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【 深志一七会 ・ 瓦  版 】

パレスチナ問題(6)

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パレスチナ問題 (その6)

 

英仏は第1次大戦後のらりくらりと解決方法を先送りして、それが第2次大戦後まで続きます。そうは言っても手をこまねいているわけにもいかずに、ユダヤ人のパレスチナ移住と、パレスチナ地域を除く地域に英仏監視下のもとでアラブ国家(シリア・イラク・ペルシャ・サウジアラビア等)の設立を認めます。このために2000年近くを経て、先住民のアラブ人と移住してきたユダヤ人との間に再び対立が起きることになったのです。

 

ここで「国家」というものを考えてみたい。我々日本人は四方を海に囲まれた島国に住んでいますので、日本国しいては日本国民とはと訊かれても、明確には表現できなくとも、いまさら何を?という気持ちでしょう。左右の意見対立はあるものの、日本はナショナリズムの強い国です。たとえば「What are you ? 」と訊かれた場合、日本人ならおそらく10人中10人が、「I am a Japanese.」 と答える。蛇足ですが学生時代に安保闘争で名をはせた「革マル派」(革命的共産主義者同盟)は、私はナショナリズムの一変形だとみています。

 ところが欧米ですと、たとえば「I am a American.」と答える人の他に、「I am a Chiristian.」と答える人が必ずいるでしょうし、これがイスラム国家ですと、おそらくほとんどの人が、「I am a Moslem. (イスラム教徒)」と答えると思われます。要するにアラブ諸国では、そこに住む人の自己のアイデンティテーは、国家の住民であるよりもイスラム教徒であるのです。

 

 蛇足ですが、同じ島国のイギリスは日本と同じように国家とか国民という一体感が強いのか? 答えはノーです。 2年ほど前に娘のR子が海外で知り合った、ロシアからの移民で現在イギリスに住んでいる親子が日本に来て、2晩ほど我が家に泊まったことがあります。その時私が、「イギリスの首都はロンドンで・・・」と言ったら、言葉を遮って、「違う、我々はスコットランドに住んでいて、エディンバラが首都である。あれはUnited Kingdomの首都である」と言われ、ビックリしたことを覚えています。移民のロシア人ですらこうなんだから、土着のスコットランドに住む人なんか想像に余りある。時々スコットランド独立運動が新聞を賑わせますが・・・

 興味のある人は近代イギリス史でもひも解いてください。結構面白い。

 

司馬遼太郎は確か「街道を行くー南蛮のみちー」のなかで、スペインのバスク地方を論じ、その中で国家という概念が形成していくのは16世紀の絶対王制からのことで、しかも国家という重圧(税金・徴兵・言語統一等)が個々の人々の頭に重くのしかかってくるのは極めて近代のことであると言っています(手元に本がないので、あるいは間違っているのかもしれません)。アラブの社会ではおそらく第2次大戦後のことでしょう。それまで砂漠の民として移住しながら族長のもとに暮らしていた人々に、たとえば「お前はイラク国人だ」なんて言っても、「ああ、さようか」 ぐらいにしか思わなかったでしょう。特に他民族たとえばクルド人に、「お前はイラク国内に住んでいるから税金を納めろ!」なんて言っても、「なに!?・・・」としか言いようがないと思います。

 

地図で見ると中近東の国境線はほとんどが直線です。すなわち人為的に造られた国境であり、英仏のよそ者が戦勝後、西欧の自分たちの国家という概念で決めた国境でした。それを聞いたアラブの為政者は、「あ、さようか・・・」 程度の考えしかなかったと思います。周りは砂漠ですし、国家と言う概念も薄く、勝手にしなはれ!程度だったでしょう。

この国境が俄然重要視されるようになったのは、砂漠の下に石油があることが判ってからのことです。(つづく)


パレスチナ問題(5)

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パレスチナ問題 (5)

 

離散から1900年も経った19世紀の終わりから20世紀の初めにかけて、ユダヤ人の間に「シオニズム運動」が起こります。提唱者は確かベン・グリオンというロシアに住むユダヤ人でした。今でこそドイツ・ヒットラーだけがユダヤ人のホロコースト(大虐殺)をしたと知れわたっていますが、歴史上で最もユダヤ人を迫害したのは革命前のロシアツアー(皇帝)です。「ポグロム」というユダヤ人迫害虐殺の言葉がありますが、元をただせばこの言葉はロシア語です。したがってロシア革命(1917年)の担い手は、トロツキーをはじめとする圧迫され続けたユダヤ人が多数を占めました。

 

