2005年12月09日

地層

登下校にもだいぶ慣れました。といってものろのろなのはあまり変わりません。(ゲネまでに治ると思っていたのですが、現実は甘くないですね。半治くらいの状態で参加します。)絶対座りたいから、急行に乗れないのが面倒だけれども、その分、まとまった読書ができるようになりました。今読んでいるのは「社会科学における人間」。経済史の小○塚先生のお師匠さん、大塚久雄の本。題名はいかにも難しそうで、どきどきしながら読み始めたのだけれども、若者向けの講演をまとめたものなので、とても読みやすいし、わかりやすいです。経済学の前提が社会的錯覚にある、ということがある部分に書かれていて、ほ〜と思いました。

今日の授業は企業経済と経済史。企業経済、難しかった…。助けて〜経済史は今日から先生が替わりました。西洋経済史ほどわくわくするものを感じませんでした。まぁ、今日は初回だからしょうがないのかな。キーボードの配列がなぜQWERTになったのかという話を聴きました。タイプライター時代に、隣接した文字が連続して打たれると、キーが絡まるため、隣接文字が単語になりにくい配列として生み出されたものらしいです。で、それがなぜ今も受け継がれているかって話のほうが大事だったのですが、残念ながらそんなに興味をそそる内容ではありませんでした。

今日はnonさんとJさんにご馳走していただきました。ありがとうございます。

地層の集合体と化した部屋を何とかします。で、同窓会の出欠用の葉書と定期演奏会用の譜面一式を見つけます。そして、遅ればせながらこれから参加することになる毎日練に備えます。ふん。

  

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2005年11月17日

題名思い浮かばない

昨日遅くまで統計をやっていたら、今日は久々に寝坊してしまいましたといっても起きたのは十時過ぎだから、昔の私からしたら早起きです。一限のチャイ語を寝ブッチしてしまいました(:_;)

「悪魔の発明」という短いアートアニメを見ながら身支度♪メリエスとヴェルヌの影響を強く受けているらしいです。予備知識無しの私でもそれは感じました。私が最近よく見ているヤン・シュワンクマイエルほどのファンキーさはないけど、不思議な世界にひたすら浸るにはお勧めです。テーマは端的に言っちゃうと、科学の悪用にたいする警鐘です。

それから統計とマクロをひたすら勉強してから、学校に行って応用倫理学の授業を受けました。

脳死臓器移植が今日のお題。

「シカゴ・ホープ」というドラマを見ました。ものすごく要約すると、臓器移植を受ければ命が救われるかもしれない赤ちゃんのために無脳児を犠牲にすべきか、ということを巡る物語。結局無脳児の命を犠牲にして、臓器移植をし、レピシエントの命は救われます。

倫理的にそれはよかったのか。私はNOと言いたいなぁ。ものすごく悩むけど。

命の軽重って人が比較できることなのだろうか。二人とも死ぬところだったのに一人助かったからいいじゃん、という意見も実感としてはよくわかるけど、そういう考えって命を数値化している気がする。2=1+1>1>0とかそんな計算が出来るようなものじゃないと思うな。命の所有者(?)からすると自分の命ってそれがないかぎり本当に何も無い、という絶対的なもの。(各々がそうした絶対的なものを孕んでいるからこそ、倫理の問題なんかは出てくると思うんだけどね。)その人にとっての絶対的なものを奪う権利の由来ってあるのだろうか。なんてね。

いろいろ訳あって、私は脳死臓器移植には反対だし、自分もドナーになりたくないと思ってます。一番の理由はドナー側の立場が弱くなってしまうこと。脳死になったあとに、残った情念、みたいなもので、(私の臓器を取らないで〜)と思ったところで、誰にも伝わらない。「死人に口無し」状態です。あと、移植を進めようとする大きな流れの中で、脳死者以外にも、無脳児、あとアメリカで論議されているようですが、植物状態の患者、精神異常者などもドナーにされてしまう可能性があるということ。善意であっても臓器の交流が増えてくると、こうした流れはきっと避けられない。で、臓器を提供するという行為は、こうした流れへの加担になってしまうかもしれない。「命の意味ってなんだろう?」ということが物理的に問われる世の中になってしまう。それとそうしたときに「死」と定義された人たちの現状維持をしたくても、いったん死の範囲が広げられてしまうと、よっぽどのお金が無いと無理であり、貧富の差が延命処置にまで影を落とすことになってしまう。あと、貧しい人の臓器が奪われるような犯罪もたくさん起きるだろうね。現に南米や東南アジアでは臓器を目的としたキッドナッピングがあるみたいだし。

