オレンジライン233@TOKYO

−世の中の人におくれをとりぬべし−

2012年11月

来週は低温注意情報が出ている。やはり例年と比べても寒い12月になるか。


11月はもう終わり。12月と聞くだけで気ぜわしくなるが、仕事は迅速に。心は焦らず落ち着いて。

ここから大みそかまでの1ヶ月。1ヶ月だけどいろいろあるんだなあ。



 路地裏の鉄道遺産 30

 2年前に初めて行きましたが、今回は嫁と一緒に行きました。
 今年は全般的に紅葉が早く、散りかけの状態でしたが、我が家の近辺が風が強くて真冬並みの寒さに感じられたのに、現地では不思議と日の光が暖かく、風も柔らかだったのが印象的でした。

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 歴史的な背景については2年前に書いているので割愛させていただきます。
 ただ、その後に襲来した台風で、一部の土砂が崩壊し、基礎の石垣が露出したり、トンネルの地中部分の煉瓦を発掘して公開していたりしていました。
 
 行ったのは平日でしたが、お年寄りらを中心にかなり混雑していました。通常無人駅の定光寺駅にも駅員が出て案内やホーム監視をしていました。といってもTOICA管内で気軽に行ける距離というのが後押しするようです。今回の秋の特別公開では、計6日間で約19,000人の入場者があったと記録されていました。年毎に増えているようです。

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 非常に風光明美な定光寺駅。しかし、橋の反対側には、倒産して廃墟と化した駅前旅館の残骸がそのまま残されており、今年の8月にも建物内で座った状態での性別不明遺体が発見されたそうな・・・。

そんな気分である。
11月最終週、先週の業者会終了、そしておせちの受注。すべて予定通りの流れ。それに身をゆだねて12月31日まで走る。
だからこそ、年明けすぐの納期があるようで実は全くないという話を初めて聞いたときは、ガクッと来た。
これはモチベーション湧かないよ。

いつの間にかコートのいる寒さに。車内の暖房が恋しい。11月ってこんなに寒かったっけ。


スマホから初めての投稿。

 昨日、ようやくスマホに変更しました(前のケータイがメモリ一杯のため)。もちろんiPhoneではありません。
 すべてが新しい環境の中で戸惑っています。いきなりGmailとやらに登録しなければならないところからストレスが発生し、ケータイで慣れ親しんだかゆい所にまで手が届く独特の機能を失って全部アプリとやらで取り込まなければならないというシンプルになってんだか不親切なんだかよくわからない話で、
 極端なことを言えば、TwitterとかFacebookとか、今回のスマホとか、そのようなサービスを使うかどうかはその人次第と言いながら、社会の状況がまるで使わなければ時代遅れ、置いてかれるというところへ追い込んでいくことが実に世知辛い。
 スマホを買ってきたらアダプタが付いてこなくて、今までケータイで使っていたアダプタに接続して再利用せよという。使ってみたらフル充電するのに何時間かかることやら。だいたい今まで使っていたアダプタ自体もう5、6年も前のだよ。どこまでケチるんだ。そしてどこで電池を食っているんだか知らないが、わずか1日で電池無くなるし。
 極めつけは、昨晩不要な設定を取り消していたら、いつの間にか壁紙の時計や電池表示の自動更新も取り消していたらしく、今日のお昼になっても時計が昨晩のままという、
 どうも僕は、あらかじめ実施可能な枠の中で整然と物事を進めていくことに長けているらしく、その枠をどうするかまであなた次第ですよと言われると、どこまで何をやっていいのか分からず、戸惑い、ストレスになり、何も進まなくなる。あまり進化を求められても、困るというわけだ。