「シオニズム運動」とはシオンに帰ろう!というスローガンです。エルサレムの古い名前は「シオン」です。だからエルサレムに戻ってイスラエル(ユダヤ)民族の国を創ろう!という運動です。このスローガンはまたたく間にユダヤ人社会に広がり、離散していたユダヤ人の結束感情を高め、国際世論も無視できないくらいに発展していきます。

 

一方、いまのパレスチナ地域は20世紀初頭までオスマントルコの領土でした。今でこそトルコは小アジア半島とバルカン半島の1部だけになっていますが、オスマン帝国時代は膨大な領土を誇っていました。それが第一次世界大戦でドイツに味方して敗戦の憂き目にあい、今の領土になったのです。要するに20世紀初頭にはユダヤ人はもちろんのこと、アラブ人・パレスチナ人もトルコ民族にその地を追われて、流浪の民か今のように難民として生活していたのです。

 

第一次世界大戦はドイツ・オーストリアハンガリー帝国(パプスブルク帝国)と、主としてイギリス・フランス・ロシア帝国が戦った戦争です。このとき日本はご存知の通り英仏側についたために、戦勝国となって大正デモクラシーの華が咲きます。また当時のアメリカは確かまだモンロー主義(一種の鎖国政策・非干渉政策)を採っていて、真面目に参戦しなかったと思います。その結果戦勝国であった英仏でも国力が疲弊してしまったのと反対に、傷つかなかったために国力が増大して、一挙に世界大国にのし上がっていきます。またロシア帝国は大戦末期の1917年にロシア革命が成功してソビエトが誕生します。オーストリアパプスブルク家は一挙に崩壊し、ウイーンを中心とした小国に転落し、スイスと並んで永世中立国として余命を保つことになります。

 

英仏はこの戦いに勝つために『シオニズム運動』で結束しつつあるユダヤ人と、トルコ帝国領内に難民生活をおくっているアラブ(パレスチナ)人を味方に引き入れようと策略します。これが有名な『二枚舌外交』です。

すなわちユダヤ人には「勝ったらパレスチナの地に建国を認めよう」(バルフォア宣言)と言い、同様にアラブ・パレスチナ人に対しても「勝ったらパレスチナの地に建国を認めよう」(フサインーマクマホン書簡)と言います。あきらかに土地が重なるわけですから、これが大戦後特に第2次大戦後に大問題となっていきます。

アラビアのロレンスが活躍したのもこの頃のことですが、彼の活動は史実とフィクションが混在していて、正直言って私にはよく解りません。

 

結果はご承知のとおり、英仏が勝利をおさめますが、いまのパレスチナを含む中東の地は、ユダヤの建国もアラブの建国もならずに英仏の委任統治領となり、約束は反故にされ両民族を失望と怒りに追いやります。それはそうでしょう。『二枚舌』を使ったのだから、両方認めれば火を見るよりも明らかです。(つづく)


パレスチナ問題(4)

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パレスチナ問題 (その4)

 

 私が聖書にふれたのは大学に入ってからです。4年間のうち、約2年間伯父(父の次兄)の家に「いそうろう」しましたが、伯父一家は敬虔なカルヴァン派のクリスチャンでした。この派は東京の中渋谷教会を母体にして、松本に松本教会(手塚縫蔵・小原福治―深志高校の世界史の小原先生の父)を、京都に北白川教会を創りました。伯父も創設者の1人です。佐古純一郎とか島崎光正は中渋谷教会の出身です。

私も学生時代2度ほど北白川教会に行きましたが、教会と言ってもマッタクの集会所であって、イコン(偶像)的なものはもちろん教会につきものの十字架等何の飾りもなく、非常に驚いたことを思い出します。

 

 この中渋谷教会も北白川教会も信者に向かっての講話を重視しました。それが森有正(森有礼の子・フランスで客死)の4冊の講話の本となり、またカトリック信徒で京大の教授でもあった山田晶が北白川教会で行った『アウグスティヌス講和』も1冊の本になって出版され、これは87年大仏次郎賞を受賞しました。いずれも持っていますのでよろしかったらどうぞ・・・ 直人義父が森有正の講話を借りたいと言って持って行ったことが思い出されます。

 

 よく聖書を読んでキリスト教徒になったという話を耳にしますが、はたしてどうかな?という感じです。私はもちろん今でもクリスチャンでもありませんし、最初聖書を読んだ時もあまり感慨らしき感動もありませんでした。むしろ聖書の周辺の書物から、しだいにキリスト教になじむようになったというのが本音です。やっぱり宗教というのは、自分の心のうちからの湧き出るものがない限り、書物だけ読んで入っていくといった世界ではないように思います。

