。
ギザギザの部分でごしごししながら同時に洗い流せるワケですねぇ。
「うわぁ、よく出来てるわぁ!」思わず唸ってしまった私。
これも全部、弓場で手作りしたものなんですヨ!!!
ちょっとスゴスギじゃないですか???

「へっ?陶器を手作り?」と思いました? 

そう。なんと、弓場には陶芸する人もいらっしゃって、日々使っている湯呑や茶碗なども弓場で焼いてるんですね。
実は、残念なことに、この陶芸場を見損ねてしまいました・・・。



まだ、あります!! 


洗濯物を干すこうして、洗濯したものを干しました!!


あれあれ、よく見たら、立ち入り禁止等によく張られる線(なんていう名前の線だっけ??忘れた)ではないですかっ?


では、問題いきます!! 


なぜ“この線”に洗濯物を干すのでしょうか??



正解っ!!!



洗濯バサミを使わずにすむこと、それから、洗濯したモノが風で飛んでいくのをふせぐため、でしたー!!!


パチパチパチ・・・




おっと・・・忘れてはいけない。



一番最初の写真、何だか分かりました?



これ分かった人はスゴイです。



日中は、いつでも使用できるように、ずっと火にかけてあります。



答えは・・・・・・



『洗濯洗剤』でしたー!!!



では、この洗剤



一体何からできているでしょうかっ???



答えは・・・・・・



『豚の脂+重曹』 でしたー!!!!



ちなみに、洗濯機も脱水機も全部手作りです(^^)v

弓場の暮らし〜風景(後編)

資料館2珈琲より人を作れ9
弓場農場の敷地内にあるアリアンサ移住記念館。移住地創設者の一人であった北原地価造さんが住んでいた家で、1929年(昭和4年)頃に建てられたものを弓場の人たちが移築して記念館として再現しました。 

図書館&学校アリアンサ移住記念館のお隣にある図書館。


図書館黒板
写真左:これだけの日本語の本、どうやって集めたのでしょう。マナウス日本人学校の図書室よりたくさん本がありました。(写真に布団が写ってますが、クリスマスの舞台があるこの時期は泊り客が多いためこの図書館にもたくさん寝泊りしていたのです)
写真右:同じ図書館内にある、子どもたちに日本語を教えるための教室&黒板。いまは使っていないようです。

日本文学の歴史一木一草
弓場農場に住む日系人の人たちが、ブラジルに住む日系人と違うなと感じたのは、ポルトガル語よりも日本語の方が強い(つまり日本語が母国語?!)ということでした。日常で日本語を使って生活しているので当たり前といわれるかも知れませんが、これだけの本が身近にあればなぁ〜とこれまた納得。

鉄棒鉄棒Y


敷地内1敷地内3


水道敷地内5


土釜湯を沸かす
炊き出し場にある大きな釜。この釜でパンなども焼きます。
クリスマスの前夜祭に食べた“豚の丸焼き”もこの釜で焼かれました。

炊き出し場260炊き出し場鍋


弓場庭9てづくりほうき


お勝手井戸
写真左:おかって                       写真右:井戸

テレビを見る食堂(みんなの広場)にしかないテレビの前でみんなが集まって観てるのは、『坂の上の雲』です。(写真の左側)
続きは2010年の12月…というテロップが流れると、観ていた人たちから
「来年は続きを覚えてないわ」とか「生きてるかわからん」という声が飛び交っていました。笑
食堂には2台のテレビがあります。いつも左側のテレビではNHKが。そして、写真の右側に写っているテレビの前では若い男の子が一人ブラジルのテレビを観ていました。


お昼ね中子ども
弓場農場ではみんながお年寄りを大事にし、みんなで子どもを育てています。最初はどの方が子どものお母さんなのか分からなかったほど。
日本は、古きよき時代だった頃の大家族形態が崩壊して、核家族や一人親家族、またお年寄りの一人暮らしが増え、だんだんと「家族」というものが機能しなくなってきました。
いまや子育てや介護問題は、介護保険やビジネス、地域ボランティアの領域という感じが否めません。一方で、この弓場には、いま日本に一番必要なものが全部あるような気がします。


旅でござる記事「弓場へ」の最後にちょっとだけご紹介した浦野由紀子さん。
一人バイクで二度目の世界一周旅途中の松浦さん。毎月『NHK地球ラジオ』に旅の様子を報告しているのだそう。
この日は弓場に唯一ある一台のパソコンから電話線を通してネットで記事を報告。記事を書くページまで行き着くのに30分くらいかかったと言っていました。
ちなみに弓場では電波が入らないため携帯電話は使えません。

NHK地球ラジオ『浦野由紀子さんの旅でござんす』は←こちらから

ニッケイ新聞の記者こちらは、ニッケイ新聞の記者さん。弓場のクリスマス舞台の様子を記事にまとめている最中!
向こうに見える人たちは何してるかというと…みんなでタオル類の洗濯物をたたんでいるところ。


                                      <つづく>

弓場の暮らし〜風景(前編)

