2006年10月22日

杉浦由美子「腐女子化する世界 東池袋のオタク女子たち」中公新書ラクレ 感想その1

腐女子化する世界―東池袋のオタク女子たち

この著者を、「オタク女子研究 腐女子思想体系」で知りました。「オタク女子研究」、ネタ本としては、面白かった。都市部に住む独身腐女子的には、概ね賛成できた。しかし、私の腐れ縁友達の様に、地方の腐女子からみて、どうなんだろうと思う(そういや「オタク女子研究」、腐れ縁友達に貸しっぱなしだわ)。ネタ元はそれ程多くなさそうな本でした。有名人やお友達にインタビューした程度?

一腐女子としては、そっとしておいてほしい。
新書にまでして、世間に晒しちゃいや〜、というのが本音。
でもアニメイトで見かけたとき、私はすぐに購入を決定したちゃったのだが。ざっと見、「オタク女子研究」とネタは変わっていなそうだ。ふむ。

はてさて、「腐女子化する世界」を読み解いて行こう。
タイトルが、「オニババ化する女たち」(三砂ちづる 光文社新書)に似ているのが、ちょっと引っかかる。

「はじめに」でも取り上げられている「アド街ック天国」の乙女ロード特集は、見た。面白かったが、司会の愛川欽也氏の表情がびみょーだったのは気のせいだろうか。「おじさんには理解できないよ」な視線が痛かったぞ。

以下内容に深入り。基本的にツッコミ。
途中から、マジになってしまって、疲れてしまった

「第一章 メディアに無視されてきた腐女子たち」

p21-22に、斉藤美奈子「男性誌探訪」からの引用文がある。この「男性誌探訪」という本は、男性向け雑誌がいかに女性から見て理解不能な不思議な世界であるかを、斉藤独自の意地悪い文章でえぐり出している快書だ。引用文に続く文をここに挙げよう。
「その点、男の子は立派である。誰がなんといおうと自分は譲らないし、しぶるカノジョに自分の趣味を強要することも辞さない。それでカノジョに愛想をつかされたら? ま、それも男の勲章でしょう。(p215)」
このような激しい皮肉の言葉につながるのだ。これは斉藤美奈子の「芸風」である。

著者はこの引用で、「一般的な男性メディアでは”女の子はオタクになりにくい”と信じられている」ということが言いたいらしいが、的はずれである。斉藤美奈子の著作は決して「男性メディア」とはいえず、むしろ男性を怒らせる(?!)メディアなのだから。男性誌に載っていたなら、それは爆弾としてである。

このように、文章を文脈から切り離して、コラージュしている所がまま見られるので注意が必要だ。特に、小倉千加子氏の著作で、ジェンダー論に関わる部分の引用は、フェミニズムや女性学的な文脈から切り離されて、著者に都合の良いように引用されている。

・・・確かに、10代終わりから20代にかけて、マニア・オタク隠しをしなくてはならない時期はある。少なくとも、団塊ジュニアな私の世代はそうだった(今はどうか知らない)。彼氏がいないと恥ずかしい、というような脅迫的な雰囲気があり、オタクであることはあまりにリスキーである。

p24に「料理もすでに趣味なのだ」とあるが、著者が書くように「デパ地下の総菜」では、高価な上、太りそうだ。メタボリック症候群になるぞ。

p26「コミックマーケット」についての記述。
「オリジナルJUNE」や「少女創作」だって、結構多い。パロディや二次創作が主流とは、必ずしも言い難い。これは、著者の前著に対し、同様の批判がネット上で複数見られる。

p38「腐女子は美人ぞろい?」 
あとがきでは、「お洒落な女性もいれば、そうでない場合もあります」と書いている。腐女子はみんながみんな、お洒落であるかのような書き方で、矛盾している。
私は、バイク乗りというライフスタイルを選んでしまっているため、お洒落な服装やバッグも靴も不要になってしまった。職場もラフな服装の場所なので、すっぴんである。三十路なのに、二十代の男子に間違われる。著者は腐女子のイメージアップを図っているようだが、申し訳ないな。

