オレンジライン233@TOKYO

−世の中の人におくれをとりぬべし−

2014年01月

 そういえば東海道新幹線絡みで最近もう1つ、変わったことがありました。

 それは、「エクスプレス予約」のe特急券(紙のきっぷ)についてです。
 エクスプレス予約では、紙のきっぷとICカード(EX−IC)のどちらかを選ぶことができます。ICカードは、新幹線乗車駅から降車駅までの運賃が最安となるサービスで、例えば名古屋→東京なら最安で乗れるのですが、東京駅で在来線に乗り換えてさらにどこかへ行く場合は、運賃が別途かかってしまいます。その場合は紙のきっぷを買って目的地の在来線の駅までの通し運賃を払った方が安くなることもあります。
 さらにICカードはカード所持者1名しか対応しないため、家族など複数人で利用する場合は必然的に紙のきっぷになります。

 その、紙のきっぷを予約する場合、これまでは特急券と一緒に乗車券も買えたのです。乗車券を別に持っている場合は特急券だけでよいのですが、複数人利用の場合はたとえICカードで乗れる区間を使う場合でも紙のきっぷを使わなければならないため、乗車券も一緒に買うことになります。

 しかし、その乗車券を一緒に買えるシステムが、昨年の10月で終了しました。以降はケータイやスマホで紙のきっぷを購入する際、一度券売機で予約した特急券を購入してから、もう一度同じ券売機か窓口で続けて乗車券を買わなければなりません。これがまず手間です。

 さらに、最近JR東海は新型の券売機を導入したのですが、その画面で、「乗車券を購入」というタッチパネルがかなり小さく表示されており、パッと見て非常に分かりづらい。
 また、これも最近変わったのですが、予約した特急券を券売機で購入する際の暗証番号が、クレジットカードの暗証番号からエクスプレス予約にログインする暗証番号に変わりました。それ自体は別に良いとして、続けて乗車券を買おうとする際にクレジットカードで買おうとすると、今度はクレジットカードの暗証番号を入力しなければなりません。
 乗車券を一緒に購入する人にとっては違う暗証番号を連続して押さなければならず、非常に混同しやすい。そして結果的に何も「エクスプレス=急行」になっていない!
 そして、これまでの特急券と乗車券を同時購入していた時はきっぷが合体して1枚になっていたのに、今回の変更で必然的に別々購入になるから2枚のきっぷになり、紙の無駄だし分かりづらい!


 非常にJR側の都合優先というか、使いづらいシステムです。
 そもそもICカード、つまり1人利用をどんどん優遇させるのだから、結局ビジネスマンは厚遇して、家族連れなどの旅行客はあまりそういうカード予約の恩恵を受けさせずに、いろいろと乗車の条件が厳しい旅行会社の安い往復割引切符に流れさせておけという、ここでもJR東海の批判を散々まき散らして終わるのでした。

 なおこれは昨年の変更告知時には頭では理解していたもののスルーしてしまい、先日久しぶりに新幹線を嫁と2人で利用した際に思い知らされた点です。結婚後はあまり新幹線使わないもので・・・。


 会員のみなさまへ(エクスプレス予約)


 最後にこれも小変化ですが、駅で無料配布されている東海道新幹線の時刻表ですが、スマホのアプリで配信が始まっています。これはエコですね!僕も紙をやめてこちらにしようと思います。あの紙の時刻表、3ヶ月ごとに細かく更新されていて、廃棄も結構あるのでは?と想像します。ただスマホアプリが普及したら紙のは止めてしまうのかもしれませんね。

 スマホアプリ JR東海 東海道・山陽新幹線時刻表

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 東海道新幹線の品川駅。

 この週末利用したところ、とんでもないことが!

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 駅の案内表示が床に置かれている!

