とあるフランチャイズオーナー。
仮にお名前を田宮さんとしておこう。

田宮さんはのちに一部上場する某老舗有名フランチャイズチェーンに、ごく初期のころ加盟した。

そのチェーンは脱サラした人が自ら店に入るチェーンだったので、田宮さんも当然のように朝から晩まで店にたった。


しかしチェーンの勃興期とはいってもまだまだマイナーイメージが強かったそのチェーン。

田宮さんは働いても働いてもそれほど儲けもなく消耗する日々のなかで、他の商売に次第にひかれていった。

それはラーメン店だったが、いざ開店してはみたものの、次第に二足のわらじの辛さが骨身にしみるようになった。

そしてラーメンのことは元の本部には内緒だったが、いつの間にかそれはバレていった。

ある冬の深夜、ラーメン店を閉めると、自転車をこいでアパートに戻っていた田宮さんは、急いでいたために凍った水たまりでスリップしてしまい、激しく転倒。

夜道のバス通り、そこにバスがすごいスピードで近づいてきて、転倒した田宮さんは向かってくるバスの手前に倒れこんでしまった。

「ウワーッ」

ギュッと目を閉じて、もうダメだと思ったが、奇跡的にバスは急ブレーキをかけて田宮さんの目の前で停止。

恐る恐る目を開けた田宮さんの、ほんの20センチ前にバスのタイヤがあった。

命拾いをした田宮さんは、ラーメン屋を始めた後悔が一挙に押し寄せた。

「もう一度、初心にかえって元のフランチャイズに精を出そう。ラーメン屋はやめよう」

タイヤの前で強くそう思った田宮さん、だった。

翌日、ラーメン屋をやめたことと謝罪のために本部を訪ねた田宮さん。

本部社長や幹部は、何も文句一ついわず
「田宮さんがうちの店に専念してくれて本当によかった。本部は全力で応援しますから、頑張って下さいね」

本部社長は田宮さんの両手を握りしめてそういうと、田宮さんは胸いっぱいになり「ありがとうございます」
といいながら涙をポロポロこぼしたとか。

その後の田宮さんは今まで以上に店に打ち込み、同時にチェーン自体も急成長に拍車がかかった。

アルバイトには超有名私大の学生さんも複数いたが、彼らは大学生活よりもアルバイトがはるかに楽しく、中退して田宮さんのもとで社員になったり、卒業すれば大企業に就職できるのに小さな小さな田宮さんの店の社員となっていったのでした。

徹底した現場主義の田宮さんの店は、優秀なアルバイトさんたちが核となり、本部の直営店をしのぐ素晴らしい運営能力を持つ店を作り出すようになり、どの店も平均の二倍近い売上を叩きだし、数年の間に11店舗、年商は14億円を越えるほどに成長したのでした。


田宮さんの会社は、そのフランチャイズチェーンの中では輝くような存在となり、マスメディアもたびたび田宮さんの会社を取り上げるようになった。

本部としても、もっとも成功したオーナーの一人としてメディアに紹介したり、加盟店募集のパンフレットには必ず田宮さんが紹介された。

いまのようにホームページもなければSNSもない時代たったが、田宮さんの会社はテレビに取り上げられたり、フランチャイズ専門雑誌に取り上げられたり、その存在感は際立っていた。

田宮さんの頂点は、そのチェーンで開かれる店舗コンクールで、全国1200店舗の頂点に立ったときだったといっていい。

本部の社長や役員なと主だった方々、取引先の社長や幹部、そして全国から加盟店オーナーや社員が巨大ホテルに集まり、壮大な式典が開かれ、店舗コンクールの表彰式が執り行われる。

その演出は電通が取り仕切り、実にドラマチック。

そんな晴れの表彰式で田宮さんの店舗は見事に全国制覇を成し遂げたのだった。

このころはまさに田宮さんや彼の会社のスタッフにとって本部との関係も良好な絶頂期といってよかった。

田宮さん自身も4000万円を越える年収、ベンツの最高級車、東京郊外の高級住宅地に豪邸を建てるなど、フランチャイズオーナーとしては破格の成功、富を手に入れていた。

しかし、いいときは長くは続かない。

田宮さんと本部との間には、その頃を境として微妙な溝が生まれはじめていたのだった。


続く