これまでの記事にもとづいて、日本共産党の原発への態度を簡単にまとめてみます。手元の文献が少ないため、大雑把な追跡しかできないことをご了承ください。

戦後~1976年 個々の原発の危険性もまだ指摘していない
この時代は、原子力発電の危険性そのものには認識が達していなかったのか、原発の危険性は指摘していませんでした。

日本がオイルショック(1973年)を経験し、日本のエネルギー政策の弱さが露呈する中で、同年の党大会では、対米従属的なエネルギー政策を批判。原子力についてもウラン濃縮や原子炉建設などがアメリカに依存していることを批判していました。つまり、原子力の対米従属的な性格(軍事的な性格)を批判するようになりました。(以前の記事で確認ずみ)

言い換えれば、「対米従属でなければ、原発をどんどん進めるべき」という立場でした。

1976年~ 個々の原発の危険性を指摘しはじめる 
党の公式見解でも、原発の危険性を指摘し始めたのは1976年です。時代背景的には、公害・環境問題への国民の認識が高まりつつある時でした。

危険性の批判の角度としては、安全審査のやり方や体制が不十分だとか、原発の個々の問題点に限られていました。「原発をなくすべき」という主張はしていません。 

それは、1979年のスリーマイル島原発事故、1986年のチェルノブイリ原発事故が起きた後でも変わりません。
 不思議なのは、これらの事故が起こった直後の党大会(第16回党大会=1980年、第18回党大会=1987年)でも原発のことについてはいっさい触れていないことです。

党大会と党大会の間に開かれる中央委員会総会などでは触れているのかもしれませんが、今は手元に資料がなく確認することができません。なお、中央委員会総会決議は党大会決議に比べると重要性が下がります。

1995年に高速増殖炉「もんじゅ」のナトリウム漏れ事故が起こりました。その後開かれた第21回党大会(1997年)では、原発の増設に反対すること、高速増殖炉計画の見直しがうたわれました。

2000年~ 「原発からの撤退」を提案し始める
日本共産党が原発からの撤退を提案し始めたのは、党大会レベルでいえば、2000年の第22回党大会からです。
前年1999年に東海村で臨界事故が起き、国民の間に原子力への不安が一気に広がりました。第22回党大会での提案はこれを受けたものだと思われます。

ただ一方で、以前投稿で確認したように綱領改定作業の中で「核エネルギーの平和利用の可能性」を強調していました(2003年)。党ブログ筆者としては、この事実を重く見ています。そしてこの見解は、今日まで変更されていません。

2011年~ 期限を決めた原発撤退計画を求める
福島第一原発事故をうけて安全対策の強化などを要請。5月1日のメーデーで志位委員長が期限を決めての原発撤退を求めました。 

まとめ 現状は「平和利用」と「廃止」の混在状態
以上、簡単に経過を整理しましたが、日本共産党の態度はまとめるとこうなると思います。
  1. 基本は、原子力の平和利用を進めるという立場である。それは今日までも変更していない。
  2. 原発事故の危険性が認識されるのにしたがって、後追い的に原発の危険性を指摘するようになり、最近では「原発からの撤退」を主張し始めるようになった。これらの路線転換については明確な説明がない。
  3.  その結果、現在では、「原子力の平和利用」路線と「原発廃止」路線という絶対的に対立する要素が同党の中で混在している。そこに危うさがあり、同党への信頼が高まらない要因の一つがある。要するに、過去を総括せずに玉虫色の態度をとっている懸念がある。