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 表示内容には変更ありません。

 これはしげしげと眺めていたい方向けにわざわざ床に置かれているのか・・・。ではもちろんなく、改修工事でしょう。それでまだ新しいLEDに表示が始まっていないので推測でしかないのですが、多少表示板のサイズが拡大しているようなのと、おそらく解像度が上がっています。品川駅は東海道新幹線で最初にフルカラーLEDが設置されましたが、それから10年が経過したために取り替えの時期を迎えたようです。

 あの頃はフルカラーLEDが斬新に思えましたが今や多くの駅に広がっています。


 他、東海道新幹線では駅の案内放送が若干低いトーンのバージョンに変更(声の主は変わっていません)。各駅の自動改札機も今年から徐々に新型に変更(4センチほどスリムになって通りやすくなります)。

 また大阪駅や名古屋駅の在来線ではフルカラーLEDが徐々に登場し始めています。


 細かなところで鉄道設備のブラッシュアップは続いていきます。

販売不振、JR大阪三越伊勢丹 売り場面積5万平方メートルを半減へ
産経新聞 1月21日(火)15時9分配信

 JR西日本と三越伊勢丹ホールディングス(HD)は、JR大阪駅ビルで共同運営する「JR大阪三越伊勢丹」(大阪市北区)について、売り場面積を現在の半分程度に縮小する方針を固めた。販売不振で赤字が続いているためで、専門店の導入によりてこ入れを図る。21日午後に改装計画の概要を発表する。

 改装計画では、売り場面積を減らしてファッション関連を中心に複数の専門店をテナントとして入れる方針。賃料負担を減らすことで、早期の黒字転換を図る。隣接する専門店街「ルクア」とも、販売促進などで連携する。平成26年夏にも改装工事に着手し、27年初めに改装開業する。
 JR大阪三越伊勢丹は年間550億円の売上高目標を掲げて23年5月に開業し、売り場面積は約5万平方メートル。だが、品ぞろえや価格帯が客層と合わず低迷、24年度の売上高は303億円にとどまった。25年度はさらに落ち込む見通しだ。

 大阪・梅田地区では百貨店や商業施設の増床・新規開業が相次いでおり、三越伊勢丹を含む同地区にある4百貨店の売り場面積の合計は約26万3千平方メートルで、東京・新宿(約21万2千平方メートル)を上回る。首都圏より商圏人口は小さいため“オーバーストア(店舗過剰)”状態で、競争は激化の一途をたどっている。
 24年秋に増床開業した阪急百貨店梅田本店は売り上げを伸ばしてはいるものの、2130億円と設定した25年度の売上高目標を1880億円に下方修正した。大丸梅田店も26年2月期の売上高は前期比1・2%減の約621億円と若干落ち込む見込みだ。また、25年4月にオープンした複合ビル群「グランフロント大阪」の専門店街では、開業から5カ月間の来場者1人あたりの売上高が740円と低迷。三越伊勢丹はいち早く再建策に乗り出すことになるが、大激戦区での生き残りは容易ではない。


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 非常に厳しい状況である。まず、JR京都伊勢丹の成功に過信していた節がある。確かに京都駅では成功したが、それは周りにライバルがいなかったからの話(近鉄のみ)。名古屋駅や札幌駅でも駅ビル百貨店は成功したが、それも同じこと。今回、大阪駅周辺には阪急も阪神も大丸もあった。すべてが増床で対抗し、加えてグランフロントの開業。まずオーバーストア状態。

 次に、大阪駅のターミナル性の弱さ。確かに梅田も含めて西日本一のターミナルには違いないが、新幹線に直結していない。したがって名古屋駅や東京駅のように長距離旅行客・出張族の需要を取り込みにくい。

 そして、伊勢丹風が関西では嫌われたこと。「三越伊勢丹」と初のハイブリッド型店舗でありながら両者の特徴を生かせていない。主なターゲットは50-60代だったというが、果たして三越伊勢丹なんか行くのかいな。阪急・阪神で決まりだろう。一方家族連れや百貨店に縁の薄かった人は専門店街のルクアやグランフロント、そしてポケモンや東急ハンズのある大丸へ行く。東京では最先端とされる伊勢丹のブランドが大阪では通用しなかった。