けど、自分が臓器を必要としたときに、移植はいりません!といえるほどの強さは持ってません。あと目の前の人が、臓器移植さえ受ければ助かる状況にあったら、私はたぶん移植を受けられるように応援するだろうなぁ。難しい〜。

放課後には駒場祭用の舞台背景を作りました。大道具の人が全員+去年の大道具係の人たちも参加してくれて、さらにお手伝いもしていただいて、スムーズにことが運びました。今週末は安心して静岡に帰れそうです。いろんな親戚に会うのですが、大学生にもなるとさすがに大人扱いだと思うので、どきどきです。

  
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2005年11月13日

Englishspeeeeeeech!!!!!

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英検終わった……お疲れ自分

今日は英検の二次試験でした。場所は神田。頭の中で「神田川」を口ずさみながら行く…しかしついたところは洗練されてない新宿って感じの風情。あ〜あ。

集合時刻より少し早めに会場に入ったら、意外とスピーディーにことが進みました。

試験教室の前で待っていたら、自分より四つ前の人が教室から出てきました。…この子、明らかに小1なんですけど…。帰国子女なら英語はしゃべれるだろうけど、政治や社会や科学や倫理などについてスピーチできるのかな…。

今回はがんばって勉強しただけに、緊張しました。東大入試のときよりも緊張しました。

さて、お呼びがかかって、試験教室に通される…。

P ”Hello!!!”(元気よく挨拶

試験官二名   ………(無言で顔さえ上げない)

ものすごく悲しくなりました。人としてどうなの?

試験官はプーチンさん似のネイティヴと、扇千景を悪くしたようなおばあさん。

スピーチのトピックは「科学技術は人類にいつも恩恵を与えるか」というのにしました。


「科学技術は人類にいつも恩恵を与えるか」


INTRODUCTION

今日、科学技術のおかげで私たちは携帯電話を使えたり、適切な医療を受けられたりする。

それでは科学技術は人類にいつも恩恵を与えるのであろうか。

BODY

私はそうは思わない。

確かに、科学技術のおかげで私たちは携帯電話を使えたり、適切な医療を受けられたりする。

しかし、科学技術がいつも私たちに恩恵を与えるわけではない。

ex 兵器、特に核兵器

  遺伝子工学の悪用 特に遺伝子組み換え食品の安全性に対する疑念

技術の進歩に社会における倫理の進歩が追いついていないのです。

CONCLUSION

科学技術がいつも私たちに恩恵を与えるわけではない


Q 遺伝子組み換え食品がなぜ危険なのか。

A 私はこんなニュースを聞いたことがあります。遺伝子組み換えコーンの上で虫が大量に死んでいる写真を。虫に危険な食べ物は人間にも危険だ。

Q 適切な医療とは?

A 個人個人の病状に合った治療です。遺伝子情報にあわせたりします。

Q 遺伝子組み換え食品はコーンのほかに何があるか。

A ポテト、トマト、大豆などです。


今、思い返すと結構論理的に穴だらけだ…。まぁ、本番で緊張してたから、こんなもんかな。Timingはよかったです。ちょうど規定時間の二分でした。

可もなく不可もなく、という感じです。そつなくやったというだけです。相手側が異様に冷めていたので、あんまり楽しい面接じゃなかったです。

合格したいです!!!!!!