 FacebookとTwitterとLINEは意地でもやらないでおこう。

紅葉ライトアップ中止も 京の社寺「役目終えた」
京都新聞 11月15日(木)15時39分配信

 紅葉の時期に寺院の庭や建物をライトアップする夜間拝観が京都市内で盛んだが、一方で中止する寺院や施設もある。「観光客に新たな魅力を味わってもらえた」と肯定する声がある半面、「ライトアップが増えすぎて目立たくなった」という事情もあるようだ。
 黒い床に赤いモミジが映り込む「床もみじ」で有名になった、京都市左京区岩倉の実相院は今年、ライトアップをやめた。街中から離れているため、寺の認知度アップも狙って1998年に始め、近年は多くの観光客でにぎわった。同院の岩谷千寿子さんは「周辺住民の理解もあり、観光客に喜んでもらえたと思うが、昼間の拝観者も増えたため役割を終えた」と説明する。
  市内で寺院のライトアップが広がったのは90年代前半。94年の平安建都1200年に向けて行政が呼び掛けたのがきっかけとなった。その後増え続け、現在は約20寺社で行われ、多くの観光客が訪れる。
 嵐山モンキーパークいわたやま(右京区)は2006年にライトアップを始めたが、4年間でやめた。浅葉慎介園長は「お客さんは増えたが、職員の勤務時間が長くなり疲れ切ってしまった」と話す。家族で守っている寺も同様で、世界遺産の高山寺(同)は「観光シーズンは朝早く来られる参拝者が多く、朝も夜もとなるととても無理。山寺なので、防犯面も難しい」という。
 圓光寺(左京区)は、92年に清水寺とともに始めたパイオニア的存在だが、09年にやめた。近所への配慮や照明設備の老朽化に加え、別の理由もある。大坪慶寛住職は「長年、光を当ててきたためか、少し木が弱ってきて、かわいそうになった」と明かす。「始めた当時は、インパクトが大きかったが、こんなにライトアップ寺院が増えるともう目立たない」と話している。


 なるほどね。最近は日本全国あちこちでいろいろなものをライトアップするようになり、目新しさもなくなってきました。だいたい中途半端なライトアップをすると、普段見える景色も見えなくなります。

 京都は寺社観光が中心だったので夜出歩くところがなく、そこでライトアップが登場し目玉となってきたわけですが、期間限定といえども少々騒々しすぎるようで、暗い夜道をひたひたと歩くのもいいもんですよ。京都の夜道は大切な思い出ですね。

昨日の放送だが、歴代最低の7.3%を記録したそうな。
あの出来で7.3%か…。以仁王の令旨を滔々と読み上げた番組は初めてだ。Twitterでは出されていたが、ほぼ原文に忠実に訳されていたとのこと。あんなことが書かれてたのねと納得。

あと6回ですが、すべて録画したい感じ。ますます物の怪の血が表に出てくる。終わってしまうのがもったいない。

12月23日の最終回がクリスマス商戦に引っ掛かり、たぶんリアルタイムで見ることができないのが悔しいです。

 前回も写真を出したが、パリで最初に2泊したのが、リヨン駅の横にあるホテルであった。
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 リヨン駅はTGVも発着するパリの主要ターミナルの一つで、南東・地中海方面に向かう長距離列車と、近距離鉄道(RER)、メトロも通っている。RERとメトロは別の地下駅に発着する。なお、「リヨン方面に向かう列車が発着する」ため、リヨン駅という。リヨン市の駅ではない。正しくは、「パリ・リヨン駅」ということになる。
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 ドーム型天井に覆われた典型的な頭端駅スタイルで、様々な人が出入りしている。長距離列車ホームには移民や出稼ぎ労働者、旅人風の方も多い。
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 これがあのTGVである。日本の新幹線の営業速度を初めて上回ったフランス自慢の高速列車、実際にこの目で見ると感動する。
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 これはたぶん普通列車だと思うが、詳細不明。しかしトランジリアン(パリ近郊輸送サービス)と書かれている。
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 駅前広場。周りの道路から少し傾斜がついており、高台のようになっている。調べてみると、セーヌ川の氾濫を防ぐため盛り土をしたと書かれていた。手前に並んでいる自転車は、レンタサイクルのようなもの。それ以上にバイクの駐車がものすごく、ホテルの利用も相まってバスやタクシーがひっきりなしに出入りしている。
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 日本ではなかなかこのような駅は無い。あえて言うなら南海難波駅に似ている。それにしてもあれだけの高さの時計台は無い。そして、駅構内の自由な感じと、異国情緒漂う雰囲気は、ここがパリの玄関口の一つであるということを如実に表している。