 改装を行うというが、開業から2年連続目標大幅未達。加えて売り場面積を縮小してどの程度「百貨店」の水準を維持できるのか、きわめて先行きは暗雲である。撤退も視野に入ってくるだろう。


 なぜ、JRが供給過剰の大阪駅に百貨店を呼び込んで来ようとしたのかが理解できない。そしてJRと三越伊勢丹の意向も必ずしも一致しているわけではなさそうだ。札幌駅や名古屋駅では、JR側は「小売業は専門外」として、ほぼすべて百貨店の意向に沿う形でハコを用意したそうだ。だがJR西日本は余計な口出しを数多く行ったと思われる。両者の間には今でも不協和音が感じられる。
 何でも異業種の縁談というのは相性が大切になってきますからな。

 僕は鉄道の走っていないような街に暮らした経験はありませんが、かといってすぐ脇の地上を堂々と走るようないわゆる下町風の環境に育ったわけでもありません。

 先日、朝いつものように通勤しようとしたところ、最寄りの駅の踏切がいつまで経っても開きません。これでは開かずの踏切です。原因は列車の遅延により最寄り駅に停車し続けていた車両があり、そのせいで目前の踏切が上がらない状態になったということ。おかげで15分ほど待ち続ける羽目になりました。

 この場合、その駅の踏切だけでなく近くの踏切もほとんどが閉まった状態であるため、そう簡単に向こう側へ行けません。やむを得ず急いでいる高校生などが遮断機を押しのけて渡り始めました。
 駅に停車している車両がいつ動くとも限らず、危険な状況です。また対向側もいつ列車が来てもおかしくない状況で、事実対向側が接近しても踏切が作動し続けている状況では接近しているのかが分からず、停車中の列車がタイフォンを鳴らしたりして接近を警告していました。これまで何となく他人事というか身近なことと考えられなかった「開かずの踏切問題」の現実を思い知った次第です。これが異常時だけでなく毎日毎朝発生していてはイライラも募るでしょう。

 さて冒頭に述べたことですが、今回、僕は初めて我が家のすぐ近くに地上を走る鉄道路線があり、初めて踏切も身近に存在する環境です。駅などでは乗降がしやすくありがたい反面、そういう地上路線、踏切の持つ危険性や怖さというものも頭に入れておかないと、なんでも未経験であるというのは怖いものだなと改めて思いました。

<認知症>115人鉄道事故死 遺族に賠償請求も
毎日新聞 1月12日(日)3時0分配信

 認知症またはその疑いのある人が列車にはねられるなどした鉄道事故が、2012年度までの8年間で少なくとも149件あり、115人が死亡していたことが分かった。事故後、複数の鉄道会社がダイヤの乱れなどで生じた損害を遺族に賠償請求していたことも判明した。当事者に責任能力がないとみられる事故で、どう安全対策を図り、誰が損害について負担すべきか、超高齢社会に新たな課題が浮上している。

 鉄道事故については各社が国土交通省に届け出て、同省は「運転事故等整理表」を作成している。毎日新聞は情報公開請求で得た整理表と各事故の警察発表などから、「認知症」という言葉が介護保険法改正で取り入れられた05年度以降の事例を調べた。当事者が認知症であることを記載していない届け出も多く、件数はさらに膨らむ可能性がある。

 事故の多くは認知症による徘徊(はいかい)や、危険性を認識しないまま、フェンスなどの囲いがない場所や踏切から線路に入って起きたとみられる。線路を数百メートルにわたって歩いた人や、通常は立ち入れない鉄橋やトンネルで事故に遭った人もいた。
 08年1月に大阪市で当時73歳の女性が死亡した事故では、駅ホームの端にある職員用の鉄柵扉から入り線路に下りた可能性がある。本人がGPS(全地球測位システム)発信器を身につけていたが、間に合わなかった死亡事故もあった。
 認知症の人による鉄道事故を巡っては、名古屋地裁判決が昨年8月、「家族が見守りを怠った」というJR東海の主張を認めて約720万円の賠償を遺族に命じた(遺族側が控訴)。家族会などからは「一瞬の隙(すき)なく見守るのは不可能。判決通り重い責任を負うなら在宅介護はできなくなる」と不安の声が上がっている。