そのあと、神田をぶらぶら。店はほとんどしまっていて、開いてる店といえばラーメン屋とチェーン店と江戸っ子寿司くらい。つまらん町だ。

そのあと、家に帰って趣味のお裁縫をやってから、○○○んとデートをするために渋谷へ一緒に六本木ヒルズのダヴィンチ展を見に行きました。最終日なのでものすごく混んでいて、結局全部回るのにたぶん三時間以上かかりました。けど、そのおかげ(?)かおたがいゆっくり話ができました。とっても楽しかった今日一番のつぼは、○○○んが「バネの力の研究」というのをどういうわけか「バカの研究」と読み間違えたことですまたデートしようね

  
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2005年11月11日

月曜日から

月曜日からずっと七時前におきている。こんなに早起きが連続していて大丈夫だろうか…。

今日は朝からDanとのレッスン。乗る電車を間違えたため、間に合うはずの時間にすこし遅刻してしまった。

しゃべったトピックは、「男女別学の功罪」と「最近の若者はselfishになっているか」。

「男女別学の功罪」のスピーチは褒められた〜


「男女別学の功罪」

introduction

日本には女子高・男子校がたくさんある。功罪ともにあるので紹介しましょう。

pro

異性からの評価を気にせず、自己表現をすることができる

女性の場合は、実際の社会では低い立場におかれがちだが、別学にすることによって差別を受けずにすむ

con

異性との交渉が苦手になってしまう可能性もある

in conclusion…

男女別学には以上のような功罪があるのです

 

質疑応答

Q.なぜ日本には男女別学が多いのか

A.イエ制度のため、伝統的に女性が低い地位に置かれていたから。しかし、女性の地位が向上した今は、別学校が少なくなってきている。特に静岡などの地方都市では。(もう今じゃ女子校は英和、双葉、聖心、精華、男子校は聖光くらいだと思う)


一分で考えなくちゃいけないからしょうがないけど、底が浅い。こうやってみてみると、どうしても女性サイドに偏った意見ですな。

男子校・女子校、どっちが先にできたかというと、男子校なんだけど、なぜ男子校なるものができたかということにも触れなくちゃいけなかった。

とかいろいろ考えていたら、今日の経済史の授業で「家」の話が出てきて、Yes,BINGO!!て感じだった。

なぜ、男性から先に学校に行くようになったのか、とかそういうことがするすると判った気になった。

(経済史、面白すぎ!!)

あと、このトピックに関してもうひとつ考察ができた。

昔、学校に通えたような良家の子女は、親の意思の働かないところで異性と出会ってしまっては、当時イエ同士のものであった結婚に差しさわりが生まれたのであろう。だから、そういう可能性をシャットアウトするためにも別学は必要だったのかもしれない。

私が通っている大学には、男子校・女子校出身者がものすごく多いんだけど、実際どういう世界だったんだろう?すごく興味がある。そういう人たちがこのトピックに答えたら、もっと面白い意見が出せるんだろうな。

そういえば、この前、女子高のお話である「blue」という映画を観た。すごく好きになった。けど、わからないひだひだした部分とかあったなぁ。共学校とは明らかに違う世界。

♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪

レッスンの後に、クラスメイトにお食事に誘われたけど、お金がなくていけませんでした(;_;)

さて、そんなわけで高田馬場をぶらぶら。

駅ビルっぽいところで、大古本市をやっていたのでふらりと立ち寄る。

『田舎教師』(田山花袋) ¥600

『新聞の歴史』(昭和22年の本!) ¥400

『正岡子規』(昭和20年の本!) ¥300

田舎教師と正岡子規はジャケ買いです。田舎教師の装丁は今じゃあまりないような素敵さ。すんごいむかしのハードカバーの本。正岡子規は油紙に包まれていて、水墨画っぽい竹の絵が描いてある。

読むのが楽しみ〜

 

 

 

  
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2005年09月06日

どこに移住しよう?3

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バトン溜めまくっててすみませんなPさん(←自分で言うときもいね)です。いろいろ質問されると一生懸命になりすぎてしまうのです。そして途中で燃え尽きることが多いので、元気なときにぱーっとやるね

今日は専門の試験でした。戦略が必要だ…。ミクロで巻き返そう(?)たぶん単位はくるとは思うけど…(どきどき)

今日はテストが終わってから、気になっていた本、というかテキスト(in本郷総合図書館)を読み始めました。教育経営論。題名だけでもわくわくしませんか、わくわくするんです。テスト前なので、一時間と時間を区切って、第一章の途中まで読みました。ノートまで作ってしまった(燃えすぎ…)