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 次はメトロ(地下鉄)である。パリの地下鉄は1900年のパリ万博の際に作られたのが最初で、14路線ある。これも前回書いたが、高架になっている区間があるのだが、インフラ設備がものすごく貧弱で、こんなんでよいのかと不安に思うくらいである。地下の通路もせまい。こちらはホテルの最寄り駅(グラシエール)の入り口。6号線はパリの南半分をほぼ環状しており、1942年に全線開通している。
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 改札口は自動化されている。おおよそ仕組みは日本と同じだが、均一区間外へ出る場合、「乗り越し精算」という制度が一切ないそうで、追加料金を払えば良いという概念が無く、逆になぜ目的地までの切符が無いのだと罰金が科される。
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 ホームの様子は地上の駅でも地下駅でも大体同じで、日本の地下鉄と同じように皆粛々と列車を待っているという感じである。案内板に書かれている数字は、あと●分で次の列車が来るか、というのを知らせている。なお日本と違って案内放送や発車チャイムの類は一切ない。車掌も一切放送を入れない。次の駅が何だとも言わない。案内表示もない。したがって、ひたすら路線図と駅名板を見比べていくしか手が無い。
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 車両はどこも大体同じのようで、ゴムタイヤ方式の路線もあるらしい。駅に着く手前にドアのロックが外れるので、皆手で勝手に開けて出ていく。チャイムもなくいきなりドアが閉まるので、駆け込みすると挟まる。スリはドアが閉まる寸前に財布を抜き取ってホームに出るらしい。
 日本の地下鉄と同様、ほとんどが学生やビジネスマンで、車内でも駅のホームでも勝手気ままにぺらぺらしゃべっている感じ。それは日本と全く同じである。僕はメトロの雰囲気は好きだが、嫁は見知らぬ異国の路線ということで警戒していた。同じ電車ならどこの国でもたいした違いは無いというのが、今回パリの鉄道を体験した僕の持論である。特に、23時を回った深夜のあの雰囲気は、すごく現地に馴染んだ感じがあって印象深かった。

 昨日、今日と会社の出張で香川県にいた。現地はバス移動だったが、そこまでは電車。
 久しぶりの新幹線(今年に入って必要がなければ使わないので)と、結構よく乗っている瀬戸大橋線。四国は用事がなきゃ全く行くこともない人が多い中、これで6回目。いつもこの橋を通って向かう。慣れた道である。
 産地見学もあったので、途中船にも乗ったのだが、沖合いから屋島を眺め、そういえばパート合宿では屋島に行く予定だったが、台風で行けなかったのだな、なんてこと思い出したが、すぐに船酔いになってしまいそれどころではなかった。

 出張の時は一人で特に用事がなければ部屋にこもってずっとテレビを見ているのだが、今回はオマーン戦を見るため初めからテレビを見る決意をしていた。しかし、昨日今日とニュースが立て込みましたね。衆院解散に森光子さん死去、今日は中国新体制の発足と、三宅久之さんも亡くなりました。「ニュースの特異日」というやつです。森繁久彌が死んだ日も、市橋達也の逮捕が重なってマスコミは大騒ぎになった。古くは阪急ブレーブス売却発表とロッテ近鉄ダブルヘッダーが同日、ホテルニュージャパン火災の翌朝に日航「逆噴射」墜落事故など、そんな日がたまにあるのです。

 今回の出張は、最後の最後にミスを犯したのと、香川県は温暖だと聞いていたのに何の因果かものすごく風が冷たく寒い日になってしまったという点でも、印象に残るものとなりました。

 パリを訪れて感じたのですが、よく「ヨーロッパは地震がないから日本と違って中世の建物が残っている」と言われますが、そんなもんじゃない。とにかく日本の観点からみると恐ろしいほどに古い建物だらけだということです。
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 こちらはリヨン駅。左側が駅舎で、真ん中に時計台(塔)。右側がホテルである。この駅舎は1900年に建設されたようですが、その中の時計台が異様に高く、ビッグサイズなのである。

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 お次は凱旋門。これ1本の柱というか、足が想像以上に太い(大きい)。1836年にできたといいますから、それから一度も地震が起きていないのでしょうか。これ全部、たぶん大理石でしょう。
 日本の場合、近代に至るまではこのような大きさの建築物をつくることができません。というか、ある程度古くなったら建て直すことを前提にしてつくりますから。木を組むにせよ、限界もありますし、何より地震が怖いですね。

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 街のど真ん中にこんな高い大聖堂なんて、無理でしょう。ちなみにこのシャルトル大聖堂は高さ113m、1220年頃から変わらずそびえ立っています。こんなの見ちゃうとますます無理、日本の伝統的な建物ってスケール感ないなーって、否が応でも思ってしまいます。

 調べると、フランスでも確かに地震はあります。でもそれは東部や南部の話で、パリは有史以来ほとんど地震に見舞われたことはありません。大都市部で地震が起きれば悲劇ですが、一度もそのような悲劇に見舞われたことがないということは、実に幸せなことですね。
 その代わり、インフラ設備は実に貧弱で、高架橋の橋桁なんかも細ーく、日本人なら、今地震が起きたらどうしようなんて考えますけど、現地の人なんてそんな考えすら頭に思い浮かばないんだろうね。