 毎日新聞はJR東海の事故を含め、被害者の氏名や所在地が判明した9社10件の事故について、遺族や関係者に話を聞いた。
 遺族によると、係争中のJR東海のほか、東武鉄道が2件、近畿日本鉄道と名古屋鉄道が各1件で約16万〜137万円を請求していた。約137万円のケースでは会社側が事故で生じた社員の時間外賃金や振り替え輸送費などを求めていた。この事故を含む2件は双方の協議で減額されたが、4件とも遺族側が賠償金を支払っている。
 他の5件は北海道、東日本、西日本、九州のJR4社と南海電鉄の事故で、いずれも請求なしだった。遺族によると、JR東日本は「認知症と確認できたので請求しない」、南海は「約130万円の損害が出たが請求しない」と伝えてきた。JR東日本は「そういった伝え方はしていない。事実関係に基づき検討し、請求を見合わせたのは事実」、南海は「回答は控えたい」とコメントした。JR各社で請求しないケースが目立つ一方、他社では「原則請求」の対応が少なくないとみられる。

 12年度の鉄道事故死者数は295人、統計上別区分の自殺は631件だった。【山田泰蔵、銭場裕司】


 JR東海の事例は大きく取り上げられたが、認知症の方が目を離した隙に線路に入り込み列車にはねられ、それにより列車遅延などの損害がJR東海に発生したため損害賠償金を遺族に請求したというもの。

 だが、なぜ認知症の方が線路に入り込んだかの経緯が「不明」のままで、JRにも線路へ侵入しないような対策を施すことが急務のはず。一律に管理監督を怠ったとかいう理由を挙げられると家族らの負担はますます多大になる。鉄道各社は省力化を急速に進めており、都心の駅でも係員がいない改札口というのは珍しくない。おまけにホームに立っている駅員などほとんど見かけない場合がある。
 現場の人員を削り誰でも駅構内などに侵入可能な状況にしておいて、一方的に入った人が悪いと損害賠償を繰り返すよりも、省力化と安全運行を両立させられるような仕組みの方にもう少し力点が置かれてもよいのでは・・・。

 鉄道事故を0にすることは難しいと思うが、いつでも事故が起こりうるというような状況を半ばわかっていながら野放しにしておく鉄道会社の努力義務違反というのも、もう少し突き詰めて考えてみる必要があるのではないか。

新幹線 ハイライトの色 JR東海の旧国鉄資料で判明
2014年1月6日 夕刊

 新幹線の青は、「ハイライト」の青−。十月に開業五十年を迎える東海道新幹線で、開業前に車体の色が決まった経緯が、JR東海が保管する旧国鉄の内部資料で判明した。青と白の配色は、たばこの「ハイライト」を参考にしていた。色の由来はこれまで「太平洋の青」「航空機がモデル」などと諸説あった。青と白の二色は、二〇二七年に東京−名古屋間で開業予定のリニア中央新幹線にも受け継がれる。 (栗田晃)

 経緯を記したのは、開業から三年後の一九六七(昭和四十二)年三月にまとめられた「東海道新幹線電車技術発達史」。JR東海が運営する「リニア・鉄道館」(名古屋市港区)が保管していた。
 資料によると、配色が固まったのは、国鉄や車両メーカーの担当者、外部の画家やデザイナーらが参加した会合。開業二年前の六二年に開かれた。
 下地には、それまで国内の電車で採用されていなかった白色が、新鮮なイメージだとして採用された。新幹線には電気で制御する新型ブレーキが導入されるため、従来のように、ブレーキと車輪の接触でできる「摩擦くず」が生じて車体を汚す心配がないことも、理由になった。