で、その後スピーチの草稿を作って、Dan(英語の先生)のもとに行きました。Dan最高〜ただ、昨日の睡眠時間が足りなかったせいで、いつもにも増して言いたいことがいえなくて困りました。グローバライゼーションの話が出たときに、経済原論にあった「(国家とは相反するはずの)グローバライゼーションを進める主体が国家である」ことの不思議さを伝えたかったのだけれども、単なる反グローバル主義のようにとられてしまったのが今日の一番の残念あと、言葉が詰まると文法がぐじゃぐじゃになってしまったり、同士の使い方が不適切になってしまったりすること、それとスピーチのイントロが長すぎることを反省しなくっちゃ今度Danと会うのは一週間以上もあとです。寂しいなぁ

で、帰りに新星堂に寄って、安いDVDがないかなぁとチェキラしたら、見つけてしまいました。…カール・ドライヤーの『裁かるるジャンヌ』(題名うろ覚え)。彼の『ヴァンパイア』を先日見たのですが、かなりの衝撃を受けて、頭の中の「注目リスト」にカール・ドライヤーという単語を入れちゃったのです。安売りDVDの中にまぎれていたそのDVDのお値段は5000円超でした。TSUTAYAに置いてあるといいなぁ〜

なんか題名とぜんぜん関係ない記事になっちゃった題名は私の最近の妄想のねたです。今のところベストな選択肢は銀座です。…無理〜

  
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今日は試験2

ちゃんと計画を立てなかったので、詰めの甘甘な勉強になってしまいました。単位は来ないのだろうか、いや、来るだろう(願望的反語表現)。勉強をしていたら、三時になってしまい、明日の朝六時に起きられるか危うくなりました。というわけで、巨匠M本氏に教わったばっちり目が覚める技をやっています。電気の付いた部屋の床で寝る… …起きる以前に眠れないよ…  
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2005年08月26日

医学に接する《四日目》

リハビリテーション医学の二日目です。  
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2005年08月24日

医学に接する《三日目》

今日はリハビリテーション医学に接してきました。

去年の基礎演の先生にそっくりな今日の担当の先生の話はとても面白いものでした。自分の専門と世界、さらに歴史を結びつけたさまざまな話をしてくださいました。東大病院リハビリテーション科は、1950年代の段階で構想があったにもかかわらず、今のような形になったのはつい最近のことのようです。というのも、日本にリハビリテーションを受け入れる土壌と言うものが育っていなかったからです。欧米とは完全に違う歴史を持っているから、当然と言えるかもしれませんね。

最初に、リハビリテーション科内の医師たちが患者ひとりひとりの状況を共有している場面に混じりました。病理学とは違って、個人個人の物語を語るようなものなので、とてもわかりやすく、睡魔に襲われることもありませんでした。そうした違いこそが両者の間の根本的な違いなのかなぁとも思いました。

その後、回診についていきました。病室に入る前に、一回一回必ず殺菌手洗いマシーンで手をきれいにします。前、CNNでやってたけど、医者の手洗いの不徹底のせいで病気に感染してしまい、さらには死亡してしまう患者さんというのが、潜在的にはとても多いらしいです。一人ひとりの話をゆっくりきいて、体がどれだけ動くかチェックします。患者さんの中には自分より年下の方もいて、不謹慎ながら、改めて自分の体がとりあえずは日常生活をするのに足るものでよかった、と思いました。だからこそ思うのですが、患者さんにはちょっとでもよくなって欲しいなぁ。

その後は、理学療法部門の見学。部分浴用の浴槽とか、電極マシーンとか、片手でらくらくあけられる傘などを見ました。

最後には物理療法部門に行き、鍼灸の先生のお話を聞きました。

実は私、東洋医学に大変興味を持っていて、中学校の頃からこつこつと全身の気穴を覚えていたりしました(笑)面白いよ〜!中三のときに足もみのおじさんのところに通うようになって、反射区の押し方や、対症療法などがかいてあるぶ厚い本を頂いて、読んだりもしました。奥が深くて、大変興味深い世界です。本格的にやるとしたら、それこそ人生をかけることになるでしょう。マッサージ師になるのもいいと思っていたのですが、水虫のおじさんなんかが来て、自分も感染したりしたら最悪だぁ(~0~)と思ってやめました。(お客さんがきれいなお姉さんばっかりだったらいいんだけど)