約10日ぶりのブログになってしまいました。何度も覘いて下さった皆さん申し訳ありませんでした。
2月4日に夫の携帯用のパソコン借りて久々のブログを書いた翌日から現在まで夫は日本に出張中でありまして、私のパソコンは未だに修理中です(買って一年も経ってないっちゅーのに…)
そしたら、一昨日会社の秘書さんが、現在会社で余っているパソコンを持ってきて貸してくれました!ありがとーっ!!めちゃめちゃ嬉しかったのですが…
いざ、使おうとパソコンを開いてみたらインターネットが繋がってないことが判明!
なんと、ブロバイダーに代金未払いということが発覚!!
インターネットを使ってない間に切られちゃっていたのです。うぇ〜ん。
慌てて支払いを済ませ、昨日から無事やっとやっとパソコンに触れることができるようになりました。うれしー(涙)
ということで、大変遅くなりましたが、年末旅行の続きです。



弓場の暮らし〜風景(その1)

朝一野菜9朝一野菜
弓場では朝一で取れたて野菜がキッチンに運び込まれ、それによって一日の献立が決められます。
毎日取れたて野菜を食べられる幸せ〜♪
マナウスに住んでる私としてはめちゃめちゃ贅沢な毎日ご飯。
久しぶりに見たかも!こんなに新鮮なお野菜!

野菜を洗う旅行などで弓場を訪れた人たちみんなで野菜を洗ったり切ったり…。


シイタケのヘタをとるシイタケ栽培
注〜目!!
実はこの山のような椎茸(写真左)、なんと私が全部ヘタを取りましたっ!エッヘン!
写真右は椎茸栽培中!!

角笛後姿でちょっとわかりずらいかもですが、これ何してるか分かりますか?
農場のある方に向かって「ごはんですよ〜」の合図!
“角笛”を吹いてます!


食堂でご飯こんな感じで、毎回適当に座って違う席でいろんな人たちとテーブルを囲んでご飯を食べます。
毎回いろんな方とおしゃべりできて楽しかったです!


くだもの農場で採れた果物!


パンを焼く朝ごはんには毎日手作りパンもテーブルに並びます。
バターもジャム(マンゴー、グアバなど)ももちろん手作り!
シチリンでちょこっとあぶります。
ちなみにこの日の3時のおやつはシュークリームでした!
コーヒーもおいしいよん。


ご飯1ある日のお昼ご飯メニュー。
野菜の天ぷら、みょうがの酢漬け、オクラの花、カルル(食べられる雑草)、椎茸のトロトロ…、左側の半分切れてる写真は大分崩れてますが茶碗蒸しでしたー。


ぶた汁サンパウロのホテルニッケイパレスお向かいの居酒屋『ぶえの』のマルちゃん(日系ブラジル人)は、数年前まで玉ノ伊部屋(寺尾とか坂鉾がいた部屋)でお相撲さんをしていた人(最高位幕の内)で、弓場で偶然再会しました。
旦那とマルちゃん、お互い「なんでここにいるの?」みたいな感じで握手。
マルちゃんは弓場が大好きで、ここ数年この時期に農場を手伝いに来ているのだそう。
その相撲界にいたマルちゃんが、なんと!晩ご飯に“ちゃんこ”を作ってくれました!
\(^^)/ヤッター!!パチパチパチ
これが弓場のお味噌とマッチして、まー美味しいのなんのって…!
さすが、ちゃんこのプロ?!らしく、いろいろとこだわりがあるようで、なんでも、ただ材料を鍋に入れるだけじゃダメで、入れる順番によって旨みがぜんぜん違ってくるらしいです。ふむふむ。勉強になりました!

ぬか漬け
朝ごはんの後、キッチンにいたら、B子さん(仮名…名前が分かりません)が、何かまぜまぜしていました。
「もしかして、それぬか漬けですか?」思わず、弓場のぬか漬けも歴史があるんだろうなぁと思いつつ、続けて
「どれくらい(何十年?)漬かってるんですか?」って聞いてみたら、

「今朝漬けた!」って。 ……… きょとんとしている私の顔見て、ガハハ…と豪快に笑って

「がっかりした? すぐウジ(?)がわくから、そのたび捨てる(畑の肥料にする)のよぉ」

(~。~;)オモシロ


鶏小屋鶏舎。(写真手前は今は物置として使われています)
45年前創設者の弓場氏は、この鶏舎を売り払って弓場にグランドピアノを買いました。
改めて、弓場勇氏の想いというか、弓場の人たちにとって“芸術とは生きること”なんだということが理解できます。


ブタ豚舎。大きなマンゴーが転がってます(写真手前)。
なんと、豚舎の前には山積みになったマンゴーとパイナップル!!これ全部、豚さんたちの餌なんだそうです。
「くさるほどたくさんあるから」って。ス、スッゲェ〜!!
私も豚になるなら弓場の豚がいい!と思った瞬間でした。


プーニャアテモイア(果物)


ラーメンこの写真、弓場を去るほんのちょっと前に撮ったんですが、A男さん(名前が分かりません。ごめんなさい)が歌いながらラーメンの麺を作ってました。年越しそば…ならぬ、年越しラーメンの麺だそう。

B子さんが「この人紅白で歌わんといかんから」というと
A男さん、ブッと噴き出して
「麺も作らんといかんし紅白の歌も練習もせんといかんし、忙しいワー」
なんと、弓場農場では年末に『紅白歌合戦』をやるらしい!!