 この白の下地と組み合わせる色は「青系」と「赤系」が候補だったが、赤は在来線の特急でも多く使われていたことから、最終的には「新幹線のより新しい、早いというイメージにふさわしい」(原文のまま)と青に決まった。
 資料は、決定に至る議論の中で、卓上にあったハイライトが重要な役割を果たしたエピソードを明記している。当時は珍しかったセロハン包装で、光沢のある白枠に青色のパッケージ。出席者の一人が、卓上のハイライトを眺めながら「これでいくのはどうだろう」と述べると、やがて全員が賛成したと記している。

 東海道新幹線では初代「0系」以降、車両のデザインが更新されても、青と白の二色は使われ続けた。
 鉄道評論家の川島令三さんは「ハイライトを参考にしたというのは、初耳。青と白の二色が今まで残ってきたのは、それだけいい選択だったからだと思う」と話している。

 <ハイライト(hi−lite)> 1960(昭和35)年6月、当時70円で発売。「光の当たる場所」(high−light)が語源で、イラストレーターの和田誠さんが手がけたパッケージの青地は、「ハイライト・ブルー」と呼ばれた。「hi」という表現は、高いグレードを示す言葉として車やお菓子などにも使われた。



 モノクロテレビが多いからとはいえ、もちろんかつての風景もカラーであったわけで。しかし今ほど色彩が氾濫している時代でもなく、この白と青の塗り分けは斬新だったのでしょう。これにより新幹線のカラーイメージが決定しただけではなく、将来のリニア中央新幹線にも受け継がれることになるとは。これは不変の配色になるでしょう。

 また、当時のカラーデザインはタバコのパッケージを参考にされることは多かったようで、それだけ人々に密着した存在でしたし、またタバコのステイタスシンボルとしての社会的地位が高かったからこのように鉄道の配色にまで影響を及ぼすことができたのではないでしょうか。
 今日地下鉄博物館に行って丸ノ内線の旧車両の展示を見ていた時、その車両もたばこのパッケージを参考に色が決められたようだと書かれてあったので。

 今は色彩が溢れ過ぎていて、また混ぜたり変化したりというのも容易なので複雑なカラーイメージも生み出せるのでしょうが、「定番」と呼べるほどの決定的なものは生み出しにくくなってきているのでは。

 最近、ずいぶんとあっけなく人間は亡くなってしまうんだなあと思うことが多い。

 その無常ともいえる通告を受け取るときは、ある日突然やってくる。


 やしきたかじん、まさかこんなに早く、唐突にこんなことになってしまうなんて思いもよらなかった。
 できればもう一度戻ってきてほしかった。そして、「Tokyoにいるからたかじんが復帰しても番組見られんのだよ、だから名古屋がいいんだよ」と悔しがらせていただきたかった。

 関西にいたときから、大変楽しませていただきありがとうございました。発表がされた翌日の大阪は涙雨だったと思います。 合掌

 昨年はイマイチ乗れなかった大河ドラマ。今年は期待しております。
 第1回を見ましたが、あの「毛利元就」を想起させるようなストーリーでよかった。話の筋がオーソドックスで実に良い。次回からも期待してみることにしよう。

 しかし信長役の江口洋介はともかく、秀吉役に竹中直人をもってきたのは大きなチャレンジだと思う。1度大河の主役を演じた人間を、同じ配役でしかもチョイ役ではなく堂々と準主役で持ってきたのはあの高橋幸治、緒形拳の信長・秀吉コンビ以来ではあるまいか。
 この時は同じ秀吉でもガラリと性格を変えたのだが、今回はどのように演じられるのだろうか。96年の「秀吉」イメージが強い世代としては、どうしても同じトーンでの演技に見えるのだが・・・。