さて、そこではなんと鍼治療の体験をさせていただくことができました。鍼ってものすごく細いです。

  
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医学に接する《二日目》

朝は成績表を受け取りに行きました。気にしていた中国語も期末の必死の巻き返しでセーフ!!みんなと一緒に三年生になれそうです。いやがらないでね(笑)来学期はコンスタントにがんばるようにしよう…反省。

医学に接する二日目、再び病理学に接してまいりました。

まずは一日目に見た臓器の切片をパラフィン(蝋)に漬ける作業をしました。私は胃の切片を蝋に漬けました。蝋が乾かないうちに形を整えようと思っていじくったら、思わぬ形に蝋が固まってしまいました。先生が「一つ下手糞なのがあるねぇ」とおっ者手下りましたが、おそらく私のです…この段階では、臓器は生きていたものとしての面影をとどめています。

その次に、その蝋の塊を3ミクロンの厚さのシートにする作業をしました。光学顕微鏡で細胞の様子を見やすくするためです。蝋の塊の表面を器具を使って均質に削ります。私は、そこで思わぬ才覚を発揮しました。臓器の削りだしの天才かも知れません…シートになると、臓器はもはや生きていたと言う事実を感じさせないようなものになってしまいます。「細胞」とかと名をつけられることによってやっとこさ捉えられるものになってしまうのです。

シートをスライドガラスに水で貼り付け、水が乾いたら、オーブンのようなものの中で数分温めます。そしたら、スライドガラスをパラフィノール(?)だったかという液に四回つけ、パラフィンを落とします。パラフィノール(?)を落とすために今度はエタノールに四回つけます。最後にエタノールを落とすために水洗いをします。これで、カバーガラスには3ミクロンの厚さの組織のみが乗ることになります。そうしたら、赤い液に漬けて染色します。その後またいろいろな液に漬けます。研究室にはカバーガラス自動装着機みたいなものがありました。見ているだけでも面白い!桜クレパスのサクラが作っていて、400万円くらいだそうです。これでも、下手に人を雇うよりは安いそうです。

実験室のおばあちゃんはとっても面白い方でした。友達によるときききりん(?)に似ているとのことです。

さて、出来上がったプレパラートを顕微鏡でのぞきました。

すごい!!

カンファレンスの時にはまったくわからなかった組織の写真。これが意味を持って私たちの目に飛び込んできたのです。眠くなんかならない。知っていると言うことと知らないと言うことの差を歴然と感じました。がん細胞って、細胞レベルで普通の細胞と明らかに違うんですよ〜!自分で作ったプレパラートをお土産としていただいてきたので、顕微鏡さえあれば、見せます!!お土産としていただいたプレパラート、「プレパラート」というとひどく無機的な感じがするけれども。もとはといえば、臓器なのです。悪夢の原因となるほどの衝撃を私に与えた臓器であり、私の中にあるものと同じ種類のものなのでした。それをもらってしまったと言うことには、それなりの責任を感じます。

ところで、医学部二号館には私たちが作ったような蝋の塊が捨てられることなく残っています。捨てることなんてできませんよね。一番古いものは、原爆症の患者さんのものらしいです。その量は増える一方であるそうです。将来は電子化されるかもしれませんね。

その後、なくなられたばかりの方の解剖の様子を見学しました。

文章にすることは、これによって記憶をある枠組みにはめてしまうことにもなりえるため、大変危険です。けれども、語る、ということで経験との出会いを容易に振り返ることができたり、あまりに衝撃の強い経験であった場合、心への防具をとりつけることにもなると思うのです。けど、不適切だと思うようになったときには、この記事を削除するかもしれません。