コンロの上では、潰した豚の骨でとったスープが朝からコトコト…。


弓場で作られた味噌が本当に美味しくて、帰りにお土産用と我が家用と買うことにしました。C子さん(以下C)にそのことを伝えると

C「味噌の他になんか欲しいものはないの?醤油は?」
私「じゃ醤油も」
C「もってくの?醤油」
私「はい。ぜひ」
C「やめた方がいいかもよ」
私「どうしてですか?」
C「おいしくなーいよ」「みんな美味しくない美味しくないって言ってるよ」「なめてみる?」
醤油をなめる私。
C「ね?」
私「あ、ホントだ(小さな声で)」←失礼なヤツ
C「私がねぇ機嫌の悪い時に作ったのよー。だから。やっぱね〜醤油も生きてるからね。優しい気持ちで作ってあげないと。わっはっは…」

(~。~;)オモシロスギ

                                  <つづく>



一月はお別れの季節

お別れ集会11月20日。次の日に日本人学校を卒業&修了する全日コースのHちゃんと文化コースのMちゃん、Aさんの「お別れ集会」が学校の図書室でありました。
3人の思い出がスライドで紹介されたり、在校生が3人の思い出をクイズ形式にして出題したり・・・。

全日コースのHちゃんは2年間、文化コースのMちゃんは4年間、Aさんは5年間日本人学校に通いました。
お別れ集会の間、終始泣いていたMちゃん。お別れの手紙も泣きながら読んでいました。手紙は感謝にあふれていて、聞いている私たちまで胸がいっぱいになりました。Mちゃんこの日、帰りのスクールバスの中でもカーテンの隙間から学校の校舎を見ながら泣いていたそうです。
Mちゃんホントに日本人学校が好きだったんだね〜。


卒業式修了式21日。マナウス日本人学校卒業式&修了式。
とてもいい式でした。Hちゃんは全日でマナウス日本人学校で初めての中学生の卒業生です。本当は中2が終わったら日本に帰るつもりでマナウスに来たけれど、ここを卒業したいという本人の強い意向でマナウスでたった一人で受験勉強がんばりました。

前日にHちゃんのお母さんが話してくれたんですが、Hちゃんが、
「マナウスでは日本にいるときのように競う相手が回りにいるわけじゃなかったけど、MちゃんやAさんが二つの学校(ブラジルの学校と日本人学校)を両立しながら頑張っている姿を見たら自分も頑張らないわけにはいかない」と言ってがんばっていたということや、
「Mちゃんたち文化コースの子たちが日本という国をとても敬愛していて、日本の学生のことを実際よりもずっと良く思ってくれているから、ガッカリさせるわけにはいかない。Mちゃんたちにとって“自分=日本の中学生”になるから、ちゃんとしないといけない」って話していたそうです。

・・・・・・ちょっとカンドーでした。このセリフ。

Hちゃんもお父さんお母さんも誰一人級友のいないマナウスで受験勉強をさせるという不安がきっと多少なりともあったと思うけれど、日本にいたら多分、周りに流されたり、合わせたり、好きな人のことをあれこと思ったり、友だちとケンカしたり、親に反抗してみたり(それはそれでいいんだろうけど…)
自分中心にしか物事を考えられない多感なこの時期に「自分単位」じゃなく「国単位」のレベルで物事をあれこれと考えることが出来たなんて!
15才という若い時に「外から日本を見る」という経験が出来たことは、きっと将来の財産になると思います。
いや〜それだけでも十分マナウスに来た価値があったと思うよHちゃん!

ところで、式が終わった後、卒業生&修了生は体育館から一旦自分たちの教室に戻りました。
教室から出てくるのを待って、またみんなでトンネル作って見送ると、最後は、校舎の外に出てみんなで歌を歌いながら3人が車で学校を出て行くのを見送りました。
3人とも大泣きでみんなに手を振ってバイバイをしてくれたのですが、Mちゃんが乗った車が歌を歌っているみんなの前に来たとき、車の窓を開けて、両手の指でハートを作ってくれました。「みんな大好きだよ!」。


Hちゃんお別れ会というワケで、「卒業式&修了式」の日の午後、N家でみんなでまたまた『Hちゃんのお別れ会』。
6年生のふたりが司会をしてくれて「Hちゃんクイズ〜」。てか、司会のふたりがめっちゃ上手くてビックリだったんですけど。

Q.日本に帰って一番食べたいものは? 
A.コーヒー牛乳とメロンパン

Q.高校生活(Hちゃんはお父さんの会社の寮に住む予定)で一番楽しみにしてることは?
A.彼氏といっしょに学校帰りに買い食い(アイス食べる)すること!

だって〜!!!カワイ〜イ!やっぱ中学生だ!!


23日(土)は、韓国料理の『ARA』でみんなでHちゃんを囲んで最後の晩餐会。の後、カラオケ・・・♪

BlogPaintHちゃんばいばいそして25日早朝、学校に行く前に早起きして帰国するHちゃんを空港に見送りに行ってきました。

写真のように、女の子たちがみんなHちゃんのことが大好きで、幼稚園や低学年の女の子たちがいつもHちゃんを見つけると両腕にぶら下がったり腰に巻きついたりしていて、ホントいつも気の毒でした。笑
だって、このくらいのお年頃って一番このくらいの小さい子と接点がないというか、そういう時期なのに(?)、いつもいつも女の子軍団にまとわりつかれていたのにいつもニコニコなHちゃんでした。ホントにいつもごめんねー。ありがとう。

そういえば、昨年かその前の年か忘れちゃったけど、Hちゃんが学校の冊子に「小学生と私」というタイトルで書いた文章が大好きで、よく思い出していました。
それを読んだとき、小学生に対しての観察力というか、あまりの表現の的確さに思わず「そーそーそー」とめちゃウケ感動&感心したのと同時に、ひとり中学生であるHちゃんのの苦労を知ったのでした。

Hちゃん、ばいばい。ありがとう。またね。元気でね。受験がんばってね!
マナウスからみんなで応援してるよ〜!!