 俳優陣は皆素晴らしいキャリアをお持ちの方々ばかりなので、心配ないでしょう。脚本も変に偏ったりせず、「王道大河」を目指してほしいものです。

ついに歴史が変わった! テレビ朝日が年間視聴率で開局以来初の“2冠”達成!!
webザテレビジョン 2013年12月30日(月)14時40分配信

 12月30日、地上波各局の年間平均視聴率('12年12月31日〜'13年12月29日まで)が出そろい、テレビ朝日がゴールデン帯(夜7時〜10時)で12.1%、プライム帯(夜7時〜11時)で12.3%を記録し、2つのカテゴリで年間1位を獲得したことが分かった。全日帯(朝6時〜夜12時)は7.8%で日本テレビに破れて2位となり、惜しくも3冠達成はならなかったが、'59年の開局以来初めて“2冠”を奪取した(数字は全てビデオリサーチ調べ、関東地区)。

 14年2月1日(土)に開局55周年を迎える同局は、'13年2月1日〜'14年3月31日(月)までを“開局55周年期間”と位置付け、さまざまな強力コンテンツを制作することを打ち出してきた。2月2日、3日に二夜連続で放送された三浦友和主演の「最も遠い銀河」(第一夜:16.1%、第二夜:13.3%)や11月30日、12月1日に同じく二夜連続で放送された竹野内豊主演の「オリンピックの身代金」(第一夜:14.1%、第二夜:13.9%)などのSPドラマ、3月の「2013ワールドベースボールクラシック」、7月〜8月の「世界水泳2013バルセロナ」、10月〜12月の「フィギュアスケート・グランプリシリーズ」などのスポーツイベント、3月公開の「映画ドラえもん のび太のひみつ道具博物館(ミュージアム)」や8月公開の「少年H」などの映画事業、1月2日放送の「夢対決2013とんねるずのスポーツ王は俺だ!5時間SP」(18.0%)や4月13日放送の「そうだったのか!池上彰の学べるニュース 緊急生放送SP」(17.1%)などの強力バラエティー特番、9月の「テレビ朝日ドリームフェスティバル2013」に11月の「Paul McCARTNEY OUT THERE JAPAN TOUR 2013」などの音楽事業とさまざまなジャンルで成功を収めてきた。もちろん、レギュラー放送の「お試しかっ!」(平均12.8%)や「ロンドンハーツ」(12.4%)などのバラエティーや、連続ドラマでは7月期の「DOCTORS 2 最強の名医」(平均18.3%)や10月期の「ドクターX〜外科医・大門未知子〜」(平均23.0%)、放送中の「相棒season12」(平均17.1%)なども初のゴールデン年間1位に大きく貢献してきた。

 開局55周年イヤーとなる'14年は、元日恒例の「相棒 元日スペシャル」を皮切りに、1月18日(土)、19日(日)には二夜連続で松本清張原作の傑作ミステリー「三億円事件」と「黒い福音〜国際線スチュワーデス殺人事件〜」をスペシャルドラマとしてオンエア。そして2月にはクラシックイベント「テレビ朝日 なんでも!クラシック2014」を主催し、3月には約19年ぶりの同局ドラマ出演となるSMAP・木村拓哉主演の大型時代劇「2夜連続ドラマスペシャル『宮本武蔵』」を放送する。今後も他の追随を許さない豪華な布陣で、勢いに乗る局の機運をさらに高めていきそう。

 また、'14年のテレビ朝日はこれまでのコンテンツを強化するだけでなく、11月30日にオープンした同局期待の新多目的ホール「EX THEATER ROPPONGI」でのエンターテインメント企画「ガムシャラ J's Party!!」にも力を注ぐ。2月1日(土)より、ジェシー、松村北斗ら人気ジャニーズJr.メンバーが月替わりでさまざまなショーを繰り広げるという新しいスタイルで、革新的なエンターテインメントを追求していく。'12年に初のプライム年間首位、'13年にゴールデン・プライムの2冠達成、そして'14年はいよいよ悲願の“年間3冠”奪取へ向けて、テレビ朝日が総力をあげて“視聴率戦国時代”に挑む。



 我が家の場合はどうなのか。手元にある日記帳をもとに調べてみた。
 記録にある限りで、僕が見た2013年テレビ番組をチャンネル別に区分けしてみた。(同じ番組でも1回見れば1番組とする)
 
