TheMaster

2014年も残すところ後1カ月となりましたが、ここに来て衝撃的とも言えるインディーズ映画作品が公開されました。そのタイトルは『The Master』

今年のバンコク国際映画祭でも上映された『36』(2012年、邦題:『36のシーン』)で監督デビューを果たし、2作目の『MARY IS HAPPY, MARY IS HAPPY』(2013年、邦題:『マリー・イズ・ハッピー』)ではタイのインディーズ映画史上最高の興行収入を記録。今やタイ映画シーンでも最注目の監督となったナワポン・タムロンラタナリット氏による3作目です。

この、コンスタントに毎年新作をリリースしてくれるところがファンにはうれしいですね。
僕はナワポン監督の最新作というだけで予告編もちゃんと見ず、予備知識なしに観に行ったのですが、期待を遥かに上回る内容でした。


まず、映画が始まると、いまのタイ映画界を代表するような映画監督や脚本家が次々とアップで出てきて、延々と1990年当時のタイにおける映画事情について話し始めます。

英語字幕が付いてないので、かなりのタイ語力が要求される作品なのですが、彼らによると当時は映画館も少ない上、上映されるのはハリウッド大作の娯楽作品やタイ映画ばかり。

しかも、まだBTSもなくて今よりもずっと渋滞がひどかったので、仕事終わりに映画館に行こうと思っても、上映時間までに辿り着けるかわからない。

ビデオ屋に行っても、やはり映画館で上映されるような娯楽作品ばかり。


彼ら当時のコアな映画ファンが本当に観たい、芸術性の高い作品や世界の映画史に名を残すような海外の名作はタイではまだマーケットが小さいので上映したり売ったりする所がどこにもなかったんですね。今でもまだまだ小さいですが。

そして、そういう映画を観ようと思ったら、アリアンス・フランセーズ(フランス)や国際交流基金(日本)など各国の大使館・公共機関が主催する上映会に行くしかなかったわけです。

また、当時はインターネットもまだ発達する前なので作品に関する情報も映画雑誌のみ。映画ファンはそこに書かれている作品のレビューや文字情報でしか映画に触れることができなかったとか。

でも、映画ファンならやはり作品そのものを鑑賞したい!


という状況の所に颯爽と登場したのがウェンさんという違法コピービデオ屋だったのです。

ウェンさんの店に行けば、当時の映画好きが観たがるような作品はなんでも売っている。どうやってその作品を仕入れてくるのか分からないけれど、作品が実際に手に入るわけです。

もちろんそれは違法コピーで、著作権的には真っ黒なお店なんですが、そこではタイのどこのビデオ屋でも扱っていないような、芸術性が高い作品を大量に扱っていたとか。

そして、そのお店があったおかげで、当時の映画ファンはハリウッド大作以外の作品を自由に観ることができ、それを観て育った映画人たちがいまのタイ映画界、つまり国際的な映画祭で受賞するような、質の高い作品を作れるタイ映画界を作り上げてきた……けれど、いまや違法コピーのDVDを作って売られちゃう立場になっちゃったね、というお話。


作品中には監督や映画館「House」の創設者、字幕の翻訳家、映画評論家など計17人が登場して、ウェンさんとその店についてナワポン監督によるインタビューを受けています。

作中では「違法ビデオを買う時に罪悪感をおぼえたことはある?」とか「いま自分の違法コピーDVDが売られたり、勝手に作品をYoutubeにアップされるようになってどう思う?」なんて質問もあり、タイにおける映画著作権に対する映画人の考え方が垣間見えることも。

また、

「ウェンさんとこのビデオにはタイ文字字幕がなかったから英語を必死に勉強して、結果いまや字幕の翻訳家になった」

「ウェンさんのビデオの裏には雑誌に載ったその作品のレビューが貼ってあったんだ。僕はそれを読んで、レビューの書き方や言葉の使い方、レビューにちょうどいい文章の長さなどを学んで評論家になった」


といった貴重なコメントもあり、そのウェンさんこそが今のタイ映画界における「The Master」、つまり師匠でありマスターテープ的な存在だったわけです。


ちなみにそのウェンさんの店ですが、2009年にすでに閉店してしまいました。

閉店した理由は、時代がビデオからDVDに移り、コピーでも画質が劣化しないようになって、ウェンさんの店の商品のさらなる海賊版が登場して一気に商売敵が増えたため、他店との価格競争で1枚の値段を下げて利益がほとんど出ないようになってしまったのだとか。

また、インターネットの普及によって違法アップロードされる作品が多く、違法DVDを買う人の数もだいぶ減ったそう。

さらに映画館「House」が2004年に開館したり、iTunes Storeのような正規の方法で買う人も増えてきたとのこと。


そして閉店後、ウェンさんの消息はだれも知らない……。という、まさに伝説の男の話でした。


この作品は、映画好きの偉大な先輩たちが若き映画好きたちに「俺たちが君らくらいの頃はこうやって映画を観てたんだぜ」と教えてあげているような、まさに「映画好きのための映画」といった1本でした。


ちなみに、作品で描かれているように、芸術性の高い名作はインターネットの普及によってiTunes Storeで買うなどして正規の手段で観られるようになったのですが、まだまだ対応が足りないのが日本映画です。

タイのiTunes Storeではまったくと言っていいほど日本映画が売られておらず、通常のDVDショップでも日本映画の取り扱いはわずか。観たい人はシーロム通りの違法DVDショップに行くしかない、という状況が今も続いています。

音楽の方は最近は対応が進んで、かなりの数の作品がタイのiTunes Storeでも買えるようになってきたのですが、映画については北野武作品すら売ってないという有り様。

税金つぎ込んで「クールジャパン」とか言う前に、この辺の対応をしっかりしてほしい所ですね。