【おまけ】
アパートでシュハスコ24日。こちらのお別れはダンナが働く会社がマナウスに出来てから、ずっといっしょにがんばってきてくれていた日系ブラジル人のレオがサンパウロに帰ることになったため、そのお別れ会。

我が家のコンドミニオで「送別シュハスコ大会」をしました。

写真は恒例(?)の「プール投げ!」大の大人が、一人ずつプールに投げこまれる!社長まで?!
最後はみんなでプールに入って記念撮影!!



一月のいろいろ編

壊れていたパソコンが戻ってきて、PTA会誌の原稿を急いで仕上げていたら、なんと、またまた壊れちゃったパソコンちゃん(涙)
現在また専門家の人に見てもらっているのですが、果たして直るのか・・・心配。
そのパソコンの中にブログで使うつもりの旅行中のデータを全部落としてしまっているので、戻ってきてから旅行の話を書きたいと思います。(忘れてないか心配・・・)

とりあえず、1月にあったあれこれを全部じゃないですけど、バババーッと書き出してみたいと思います。

マナウスかるた竹馬Y駒U9

もちつきY福笑いあやとり
1月8日。毎年恒例、PTA交流の日。学校に集まってみんなでお餅食べたり、昔の遊びをしたり。
上左の写真は『マナウスかるた』。子どもたちが描いた大きな絵がかるたになって、床いっぱいに広げられたかるたを取っていきます。
「おはじき」「こま」「福笑い」「竹馬」「あやとり」・・・。  



館長講演14日。日本人学校で『アマゾン自然科学博物館』の館長、橋本捷治氏の講演があり、子どもたちといっしょに聴講してきました。 
題目「アマゾンから見た日本」。橋本さんの話は全て経験が元になっているので、どれも興味深かったです。アマゾンでの話もっともっと聞いてみたくなりました。




発表会1発表会228日。外国語発表会。日本人学校毎年恒例の「外国語発表会」を観に行ってきました。
Yにとっては初めての発表会。5年生のUは「ポルトガル語劇」の他に「英語劇」もやりました。中学一年生の「英語朗読」も面白かったです。

この日学校から帰ってきてから「Mくん(中1)発音うまかったねー」(というかネイティブを知らないUが、何をもって“うまい”と言っているのか不明なんだけど)と言ったU。
「そりゃあMくんアメリカに住んでたからねー」と私。

そうだそうだ、そうなんだ。マナウス日本人学校の場合、教科によっては、複数または全学年で授業を受けたり、他の学年の発表などを聞く機会に恵まれているので、こうして自分より上の学年のやっていることに興味や憧れを抱くんですよねー。
忘れていたけど、こういうところはマナウス日本人学校のいいところだなぁと改めて思いました。 

ばちがあたった・・・かも。

一月もすっかり半ば過ぎたというのに年末の旅行記がまだ全然終わらなくて・・・少々焦り気味・・・な私です。
何度もブログを覗きにきて下さった皆さんホントに申し訳ありません。(旅行の他にも書きたいことはいっぱいあるんだけど)

ブログもですが、実は、毎年恒例のPTA会誌の締め切りが明日(26日)に迫ってまして、でも全然終わってません。

先週も会う人会う人に「書いた?」「書いた?」って聞かれて、私

「え?来週いっぱい大丈夫だよぉ!だって、どうせ2月にならないと印刷持ってかないんだから。」(←経験上)

Aちゃんに「そんな人がいるから・・・ 笑」とか呆れられなからも、

「大丈夫だってば!」ってみんなに豪語していたら、


パソコンが壊れてしまったーっ!!!!


パソコンがないと全然文章が書けない私。まだ文章は全然書いてなかったんだけど、どういったことを書くか、の内容みたいなものを箇条書きにしたものをWORDに入れていたんです〜。大ショック!!マジっすか?みたいな。

強制修了して電源を入れても画面が固まって全然動かない、という状況。容量はまだ余裕のハズだし・・・。
でも、パソコンってそんなに簡単に壊れないし・・・って最初はまだ余裕で、ダンナに見てもらったら治るだろう!くらいに思っていた私。

ところが長い時間あれこれとやってたダンナに
「ムリ!」「ダメ!」
と言われて、初めてガ〜ン!!!

今日パソコン専門の人に見てもらうために持っていって貰いました。トホホ
「一回中を全部消して入れなおさないとダメかも・・・」という捨て台詞を残されて・・・。

で、とりあえずこれはダンナのパソコンを借りて入力してますが・・・

会誌は箇条書きしたものを思い出しながら、ちょこちょこ手書きなんかでやっております。でも進まない・・・。

会誌があることは分かってたことなんだから、さっさとやっとけばこんなことにはならなかったのに、という典型的なパターン。
そういえば毎年ぎりぎりになって焦りながら「来年は早めにやろう!」と反省していたっけ。

というワケで、

みなさん!提出期限は守ったほうがいいですよ!! ← 言われなくても守ってるって?!