 でも聖書が手元にないと何となくさびしいのも事実です。いま書棚に聖書が3冊ありますが、思いだすと新潟と横浜の単身赴任時代に1冊づつ買いました。読みたくなるときに読む。私のはそんな聖書の読み方です

また聖書の世界から、いま書いているような宗教とか歴史・国家・民族の方に関心が発展していきましたので、思えば40年以上もその関心が続いたことになります。 (話があらぬ方向に行ってしまいましたが・・・)

 

ユダヤ民族はローマ帝国によって離散(ディアスポラ)されました。私が想像するに、この民族は集団でいると何をやらかすかわからない。いっそ離散させようと時のローマ帝国の為政者が考えたと思っています。その結果ユダヤ民族はヨーロッパ各地にチリチリバラバラになり、『ジュウ(JEW)』と蔑視され、『ゲットー』と呼ばれる居場所でしか生活を許されませんでした。土地を保有することは禁じられたために、商売とか金貸し業あるいは能力でしか身を立てるすべがない。生活は陰惨悲惨を極めます。キリスト教に改宗したユダヤ人もなかにはいましたが、その人たちですら「マラーノ(豚)」と言ってさげすまされる。各地で虐殺が起き、迫害されます。それでもユダヤ民族としての誇りを保ち、ユダヤ教を捨てなかったということは、想像を絶する精神力の持ち主でしょう。

 

その後キリスト教もイスラム教も世界宗教となって全世界に広まっていきますが、ユダヤ教だけは民族宗教として一歩も民族以外に発展しなかったことは、なんとなく解る気がします。

でもこの民族から、マルクス・アインシュタイン・チャップリン等そうそうたる人物が排出されます。土地を持てなかったために、学問で身を立てていくしか方法がなかったのです。確か作曲家のマーラーもそうです。第2次大戦でドイツヒットラーから迫害されたユダヤ人科学者を、アメリカが受け入れて原爆を作ったという話は、あまりにも有名です。

と今日はここまで


パレスチナ問題(3)

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パレスチナ問題 (その3)

 

 ここで蛇足。旧約を読んで1番戸惑うのは「神から選ばれたイスラエルの民」という言葉と、イザヤとかエレミアとかの「預言者」ではないでしょうか。特に前者はいわゆるイスラエルの『選民意識』と結びついて、どうも理解しがたいし、始末に負えない。ユダヤ人が他民族に嫌われる一原因に、「我々はお前らと違って、神から選ばれた民族なんだ」という意識があるからなんだろうと思われます。

 でも聖書をよく読んでみると、「優秀な民だから選ばれたのではなくて、たまたま(もっと極端にいうと問題のある民族だから)選ばれた」と言うのが正解のようです。間違ってもらっては困るのです。

 

 神学論的にいえば、神はこの民族を選んだのだから救いの手を差し伸べる義務を負うことになる。それに対しイスラエルの民は神に忠誠を誓い、神の求めに応ずる義務がある。これが神と人との契約の概念です。だから、ユダヤの民はいろいろな問題を起こしたとしても、最終的には神によって救われるという理論になる。最近のパレスチナ人にあれだけの砲撃を浴びせながら国際世論に耳をかさない姿勢も、どんなことをしたって最終的には神によって救われるんだ、という意識があるのかもしれません。

 

 旧約の世界でもこの民は始終問題を起こし、神の意に反する行為をする。その結果が神の怒りに触れたバビロン捕囚であったり王国の滅亡であったりするのです。その時に必ず預言者が出てきて、嘆き諭してイスラエルの民を神の方に導くことになる。旧約聖書はこの繰り返しの物語といっても過言ではありません。

 

 この預言者は未来の不確かなことに予言をいうという、あの摩訶不思議なる予言者ではなく、文字通り『言葉を預かる』者、すなわち神の言葉を預かって神に代わって神の言葉を人々に伝える人のことをいいます。字が「予」と「預」で違います! どうもこのところをキリスト教の信者ですら理解してない人が多い。だから旧約聖書のなかでは必ず預言者は、「神は言われた。・・・・・・」という言い方をしています。

 