まず、解剖室に入ると脱がれた浴衣とおむつがベッドの上にあり、違う世界に来たことを感じました。手術着とマスク、手術帽を身に着け、まずは腸を洗っているところを見学しました。洗っている液体が茶色く染まっていてざぶざぶと流れ出していました。解剖室の中は、解剖医と担当医が二人ずつくらいいました。真ん中に患者さんが横たわっていて、顔はおだやかで、生きている、ということとまったく違うんだ、ということを感じさせました。それっと対照的に切り開かれた部位は原色の赤と黄色をぶつけたような鮮やかさでありました。真っ白な顔に血がついていました。光景としては、それだけのものでありました。

その方にとってはとっても大事な死、という場面の少し後になぜ私が居合わせたかと言うと、それはめぐり合わせとしかいえないのかもしれない。その患者さんはきっと、自分の体を未来に役立てて欲しいから、体を医学部の方に託したのだろう。そこに居合わせた私は、思いをキャッチして何かに生かしていくということを暗黙の義務としなければならないのかもしれない。患者さんはきっと予期はしていなかっただろうけど、死の直後の場面に居合わせた私は経済学部に進む学生で、このままいけば、その体験を直接の形で還元できる可能性は低い。けれども、間接的な形にしても、還元したいとは思うし、私にこれからも影響を与えるものだと思う。よく言われる言葉で言うと、自分の行動に責任を持て、と。その行動が自発的なものという性格とともに、めぐり合わせという偶発的な性格も持っていたのだけれども。

  
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2005年08月22日

医学に接する《一日目》5

今日は朝の八時半から東大病院に忍び込んでいました。

「医学に接する」という理三の一年生向けのゼミがあり、それに友達と二人で参加してきました。今日は人体病理学コースの一日目です。

朝八時すぎに本郷に降り立ち、どきどきしながら東大病院へドラゴン桜に書いてあったけど、理三の人は有名進学校でも宇宙人のような存在らしく、大人になったそんな人たちが集まる場はどんなところだろう、と思いつつ中央診療棟へ。医局に行くのに、診療棟の中で迷ったので、近くにいた方に道を聞いたら、親切にリードしてくださいました。診療棟のスタッフの方だったのですが、古くなった病院が取り壊されることや、病院でも最も古い部分は博物館的に保存するということなどを教えてくださいました。

医局に入って感じたのは中の先生の強権的な態度…。学生を鼻であしらうような感じでした。朝のconferenceというのに混じりました。専門的な話で、細胞や臓器の様子をスライドで見せつつ、ごにょごにょと先生がしゃべる。独り言みたいなしゃべり方…。しかも意味がわからなくって、ついつい舟をこいでしまいましたというわけで、不満たらたらのスタートだったのですが、それもそのはず。このconfeerenceは特にゼミ生のためのものではなく、医局内での打ち合わせみたいなものだったのです。ゼミ生にわかるような簡単な話をしているわけがないですよね。

そのconferenceが終わった後には、担当の先生が病理学について説明をしてくださいました。この先生はとてもいい方でした。組織などの様子を所見して、病気の部位を調査するのが病理学らしいです。最近では遺伝子も範疇に入ってきたらしいです。

その後、医局内の様子を見学しました。研究者さんが、黒くて変形している睾丸を写真と照合しながら、切断していました。誰かのからだの一部が、モノのようになっている、ということを切に感じた一瞬でした。その後、ろうの中に臓器の切片が入っているものが保存されている様子や、顕微鏡でプレパラートを見ている研究者さんたちの様子を見たり、コンピューターシステムの話を聞いたりしました。


お昼休み


医学部の二号館というところに再集合。以下は覚悟のある方だけ読んでください。

土曜日に癌でなくなられた方の臓器が切断される様子を見ました。お盆の上に一人分の臓器が、布をかけられて乗っています。

肝臓 まずは肝臓を見ました。がん細胞に侵された肝臓というのは、まず形がおかしくなっています。腫瘍ができるから、私たちが知っている肝臓の姿とは大きくかけ離れたものになってしまうのです。そして、色が黄疸のため、緑色や黄色になっています。アボカドのような感じです。(アボカド好きな人ごめんなさい)またところどころ出血しています。それを1cmずつ位にスライスします。長いナイフを使ってさーっとやります。そうすると、じわーっと血がにじんできます。さきほど、誰かの体の一部がモノのようになっている、と書いたのですが、ここでは死んだ後でさえも体に残る生、と言うようなものを感じました。今となれば、このように言葉にすることができるけれども、見ているときには正直、わあぁ…と心に感じただけなのです。