PTAカイチョー、マジで今週いっぱい待ってください、つーか、今週終わるのか・・・。



小原明子さんのこと、そして弓場バレエのこれから

弓場に到着して最初に応対してくれたのが小原明子さんでした。
弓場のことを全く予習していかなかった私たちは、失礼にも、明子さんがどういった方なのかも知らず、「お世話になります」と普通にごあいさつをしてほんの少しだけ世間話をしただけでした。
明子さんは私が勝手に想像していた弓場の女性とは随分かけ離れており、背筋がピーンとして色が白く、ベリーショートの髪が淡い栗色に染めてあって、キレイな人だなぁというのが最初の印象でした。

舞台の後の宴でSさん持参のお酒を飲みながら、初めて明子さんとゆっくりお話をさせていただきました。
その時に、明子さんが弓場に来ることになった経緯やその頃の弓場の様子などいろんな話を伺うことができました。

今はもう自らは踊ることのなくなっていた明子さんですが、昨年、東京での移民百周年の記念公演で踊ることが決まり、Sさんに、ぜひ見て欲しいとの明子さんの願いで、ブラジルからかけつけたけれど、飛行機が遅れて公演に間に合わず、明子さんの最後の踊りを観ることができなかったそうです。あの時は本当に悔しかった…と話して下さいました。
明子さんは、お酒の入ったコップを時々ゆらゆらさせて、ニコニコしながらみんなの話を聞いていました。

マナウスに戻ってきてから、弓場のことをいろいろと調べていて、弓場の人たちにとって、明子さんの存在がどれだけ大きいか、大きかったかということを知りました。
弓場農場の歴史に明子さんとご主人である小原久雄氏(ブラジルを代表する彫刻家)は切り離せない存在だったのです。

弓場農場の創設者である故弓場勇氏の親友だった日伯毎日新聞の当時の社長中林氏は明子さんと久雄さん夫妻のことを弓場にとって『奇跡の人』だと言ったそうです。

明子さんの書かれた文章を見つけました。


『よろこびの歌 / 小原明子』 ← ここをクリック

『赤土の大地に立つ劇場 / 小原明子』 ← ここをクリック


弓場ではいろんな方と知り合えたり、知っている方に偶然お会いしたり…だったのですが、その中でも特に嬉しかったのが、夫がいつもお世話になっているサンパウロのSさんにお会いできてご一緒できたことでした。
Sさんは毎年のようにクリスマスには弓場を訪れているのだそう。

Sさんのご紹介で、明子さんを始め、娘のあやさん(明子さんの次女)ともいろんなお話をさせていただくことができたし、Sさんの運転する車で、移民地区である第一、第二、第三アリアンサ(弓場は第一アリアンサ)を半日かけてゆっくりと見せていただくことができて、思いがけず充実した弓場の旅となりました。

第一〜第三アリアンサのことはまた後に書くとして、明子さんの娘さんのあやさんのことを少しだけ。
あやさんは15才で日本に留学し高校に通いながらバレエを学び、卒業後は劇団四季に入団、その後ミュージカルの舞台にも立たれています。
現在は、ブラジルに戻り、サンパウロでバレエを教えながらブラジルと弓場のバレエのかけ橋となって活躍していらっしゃいます。

そのあやさんと話をしていて、ブラジルという国が本気でいま芸術に取り組もうとしているということを知りました。

ブラジルは周知のとおり『他民族の国』と言われていますが、ルーラ大統領は国の芸術を高めるためには、人種の垣根を超えて支援をしていくことが不可欠だということで、文化庁大臣(元)に黒人歌手のジルベルト・ジルを抜擢し、これまで支援の枠から外れていた人たちにもスポットが当たるような政策を打ち出したのだそうです。
見事その期待にこたえたジルベルトは“他民族を支援出来た初めての大臣”とも言わしめたのだそう。

国が芸術に力を入れるという政策を掲げ、巨額の予算を確保し、全国に補助金支援の募集をしたところ、たくさんの応募の中から、厳しい審査を通過して弓場バレエが選ばれ、数年間に渡って補助金が出ることになったそうです。
しかも、そんな(補助金を貰えることになった)団体が、なんとブラジル国内に2500カ所もあるというのだから驚きです!しかも予算額が半端じゃない!

世界的不況の中において、豊かな資源を保有し、ものすごいスピードで変化を遂げているブラジル。
ここにきて、やっといま芸術や文化にお金をかけようという気持ちのゆとりが出てきたのかと思ったら、それだけではないらい。
ルーラ大統領自身が元々貧しいところの出ということもあり、実力があってもこれまで陽の当らなかった芸術家及び団体を支援したいという強い希望が根柢にあるらしいのだ。ふむふむ…。
これからワールドカップ、そして、オリンピックが決定し更に活気が出た感のブラジル。
ルーラ大統領って一体国民にどう思われているのだろう…。
そのことについて周りの人に聞いてみたら、
『みんな最初は、あんな無学な人間に大統領なんて務まるわけがない!と思って冷やかな目で見ていたけど、だんだん、意外とやるじゃない!に変わってきた…』と。
まーいろんな見方があると思いますが、そんな風に話してらっしゃいました。

話は戻りますが、補助金が出たことによって(多額の補助金なので国への報告もかなり厳しいそうです)、これからブラジルの芸術がどう変わっていくのか、弓場のバレエがどんな風に変わっていくのか…とても楽しみです。

ハードの面なのかソフトの面なのか、はたまた全く違う面に力を注いでいくのか、素人の私には全く予想もつかないけれど、きっといろんなことが変わっていっても、弓場バレエの本質は変わらないと思います。