 NHK;355番組
 TBS;95番組
 フジ;233番組
 テレ朝;268番組
 日テレ;72番組
 テレ東;50番組

 なるほど、我が家でもテレ朝は強かった。
 しかしこれはひとえに「報道ステーション」のおかげである。NHKが多いのは大河や語学番組が多いため、フジはドラマが多く、逆に少ない局は習慣視聴している番組が少なかった。
 それでも重症なのがTBSで、95番組のうち、約50番組が週に1回やっているニュース番組で、約20番組がドラマである。それ以外では見る要素がほとんどない局ということか。
 そう考えるとテレ朝は報ステ以外ではほぼバラエティや音楽番組、日テレは習慣視聴している番組やドラマがないため、ほぼバラエティだけの数字である。
 我が家では腐ってもフジテレビで、フジはまだまだ多くの分野で見ることが多く、生き残っている。意外にしぶとい。

 本当なら12月30日あたりに振り返るつもりだったのですが、年末が進むにつれてそれどころではなくなってきて、30日が大変度合いのピークだったのであきらめました。
 というわけで新年になってしまったのですが、簡単に2013年を振り返っておきましょうか。

 1月;予算作成、ブログ2000回達成
 2月;京都旅行、決算
 3月;WBC、花見
 4月;新年度新体制、京都大阪へ
 5月;ベルギービールウィークエンド、株主総会
 6月;名古屋城本丸御殿見学、異動宣告、軽井沢へ
 7月;夏ボーナス、ナゴヤドーム、新居探し、新美南吉記念館
 8月;東京へ引っ越し、東京へ機能一元化
 9月;新体制、五輪開催決定、初イケアへ、法事
 10月;鉄道の日イベント、事務所移転、ジョギング開始
 11月;タイ人アテンド、取引先懇親会、宮城県出張
 12月;冬ボーナス、おせち数量ずれ、クリスマス現場応援

 4月までは例年通りだったんですよ。それが新年度、新体制になったあたりからきな臭くなってまいりまして、6月に異動宣告を受けてから8月までは一気、そして9月からの後半戦はTokyoで苦難の連続でした。

 事あるごとに申しておりますが、僕はTokyoから早く逃げ出したい(名古屋へ帰りたい)と思っている人間なので、Tokyoにいる限り大満足気分にはならないのですが、それでも今年は久しぶりのTokyoということもあり、あちこち出かけたり多くの人に会ったりと、出不精にならないように努めてきました。
 来年はもう少し遠出したりジョギングを頑張ったり、あともう少しいい飲み方がしたいなと思います。Tokyoならではの。名古屋に比べてTokyoは飲み会天国のような気がします。それなのにそれにはまだ浸っていないなと感じているので。
 次の海外旅行はいつなんだとか、そろそろ岩手に行かなきゃならんだろとか、たまには京都に行きたいとか、クルマでドライブもっとしたいとか、願望はいろいろありますが、それと反比例するかのように仕事の量が増えてきております。
 明日、1月2日から仕事が始まりますが、今年課せられているものはなかなかハードです。そして結果を出すことが求められているので、他の役割との兼務もあり大変ですが何とか頑張ります。

 今日、明治神宮に初詣に行っておみくじを引いたら、そのような今年の仕事の課題を暗示させるようなおみくじを引いてしまい一瞬ドキリとしました。おみくじもたまに図星だったりすると心臓にはよくないようですが、とにかくこれも定めとして、2014年のブログテーマといたします。



 そして、昨年初めて被災地を訪れたこともありますが、紅白歌合戦でも被災地を応援するような企画が多くあり、ということはまだ被災地は復興を成し遂げられてはいないのです。
 いったい何年被災地を応援し続ければ、復興は成るのか。昨年、もっとも苛立ちを感じたのは、東京五輪のために福島を見捨てるような態度を取った現在の政権に対してです。これだけは、何をおいても早急、大至急に片を付けてほしいと願うばかりです。さらに原発ゼロをできるだけ長く続け、一基の原発も再稼働させないことも。

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