p40-41 「“現実の男性とつき合えないから漫画やノベルスにのめりこむ”という一昔前のメディアが好んだようなトラウマと現状を結びつける“因果関係”ストーリーは当てはまらない」
これは本当だろうか?建前とは裏腹に、恋愛をしても、仕事をしても、本当は男女は平等ではないのだということは、明白だ。だから、対等な関係の、純化された恋愛ストーリーを求めているのではないだろうか。現実の男性との恋愛に対する、全くの「別腹」として。

p41 「彼女たちのセクシャリティで特徴があるとすると、「非オタク」女性に比べて同性愛者が目立つことだろうか」
 根拠が全く示されていない。これは本当だろうか??

「第2章 腐女子の思考と生態」
p44-45 「女性は漫画へのこだわりが強いですよね。男は漫画なんて読み捨てにするもんだと思っているけど、女性の場合は“漫画は趣味”という人も多い。大切に漫画を読むんですよね(著者による引用)」
確かにそう。女性にとって漫画は蔵書。たとえBL本であろうが。自分のセンス(嗜好)を示すものでもある。男性にとってあるジャンルの漫画が単に「エロメディア」であるのとは対極的。
でも私は「NANA」は嫌い。イタすぎて、この手の少女漫画には、もはや萌えない。

p48 「“少年ジャンプ”は“ユニセックス媒体”」
 あからさまな「女の子向け」アニメは、さっさと女子からは見切りがつけられ、男の子向けとされるものをやおいパロディにしてしまうことが、斉藤美奈子「紅一点論」(ちくま新書 p225)にも触れられている。その理由は「紅一点論」を参照されたし。「少年ジャンプ」には、隙が多い作品、つまりパロディを作りやすい作品が多かったように思う。「テニスの王子様」然り。

P54 映画「ゲド戦記」のヒットは「アレンの首輪萌え!」と、脚本に隙間が多すぎて腐女子の妄想をかき立てたから、との記述。
いや、むしろV6の岡田君が声をあてていたためにジャニオタが付いたのと、ジブリのブランド力によるものだと思う。ジブリの絵柄は、妄想を寄せ付けにくい様に思う。それにしても、「ゲド戦記」原作ファンとしては、悲しい作品だった。

「第3章 社会のオタク化は加速する」
p67 「もっと濃い情報が欲しいと思った時に読者が手を伸ばすのが新書になっているのだ(著者による引用)」
不安な世の中を生き抜くためには、時代を読み解く確かな情報が欲しくなる。手頃な値段で確実な情報を手に入れ、日常の疑問の答えを探すのには、新書は最適である。(だからいい加減な本は出して欲しくない)

p70 酒井順子氏の「女性が一人で食事をするのに抵抗がある」との発言、「おひとりさま」についての記述
私は一人で食事は別に平気だ。店によるけど。「おひとりさまパック」の利用者の大半が既婚者でも別にいいんじゃないだろうか。

p78-80 「マーケティングは死んだ」
流行に任せてものを消費する世の中が終わって良かったのでは? 個性や「自分探し」を否定する言説を後の章で行っているが、嗜好の多様化は個性の多様化ではないのか? 自分探しの結果ではないのか?

この章では、「負け犬」に対するルサンチマンが見え隠れする。「負け犬」と敵対する必要は、別にないと思うのだが。前著でも、「文化系女子」と「腐女子」を分けていたっけ。「負け犬」と「文化系女子」と「腐女子」には重複する層が必ずあると思われるが如何だろう?