『みんなで支えるユバ・バレエ / 小原あや』 ← ここをクリック


                                        <つづく>


弓場〜クリスマス舞台2009

舞台は夜の7時半から始まりました。
残念ながらあいにくの土砂降り…にも関わらず約500人のお客様でテアトロはいっぱい。一体どこからこんなに人が集まってきたのだろう…と思うほど。

舞台が終わった11時くらいから、今夜もまた夜な夜な宴が繰り広げられると聞き、夕ご飯を済ませて、お風呂入って…ってしていたら、すっかり開演直前になってしまい、テアトロに行ったら、既に客席の7割は埋まっていて、随分後ろ左側の方からの観劇になってしまいました(; ;)ウェーン。
しっかし、すごい人、すごい雨…。

客席1約500人のお客様で会場はいっぱい。
開演ちょっと前の様子です。


緞帳緞帳。



客席2私の座っていた席から撮影。アリアンサにはいまでも日本で生まれたおじいちゃんおばあちゃんが住んでいます。
アリアンサに住む人たちにとってこの弓場はどんな存在なのでしょう。きっと町の人たちは弓場の舞台を毎回楽しみにしているんじゃないかなぁと想像します。




<第一部 音楽>


ピアノ独奏ピアノ独奏。いきなり、素晴らしい木目調のグランドピアノが出てきてビックリ!
スゴイ!どこに隠してあったの??

リサさんの『コモの湖』そして、スマカさんの『ニューシネマパラダイス』でスタートしました。

弓場では昔、みんな小さい頃からピアノを弾いていたそうです。
お風呂でいっしょになった○子さん(名前を忘れちゃった(;;)ゴメンナサイ)に「○子さんもピアノ弾くんですか?」って聞いたら、「私はピアノの練習が嫌でねぇ。でも、昔は楽器が限られていたから仕方なかったけど、いまは管楽器とかいろんな楽器があって好きな楽器を選べるからいいのよ」って笑いながら話してくれました。 

ピアノ&トランペットピアノ&トランペット合奏♪


フルートフルート&チェロ合奏♪


合奏フィナーレの合奏♪(左側の席から撮ったのであんまりキレイなアングルではありません…(;;)


合唱そして弓場のみなさん全員での合唱は…

1.椰子の実 
2.メリークリスマス 
3.アベ・マリア 
4.ハレルヤ 

でした!


ところで、私のひとつ前の座席に優しそうな日系の男性が、ブラジル人の奥さまと3才くらいの娘さんと座っていました。
娘さんが抱っこをせがむので、その都度抱っこするのですが、後ろにいる私の観劇の邪魔になるのではないかと気が気じゃないようで、チラチラと後ろを振り向きながら目が合うたびに頭を下げていました。
私が「あ、問題ないですよ」と言うと「すみません。邪魔なときは言って下さい。」と日本語で返してきました。

「この地区の方ですか?」と聞いたら、
自分はここで生まれたけれど、両親は日本で生まれたということ
20才の時に研修で一度だけ日本に行ったことがあるということ
日本語が全く分からないブラジル人の奥様と結婚したことで自分も家の中で日本語を全く使わなくなって、だんだん日本語を忘れてきてしまったこと
娘もポルトガル語しか分からないので同居の両親に淋しい思いをさせているということ
でも、娘にはぜひ日本語を勉強して欲しいということ(アリアンサにも日本語学校があってJICAからも一人派遣されている)…
など話してくれました。

こういった話(日本語を使える日系人が少なくなってきた)はマナウスでもよく耳にする話で、ブラジルの日系社会でも危惧するところなのかも知れない。
唯一の日本語新聞である「ニッケイ新聞」や「サンパウロ新聞」も「日本語は話せるけど読めない」という二世、三世…の人たちが増えてきたことが原因で年々購読部数が減ってきていると聞く。
新聞の購読数だけの問題ではなく、移住してきた先人たちが苦労してブラジルに根付かせてきた日本の文化を絶やさないためにも重要な問題なのかも知れない。
そうすると必然的に日本語学校の重要性が見えてくる。 

それにしても、娘さんを抱っこすることで後ろの私に迷惑をかけるのではないかと気にするなんて、言葉は忘れかけているかも知れないけれど、(古き良き時代の)日本人の心は何十年経ってもこの地球の裏側で受け継がれているんだなぁと思いました。



<第二部 バレエ>


タンゴタンゴ9
『タンゴ・エスパニョーラ』 

オペラオペラ
『ハバネラ』。弓場勝重さんが歌うオペラ素晴らしかったです。 

ソーラン『よさこいソーラン』。

ブラジルでは『ソーラン』がものすごい人気で、毎年サンパウロでソーランの全国大会が開催されているんですが、その先駆けとなったのが実は『マナウス日本人学校』(マナオス→マナウスに改定)なのです。
マナウス日本人学校の運動会でやった『よさこいソーラン』が当時の文化コースの保護者(日系の方)の目にとまり、マナウスで『ソーランの会』を発足させたのがブラジルソーランの始まりなんです!

そして、弓場からも全国大会に出たそうです。
幅広い年齢の子どもたちのステージとは思えないくらい見事な踊りでした。 

バレー1バレー2
子どもたちのバレエです!写真右の一番左の男の子が昴くん。
「昴くん、カッコよかったねー!」by U 

ピクニック『ピクニック』
若い人たちみんなの力を結集して振り付けもみんなで考えたのだとか。
当たり前といっていいのか分からないけれど、全員がホントに踊りが上手い!!
ふたりの男子によるコサックみたいな踊りもめっちゃ上手かった!!