 それから、これも地震の少なさに起因していることなのかは知らないけれど、フランス人というのは、古いものを直し直し使い続けていくことに美徳を感じるそうな。電化製品やインフラ設備でも。そういえばフランスに入ってから現地のクルマはどんなんだろうと眺め続けていたが、想像以上に(日本で言うと)古く年季が入った車が多かった。日本などのアジア人は、災害が頻発し所有物を一瞬にして失うことが多いというのが変な方向に発展して、何でも新しけりゃいいという使い捨て文化になってしまったけれど、その反動で製品の品質を上げ、細かな仕事に注力する風土を生みだした。欧米はたぶんその逆。失われないんだから不便でも使い続ける。

 今日のキヨちゃん(最近親しみを込めてこう呼んでいる)の後半は見ていて寒気がした。
 何より松山ケンイチの老けた顔が、「新・平家物語」の仲代達矢にそっくりに見えた。老けメイクは別として、表情が。どんどん気持ち悪いぐらいに権力の魔物に取りつかれ正常な判断ができなくなっていく。

 祇園女御(乙前)が清盛の前から姿を消してしまうというのは、ついに清盛の強運が離れていくという暗示・・・ただ、あれは幽霊だろう。ツイッター見ていたら、ある時期から祇園女御は後白河と清盛の前にしか登場していないらしい。

 最後の場面、清盛が見た景色(そこからの眺め)は真っ暗で何も表現されていない。ストーリー本とは少し演出が違う。本来であれば日の光降り注ぐ中庭が見えるはずなのだが、清盛の瞳には一切光が差し込んでいなかった。そして暗転する。平家の運命もいよいよ真っ逆さまに落ちていく。こんなに暗く不気味なラスト5回というのは過去の大河では初めてだ。これは予想できない。

 ちなみに、ドラマで描かれていた、言仁親王(安徳帝)が穴をあけた障子を清盛が保管しておけと命じたエピソードは、史実らしいですよ。

 金曜が食育、今日が開発会議であった。なぜ週末に向けて予定を立て込ませるのか、といっても食育は先方の都合だから仕方ないが、最初のうちは「好意」で始めた応援が、次第に「依頼」となり、いつの間にか「義務」というか「当然」であると思われているのもどうかと思う。ただ、最近ようやく一連の流れがシステム化というか、ある程度自動的に流れるようになってきた。

 他の仕事もだが、昨年トラブったことを、今年も同じようにトラブるのは、非常に恥ずかしいことだと思う。何のために経験を積んでいるのかと思う。だから、せめて昨年に経験したことは日報に残しておき、今年も時期が近付くと読み返し、流れを理解し、今年の日程にあてはめてタスク化してしまう。そういうことをしないと、「こなす」仕事が増えず、全部場当たり的で労力を使う仕事になってしまう。自分の中でそういう仕事はとっても嫌。

 ただ、今日の会議を見ていると、特に営業部においては「昨年と同じ」は厳禁で、提案を出していかなくてはいけない。そういう能力はあまり自分は長けていないので、営業部の思考というのはある意味すごいなあと思っている。あんまり流れを重視しようとすると、新たな仕事を横やりととらえて容易に受け付けなくなってしまうので。その辺は柔軟に対応。

 いつの間にか今年も50日。あまり余裕はない。

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 京都にドライブ行ったら、城南宮が七五三で変なことになっていた。
 このあたりは以前に曲水の宴やらで来たことがあるので、鳥羽離宮絡みを軽めに済ませて、南山城へ。城南宮から1時間少々で、木津川市(旧加茂町)に着く。海住山寺だ。
 結構な急勾配の山道だった。これは車でないと難しいだろう。駅からだとタクシーか。ただ運転者の立場から言うと、坂道よりも、その手前の集落の中を通る離合不可の細道が怖かった。向こうから来たらどないするねん。

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 鎌倉時代建立の五重塔、屋外物としては日本で2番目に小さい(一番小さいのは室生寺)。初層内部を拝観できたし、本堂も内陣まで入れて結構見応えがあった。3時半ごろに着いたのだが、4時頃の時点で日もだいぶ陰ってきて物寂しい感じ。
 「海住山寺」の寺名の由来は、南海にあるといわれる観音の浄土・補陀洛山にちなんでというが、ここからの風景は、まさに大海原の中に浮かぶ島の上にあるが如くである。
 このすぐ下の木津川沿いには、聖武天皇の時代に都が置かれた。恭仁京である。すぐに近江に移ってしまったので、跡地は山城国分寺になったというが、現在は何もなく礎石と草原、石碑だけが残る。
 今回は時間がなかったので車窓からチラリだけだったが、次はここと笠置、あと浄瑠璃寺も近いので巡ってみたいなと思った。
 紅葉もいよいよ始まりますね。
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ちゃんとやれよ、仕事を最後まで。
見積もりの依頼や条件だの全部決めて、一方で現物もこちらに一度も見せず、打診も相談もなく、