 次に肺を見ました。肺も目の前でスライスされたのですが、肺からは茶色い水のような液体がたくさんたくさんひっきりなしに出てきました。お盆の下の布の上に水溜りができました。先ほどのような衝撃をより強く感じました。喫煙していると、肺の上側に黒いものがたくさんたくさんたまって、肺が黒く見えます。健康な肺は、少しくらいの黒い塵がたまっているだけです。喫煙は本当にいいことがありません。喫煙している人は、喫煙している人が癌にかかりやすいというデータを見ても、自分だけは大丈夫な気がして、やはりすい続けてしまうそうです。すっている間に、どんどん黒い物質が肺に詰め込まれていくのです。肺がんはゆっくりと窒息していく病気らしく、大変苦しいようです。喫煙はやめてください。

腎臓 腎臓を見ました。携帯電話と同じくらいの大きさの臓器で、形はそら豆形で、健康なものだとつるんとしていて、きれいです。中の組織の様子も模様のようでした。癌だと、表面がぼこぼこした感じになります。

消化管 消化管も見ました。先のほうに舌べろがついているのが生々しかったです。臓器は普段目にしないから、生きている人と結びつけることが難しいけれども、舌はよく目にするので、そう感じたのだと思います。正常な状態だと、消化管の壁はつるりとしていてきれいなのですが、癌だとしわがよった感じになります。

 胃は別に見ました。胃癌は初期のものだと、表面を胃カメラで取ればいいだけなので、治りやすいらしいです。胃癌は日本人に飛びぬけて多いらしく、食生活の違いだけでこんなに違うとは思えない、遺伝子に問題があるのではないか、と先生はおっしゃっていました。まだはっきりとした原因はわからないようです。

横隔膜 横隔膜もみました。腹式呼吸をするときに横隔膜の重要性が説かれますし、しゃっくりの原因だともされていて、日常意識することが多い割には実態は謎のものでした。本当に膜です。結構大きくて、平たいべろんとしたものでした。

膵臓 膵臓は消化に大事な期間です。ここは本当に体の中(消化管とは違って)なので、病気になっても発見が遅いし、治療も難しいらしいです。

脾臓・骨髄 白血病の方と比較をしてみました。脾臓の方は差が明らかでしたが、骨髄のほうはわかりにくかったです。骨髄移植をしても、適応せず、効果がない場合が多いらしいです。そういえば、最近骨髄バンクのポスターがよくはってありますよね。しっかり知っておくことが必要だと思いました。骨髄バンクについては、白金台の医科学研究所でも骨髄の一部を保管している低温保管機を見たのに、いまだにしっかりと勉強していない自分は失礼だなぁとおもいます。

この切り出しの様子はかなりの衝撃でした。病気に侵された臓器と、健康な臓器は見ただけでも明らかに相違があり、その相違こそが病理学が成り立つゆえんらしいです。中には、見るという方法にあいまいさを感じ、非難する人もいるようですが、臓器に限らず、デジタルではあらわせない見る、と言う行為はとても大事だと思います。漢方医だと、視診、ということをやるそうです。臓器にその人の病状が見えるように、その人の歩き方、話し方、顔色などから病気がわかる。見えるものが全てじゃない、とはいうけれども見える物だって十分大事だと思います。見えるものも見ていない、ということを意識せずにそんな言葉を口にしないようにします。

先生が臓器を扱うときに、手袋をした手で普通に持っていて、もっていない側が空中でぶらぶらしている光景が不思議でした。その臓器がどこから来たかと思うと、不思議に思いませんか。

その後は顕微鏡でがん細胞の様子などを見ました。明日、そういうプレパラートを作る、ということでプレパラートつくりの様子も見学しました。

《二日目》に続く…

  
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