第一部フィナーレフィナーレです!!

ここだけなぜか遠くから撮ってみました。笑




<第三部 劇>


白浪五人男9『白浪五人男』。
入植時の話を劇にした新作で、弓場だから出来る作品なんじゃないかなぁと思いました。

この作品に出ていた矢崎勇さん(写真左から2番目(座っている人)は映画『ハルとナツ』に出演されている方です。今年クランクインのブラジル映画にも出演されるとか。


字幕ポルトガル語しか分からない方々のために、役者さんのセリフを日本語の字幕で表示するという心遣いも。(写真右上に字幕スーパー)

この作品を“伝えたい”という意気込みが伝わってきました。


白浪五人男2着物も小道具もすべて手作り。
もちろん今回の舞台の衣装を全員で縫ったわけではないと思いますが、弓場の女性たちは全員がお裁縫ができるんだそうです!!(っていゆうか出来ない私を基準に言ってますけどホントは当たり前のこと???)


白浪五人男3感動のフィナーレ!!

演技はもちろんのこと、振り付け(ダンス)や演出(劇)も本当に素晴らしくて、3時間全く退屈しないという“見せ方”がスゴイなと思いました。

みなさん普段は、昼は農園で働き、夜は稽古という生活をしてらっしゃるのですが、
「そのどちらも欠くことができない。もちろんどんな人生も楽しいことばかりじゃないけれど、毎日が充実している」とおっしゃいます。
そんな弓場ならではの暮らしやみなさんの気持ちが伝わってくる舞台でした。




<おまけの写真>

本番前発声練習舞台本番の日の午後の休憩時…。

ピアノの前に座ったフジ子さんの掛け声で集まってきて発声練習を始めるみなさん。

食事の後かたずけで炊事場にいる人もピアノの音が聴こえてくると茶碗を洗いながら〜ああああ…♪

普段、農園やまかないその他でさっきまで長靴姿で働いていたみなさんが、舞台に上がるとまるで別人。輝いていました。 


                                        <つづく>

弓場へ〜前夜祭の日

まずは…

『弓場農場』 ← ここをクリック!(弓場を上空から見た全体図が見れます!!)


ひたすら青空の続く道がどこまでも続くので、間違いないと分かっていてもちょっとだけ不安になってきて、誰かに道を尋ねたいのだけど、聞こうにも家という家を殆ど見ることができません。
やっとのことで、鶏卵場のようなところを見つけた時、車を停めて『弓場農場』の場所を聞くことにしました。
すると、出てきた方が日本人(日系人一家)でした。

ここは一応『アリアンサ地区』といって、かつての日本人移住地だったところなので日本人の顔をした人がいても別に珍しくはないのですが、驚いたのは、なんと!ここのご主人、私たちと同じ郷里の方だったのです。
そのことは、その方が次の日弓場に来られて、お話したことから判明しました。
といっても、ご主人は2世でお父さまが子どもの頃に移住してきたのだそうですが…(同じようなものです!)
意外に思われるかも知れませんが、私がブラジルで同じ郷里出身の方に“生”で出会ったのは初めてなんです!!
サンパウロには県人会があるのでたくさんいらっしゃるんですけどね。
いやぁ、嬉しかったです〜(*´∀`*)…  それは、さておき…


そうそう、私たちが弓場に来た目的のひとつは、『クリスマスの舞台』(25日)を観劇すること。
ここに来るまでは、弓場の人たちが地元ブラジルの人たちにバレエを教えていると思っていた私。
ところがどっこい!蓋を開けてみたら、なんと弓場のみなさん自身(ちっちゃい子どもからおじいちゃんおばあちゃんたちまで)がバレエをされていたり、楽器演奏や芝居をするのだと知ってビックリ!(やっぱちょっとは予習して来ればよかったかなぁ…)

私たちが弓場に到着したのは24日の昼過ぎだったのですが、その日の夜に行われる『前夜祭』のために、みなさん朝から大忙しだったようです。
なんでも、一年を通してこのクリスマスの舞台のある時期が弓場を訪れる人たちが一番多いそうなんです。
遠くは日本から、そしてブラジル国内からもたくさんの人たちが続々と来られていました。
それに、弓場を出てサンパウロなどで暮らしている若い人たちもこの日だけはたくさん里帰りするので、とにかくみんなが集まる食堂(みんなの広場)は大賑わい。

おにぎりを作る夜のためのご馳走を作る人たち…

会場の飾りつけをする若い人たち…

昼間から飲んでいる男衆…笑

その辺りをかけまわる子どもたち…


そして…

テアトル内黄色いテントと農業機械

本番に向けて、客席に椅子を設置したり、たくさんのお客さんに対応できるようにテアトロの後方に座席を増やして屋根のない部分にテントを張ったりする人たち…。

テアトロには屋根はあるけれど、床と壁はありません。客席の砂(赤土の上に砂が敷いてある)の上に次々と手作りの長椅子が並べられていきます。
写真右にある黄色いテントのある場所がテアトロです。食堂前から撮りました。


サッカーしよう一方、念願だったクリスマスと誕生日共有のプレゼントのI−Podを夫からサンパウロの空港で手渡され、嬉しくて、ここに着くまで、ずっと肌身離さず触り続けていたU。
弓場に着いてからもイヤホンでミスチルを聴きながら
「ぼく、ここで4日間も何すればいいの?」
と聞いてきたUは、I−PODの存在すらすっかり忘れたかのように、着いて30分もしないうちにここに住む昴くんといつの間にかボールを蹴り始めた。
ブラジルってホントに知らないもの同士でもボールさえあれば、すぐに友だちになれる。こんな光景をここブラジルで何度も目にしてきました。


サッカーしよう9途中、農園から戻ってきた若者?がふたりがサッカーやっているのを見つけて参戦!