第4章「腐女子の“妄想”を分析する」
p91-92 「“下流社会”が売れた理由は(略)女性批判的な内容でなく、真摯に格差社会について言及する内容が含まれていたからだと思われる」
「下流社会」は、女性蔑視に満ちている本だと思う。私は嫌い。見るべき所が全くないとは言わないが。
「下流社会」p41-72「女性の分裂」の中では、縦軸が「上昇志向←→現状志向」、横軸が「専業主婦志向←→職業志向」で、分類が、「ミリオネーゼ系」「お嫁系」「普通のOL系」「かまやつ女系」「ギャル系」である。「ミリオネーゼ系」「お嫁系」には自分語りをさせているが、「かまやつ女系」「ギャル系」はインタビュー形式で、まるで珍獣を観察しているような書き方である。
それに対しp72-87「男性の分裂」では、縦軸が「上昇志向←→現状志向」、横軸が「趣味志向←→仕事志向」で、分類が、「ヤングエグゼクティブ系」「ロハス系」「SPA!系」「フリーター系」である。「SPA!系」と「フリーター系」に自分語りをさせている。
何で、男女で横軸が違うんだろう?結婚は男にとっても女にとっても、それなりに大きな出来事だと思うのだが。分類も恣意的で、私は自分がどこに分類されるのか、分からない。所詮、マーケティング本だ。あれ?著者は、「マーケティングは死んだ」と書いていなかったかな?

で?「下流社会」の本と「活字を多く消費する腐女子」がどこで結びつくの?
こういう感じの、論点のブレが随所に見られるので注意が必要だ。

p96-97 小倉千加子著「セクシャリティの心理学」(有斐閣選書)からの引用
 「強姦幻想」について引用しているが、引用部分の前後の文脈の理解が浅い。というか、著者が言いたいことを説明するためだけに、文章を切り取ってきて貼り付けている。
 引用は、女性の摂食障害についての章からで、前後の文脈は以下の通りである。
「旧来、女性は男性を興奮させる自分に興奮するナルシスティックな存在だとされてきた。本当は女性の性的ファンタジーは多様で、即物的な刺激で十分な場合も、ジェンダーを越境する事も、サディスティックな想像をすることも、「強姦幻想」を持つこともあり得、多様で、内心は自由である。しかし、現実には、女性は異性に鑑賞され性的対象として序列化され、決して自由ではない。」

レディコミ読みの人について言及したいなら、「強姦幻想」について、ちゃんと調べるべき。

p98 「つまり、小倉のいう性欲の「客体」「主体」両方から解放されて(以下略)」
いや、男性同性愛が対象ならば、女性は絶対に「客体にはなりえないポジション」に立つことができる。いわば安全圏に立つからこそ、純度の高い恋愛モノを楽しめるのではないか?

p99-100 「感情移入できない物語を好む」
あるBL作品を取り上げ、「ほんわかとした学園ラブコメディで、まさに少女漫画そのもの−−」としているが、みんな、少女漫画を読んで、共感したり、ぼろぼろ泣いたりしているじゃないか! それは感情移入とは言わないのだろうか。

p102 「“性愛格差論”で酒井順子は、既婚女性は韓国ドラマを見るけれど、自分たちのような独身の働く女性は見ない、“現実離れしたドラマを見る心の余裕がない”と語っている」
また「負け犬」を意識しているぞ。「宮廷女官チャングムの誓い」を見ている人は多いぞ?

p103-106 腐女子は私小説を好まないという記述
私小説の書き手の多くが男性で、男性の文化の中から生まれてきたものだから、普遍性といってもそれは男性の目線からの普遍性だ。確かに、わざわざ本を読んでまで、男の頭の中のごちゃごちゃにつきあいたくはない。

p106 「“ロマンス小説”は丸の内のオフィス街で売れ行きが良いという。」
ヘテロセクシャルな恋愛物を、腐女子の妄想の章に書く理由が分からない。働く女性は「感情移入できないもの」を読んで息抜きしている、というだけのことか?

はい、引用されている本のなかで手元にある本をチェックしながら読んできたら、疲れました。一旦終了。後編はいずれ。

チェックした引用文献は以下の通り
実録 男性誌探訪

下流社会 新たな階層集団の出現

セクシュアリティの心理学

「性愛」格差論―萌えとモテの間で


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