 さらに蛇足の蛇足。それでは新約聖書のイエスは、旧約の預言者とどう違うのだろうか?・・・

 イエスは言います。「まことに私はオマエらに言う。・・・・・・・・」 あるいは、「父は言われた。・・・・・・」 要するに神から委託されてしゃべったのではなく、自分自身の言葉で民衆に諭したのです。イエスももちろんユダヤ人です。極端な言い方をすれば昨日まで貧しい大工のコせがれが、ある日突然、「私は・・・」とか「父は・・・」なんて説教を始めたのだから、当時の民衆はおったまげたでしょう・・・ だからイエスはいままでの預言者ではなく神だ!というようになっていったのです。 でも最後はイエスはユダヤの民から神を僭称したとして訴えられ十字架にかかって殺されます。あとは父(神)と子(イエス)と聖霊は同じであるという三位一体が現在のキリスト教の根本理念になっていくことは省略。

 

 なおユダヤ教ではイエスは預言者ではあるが、神ではないとの認識です。ここら辺もユダヤ教とキリスト教が相容れないところだろうか・・・

 と、今日はここまで


パレスチナ問題(2)


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パレスチナ問題(2)

 旧約聖書はユダヤ民族の歴史書です。紀元前2000年ごろから紀元前までのユダヤの苦難の歴史が書かれています。信仰の書でもあるためにかなり自虐的な文章ですが、物語として読んでも最高に面白い。 ところが量が膨大なために、おそらく敬虔なキリスト教徒だって全部を読んだ人はいないんじゃナカラフカ? もちろん私なんざサワリを読んだだけです。

 この旧約聖書はユダヤ教・キリスト教さらにイスラム教の経典でもあります。ユダヤ教からキリスト教もイスラム教も生まれたわけですから、親子・兄弟の関係になる。だからこの信者は『経典の民』と呼ばれています。本来は連帯感があるはずですが、それが極端に仲が悪い。 これはおそらく旧約聖書よりも、キリスト教が主として新約聖書を、ユダヤ教がトウ―ラ(律法)を、イスラム教がコーラン(正しくはクルラアーン、―アラビア語にはエとオの母音がありませんー)を経典として用いているからだろうと思っています。

 でも間違いなくエルサレムはユダヤ教・キリスト教・イスラム教にとっては聖地です。だからこそ第2次大戦後、国際管理下に置かれたのです。それを不当にイスラエルが占領して首都として公言してはばからない。国連ではイスラエルの不法占拠に非難決議をしているのですが、まったくの馬耳東風といった感じです。

 

 旧約聖書はユダヤの書ですから、どうしてもユダヤ民族(聖書ではイスラエルの民という言葉を使っている)中心です。でも純客観的に見た場合、どうもこの民族は旧約の時代から他の民族と協調しあえることがなく、独善的・孤立的で、周辺の民と戦闘を繰り返しています。しかも今の状態とほとんど変わらない。歴史は繰り返すといいますが、こんなに相似形な歴史事実はないのではないだろうか。

 

 旧約聖書によれば、ユダヤの民はその祖とされるアブラハムにひきいられて、カルヂアのウル(今のアラビア半島の南)から、パレスチナ(旧約ではカナンの地と呼んでいる)に移り住んできます。が、平和だったのはほんのひとときであって、ペリシテ人(今のパレスチナ人の祖)に追われてエジプトに逃げ込み、今度はエジプトから追われて(出エジプト・モーゼの十戒)またパレスチナに戻る。そこで絶頂期を迎えますが(ダビテ・ソロモン)、またもや内紛によって二王国に分裂し、アッシリアに虐殺・捕囚され、バビロニアにも集団連行され(バビロン捕囚)、50年後勃興したペルシャによってようやく捕囚をとかれてパレスチナに帰還します。が、結局ローマ帝国によって紀元70年に離散されます。イエスが死んでまもなくのことです。詳しくは歴史書ないし旧約聖書でお読みいただきたい。要するに苦難・辛酸をなめた民であることには間違いありませんが、そうなったのも身からでた錆(自業自得)的な面が多分にある。

そのころからパレスチナ人とイスラエルの民は争っているのだから、マア気が遠くなるほど長いのです。

 

 ここで注意しておかないのは、当時はキリスト教もイスラム教もなく、唯一しっかりした宗教はユダヤ教だけだったということです。だからこそ当時のユダヤ人は独善的になったのかもしれません。

 また歴史的に辛酸をなめた民族はなにもユダヤの民だけではない。アルメニア人もそうですし、いまでも2000万人はいると推測されるクルド人などは国家さえも持たしてもらえません。ジプシー(ロマ人)の民など少数ですが今でも住む土地さえ追い出されているのが現状です。アルメニア人もクルド人も今のトルコはジェノサイド(民族虐殺)を行いましたが、トルコはその事実を認めようとしないし、さらに自国内にはクルドなる民族はいないと言い張っている。 世の中にはまだまだ理不尽なことが多すぎます。 

 今日も最後まで読んでいただき、ありがとうございました。


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