シロとY「ねぇ、ママ、このワンちゃん黒いけどシロっていう名前なんだって!シロといっしょに写真撮って〜。」by Y。


飲む男衆2まだまだ陽が高いのに飲み始めてる男衆。

さっそくダンナもお誘いを受けていた!笑


前夜祭夜の7時半。前夜祭が始まった。
写真は弓場代表の乾杯のあいさつのとき。
ご馳走にはハエよけのため、まだ白い布がかかっていてます。
で、黙とうの後いきなりたくさんの人たちがご馳走に向かってきたので写真撮りそこねました!笑


豚葉焼き豚の丸焼き

写真左:豚の葉蒸し(とうもろこし葉) 
写真右:この農場で飼っている豚を丸焼きに!!いただきますっ豚どの!後方で沈痛な面持ちで丸焼きにされた豚を見つめるY!笑

プレゼント交換Uプレゼント交換Y

乾杯した後、12月生まれのお誕生日の人たちのケーキ(3段!)カットがあって、それからプレゼント交換!!
実は私たちプレゼント交換なるものがあることを知らなくて何にも準備していなかったんですが、YとUが「プレゼント交換やりたい〜」というので、急きょ、夫が日本から買ってきた文明堂のカステラと私がマナウスの空港で買っていたボンボンフィーノのチョコをもって参加!
レオくんとYが貰ったプレゼントは写真のレオくんからのものでした。
木作りの写真立てふたつ!
レオくんありがとう〜の図


sちゃんとずっとYと仲良くしてくれてたSちゃん。
交換留学生として日本からサンパウロ大学に来ています。


ピアノ先生この写真の方は、前にマナウスにいて、後サンパウロに引っ越して行ったSちゃん(Yと同い年で昨年末に帰国)のピアノの先生!
ご実家はこの弓場なんですが、いまはご結婚されてサンパウロに住んでらっしゃいます。
話をしていたら、ついこの間までSちゃんにピアノを教えていたということが発覚!!Sちゃんに見せなきゃ!ってことで慌てて写真撮りました。笑
昨年サンパウロのSちゃん家に遊びに行ったときに大きなピアノがあって、Sちゃんママが「いまはSがピアノ習ってるんだよ〜(マナウス時代はSちゃんのお兄ちゃんであるHくん(日本人学校でいっしょだった)がピアノを習っていた)すごく優しい先生でSも楽しくやっている…」と話していたっけ。すごい偶然です! 
ともだち1ともだち2

弓場の子どもたちとすっかり仲良くなって、私たちがどこにいるのか確認することさえせずに、楽しそうにご飯を食べるU。
ご飯の前には、「着替えちょうだい!昴くんとお風呂入ってくる!」と言ってアッという間に去って行っちゃうし。

ディスコ?!「弓場は朝が早いから夜もみなさん早くお休みになるんでしょう?」って炊事場で食事の下ごしらえを手伝いながら○子さん(名前が分からない…)に聞いたら笑いながら
「いや、遅い」って。笑
私が驚いてると「あ、だけど昼寝するから」って。笑(注:もちろん早く休まれる方もいます)
この日も本番を前にして「大丈夫なの〜?!」とこちらが聞きたくなるくらい、夜も更けるまで、飲んだり、しゃべったり…が続いていました。
上の写真は深夜12:00頃撮影…。お先に失礼しまーす…Zzzz…な私たちでした。


弓場で出会った人たちの中には、ブラジル国内からはもちろん、遠く日本からはるばるやってきた人、またその中にはリピーターの人もいたり、JICAでブラジルに派遣されている人、バックパッカーで南米の旅の途中で弓場が気に入ってそのまま居ついちゃったという若者がふたりもいたり。(ふたりはそれぞれ一人旅で別の時期にやってきた)

みんなここを訪れた若者たちは、宿をお借りするかわりに、農園で働いたり、まかないをしたり、でもゆっくりする人もいたり、自分のできることを出来る範囲でやりながら過ごしています。

私がよくお話をさせて貰った女性たちは、それぞれが一人旅で弓場に来られていて、『移民と野球』について本を執筆するのが夢で南米を旅している20代の女の子や、やはりバックパッカーで南米を一年かけて旅している女の子、南米にいる彼に会うために“ただ飛行機で行くんじゃつまらないから”と言って一年半かけてバイクで世界を半周しながらブラジルで彼と再会したという女性、それからJICAから日本語講師でサンパウロに来られている女性は鳥が大好きでトランクひとつ分のカメラと機材を持って来られていて、弓場で撮ったというかわいい鳥の写真を見せてくれました。

いやぁマナウスで平和ボケしてしまってる私にとって、みなさんから聞く話は久々にとっても刺激的なのでした!笑


                                       <つづく>



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