日本共産党という組織は、人情がないのかと思わせることが時々あります。
それを感じたのが、「しんぶん赤旗」8月29日、30日、9月1日付に掲載された「シリーズ 原発と各党 社民党編」(上・中・下)です。

社民党とその前身である社会党が原発に関してどういう態度をとってきたのかを検証する連載です。インターネット上では公開されていないようです。(社会党編に先立ち、民主党編・自民党編・公明党編が連載されました)
記事の基調は、社会党=社民党を「原発推進勢力」 と規定するものです。
たとえば、連載「上」では、原子力基本法の成立(1955年)にかかわり次のような記述があります。
この記事の何が問題なのか?
この連載の直前8月25日付の「毎日新聞」に掲載された共産・志位委員長と社民・福島党首との対談記事と関係があります。
この対談はいろいろと興味深い対談でしたが、トピックの一つに、脱原発に関する共産党と社民党の共闘問題がありました。
実は、志位委員長はこの対談の中で、社民党との共闘を願っていると発言していたのです。「脱原発で二人三脚できますか?」の記者からの問に対して、志位委員長は、
と明言していました。ネット上では、この対談を読んで、両党の共闘に期待するような感想もかなり流れていました。
ところが、4日後、その舌の根も乾かないうちに、「しんぶん赤旗」で上記のように社民党をメッタ切りにするような連載が始まりました。
これは一体どういう神経なのでしょうか?
相手をぼろかすに批判しておいて、その一方で共闘を求める。完全に相容れない態度であり、筆者にはこういうことをする理由がまったく分かりません。
普通の人間のおこなうことではない。一方で顔面をぶん殴っておいて、他方で「仲良くしようよ」と呼びかける。そんな人間をだれが信頼できますか? そういう意味で、日本共産党には人情がないのではないか、と感じたのです。
筆者としては、原発問題で社民党の過去の言動にいろいろと問題があったとしても、現在は脱原発の立場を明確にしているのであれば、過去の問題をほじくりだすような批判はすべきではないと考えます。今は、過去における立場の違いなどをわきにおいてでも、脱原発・反原発で多くの国民が大同団結すべき時だからです。両党とも国会内では弱小勢力ではありますが、それでも、脱原発の一致点で共闘関係が成立すればそれなりのインパクトがあるはずです。
「赤旗」のような批判をしたらどうなるか? 批判された側からすれば、共闘したいという気持ちはおこらず、両党の共闘を不可能にするものです。社民党とすら共闘できないとしたら、もはや国会の中で共闘できる相手はいません。とすれば、結局、「原発をなくすには、日本共産党が国会の中で前進することが決定的だ」という、いつもの、しかも、実現可能性の見えない結論にたどりつかざるをえなくなります。
対談記事を読んで、脱原発にむけて両党の共闘に期待した読者への裏切りでもあります。
今回の「赤旗」連載を読んで、日本共産党は脱原発よりも他党批判に熱心なこと、他党との共闘を本音では願っていないことを感じました。
それを感じたのが、「しんぶん赤旗」8月29日、30日、9月1日付に掲載された「シリーズ 原発と各党 社民党編」(上・中・下)です。

社民党とその前身である社会党が原発に関してどういう態度をとってきたのかを検証する連載です。インターネット上では公開されていないようです。(社会党編に先立ち、民主党編・自民党編・公明党編が連載されました)
記事の基調は、社会党=社民党を「原発推進勢力」 と規定するものです。
たとえば、連載「上」では、原子力基本法の成立(1955年)にかかわり次のような記述があります。
この基本法を自民党と一緒に推進したのが社会党でした。当時、国会に自民党とともに非公式に設置した両院合同委員会(委員長・中曽根康弘議員)で検討を重ね、法案を提出しました。中曽根氏は「科学者だった社会党の松前重義さんと組み、超党派の原子力合同委員会を立ち上げた。・・・それを基に、現在の原子力発電があるわけです」(『AERA』2011年5月15日号)と述懐しています。
実際、社会党の岡良一議員は原子力基本法案の賛成討論に立ち、「原子力に関するその幕を切って落とそうという画期的な法律案を成立せしめるということは、実は国会史上にも長くとどまる画期的な記録であろうと思うのであります」(56年12月14日の衆院本会議)と発言。社会党は「もろ手をあげて賛成」(岡氏)したのでした。
この記事の何が問題なのか?
この連載の直前8月25日付の「毎日新聞」に掲載された共産・志位委員長と社民・福島党首との対談記事と関係があります。
この対談はいろいろと興味深い対談でしたが、トピックの一つに、脱原発に関する共産党と社民党の共闘問題がありました。
実は、志位委員長はこの対談の中で、社民党との共闘を願っていると発言していたのです。「脱原発で二人三脚できますか?」の記者からの問に対して、志位委員長は、
私は両党間で協力が可能だと考えているし、それを願っています。
と明言していました。ネット上では、この対談を読んで、両党の共闘に期待するような感想もかなり流れていました。
ところが、4日後、その舌の根も乾かないうちに、「しんぶん赤旗」で上記のように社民党をメッタ切りにするような連載が始まりました。
これは一体どういう神経なのでしょうか?
相手をぼろかすに批判しておいて、その一方で共闘を求める。完全に相容れない態度であり、筆者にはこういうことをする理由がまったく分かりません。
普通の人間のおこなうことではない。一方で顔面をぶん殴っておいて、他方で「仲良くしようよ」と呼びかける。そんな人間をだれが信頼できますか? そういう意味で、日本共産党には人情がないのではないか、と感じたのです。
筆者としては、原発問題で社民党の過去の言動にいろいろと問題があったとしても、現在は脱原発の立場を明確にしているのであれば、過去の問題をほじくりだすような批判はすべきではないと考えます。今は、過去における立場の違いなどをわきにおいてでも、脱原発・反原発で多くの国民が大同団結すべき時だからです。両党とも国会内では弱小勢力ではありますが、それでも、脱原発の一致点で共闘関係が成立すればそれなりのインパクトがあるはずです。
「赤旗」のような批判をしたらどうなるか? 批判された側からすれば、共闘したいという気持ちはおこらず、両党の共闘を不可能にするものです。社民党とすら共闘できないとしたら、もはや国会の中で共闘できる相手はいません。とすれば、結局、「原発をなくすには、日本共産党が国会の中で前進することが決定的だ」という、いつもの、しかも、実現可能性の見えない結論にたどりつかざるをえなくなります。
対談記事を読んで、脱原発にむけて両党の共闘に期待した読者への裏切りでもあります。
今回の「赤旗」連載を読んで、日本共産党は脱原発よりも他党批判に熱心なこと、他党との共闘を本音では願っていないことを感じました。
赤い彗星さん
「私たちとしては原子力絶対反対だという立場をとっていない。原子力は当然新しい問題をいろいろ出しているけれども、原子力の発見というのは新しいエネルギーを得たことになり、有効利用の可能性ということを考えると、これをもう全面的に否定だという硬直した考え方は私たちは間違っていると思うのです。」
(昭和62年12月11日 参議院「産業・資源エネルギーに関する調査会」)
共産党の連中は最近になって、自分たちだけが原発反対だったようなことを言っているが、とんでもない話だ。