決まりました。

→数量はそっちで営業と相談して決めてください。

→3社見積もり添付します。業者決めてください。


2件とも社内ながら担当者を絞め殺してやりたい気分である。条件バラバラ、しかも一部現実不可能な条件が付いている。仕事振りが甘いねえ。というかそれで仕事してるのかねえ。

事前に少しくらい話があれば助言したものを。それもないので感知しないことにした。

しかしわが社が業者から舐められるといけないので、個別に裏取りはしておく。どうせ年末に表に出てやらなければならないのはこちらだ。
一応覚悟はしておく。ただで使われるつもりはないが。

 ストーリー本も完結編が出版され、いよいよ最後が見えてきました。清盛の「最期」が。
 来週重盛が死ぬので、後白河院幽閉、安徳帝即位、以仁王挙兵、頼朝挙兵、そして最終回へと続くのです。
 
 Wikipediaで「新・平家物語」と比べてみましたが、あっちの方は清盛が死んでから平家滅亡まで数回あるのです。しかし最近の大河に限って主人公がいない回というのは基本的に存在しないので、最終回で「清盛逝去」から壇ノ浦まで一気に見せ(途中の一ノ谷などは割愛)、ストーリー本によると義経自害までやるという。「義経」じゃあるまいし、そこまでやらなくてもいいじゃんと思いつつ、どうもこのドラマでの源頼朝は草食系で困る。頼朝といえば「義経」の時の中井貴一がよかった。その時の北条政子は財前直見だった。「草燃える」は、頼朝が石坂浩二で政子は岩下志麻だった。今回の杏といい、政子はいつも肉食系みたいな女優が演じる。にしても今回は両極端すぎる。
 ストーリー本を読んでいたら、北条政子の特集で、1218年に朝廷から「政子」の名を賜ると書かれてあり、それ以前の名前は不明とのことだった。「政」の字も、父親北条時政の一字から取ったとのことで、それ以前の記述はない。政子さんは本当は何というお名前だったんでしょうか。仮にも武士の娘なので名無しということはあるまいに。

 ところで、ストーリー本を読んでいると、清盛の晩年に仏御前という、清盛の母親に酷似した人物(白拍子)が現れるのですが、それを木村多江が演じるとか。木村多江ね・・・それを知った時点でこの登場人物の行く末が見えてくるようです。この大河の終盤は、他と比べてもちょっとハードすぎるようです。

 JR大阪駅構内に、関西最大の駅ナカ施設「エキマルシェ大阪」が開業した。

 エキマルシェ大阪

 関西においてあまり駅ナカ施設というのはこれまで作られなかったが、JR西日本の大阪ステーションシティに設置されたことで、開発競争の火ぶたが切られることになる。
 阪急うめだ本店が10月リニューアルオープンしており、JR大阪三越伊勢丹は苦戦を強いられている。一方専門店を大幅に組み込んだ南側の大丸は好調が続く。JRとしてはお膝元の大阪駅での私鉄各社との競争に負けるわけにはいかない。

 これで大阪ステーションシティはすべての施設が開業したわけだが、開発会社や形態がいろいろ複雑なうえ、リニューアルオープンで施設名称が変わっていたりするので、僕のような数年前を知る者にとっては今の大阪駅は分かりづらい。それは東京駅も同じかもしれないが、東京駅はほぼ鉄道系ではJR独占のため、大阪駅の方が競争がよりリアルに伝わってくる感じがする。

 ただ問題は、来年春に、大阪駅すぐ北の旧貨物ヤードの跡地に「グランフロント大阪」が開業し、競争がより激化するというのがある。ここには商業施設やホテルに加え、分譲マンションも建てられ、新たな街づくりを目指している。大阪の玄関口はますます立派に整うが、果たしてどこが最も客を集めるのか、傍から見ていても競争が熾烈なのは目に見えており、名古屋くらいがちょうどいいやと安住したくなる気持ちである。

 グランフロント大阪

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